見守る者
朝、身支度を済ませたネティアがナイト(ルーク)の部屋にやってきた。
昨日と打って変わっていい天気だ。
「さあ、ルーク、行きますよ!」
言葉が力んでいる。
「ああ、わかってる…」
ナイトはソファーから気だるく立ち上がる。
外はいい天気だが、正規軍ランド軍の兵だらけだった。
この中を掻い潜っていくかと思うと、行く前から疲労がする。
張り切っているネティアの後ろをナイトはついていく。
「ルークさん、姫様!」
玄関に降りると、アダムとミナが駆け寄ってきた。
「本当に出かけられるんですね?」
「ああ、そうみたいだ」
「そうみたいだじゃありません!そうなんです!」
やる気のないるナイトに喝を入れるネティア。
「…戻って来られますよね?」
「たぶんな、今日は下見だろう?」
アダムがピリピリ気味のネティアにおびえながら聞いてきたので、ナイトが代わりに聞く。
「そ、そうですね…しかし、場合によってはわかりません」
ネティアは笑顔だが、しこりを残す言い方をした。
恐らく、今日だけで決着をつけたい考えだ。
「…だそうだ…」
「…わかりました…」
ナイトが流すとアダムは了解した。
「で、どうやって街の外に出る?移動魔法でも使うのか?」
ナイトが聞くと、ムッとしたネティアの表情が返ってきた。
「そんなことをしたら、魔力探知でバレます!ここはあなたの出番です!」
ネティアはビシッとナイトに指を突きつける。
「あなたには大金を払っているし、何より、退職金代わりにわたくしの、いえ、国宝の首飾りを持っているのですから、あなたに働いてもらわないと!」
「……………根に持ってるな………」
「そりゃ、持ちますよ…」
ナイトの呟きにアダムが苦笑いを零す。
「わかった、じゃ、俺の指示に従うんだな、姫?」
「…も、もちろんです!ちゃんと街を出る道は探してあるのですよね?」
「ああ、でも、姫にはちょっときついかもな…」
少し言い淀んだネティアにナイトは鎌をかけた。
「闇の騎士の正体を暴いて、フローレスを助けるためなら何でもします!」
今度はネティアの言葉に迷いはなかった。
「…わかった…じゃ、行くとするか…アダム」
「…『あれ』を使うんですね?」
「ああ、頼めるか?」
「一応、もう準備はできてますよ…」
「じゃ、案内してくれ」
「はい」
アダムは浮かない顔でナイトを案内する。
ネティアとミナもその後に続く。
「ルーク、あれとは何です?」
「ボートだ」
「ボート?川を下るのですか?」
「ああ、だが、ただの川じゃない。街の地下を流れる川だ」
「街の下を流れる川…」
「生活用水路です。街の東に延びています。下水ではありませんが、中は狭く真っ暗です。昨日の雨で水位が上がってると思います」
説明したミナが心配そうな顔でネティアを見る。
「ほら、地下水路の入り口に着いたぞ」
アダムが石造りの建物のドアを開けると、すぐ、降りる階段があった。
そして、暗くて見えないが勢いよく流れる水の音が聞こえてきた。
まるで滝の音のようだ。
強気だったネティアの顔が強張る。
「今日はやめた方がいいんじゃないんですか?」
聞こえてくる激流の音に、アダムは延期を勧めたそうだ。
だが、ナイトには好機に見えた。
「どうする姫?今日なら地下水路を探索している命知らずの捜索隊はいないと思うぜ」
「…行きます!!」
今にも逃げ出したそうな顔だが、ネティアは踏ん張った。
闇の騎士の正体を暴くことと、妹フローレスを助け出すことがの方が身の危険を上回ったようだ。
「アダム、ボートは下にあるんだよな?」
「はい、この流れで流されてなければいいのですが…」
ナイトは懐から小さなランプつけ、水しぶきが上がってくる地下水路へ降りてボートの様子を見に行く。
用水路は増水して、両脇の人が歩ける通路も水没していた。
杭に繋がれているボートは無事だったが、ガタゴト通路にぶつかっているが、破損は認められない。
ナイトは一旦上に戻る。
