それぞれの宿命
カーテンから漏れる眩しい光で、ネティアは目覚めた。
朝日のようだ。
ベッドから起き上がると、自分を見る。
自分の寝間着に着替えてあった。
だが、部屋を見回すと自分の部屋ではなかった。
白を基調とし、花の金の刺繍が施されたカーテンやソファーは女王の部屋。
「ここは…母上の部屋?」
ネティアはぼんやりと呟いた。
まだ夢を見ているのかと思ったが、自分の左薬指のサファイアの指輪を見て、布団を跳ねのけた。
急いで身支度を整える。
夢ではなかった。
両親の反対を押し切ってランドに行ったことも。
フローレスが、旅の傭兵に転生していたあの人、ルークを連れてきたことも。
闇の騎士と名乗る賊に襲われ、フローレスが攫われたことも!
フローレス救出のため、ジャミルと仲違いし、ルークと共に闇の騎士のアジトを探した。
その道中、前世の妹フローネが現われ、ルークがネティアの前世の夫だと発破をかけてきた。
そして、前世の約束の通り再び結ばれた。
その後、闇の騎士のアジトへ乗り込み、無事フローレスを救出。
闇の騎士の首謀者の正体がもっとも信頼していたフロントだったことにショックを受けた。
婚約を破棄したため、ランド軍を従えたジャミルを怒らせて、戦いになってしまったが、グリスが助けに来てくれた。
その後、父が迎えに来ていることを知って、そこで意識がなくなってしまった。
『ルーク、ああ、ルーク!?』
前世の最愛の人の安否を確かめなければならない。
ここが虹の王宮ならネティアを連れ去った罪などで、拘束されていることは間違いない。
事情を話して、解放してもらわなければ。
ネティアは母のクローゼットをあさって、自分に合う服を探した。
5着ほど選んで、ベッドの上に並べて自分に合わせてみるが、
大きく開いた胸の部分が大きすぎてどれも合わない。
『母上…胸大きい…』
母と自分を比べてショックを受けるネティア。
母の服なら娘の自分も着れるはずという安易な発想は打ち消された。
仕方なく、自分が着ている寝間着で自分の部屋に戻って着替えることにした。
部屋を出ようとした時、ドアが先に開いた。
「あら、ネティア、起きてたのね」
車いすの母が入ってきたのだ。
「お、おはようございます、母上…」
ネティアは驚きながらも、何とか声を絞り出した。
『おはよう』と母は挨拶を返してくれた後、寝室には入らず、隣の部屋へネティアを案内した。
通された部屋には侍女達はいなかった。
だが、テーブルには2人分の朝食が用意してあった。
「さあ、まずは朝食をいただきましょう」
母が席に着いたので、ネティアも渋々席についた。
母と2人で朝食を取るのは初めてだった、
緊張で何から食べていいのかわからない。
母が優雅にスープを飲み始めた。
ネティアも習ってスープを口にする。
すると、お腹がグーグーとなった。
それを聞いて母が微笑を零した。
「よほどお腹が空いていたのね、遠慮しないでたんと食べなさい」
「…はい…」
ネティアは顔を赤らめながら、サラダから食べ始めた。
始めは粛々と食べていたが、だんだんスピードが上がっていった。
あっという間に自分の分の食事を食べつくしてしまった。
それでもまたお腹が鳴った。
まだ足りないようだった。
「まるでフローレスね、わたくしの分も食べていいわよ」
母は笑いながら、フレンチトースとスクランブルエッグを差し出してくれた。
「ありがとうございます…」
ネティアと違って双子の妹フローレスは大食いだった。
恥ずかしそうに頂戴したが、あっという間に平らげてしまった。
まだ物足りなかったが、それでやっとお腹はならなくなった。
「そろそろ、お説教してもいいかしら?」
ナプキンで口を拭いていると、母がニコニコしながら怖いことを言ってきた。
ネティアは居住まいを正して、覚悟した。
「昨日フロントがあなたをわたくしの部屋に連れてきたの。なぜだか、わかるわね?」
「…はい…何となく…」
ネティアはしょげた。
フロントは何でもお見通しだった。
流石、術の兄弟子であり、従者であり、本当の兄のような人だと思う。
「わたくしの後を継いで虹の国の女王になるあなたが自分に呪いをかけるなんて、そんなことしたらどうなるかわかっていたの!?」
バン!
