伴侶の条件
フローレスは目を覚ました。
体は椅子に座らされたまま縛られていた。
湿っぽい空気、辺りは薄暗い。
近くに灯された松明の揺らめきでここが洞窟だと気づく。
「お目覚めになられたようですね、フローレス姫」
暗闇から薄気味悪い仮面を被った闇の騎士が音もなく現れ、フローレスの前に跪く。
「姫がお望みになった通りになりましたよ」
闇の騎士は顔を上げて外の様子を報告する。
「姉姫様はジャミルの下を離れ、あの傭兵だけを連れてあなたを助けに向かわれたそうですよ」
フローレスは目を見開いた。
自分のためにネティアがそこまでするとは思っていなかったのだ。
「申し上げたでしょう?あなたは自分の価値をわかっていっらっしゃらない、と…」
フローレスの心を読んだように闇の騎士が答えた。
「姉姫様がジャミルとの結婚を選択されたのもあなたのためのようなものです」
フローレスはきつく目を閉じた。
それは何となくわかっていた。
だから、止めたかった、この結婚を。
「心配はいりません、我々はあなたの味方です。すべて我々にお任せください。必ずや姫のお望みを叶えて差し上げましょう」
フローレスはキッと闇の騎士を睨んだ。
味方といわれても全く信じる気持ちになれない。
フローレスは拘束されているのだ。
それに、婚姻の妨害のためとはいえ、次期女王のネティアにも刃を向けたのだ。
『どこが味方だ!』と叫んでやりたい気分だ。
「おや、信じていらっしゃらないみたいですね?」
当然、フローレスは『ふん!』と鼻息荒く横を向いた。
闇の騎士はおかしそうに笑いを漏らす。
「もうしばらくしたら吉報が届くでしょう。それまでお待ちください.。それまで少しお話をしましょう…」
闇の騎士はそう言ってフローレスの前に自分の椅子を置いて座った。
***
宝石商の息子夫婦、アダムとミナに成りすましたナイト(ルーク)とネティアは早速外出した。
行き先は、前に決めていたランド領を一望できる空山だ。
風邪の治療は、ランドの領主ジャミルの命によりランド軍が行っていた。
公的機関が動き出したのだから、そちらへ行くように促してもらい、ネティアは身を隠した。
今は笛吹の夫の横で太鼓を叩く妻に変身。
「空山で演奏します。良かったら聞きに来てください」
時々、ビラを配りながら芸人に成りすます。
「ところでさ、太鼓叩けるのか?」
すっかり大道芸人気取りのネティアにナイトは小声で聞いてみた。
すると、自信満々の答えが返ってきた。
「もちろんです。ちゃんと練習しましたから」
「へえ、その太鼓にも自動演奏がついてるのか?」
「そんなものあるわけないじゃないですか。わたくしにはこの子たちがいますから」
ニコニコしながらネティアは花柄の壺を取り出した。
それは風邪の治療で取り出した風の精を閉じ込めた壺だった。
ナイトは思わず仰け反った、
「うわあ!それ、危なくないのか!?」
「大丈夫です、ちゃんと手懐けてありますから、太鼓は大好きだそうですよ」
音は空気の振動。
つまり、風の精の十八番だ。
「風の精に演奏させるわけか…俺の笛が根負けしないようにちゃんとコントロールしてくれよ」
「ええ、もちろんです」
ネティアは機嫌良さそうに答えて、ちょっとだけ、熱を帯びた視線を送ってくる。
ナイトはその視線に気づかないふりをする。
内心は複雑だ。
やっとこちらを見てくれるようになった理由が、髪を金髪にしたからだった。
正直、落ち込む。
ナイトは自分の爽やかな青い髪が好きだったのだ。
髪を染める行為自体もあまり好きではない。
髪を染めたら自分ではないような気がするからだ。
それに、髪には精霊の加護が宿ると信じられていた。
髪を染めてしまったら、水の精の加護が得られない。
だが、ネティアの熱い視線が嬉しくないわけでもない。