「流れは激しいが、ボートは無事だった。出発できるぞ」
「…………行きましょう…」
ネティアは青ざめていたが、一度決めたことは貫く主義のようだ。
ミナは不安げな顔をしながらもネティアとナイトに用意していた合羽を手渡してくれた。
ナイトとネティアは合羽を着こみ、地下水路への階段を下りていく。
心配になったのか、途中までアダムがついてきた。
「本当に大丈夫ですか!?」
中に入り、用水路の激流を目の当たりにしたアダムが爆音に負けじと大きな声で聞いてきた。
「大丈夫だ、俺は水の民だぞ。これくらいの激流、操ってみせる!」
ナイトは自信満々の笑みを浮かべて笑顔を返した。
不安そうな顔のままだったが、アダムは足を止めて見送る。
「お気をつけて…!」
見送りの言葉に手を上げて応えてから、激流の淵に辿り着いた。
「覚悟はいいな、姫」
「もちらんです」
ナイトはボートを引き寄せて、ネティアを先に乗せた。
ボートに飛び移ったネティアはバランスを崩したが、すぐにボートのへりにしがみつく。
ナイトはそれを確認してから、飛び乗り、杭に繋がれていたロープを切った。
ボートが動き出し、再びネティアがボートの底に転がりそうになる。
「しっかり捕まってろよ!」
ナイトは船頭となる。
だが、ここは狭い地下水路、できることはさほどない。
ただ激流に揉まれるボートが壊れず、無事に地下を脱出することを祈ることぐらいだ。
もし、万が一、ボートが耐えられず、壊れた場合は、ネティアを守って泳げるよう、命綱としてロープを腰に括り付けて繋ぐ。
後は、ナイトもボートの縁に捕まり、水しぶきが上がる暗い地下水路の先に光が見えるのを待つ。
激流に振り落とされそうになりながら、ナイトとネティアは耐えた。
しかし、その時間は覚悟していたよりも短かった。
バシャア!!!
突然、目の前が明るくなり、反響していた激流の音が反響しなくなった。
ナイトが目を凝らすと、新緑が芽吹き始める長閑な川に出ていた。
増水で川の流れが速かったため、早く外に出られたのだ。
ナイトはほっと溜息を吐く。
「何とか無事に地下水路を出れたな…」
ボートの上に立ち辺りを見回しながら話しかけたつもりだったが、独り言に終わる。
見ると、ネティアはまだボートの縁に掴まった動かない。
まだ地下水路の激流の中にいると思っているようだ。
ナイトは呆れて、ネティアの腰に括り付けたロープを引っ張る。
「きゃあ…!!!」
悲鳴を上げてネティアはボートの底に仰向けに倒れ込む。
仰向けに倒れたネティアは最初涙ぐんだ顔だったが、太陽を見つけると呆けた顔になった。
「ドボン!」
ナイトが川に落ちた音を口で表現すると、ネティアが険悪な顔を向けてきたので、思わず吹き出す。
「川に落ちたと思ったか?」
「もう、ルーク!」
ナイトは、ネティアと自分を繋ぐ腰のロープを見せてニヤニヤしていると、怒ってそのロープを解こうと足掻が、取れない。
それを見てナイトは再び吹き出す。
業を煮やしたネティアが叫ぶ。
「ルーク、これはなんです!?」
「命綱だ。姫の力で解けるほど軟な結び方してない」
ナイトは簡単に説明して、ロープをナイフで切った。
「辺りには誰もいないみたいだから、今のうちに陸に上がるぞ」
ナイトはそう言って、上陸に良さそうな川草の生い茂った川原を見つけた。
その川原へ行く前に、ネティアを川の中に下ろす。
「ここで少し、待っててくれ。俺はボートをあの草叢隠してくれるから」
「わかりました」
川の水深は浅く、膝下辺りぐらいだが、増水で濁って流れが速い。
ボートを草叢に隠す作業は思いのほか手間取った。
「ルーク、手伝いましょうか?」
「いや、いい。ここはまだ街の外れだ。昨日の今日だし、魔力探知に引っかかる可能性がある」
「…わかりました」
ネティアは肩を落として、ナイトがボートを隠すのを辛抱強く待った。
「これくらいでいいか…」
ナイトは草叢に綺麗にボートを隠すことができず、一部が見えていた。