母がテーブルを叩いた。
押さえていた怒りが爆発したのだ。
「あなたがなぜそんな馬鹿なことをしたかはわかるわ。でも!そのせいで精神を弱め、魔力をコントロールできなくなって、あなたが本来かかるはずのない風邪を発症し、あろうことか命まで落とすところだったのよ!?これは虹の王家始まって以来の恥です!」
バン!
ネティアは身を竦めた。
母の怒りの凄まじさは娘の自分がよく知っていた。
「ジャミルと結婚すると言って、わたくし達の制止も聞かず、飛び出していったにも関わらず、婚約破棄。これで、ランドとの関係はますます悪化しました…」
母は声のトーンを落として、頭を押さえた。
「すみません…」
ネティアは小さな声で謝った。
解決するつもりで行ったのに、更に状況を悪くしてしまったのだ。
何をしに行ったのかわからない。
自然と俯く。
「まあ、それはいいでしょう。どうせ、悪化するのは目に見えていたことです。しかし!わたくし達に相談もなく他の男を伴侶に選ぶなど言語道断です!」
『ルーク!!』
ネティアは勢いよく顔を上げた。
母が怒った顔でこちらを見ているが、ルークへの思いが勝る。
「母上、『ルーク』は、今どこにいるのですか!?」
怒られているのも忘れてルークの安否を確認する。
「…『ルーク』…あの子、『ルーク』と名乗ってたのね…」
面食らった顔をしている母にネティアは必死で頷いた。
それがおかしかったのか、母の顔が崩れた。
「ご安心なさい。あなたの大事な人の身の安全は保障していますよ」
「どんな、扱いをされているのですか?」
ネティアは戦々恐々としながらも訪ねた。
母は目を反らした。
「…あなたを連れ去ったのは事実ですから、好待遇とはいかないでしょうね…」
ネティアの顔から血の気が引く。
「ああ、でも、フローレスがいるからビンセントがそれなりの配慮はしてくれたはずよ。それに、アルアとも知り合いみたいだからきっと大丈夫よ」
ネティアは胸を撫でおろした。
風の国の王子アルアは形式上、従妹にあたる。
女好きでなよなよしたところがあるが、押さえる時は押さえてくれる信頼できる従妹だった。
「アルアが来ているのですね…」
「ええ、蔓延していた風邪の治療の応援を要請したから、あなたの代わりに…」
ギク!
母は笑っていたが、声は低くなった。
「アルアもまさかあなたを治療するとは思っていなかったでしょうね」
ネティアの背に冷たい汗が流れる。
アルアの術者レベルはフロントより上だ。
ネティアの治療をしたというなら、当然、呪いのことに気づいたはずだ。
「大丈夫よ、フロントが口止めしたと言っていたわ。それにわたくし達に恥をかかせるようなことをあの子はしないでしょう」
ネティアは自分の浅はかさを反省した。
身近な人間にすべてばれてしまったのだから。
母がネティアの隣にやってきた。
「でも、フロントが気付いてくれて良かったわ。何も知らずにあなたに虹の結界を引き継がせていたら、あなたは消滅してしまうところだったわ」
ネティアは驚いて顔を上げた。
「あなたの魔力が歴代の虹の女王の中で飛びぬけているのは確かよ。それでも、虹の結界を引き継ぐということはそんなに甘いものじゃないのよ。引き継ぐ前と後ではあなたの魔力は10分の1ぐらいまで減ってしまうわ。呪いのかかった状態では絶対に耐えられないのよ」
母はそう言い聞かせて、ネティアの顔を引き寄せた。
すると、涙が零れた。
「ごめんなさい…母上…」
「わかってくれたならそれでいいわ…今はゆっくり休みなさい」
母の優しい声にネティアは母の胸で泣いた。
***
レイスの兵は王都に潜む闇の騎士の検挙に全力を挙げていた。
聞き取りをしたフローレス姫とナイト王子からの情報でわかったことは、
凄腕の騎士であり、術者。
髪の長い女。
というものだった。
指揮官であるシュウの眼鏡が光った。
何か閃いたようだった。
控えていたレイスの兵に緊張が走る。
シュウは3名の女性の名を記した紙をレイスの兵に見せた。
「この者達を連れてきてください」
その3名の名前を見て、レイス兵達は困惑した。