金髪の今なら、口説き落とせるかもしれない。
だが、もしこれで口説き落とせたら、それも問題だ。
『もし、ネティアと結婚したら死ぬまで金髪に染め続けないといけないのか…』
ナイトは想像する。
幸せそうに微笑むネティアの横に立つ金髪の自分を…
『いやだ…ありのままがいい、生まれたままの姿が…』
自分を作ると絶対疲れる。
結婚して生涯を共にするのに、ありのままの自分を晒せないなどあり得ない。
そんな結婚ならしない方がいい。
想像に疲れるナイト。
「アダム…!」
ネティアの緊張した声でナイトは我に返る。
今、ナイトはアダム、ネティアはミナなのだ。
ネティアは隠れるようにナイトの背に入る。
辺りを見回すと、前方から隊列を組んたランド兵がやってくる。
その中に双子姫護送の指揮官だったフォークの姿が見える。
街にいるところを見ると、フォークは風邪対策に回されたようだ。
金髪に染めていたが、ナイトは一応帽子を目深に被った。
そのフォークが往来で高々と声を張り上げる。
「皆、広場に集まれ!ランド領主ジャミル様からお言葉がある!」
往来の人々からどよめきが起こる。
自領の領主の招集とあって街中の人間が広間に続々と集まる。
その波には逆らえない。
はぐれないようにネティアの手をしっかりと握って広間に行く。
広間には演台が用意されていた。
集まった人々が口々に領主の話の内容を推測する。
風邪のことか?
闇の騎士団のことか?
ネティア姫とのことか?
ナイトはジャミルが何を喋るのか興味が沸いた。
広間がいっぱいになると、ランドの兵が広間を囲んで閉じる。
それが終わると、ジャミルが姿を現した。
ジャミルの姿を見るなり、握ってるネティアの手に力が入る。
「我が民よ、よく集まってくれた」
ジャミルが静かに切り出した。
堂々とした良い声だ。
「まず、皆に謝ろう。『私の大事』のせいで風邪の対策が遅れてしまった。申し訳ない」
ジャミルが頭を下げると群衆からどよめきが起きる。
皆、領主様のせいではない、と風邪の対策の遅れは仕方がなかったと、領主の対応の遅さを非難しなかった。
良い領主だとナイトは思った。
「いくつかの問題が起きているが、風邪の治療を最優先にする。皆、安心して日々の生活を送ってほしい」
ジャミルの言葉はもう実行されている。
集まった群衆は静かに領主の次の言葉を待つ。
「風邪の治療が一段落したら、闇の騎士団と名乗る賊に囚われたフローレス姫と我らが同胞の捜索に全力を注ぐ。皆の協力が必要だ!」
群衆達が歓声でジャミルを支持する。
その割れんばかりの歓声にナイトは冷や汗をかく。
敵陣の真っただ中にいることを痛感させられる。
もし、今、正体がバレたら命はないだろう。
今すぐにでも逃げ出したい気分だ。
歓声が止み、再び静寂が広がる。
群衆は次の言葉を待っていた。
もっとも聞きたい言葉を…
「皆への言葉は以上だ」
その言葉に群衆は意表を突かれた。
ネティアも、思わずナイトの背から顔を出したほどだ。
婚約者であるネティア姫への言及がないことに、人々は驚いた。
だが、
「ネティア姫、聞こえているか!?」
終わりかと思われた領主の言葉が再開され、群衆は声を潜めた。
「フローレス姫の件は申し訳なかった。あなたの気持ちを考えなかった、許してほしい!」
ジャミルの謝罪にネティアの息を飲む音が聞こえた。
「あなたの願い通り一緒にフローレス姫を救出しよう。だから、戻ってきてほしい。あなたの力が必要だ!」
群衆の前で恥じることなく呼びかけてくるジャミルにネティアの心が揺れているのが分かる。
「ネティア姫、私はあえてあなたを探さない。あなたを信じている」
最後にそう締めくくると、ジャミルは演台を降りた。
「…ジャミル…」
ネティアが呟く。
ジャミルの呼びかけに心を打たれたようだ。