「これでは見つかってしまうのでは?」
「それも仕方ない。あまり時間をかけてたらこっちが見つかる。ボートの回収は諦めて、捜索隊の攪乱に使おう」
「アダム達に悪いのでは?」
「こんなこともあろうかと、ちゃんと買い取ってある」
ナイトはボートの領収書をネティアに見せつける。
「経費で頼む」
「…………抜かりがないですね…」
「当然だろう?」
ナイトはボートの領収書をネティアの首飾りが入った袋の中に入れた。
そして、ようやく陸に上がり、人目の付かない獣道を伝って小山に登り、切株がある場所を見つけた。
休憩を取る。
火を起こし、川で冷えた体を温める。
「街は出たぞ。これからどこへ行くんだ?」
ナイトは切り出した。
まだネティアが言う闇の騎士団を探す当てを聞いていなかったのだ。
「とりあえず、山へ行きます!」
「山って、空山か?」
空山なら一度闇の騎士と接触した場所なので、会える可能性はゼロではない。
だが、名所でもあるし、ランド軍も正規軍も目を付けているはずだ。
「山ならどこでもいいです」
「どこでも?」
ナイトは怪訝な顔をする。
「ここも小さいけど山だぞ」
「もっと高い山です!深く険しい山がいいです!」
ナイトは嫌な予感がした。
「そんな危険なところに行ってどうする?」
「遭難します!」
「……………………………………………………………………1人で行ってくれ」
ナイトは荷物を持って立ち上がると、立ち去ろうとした。
ネティアは慌ててナイトの左袖を掴む。
「ちょっと、待ってください!あなた、わたくしの傭兵は辞めないって言いましたよね!?その言葉は嘘だったのですか!?」
「前言を撤回する、じゃあな!」
ナイトはネティアの振り払う。
男に二言はない、と言う男の美学をあっさり捨てた。
「依頼主の、フローレスとの約束をやぶるのですか!?」
ネティアは必死にナイトを止めようと追いすがる。
「安心しろ、骨は拾ってやる。形見の首飾りは妹姫に渡す。だから、安心して旅立ってくれ!じゃ!」
「わたくし、死にに行くんじゃありませんから!」
「遭難なんて、死にに行くようなもんだろうが!」
「これは『作戦』です!闇の騎士を誘き出すための!」
「…作戦?」
ナイトはようやく話を聞く耳を持った。
「…そうです…作戦です。闇の騎士はわたくしの行動をすべて把握しているのですよね?ならば、わたくしの危機には必ず駆けつけるはずです」
「なるほど、それで遭難か…」
「…駄目でしょうか?」
ネティアが居住まいを正して聞いてきた。
「いや、悪くないと思うぞ。闇の騎士が姫の傍にいる人間なら肝を冷やすだろうな」
ナイトが賛同するとネティアの顔が明るくなった。
「では、さっそく『遭難』しましょう!」
あまり休憩もしていないのに、ネティアは元気よく立ち上がった。
『…そんなにうまくいくかな…』
ナイトはそう思いながら重い腰を上げた。
闇の騎士はネティアの近くで身を潜めながら、その姿を見せたのはたった一度だけだ。
それ以外で姿を現したのは襲撃の時だけ。
捜索隊が血眼になって探しているのに、ここまで徹底的に姿を隠せるなどもはや神業と言っていいだろう。
そんな闇の騎士が、ネティアの稚拙な作戦で姿を見せるなど、到底思えなかった。
『さあ、どう出る?闇の騎士…』
ナイトは頭の後ろで手を組み、ネティアの後ろを歩く。
そして、すぐ、異変に気付く。
虹の王宮からほとんど外に出たことがない深層の姫であるネティアがすいすい獣道を歩いている。
ランド領主ジャミルの下から逃げた時も山道を歩いたが、あの時は靴連れがひどくて歩くことができなかった。
あの時と違い、ネティアの靴は山道に適している。
とは言え、歩き方が軽やかだ。
ナイトは獣道に視線を落とす。
草が綺麗に刈り取られている。
躓きそうな石も取り除かれている。
つい最近、手入れされたようだが、ここは獣道だ。
手入れなどするだろうか?