だが、今は指揮官に意見を述べらる者はいなかった。
「承知しました!」
「頼みましたよ」
「は!」
忠勤であるレイス兵はシュウの命を真に受けたて容疑者確保に走る。
***
3人の女性が神殿のテラスで昼食を取ろうとしていた。
「さあ、いただきましょうか?」
呼びかけたのは虹の神殿の最高司祭リリィ。
虹の神殿で、女王ティティスに次ぐ地位の女神官だ。
淡い金髪と緑の瞳が印象的な優しそうな女性だ。
「本当に良かったわ。ネティア様もフローレス様もご無事に戻られて。フローレス様が賊にさらわれて、ネティア様が助けに向かわれたと聞いた時は生きた心地がしなかったわ」
と、黒髪のショートボブ、赤い双眸のきっちりした女性が話を切り出した。
女官長のラナ。
彼女は元正規軍の魔法騎士で、すでに他界した男の幼馴染2人とともに大活躍した経歴を持つ。
「本当驚いたわ、あの大人しそうなネティア様が雇った傭兵と2人だけで賊のアジトを突き止めらて、フローレス様を救出しちゃんうんだから。感心しちゃったわ」
紫の髪に凛とした青い双眸を持つ最後のセクシーな女性が生ハムのサラダを食べてから発言した。
彼女は宮廷魔術師のヘレン。
正規軍のウィル将軍の母でもある。
武術はダメだが、魔術の数では女王ティティスに匹敵する。
3人は学生時代からの友人だった。
「ランドの軍隊を翻弄した闇の騎士って一体何者だったのかしらね?」
ラナが興味津々で女王のすぐそばに仕えているリリィに聞いてきた。
「さあ、わたくしも戻ってきたばかりだから詳しいことはわからないわ」
「そうよ、私達術者は風邪の治療で各地を回ってきたのよ。あなたの方こそ何か知らないの?王都にずっといたんでしょう?」
ヘレンに逆に聞かれて、ラナは苦笑いを浮かべる。
「確かに王都にずっといたわ。でも、ずっとフロントの看病を頼まれてたのよ。あの子、重要参考人だから…」
「ああ、なほどね、それで何も知らないのね」
ヘレンは納得して、フォークを置く。
双子姫の騎士は天才的な魔法騎士で有名だった。
フロントが目覚めた時に備え、元騎士だったラナが選ばれたようだ。
女官長のラナなら看病もできる。
「ねぇ、ラナ、看病してたの本当にフロントだったの?」
「ヘレン、フロントを疑ってるの?」
突然の質問にリリィが驚く。
「だって、一番怪しいのはフロントでしょう?」
「それはそうかもしれないけど…」
リリィは口籠る。
「ちょっと、私の目が節穴だっていうの?あれは紛れもなくフロントだったわ!」
フロントを看病していたラナが憤慨する。
慌てるリリィを他所に、ヘレンが悪戯っぽい笑みを浮かべる。
ヘレンには怒りっぽいラナを煽る癖があった。
「ちゃんと、調べたの?あの子、術の天才よ」
「知ってるわよ!時間もたっぷりあったから、ランドとレイスの力を借りて色々調べたわよ!でも、術を使った形跡は何も見つからなかったわ!術も使わず、遠方で大暴れできる方法があるならこっちが教えて欲しいわ!」
腕を組んで怒った視線を向けてくるラナにヘレンは思案顔になる。
「レイスの力も借りたってことは、ビンセントもフロントを診たのよね?」
ビンセントの名前が出るとリリィの顔が曇った。
「当然でしょう。ビンセントも何も見つけれれなかったわ」
「そう…なら、フロントは白だったのかしら?」
「…そう願いたいわね…」
王都で昏睡状態だったフロントは状況的に完全に白だった。
だが、フロントが白だとどうしてもこの3人は、いや、他の者達も断言できなかった。
誰も想像もつかない方法で事を起こしたのではないかと、勘ぐってしまうのだ。
3人はどんな方法で遠方にいる双子姫を襲ったのかしばらく考えたが、答えは出なかった。
「もうやめましょう」
リリィが最初に音を上げた。
「私もやめた、お腹がペコペコだわ」
ラナが賛同してフォークを手に取る。
「そうね、犯人捜しはビンセントに任せましょう」
ヘレンも空腹に負けた。
それに、重職にある3人は暇ではなかった。
ようやく食事に戻る。
ドドドドドド!!!!