フラフラとジャミルのいる方へ行きそうな勢いだ。
「ミナ、行くぞ」
ナイトはネティアを引き戻した。
すると、ネティアは我に返り、小さく頷いた。
そのままネティアの手を引いて歩く。
その足取りは重かった。
広場を出て、街の外出る。
空山へ続くなだらかな山道を上っていく。
この辺になると行きかう人もまばらだ。
ネティアは心ここにあらずでナイトの後ろをついてきている。
髪を金髪に染めた直後の熱を帯びた視線は一切感じない。
「見直した…」
「え?」
人通りが切れたときにナイトが口を開いたので、ネティアは呆け顔になる。
「ランド領主のことさ。なかなかできるもんじゃないよな。あんな大勢の前で謝罪とか、大嫌い何て言われた女に、信じてるとかさ」
意味を理解したネティアは微笑を洩らした。
「ジャミルはそういう人なんです…だから、領主の中で一番領民に慕われていますから…」
「そうか…だから、選んだんだ…」
ネティアは小さく頷いた。
「王の一族だったから選んだわけではありません。彼の国に対する思いは本物だと思ったからです」
「ふーん、なるほどね…」
ナイトは興味のない返事をしたが、内心はネティアが選んだ理由に納得していた。
いい領主で、いい男だ。
フローレスの扱いを除けば。
口ではいいことを言っていたが、それはフローレスへではない。
ジャミルにとってフローレス救出はネティアを手に入れる口実でしかないのだ。
フローレスを攫ってネティアを足止めした闇の騎士と何ら変わりはない。
しかし、ネティアの心を掴むには十分な言葉だ。
「で、戻る気になったのか?」
「……それは…少し考えさせてください…」
ナイトの問いに迷いを見せるネティア。
まだジャミルとの結婚を諦めてはいないようだが、信じるにはまだ足りないようだ。
ならば、結婚の話はこのまま一旦保留にするべきだとナイトは思う。
一旦保留にしても気持ちが変わらなかったらジャミルと結婚すればいいのだ。
引く理由ならもう闇の騎士が作ってくれた。
しかし、それを決めるのはネティアだ。
「じゃ、取り合えず、一仕事するか」
話している間に空山の中腹の原っぱに辿り着いた。
まだ少し肌寒いが大勢の結構な数の家族がハイキングを楽しんでいた。
「いいところですね、ここならば風の精達も自然に帰れるでしょう」
子供達が凧を高く上げているのを見てネティアが微笑む。
「さて、俺達も始めるか」
ナイトは横笛を取り出す。
原っぱにはナイト達意外にも大道芸人がちょこちょこと点在していた。
ハイキング中の家族の連れの下へ行ってそれぞれの芸を披露していた。
ナイト達もそれに倣う。
ピイヒャラリー、ヒャラリー、ヒャラリ
ドン、ドドン、ドン、ドドン
家族連れの下を回って小金を貰う。
人々が帰り始める夕方までそれを続けた。
「結構金になるな…」
「そうですね…」
ナイトとネティアは帽子に貯まったお金を数えて驚く。
横笛は自動演奏、太鼓は風の精が音を鳴らした。
特に風の精が叩く太鼓の音が評判だった。
良く響くのに、大きくも小さくもなく、心地よい音色だったので、子供達に大人気だった。
2人は演奏の真似をしただけだった。
それなのに2人分の1泊の宿代を稼げた。
ランドの領民は裕福なのだろう。
「こりゃ、いい商売だ」
「ルーク、わたくし達の目的は金儲けではありませんよ」
「わかってるよ、そろそろ始めるのか?」
「ええ、まずは風の精を解放してから、透視を始めます」
ネティアは風の精が入った壺を抱えて山を登る。
眺めの良い崖の近くに立った。
人がいないのを確認し、壺の封印を解く。
「さあ、お行きなさい」
ネティアが呼びかけると、壺から緑色のたくさんの光が夕闇に飛び出してく。
「うわあ、流星群!」
下の原っぱにいる恋人達から歓声が上がる。