狩人がたまたま手入れをしたとも考えられるが、断定はできない。
第2の異変がナイトの目に飛び込んできた。
それは、分かれ道に立てられた道しるべだ。
『グミの街 ⇔ 天狗山』
最近手作りのされたと思われる木製の道しるべは、字は掠れることなくはっきりと書かれ、板のズレもない。
その道しるべの後ろの草むらに古い元の道しるべが隠されているのがちらりとだが見えた。
そんなことには露ほども気づかず、迷わずネティアは天狗山の方へ曲がる。
ナイトは周囲の気配を探るが、やはり、人の気配などない。
だが、明らかにこれは人の仕業だ。
『先回りされてるな…と言うか、こりゃ、誘導されてるな…』
ナイトは先を歩くネティアを見てそう感じた。
なぜなら、ネティアは歩きやすい道を無意識に選んでいる。
その歩きやすい道を作ってくれたのが闇の騎士だとも気付かずに。
居場所が割れていたのだから、こちらがどんな行動を起こすか大体把握しているようだ。
だが、気配もなく、ターゲットの行きそうな道を先回りして整えるなどやはりただ者の仕業ではない。
『闇の騎士の中には忍びもいるようだな…』
ナイトは溜息を吐く。
実はナイトにも経験があった。
父王が再婚した時に親子喧嘩し、1週間ほど山に家出したことがあるのだが、その間、都合よく寝る場所も食料も手に入った。
自分の力だと思っていが、それらは父王が放っていた忍びが密かに準備していてくれたものだと、途中で気づいた。
従者を振り払って、1人で出かけた時も、その影は付きまとって、ナイトを密かに見守っていた。
今、それがネティアの身に起きてるのだが、全く気付いていない。
ナイトはネティアを見守っている者に挑む手立てを考える。
「姫…」
「何です?」
「試しに、崖から飛び降りてみないか?」
「……………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………正気ですか?………」
「それくらいやらないとあいつら出てこないと思うぞ」
有言実行、ナイトはネティアの手を掴むと道を外れ、生い茂る草木を押し分けて真っすぐ崖に向かう。
カラン、コロン…
崖の淵に立つと、小石が谷底に落ちて行った。
そこまで深くない谷だが、それでもかなりの高さだ。
ネティアが息を飲む音が聞こえた。
「…本当に飛び降りるのですか?」
「………そうしようと思ったが、やめた」
ナイトはそう言って、崖に立っていた看板を指さす。
『自己責任!!ロッククライミング』
赤いペンキで荒く書かれている。
その下にはご丁寧に2つのロープが置かれている。
ペンキはまだ渇いていなかったが、気配を捕まえることはできなかった。
ナイトは舌打ちする。
「…ロッククライミング?」
ネティアが呟く横で、ナイトはロープを近くの木に頑丈に縛り付け、ネティアと自分に括り付けた。
「降りるぞ」
「え…?」
嫌そうな顔をするネティアを無理やり崖に押しやる。
「ま、魔法で降りましょう!」
「魔法使ったら、捜索隊に見つかるぞ。覚悟を決めろよ、闇の騎士を見つけたいんだろう?」
「…はい…」
ネティアは泣きそうな顔になっていた。
「今から遭難しようっていつ奴がそんな顔するな。俺が先に行って手本を見せるから、ついて来いよ」
「…わかりました…」
ナイトはロープを持って、慎重に下にピョンピョンと降りていく。
その後をネティアがソロソロと降りてくる。
幸い、崖はそんなに険しくなく、程よく岩が突き出ていて足場もある、初心者向きだ。
「きゃあ…!」
足場が崩れて、ネティアが体勢を崩してロープで宙づりになった。
だが、闇の騎士は出てこなかった。
『結構、しぶといな…』
虹の国の最重要人物である世継ぎ姫が崖で宙づりになっている、これで出てこないなど相当な胆力の持ち主だ。
だが、王家に仕える忍びなら肝は冷やしていることだろう。
「ルーク…!」
「…今行くから待ってろ…」
さすがのネティアも泣き出したので、ナイトは救出に向かい、一緒に谷底へ降りた。
精も根も尽き果てたネティアはその場に座り込んでしまった。
「諦めてもう帰るか?」
ナイトが聞くと、キッと言う視線が返ってきた。
「帰りません!」
そう叫んでネティアは再び立ち上がり、ゴツゴツした岩の多い谷の川を上っていく。
ナイトは仕方なくついていく。
しかし、ネティアの足取りは覚束ない。
見かねたナイトがネティアの服の袖を引っ張る。
ツル!
「きゃああああああ!!!!」
ドボン!
ネティアはバランスを崩し、岩の上から転落し、増水した川に流されていく。
無論、今度はワザとではない。
「ネティア!!!」
ナイトは慌てて流されていくネティアを追いかける。
「た、助けて…」
ネティアが川に沈みかけた、その時、
ビュ!
風を切る音が聞こえた。
かと思うと、川岸の木の枝にネティアが吊り上げられた。
光に透明な糸が反射する。
その糸を辿っていくと、川の三角州に釣り人が立っていた。
ただの釣り人が仮面など被っているはずがない。
闇の騎士が出てきたのだ。
仮面から2回目に出てきた闇の騎士だと思われる。
しかし、肝心のネティアは気を失っていた。
釣り人に扮した闇の騎士は立札をナイトに見せつけた。
『川の増水時、遊泳禁止!