物々しい足跡が、3人がいるテラスに雪崩れ込んできた。
そして、あっという間にレイスの兵に囲まれた。
「ちょっと、何事!?」
驚いたヘレンが立ち上がってレイス兵に向かって叫んだ。
「ねぇ、このテラス、飲食禁止だった?」
「…さあ、どうだったからしら…でも、そんなことでは、レイス兵は動かないと思うけど…」
包囲されているにもかかわらず、メインのナポリタンをむさぼりながら聞いてくるラナに、リリィは苦笑いで答えた。
レイス兵は粛々と巻物を3人に見せる。
「最高司祭リリィ、女官長ラナ、宮廷魔術師ヘレン、ご同行願います!あなた方に、王家への反逆罪の容疑がかけられています!」
3人は巻物を凝視した。
確かに、自分達3人の名前が記されている。
奇しくも、さっき話題に上げた闇の騎士として。
***
ビンセントは政務室で、政務に励んでいた。
宰相のカリウスがレイガル王についていったため、その代行をしていたのだ。
溜まっていた書類も一段落し、遅めの昼食を取ろうと思っていたところ、
「失礼します、父上」
シュウが入ってきた。
「政務の方はいかがです?」
「今一段落したところだ。それでそちらはどうなっている?」
ビンセントは背筋を伸ばしながら、軽くシュウに訪ねた。
「容疑者3名を連行しました」
「何、それは本当か!?」
予期せぬシュウの返答にビンセントの顔が引き締まった。
「はい、取調室に連行しておりますので、取り調べをお願いしたく参った次第です」
「わかった、すぐ行く」
「政務の方は私がやっておきますので、ご安心ください」
「ああ、頼んだぞ」
ビンセントは上着を着ると、すぐさま政務室を出て行った。
その背に向かって、シュウはにこやかに手を振っていた。
「ビンセント様…」
レイス兵がビンセントに対して敬礼する。
「容疑者の様子はどうだ?」
「今は落ち着いておられます」
「そうか…」
ビンセントはひとまず安心した。
暴れる者がいるからだ。
だが、油断は大敵。
深呼吸をして、取調室のドアを開けた。
「遅かったわね、ビンセント…」
聞き覚えのある棘のある声がビンセントを迎えた。
見知った3人の女性が座っていることに気づいたビンセントは回れ右をしようとした。
しかし、その前に、取調室のドアは閉まり、ご丁寧に鍵までかけられた。
絶体絶命のピンチ。
「まあ、お座りなさい。ビンセント」
不満たらたらのヘレンが着席を促す。
ビンセントの全身を冷や汗が流れる。
勇猛果敢な騎士であり、王の一族の筆頭であり、女王に最も近い存在であるビンセントだが、怖いものはあった。
虹の国名物、3大魔女だ。
特に厳しい言葉を投げつけてくるヘレンは天敵だった。
「私達が闇の騎士ですって?どんな捜査をしたら、そんな答えが出るのかしら?」
ビンセントは新しく入った情報を思い出す。
凄腕の騎士であり、術者。
髪の長い女…
確かに当てはまる。
特に、ラナは魔法騎士であり、闇の民の血を引いているが、髪は短い。
その上、結界魔法を使えない。
他の2人は髪は長いが、武術に関していえば無力だ。
なので、全員、白であることは明白。
それでもこの3人を検挙したは義理の息子の策略だったと気づく。
「はははは、連日の捜査で我々レイスの兵も疲れが出たのかもしれませんな」
バン!