彼らにはいいプレゼントになったようだ。
「開放して大丈夫だったのか?あれ、風邪の原因だろう?」
「大丈夫です。下層に降りてこないように上空の大気に放ちましたから。それに彼らも人の体内何て狭い場所にはもう入り込まないでしょうから」
「そうか、安心した」
ナイトは胸を撫でおろした。
「それでは透視を始めます。その間わたくしは無防備になりますから、周辺の警戒をお願いします」
「任せとけ」
ナイトは胸を叩いた。
ネティアは信頼の笑みを見せると、透視を開始した。
魔力の淡い銀色の光が包む。
ナイトはその後ろ姿にやはり見惚れてしまう。
「金髪、似合ってるじゃないか傭兵…」
背後からの突然の声にナイトは震撼した。
体を動かそうとしたが、動けない。
「体の自由は奪わせてもらった。だが、声は出せるようにしておいた。今日はお前に話をしに来ただけだからな」
「俺に話だと?」
声はすぐ近くの木陰から聞こえてきていた。
人影も確認できる。
完全な不覚だった。
ネティアと話したすぐ後だったこともあり、警戒前だったと言える。
だが、その前からも警戒は怠っていなかった。
つけられている気配もなかった…
「待ち伏せでもしていたのか?」
「察しがいいな…」
「なぜわかった?」
「わかるさ、ランド領を一望するならこの山は最適だ。それに、重症化した風邪の治療を若い女がしてのけたと聞けばな」
ナイトはやっぱりと思った。
「じゃ、ランド領主も俺達のことに気づいているのか?」
「それはない。領主の仕事は多岐にわたるからな。あの街にネティア姫がいることには気づいたのだろうが、その前にあの店の者が気付いて対策をとったようだからな…」
闇の騎士は楽し気に答えて、何がごそごそと音を立て始めた。
何かをあさっているようだ。
ふと気づくと、ナイトのバックパックがいつの間にかなくなっていた。
「こら、てめぇ、なに人の物あさってやがるんだ!」
「いや、地図かなんかないかなっと思ってな…あ…」
ピラピラと本をめくる音が聞こえてきた。
それはナイトが持ってきた大きく広がる地図の方ではない。
「通称、愛の山…」
闇の騎士の言葉が途切れた。
『何でそっちを取るんだあああああああ!!!!』
ナイトは心の中で絶望的に絶叫した。
「………………………………………………………………………お前、なかなか図太い神経をしているな…」
『兄ちゃあああああああああああん!!!』
ナイトは心の中で断末魔の叫びを声を上げ、兄を呪った。
「…そ、それはな…ネティア姫のためじゃないぞ…それはな…他の女用だ……」
ナイトは何とか言い訳を絞り出して、泣いた。
誰もが羨む水の国の第一王子→傭兵→大道芸人→遊び人に転落していく自分に。
ネティアに続き、賊にまで誤解されてしまった。
ナイトの兄への思いは憎しみへと変わった。
『兄ちゃん…覚悟しろよ…』
兄と再会したら、絶対一太刀浴びせる。
ナイトが思い描いていた感動の再会はいつの間にか、血みどろの再会になり果てていた。
「…………これは見なかったことにしよう…」
闇の騎士は咳払いをして、例の本を閉じた。
本題が始まる。
「まず、お前に礼を言っておこう。ネティア姫をジャミルから引き離してくれたことに感謝する。なかなか面白いことになっているようだな」
「…成り行きだ…」
とナイトはぶっきらぼうに答えた。
だが、ふと思う。
水の国での謀反の件といい、ライガやフローレスの頼みと言い、何か、仕組まれているような感じもする。
「それより謀反の首謀者が姿を現すなんてどんな風の吹き回しだ?」
「ジャミルが何かほざいてたからな、ネティア姫の様子を見に来たのだ。だが、今のところは大丈夫なようだな…」
闇の騎士は透視に集中しているネティアに目をやる。
探している敵はすぐ後ろにいるのだが、灯台下暗しと言うやつだ。