気をつけろ、バカ!』
と書いてあり、怒られているのが分かる。
ナイトが吊り下げられているネティアの下に辿り着くと、闇の騎士は消え去った。
その後すぐ、糸が切れて、ネティアが降ってきた。
「ネティア、ネティア姫、しっかりしろ!」
「…う、う〜ん…ルーク…ハックション!」
頬を叩くと、ネティアはすぐ目を覚まし、大きなくしゃみをして身を震わせた。
「大丈夫そうだな…焚火を起こそう」
ナイトはネティアを抱えて焚火を起こす場所を探す。
すると、また、看板を見つけた。
『キャンプ場』
ご丁寧に野宿の場所まで用意してあった。
「…完敗だな…」
「え?」
ナイトは呟いてキャンプ場と指定された場所にネティアを連れて行った。
薪も用意されていたのですぐ火を起こすことができた。
ネティアはすぐに火にありつけ、濡れた体を温めることができた。
「今日はここで野宿することになりそうだな…」
ナイトは呟いて、空を見上げた。
日はだいぶ傾いていた。
今から帰ったところで、途中で日が暮れしまうだろう。
「休んでろよ、魚釣ってきてやるから」
「はい、お願いします…」
ネティアは疲れたように頷いて、焚火に視線を落とした。
*
ナイトが魚を釣って戻るころに日が暮れた。
「おかえりなさい」
「大漁だぞ」
ナイトが釣ってきた魚を見せると、ネティアが微笑んで迎える。
その瞬間、デジャブを感じた。
前にもこんなことがあった…
だが、ネティアに会ったのは子供の時だけだ。
この感覚はもっと昔、夢の中…前世…
そう思い当たる。
そんな予感はしていたが、確証は持てないでいた。
ナイトはモヤモヤした感情が沸き起こってくるのを抑えて、焚火を挟んで、ネティアと対に座る。
魚が焼きあがるのを待ちながらネティアの顔を盗み見る。
ネティアは疲れているのかボーと焚火を見ている。
ナイトが見ていることに全く気づいていない。
双子の妹のフローレスや闇の騎士、ジャミルや家族、国のことで頭がいっぱいなのだろう。
前世でもそうだった…
自分のことは後回し、だから、放って置けなかった。
「魚、焼けたぞ」
「ありがとうございます」
ナイトが差し出した焼き魚をネティアはフーフーと息を吹きかけて口にする。
「おいしい」
「新鮮だからな」
ネティアの顔が綻んだのを見て、ナイトも魚を食べる。
かなり腹が減っていたのか、ナイトが釣ってきた20匹ほどの魚はあっという間になくなった。
よく考えたら、昼はほどんど何も食べていなかったのだ。
「出てきませんでしたね、闇の騎士…」
満腹になったネティアがポツリと呟くのを聞いて、ナイトは目を見開く。
現実に引き戻される。
「…いや、思いっきり出てきてたぞ」
「え、え!?」
そう教えると、ネティアが驚きの声を上げた。
「本当に気づいていなかったのか?」
「ど、どうして教えてくれなかったのです!?」
「いや、気配は完全に消しててどこにいるかまではわからなかったんだ。でも、姫が行く道や道しるべとか整備されてたろう?あれはたぶん忍びの仕業だぞ」
「全然気づかなかったです…」
「俺も始めは偶然かな、と思って、試しに、姫を『囮』に使ったら案の定、出てきて、姫が川に落ちた時、怒られた」
「囮!?わたくしを囮に使ったのですか!?」
「つうか、自分もそのつもりだったんだろう?」
「そ、そうですけど、最後のはひどいです…」
「最後のはワザとじゃなかったんだけどな…」
ネティアは疑わしそうな眼を向けてきた。
信用してないようだ。
「ところで、こんな手の込んだ芸当ができるのは騎士じゃなくて忍びだな。誰か心当たりはないのか?」
「忍びですか…わたくし達の身辺はライガぐらいしか…」
ネティアの顔が曇る。
ライガは虹の王家に仕える忍びで、影からネティアとフローレスを守っていた。
だが、闇の騎士団の襲撃を受けた時、敵結界を破り、ネティアの窮地を救った後、闇の騎士に挑んで現在捕虜となっている。
「大丈夫、ライガならちゃんと生きてるさ」
「…そうですね…」