「笑い事じゃなくてよ」
「そうよ、反逆罪よ」
ヘレンとラナが冷めた声で言った。
「…申し訳ない。すぐに引き取ってもらって結構です。虹の王家に忠誠を尽くすあなた方が闇の騎士であるはずがない」
「それで済むと思ってるの!?私達の昼食どうしてくれるの!?」
ラナの言葉で昼食中に連行されたことを知る。
食べ物の恨みは怖い。
「それは大変失礼した。お詫びと言っては何ですが、今から昼食でもどうですか?実は私も昼食をまだ済ませてなかったもので…」
この3人と食事を取るなど、生きた心地がしないが、罪滅ぼしは必要だ。
「結構よ」
ビンセントの罪滅ぼしをヘレンはあっさり一蹴した。
「リリィと一緒に取ったら?私達はお暇するわ」
「え!?」
退散しようとする友人2人を見てリリィが慌てる。
ビンセントも固まる。
「全く、私達を巻き込まないでよね!」
ヘレンが捨て台詞を残して、取調室を魔法でこじ開ける。
続いて、『頑張って』とラナがリリィに言い残して去っていく。
その後、ご丁寧にドアを壊す前以上に頑丈な扉に戻していく。
取調室で、ビンセントはリリィと2人きりになってしまった。
静寂が流れる。
他の2人と違った意味でビンセントはリリィが苦手だった。
元婚約者
ビンセントの1人息子の死が切っ掛けで婚約を破棄した。
その後、2人は結婚もせず独り身を貫いていた。
そのため、事あるごとに周りの人間ががリリィとの復縁を画策してくるのだ。
だが、ビンセントが復縁をすることなどあり得なかった。
リリィとの結婚と同時に養子に迎えるはずだったフロントを許さなかったように。
「あの…お食事、いただいてもいいですか?」
リリィが勇気を振り絞ってビンセントに話しかけてきた。
あれから5年経ち、彼女の容姿に老いが見えた。
「リリィ…私を待つのはもうやめてくれないか?」
「ビンセント様…」
「その方が君のためだ。私はもう2度と結婚はしない、とジェラードの墓前で誓った」
「それはビンセント様のせいではありません!わたくしがいけなかったのです!ジェラードはわたくしのことを嫌っていたのに…それなのに浮かれてしまって…」
「いや、私のせいだ。あの子の心の闇に気づいてやれなかった。あの子を仲間外れにしてしまった…だから、あの子はフロントからフローレス様を奪おうとした…これはすべてあの子の私への報復だ。その報復に君がいつまでも付き合う必要なはい。どうか、他の人と幸せになってほしい…」
「ビンセント様…」
リリィの目から涙が溢れた。
涙を拭きながら、ドアへ向かう。
厳重にロックされていたはずのドアがあっさり開いて、リリィは泣きながら外へ駆けて行った。
ドアの横から先に出て行ったはずのヘレンとラナが怖い顔でビンセントを睨む。
「リリィはあなたには勿体ないわ!」
「一生、息子に呪われてなさい!」
辛らつな言葉を残して、2人はリリィを追いかけて行った。
1人残されたビンセントの心の古傷も開いていた。
「シュウめ、全く余計なことをしおって…」
結局ビンセントは昼食を食べ損なった。
***
パン!
ナイトはリュックと一緒に虹の王宮の客間でアルアと共に過ごしていた。
その客間は風の国の王子であるアルアのために用意されたもので、ナイトには別の監視部屋が用意されていた。
ナイトの身分はまだ極秘扱いだったからだ。
今はアルアの部屋に招待されていると言ったところだ。
フローレスは、疲れた、と言って自室に戻っていった。
そのため、アルアの取り調べのような話が続いた。
だが、悪いことばかりではなく情報提供もしてくれた。
パリン!
アルアの話によると、ネティアの重症化した風邪を見て錯乱したレイガル王率いる正規軍は何事もなかったように王都に戻ってきたそうだ。
正規軍に同行したナイトの従者4人も虹の王都入りした。
その報を聞いたリュックが目に目えて硬直したのがわかった。
シリウス達の後押しを受けて、ただ1人ナイトに同行したのに何もできなかったのだから、シリウスからの叱咤は免れないだろう。
「水の国から虹の国に書簡が届いたらしよ。所用を済ませたら、直々に君の父上が謝罪に来るらしいよ」
「だろうな…」
ナイトは大きな溜息を吐いた。
水の王城では前代未聞の大騒ぎになっていることだろう。
水の玉座に最も近い第一王子が水の国での謀反騒ぎに続き、謹慎先を抜け出しいての虹の世継ぎ姫の誘拐と横取り。
バリン!
『ああ…俺のイメージが…』
ナイトは泣きたい気持ちにかられた。
「ああ、後、闇の騎士の容疑者が捕まったらしいよ」
「え、マジで!?」
ナイトは一瞬、兄フロントの顔が浮かんだが、
「でも、絶対にない3人だよ。だって、最高司祭と宮廷魔術師と女官長だったからね、すぐに釈放されたよ」
「…あはははは、すごい、勘違いだな…」
「だろう?」
ナイトは作り笑いで誤魔化した。
このものすごい的外れの検挙で確信する。
ビンセントもそのシュウも誰の仕業かわかっていたようだ。
つまり、犯人を上げる気は毛頭ないのだ。
バリン!!
ナイトとアルアは背後から聞こえてくる破壊音を無視してきたが、なかなか収まらないので、視線を向けた。
風の女術者達がいろいろな器の破片を片付けていた。
その上をネティアから出てきた風の精がグルグルと飛び回っている。
この風の精は自然界には戻らず、何かに入りたいと必死に訴えていた。
そして、試した結果がこれだった。
業を煮やした風の精が、アルアの下へやってきた。
「え、違うって?そう言われてもな…」
風船、シャボン玉など、風の精が入りたそうなものを用意したのだが、どれも違うようだ。
「ねぇ、ナイト、こいつ、何かに入りたいらしいんだけど、何か心当たりない?」
「心当たり?」
ナイトに話が向けられたと同時に、風の精も一緒にやってきた。
グルグル回って必死に訴えている。
ナイトはネティアが患者から取り出した風の精を花瓶に閉じ込めているを見たが、花瓶は外れだった。
その後、風の精を自然へと解き放つために太鼓に入れて移動した。
「あ、太鼓だ!」
「え、太鼓?」
「そうだ。俺とネティアが大道芸人になった時、風の精を太鼓に入れて持ち運んだ」
アルアの目が点になった。
「大道芸人?君達が?…本当に何やってたの?」
「変装だ、たまたま年恰好が合う夫婦が身分を貸してくれたんだ。悪いか!?」
リュックは苦笑いを浮かべながら、さっそく風の女術者達に太鼓を持ってくるように頼んだ。
ドン!
ドン!ドン!
太鼓に入った風の精は嬉しそうに太鼓を鳴らし始めた。
「いい音だね…」
「だろう?家族連れに大人気だったんだ」
ナイトは得意げに話した。
「しかし、こいつ、太鼓に入りたいがためにネティアにあんな悪さをしたのか…」
「まあ、それもあったけど、それだけじゃネティア程の術者が風邪にかかるなんてありえないよ」
ナイトが無言でアルアを見つめる。
アルアは自分が口を滑らせたことに気づいた。
「フロントに口止めされてるから言わないよ」
「言え!俺には協力するって言っただろう!?」
「仕方ないな…呪いだよ」
「呪いって、あのネティアが呪われてたのか?」
「というか、自分でかけたみたいだったよ」
「何でそんなことを!?」
「そんなの知らないよ、ネティアに聞いてみれば?」
ナイトはアルアへの追及を止めた。
なぜ自分を呪ったかは、確かに、ネティア本人しかわからない。
ナイトは悶々したものを抱えてネティアへと思いを馳せた。
***
『ぎゃああああああ!!!!』
断末魔の叫び声が虚空に消える。
地面にしっかりと封印の魔法陣を何重にも描いて、フロントはにんまりと笑う。
「証拠隠滅、完了。さて、帰るか」
フロントは霧深い森を移動魔法で後にする。
王都で帰りを待っている主の下へ。
王宮の廊下を急ぎ足で歩く。
主に褒めてもらうためだ。
王宮の南の端にある主の部屋のドアをフロントは意気揚々と開ける。
「フローレス様、ただいま、戻りました!」
辺りを見回すも、フローレスの姿はどこにもない。
「あれ?」
フロントはフローレスの姿を探して部屋の捜索を始める。
「フローレス様!?フローレス様!?」
ベッドの中、クローゼットの中、カーテンの裏、ベランダ、トイレ、シャワー室、ベッドの下、ゴミ箱…
「おかしいな…」
「どこ探してんのよ!!」
フロントが首を傾げていると、頭上から声が降ってきた。
上を見上げると、フローレスが太い柱の支柱から飛びかかってきた。
手には剣を持っている。