そう励ましたが、ネティアの顔は沈んだままだ。
焚火を2人で囲んだまま夜が更けていく。
しかし、闇の騎士が出てくる気配はない。
「姫、もう諦めよう。闇の騎士は姿を現す気はないようだ。日が昇ったら一旦アダム達のところに帰ろう。ミナも心配してるだろうからさ」
「…そうですね…」
音を上げたナイトの提案をネティアはあっさり受け入れた。
が、視線は焚火に落とされたままだ。
静寂が流れる。
ナイトも疲れていて、眠りたい気持ちもあった。
だが、ずっと、夢見ていた前世の妻かもしれない女が焚火の向こうにいる。
ナイトは確かめた気持ちにかられた。
幸い、2人だけ、他には誰もいない。
「姫、こっち来いよ」
「…何故です?」
ネティアは露骨に嫌そうな顔を向けてきた。
囮に使ったことを恨んでいるのかもしれない。
「いや…焚火の向こうより、隣にいてくれた方が守りやすいからさ…」
「結構です、わたくしには結界魔法がありますから」
そう言ったネティアの座る場所の周囲にはすでに魔法陣が書かれていた。
口実がなくなる。
しかし、どんな手段を使ってもナイトはネティアを傍に呼びたくなった。
「そっか、来てくれないんだ・…」
ナイトは懐から人質であるネティアの首飾りとスプレー缶を取り出し、宝石のところにスプレーする。
「な、何をするのです!?」
「何って、暇つぶしだよ。ちょっと、この首飾りさ、ありきたりのデザインだろう?だからさ、青に変えてみた。どうだ、かっこよくないか?」
ナイトは宝石の部分を青くスプレーした首飾りを自慢げに見せた。
ネティアの顔が真っ青になる。
「それはあげません!と言ってるではないですか!!それは国宝なんですよ!」
「だって、姫が来ないから…」
「わかりました、そっちに行きますから、それ以上その首飾りをいじらないでください!」
ネティアはドカドカとやってきて、ナイトの横に腰を下ろした。
無論、怒っているのでこっちは見ない。
ネティアを隣に呼ぶという目的を達成したナイトは首飾りの青く染めた宝石部分に手をやる。
ペリペリ
あらかじめ張って置いた透明のフィルムを剥がすと、元の赤い宝石が顔を出した。
ネティアの顔が驚愕に変わる。
「やーい、ひかかった」
「もう!騙したのですね!」
怒ってこっちを向いた。
だが、ネティアはすぐにそっぽを向いてしまった。
それでもナイトは満足だった。
自分を見てくれた。
そして、今、手の届く場所にいる。
今はそれだけで、満足だった。
沈黙がしばし続く。
ネティアを隣に呼び寄せたものの、確かめるすべはが思い当たらない。
ただ2人で焚火を見つめていた。
「わたくしは火が嫌いです…」
ネティアが徐に口を開いた。
「でも、焚火は違いますね…何故だが、ホッとします…」
「そう言えば、フローレス姫がそう言ってたな…」
闇の騎士にさらわれる前、野営することになったことをフローレスは喜んでいた。
皆で囲む焚火は楽しいと。
「焚火は旅人が休息する時に起こすからな…それでだろう…」
ナイトはそうってい焚火に薪をくべる。
すると、自然と夢で見てきた出来事が蘇ってきた。
自分がずっと夢に見てきたことをネティアに話したくなった。
だが、ライアスに話して笑われて以来、トラウマになっていた。
ナイトは唾を飲み、思い切る。
「姫…俺、前世のことを夢を見るんだ…」
話を切り出すと、ネティアがこちらを向いた。
焚火に照らされた顔にはあまり表情はない。
疲れているのか、興味がないのか、判断はしかねる。
だが、笑う様子はない。
ナイトは話を続ける。
「実は俺、前世の嫁さんが好きすぎたみたいでさ。生まれ変わった今でも、夢に見ちゃう見たいなんだよな…」
話して、ネティアの顔を見るが、表情はない。
ナイトはガックリとなり、恥ずかしさが込み上げてきた。
「今の話は聞かなかったことにしてくれ!や、やっぱり、俺、変だよな?」
「…そんなことないですよ…」
ナイトが話を終わらせようとすると、ネティアが口を開いた。
「わたくしも前世の夢を見ていましたから…」