フロントは斬りかかってきたフローレスから剣を難なく叩き落とすと、あっという間にお姫さま抱っこした。
「もう、危ないじゃないですか」
「当たり前でしょう!一太刀あびせてやるつもりだったんだから!」
フローレスは憤慨して、暴れる。
フロントが闇の騎士だったことを黙っていたからだろう。
それに、囚われていたときの不満への報復。
予測していたことだ。
フロントはにんまりと笑顔と共に用意していた紙袋をフローレスに渡した。
「…何これ?」
「頑張ったご褒美です」
フローレスは紙袋の中身を開けてみる。
「あ!ダークエンジェルのシュークリーム!」
フローレスから怒りの色が消えた。
「すぐにお茶の準備をしますね」
フロントはにっこり笑ってフローレスを下ろした。
牙を抜かれたライオンのようにフローレスは大人しくなった。
「おいしい!」
フローレスがシュークリームに舌鼓を打つ。
フロントは満足そうにフローレスを見つめる。
『さて、ナイトの怒りはどうやって沈めようか?」
もう6歳の子供ではない。
成長した血のつながらない弟のあやし方を思案するフロント。
『あ、その前にネティア様を攻略しないと…』
***
ネティアがぐったりした状態で、自室に帰ってきた。
女王である母ティティスに愛情たっぷりに絞られたのだ。
そして、裏で秘密裏に進んでいた話の内容も聞かされた。
どっと疲れが出でネティアはベッドに倒れ込んだ。
トントン…
寝室のドアを叩く音が響く。
まるでネティアが帰ってくるのを見計らったようだ。
ネティアは身を起こした。
「どうぞ…」
「お疲れ様です、ネティア様。もう、お休みになられたかと思いました」
「寝れるはずないでしょう。あなたが来ることはわかっていたのですから…」
ネティアはフロントを睨んだ。
謀反を起こし、ネティアの計画を台無しにしたのだから。
「刃を向けたことは、大変申し訳ありませんでした。でも、あなたも悪いんですよ…」
フロントは謝罪した後、逆にネティアを睨み返してきた。
「私がここまでした理由はお分かりですよね?」
ネティアは視線を反らした。
「ええ、フローレスには言わないで…」
「ええ、もちろんです。ですが、『ナイト』様の方はもう知っておられるかもしれません」
一瞬ネティアの目が大きく見開かれた。
「ネティア様に連れて来いと言われたので、連れてきましたよ。初代虹の王の生まれ変わりを」
ネティアは視線をフロントに戻した。
「いや、実は私の血のつながらない弟だったんですけど、両親の都合で水の国に行っちゃったんですよ。自慢の弟だったんで本当はすぐにでも紹介したかったんですよ。でも、水の国の第一王子になっちゃたもんで、なかなか連れてこれなかったんです」
ネティアはベッドから起き上がるとフロントの下へ行った。
「どうでした?私の自慢の弟は?」
「ええ、間違いなくあの人だったわ…」
ネティアは小さく、ありがとう、と言った。
「お逢いになりたいですか?」
ネティアは小さく頷いた。
***
夜も更け、ナイトはリュックと共にアルアの部屋から監視部屋に戻った。
リュックが寝床の準備をしている間、ナイトはネティアのことを考えていた。
すると、遠慮がちにドアをノックする音が聞こえた。
「こんな夜更けに何の用だろう?」
看守だと思ったリュックが手をとめて、出ようとするのをナイトが制した。
「俺が出る」
ナイトは自分でドアを開けた。
外に立っていたのは、思った通りネティアだった。
ネティアはナイトが直接出てきたので驚いているようだった。
「ナ、ナイト様…?」
遠慮がちにナイトの本名を訪ねてくる。
どうやら真実を知ったようだ。
「ああ、そうだ…」
ナイトはネティアを部屋の中に招き入れた。
入ってきたネティア見て、リュックが慌てて奥に引っ込む。
気を利かせたのだろうが、盗み見ているのが目につく。
「怒ってないか?」
「え!?」
ナイトの切り出しにネティアが驚いて振り向く。
「その、成り行きと言っては何だが、婚約していたお前に直接会いに行くには気が引けたんだ…すまん…」
ナイトは頭を下げた。
「顔を上げてください。怒ってなんていませんよ…わたくしが急ぎ過ぎてしまったのです。フロントの決死の制止を振り切らなければ、こんな変なことはならなったはずです」
「そうかもな…俺も焦った…」
ナイトは胸を撫でおろしたが、真剣な目に戻す。
「アルアから聞いた…どうして、自分に呪いなんてかけたんだ?」
ネティアは一瞬ためらったが、話してくれた。
「…正直、わたくしはあなたが本当に来てくれるか疑問でした。前世の記憶のせいで、わたくしはあなた以外の人など考えられなかったのです。だから、封印をしたのです。ですが、あなたは約束通り現れ、闇の騎士に謀反を起こされたり、フローレスが攫われたりでわたくしは心を乱して…あんなことに…」
ナイトはネティアを抱きしめた。
「とにかく、無事で良かった…」
「ナイト様…」
「いや、俺以外しか考えられないなんて、男冥利に尽きるな。諦めなくて良かった」
ナイトはニコニコしながらネティアの顔を見つめる。
「いや、今回の旅は長かった。だから土産も大きくてさ、持って帰ってくるのに苦労したんだ」
輪廻転生の旅で得たナイトの土産は大きかった。
大国の財と権力だ。
「たぶん、役に立つと思う。だから、大船に乗ったつもりでいてくれ」
「ええ、もちろん。お帰りなさい、あなた…」
「ただいま」
ナイトとネティアは現世での再会の抱擁を交わした。
これから、現世での2人の物語が始まる。
***
水の王城のテラスで水の王ウォーレスは浮かない顔で酒を飲んでいた。
晩酌の相手は宰相スパーク。
「ナイトの奴、あっさり捨ておった…」
ウォーレスが面白くなさそうに呟いた。
冨と権力で実質世界一の国の玉座を欲しがる者は五万といる。
だが、愛息ナイトはあっさりそれを捨てた。
愛のために。
「わかっていたことではありませんか」
スパークが酒を注ぎながら言った。
「わかっていた…そうだ、わかっていた…みんなバラバラになることは…」
ウォーレスは懐からロケットを取り出した。
ロケットの中にバラバラになってしまった家族の写真があった。
それぞれ重い宿命を背負っていた。
闇の流民の孤児フロントはレイガルから預かった子。
ナイトは初代虹の王の生まれ変わり。
そして、ウォーレスは水の国の玉座を継ぐ運命。
最愛の妻ミズホも、もう手の届かない場所に行ってしまった。
いなくなった妻の顔をじっと見つめる。
「ミズホ様のこと後悔なさっているのですか?」
スパークが訪ねた。
「後悔か…そんなものしたら、ミズホにもナイトにも怒られてしまう…」
ウォーレスはそう言って、ロケットを閉じた。
「みんな、私を置いて行ってしまったな…」
「そうかもしれません。ですが、あなたは1人ぼっちではありませんよ」
スパークが部屋の中を指す。
そこには後妻セリアと彼女との子であるセリオスが手を振っていた。
ウォーレスが作った新しい家族。
「ナイト様を廃嫡にしてしまった以上、陛下にはセリオス様の養育に心血を注いでもらわなといけませんな」
「はあ、やっと、ナイトの養育が終わったかと思ったら、今度はセリオスか…先は長そうだな…」
セリオスはまだ5歳だった。
「ナイト様よりは手はかからないと思いますよ」
セリオスは兄と違ってとても素直な子だった。
「まだ5歳ですよ。育てようによってはナイト様以上の王になるかもしれませんよ」
「ナイト以上か…」
ウォーレスは遠い目をした。
ナイトにはこれ以上にないくらいの特別な教育をしてきた。
最初で最後の最高傑作と言ってもいいほど心血を注いだ。
むろん、自分の後を継がせるためにだ。
しかし、ナイトは自らの宿命を全うするため、ウォーレスの下を去る。
「よし、スパーク、セリオスをナイト以上に育てるか!」
「それでこそ、我が王!」
いつもの明るいウォーレスに戻った。
さっそく、酒を飲むのをやめ、妻子の下へ。
ナイトを失う喪失感を酒ではなく、弟のセリオスへの期待で埋めることにした。
新ウォーレス一家の楽し気な笑いが部屋の中に響く。
素直に甘えてくる可愛い息子。
優しく寄り添ってくる妻。
この新しい家族との幸せを絶対に守る、とウォーレスは心に誓った。