「それで、俺に話ってなんだよ。取引か?」
「その通りだ」
「筋が違うだろう。俺はただの傭兵だ。話をするならネティア姫だろう」
「そうしたいのは山々だが、直接話をすると私の正体がバレてしまうのでな」
闇の騎士はネティアと顔見知りのようだ。
それに、どうやら正面から戦った場合、闇の騎士はネティアには勝てないようだ。
「なるほどな…で、フローレス姫達は無事なんだろうな?」
「無論だ。怪我をした者達も治療してある。全員眠らせているがな」
「そいつは良かった。それで、俺に何をしろって?」
「簡単な話だ。ネティア姫を王都に連れ帰ってほしい」
「どこが簡単なんだ?一筋縄ではいかないと思うぞ」
ナイトは難色を示す。
ネティアはまだジャミルとの結婚を諦めていない。
「その点は心配ない。王都から迎えが出るからな」
「迎えだと?」
闇の騎士は言葉を一旦切り、
「正規軍が動く」
と告げた。
「双子姫が襲われたのだ。さすがの国王陛下も動かないわけにいかないだろう」
「それが狙いか…」
闇の騎士は微笑で答えた。
「まず、証拠を見せよう。正規軍が王都を出たら、捕虜の一部を解放してやる」
立ち上がりながら、闇の騎士が言う。
もう話を切り上げて、帰るつもりらしい。
ナイトはかけられた術が切れる瞬間をじっと待つ。
「フローレス姫の解放はネティア姫が王都に無事戻られたのを確認出来たら、我々が責任も持って送り届けよう」
その言葉の後、戒めが解けた事に気づく。
すぐさま、闇の騎士が潜んでいる木陰へ駆け込む。
灰色のローブを纏った男が今まさに瞬間移動の魔法を発動させようとしていた。
仮面は被っていない。
「最後に顔を拝ませやがれ!」
せめて正体を見てやろう、と手を伸ばすが、
「一足遅かったな…」
闇の騎士の肩の部分をナイトの手が通り抜けた。
『しかと、伝えたぞ。うまいことネティア姫を誘導してくれよ』
消える間際、闇の騎士はフードの下から口の端を上げて見せた。
「ルーク!!」
異変に気付いたネティアがナイトの下へ駆けてきた。
「今のは…!?」
「闇の騎士だ…」
息を飲むネティア。
背後に探している敵がいたのに気づかなかったのだ。
恥ずべきことだ。
「…何と言ってきたのです?」
「正規軍が迎えに来るから、ネティア姫は王都に戻れだとさ。そしたら、フローレス姫達を解放するだとよ。その証拠に、正規軍が王都を出たら、捕虜に一部を解放するそうだ」
「…正規軍が…父上が来るのですか…」
ネティアは考えるように後ろを向く。
「帰った方がいいんじゃないか?」
ナイトはネティアに王都へ戻る選択を勧めた。
闇の騎士に言われたからではない。
ネティアが王都に戻る選択をすれば、フローレス達やランドの騎士達は無傷で戻ってくる。
それに考える時間もできる。
「まだランド領主とのこと迷ってるんじゃないか?」
ナイトが聞くと、ネティアは俯き加減でこちらを見る。
「迷いがあるなら一度戻って考え直した方がいいと俺は思うけどな…」
「…考え直したところで、同じ答えしか出ません」
「そうとも限らないだろう?事態は一刻一刻と変わっていくんだ。水の国の第一王子が廃嫡されたみたいにさ…」
自分で言ってちょっと悲しくなるナイト。
「それで、ナイト王子と見合いでもしろ、と言うのですか!?」
ネティアが強く反発した。
「……そうした方が、体裁は保たれるんじゃないか?」
強い口調と、自分の本当の名前が出てナイトはたじろぐ。
「それで、ジャミルは、王の一族は、虹の民は納得するでしょうか!?「ナイト王子がご立派な方だとは噂では聞いてます。でも、それは水の国でのこと。虹の国でも通用するものではありません!」
「…それはそうだが…親睦を深めれば…」
「そんなに簡単なことではないのです!」
ネティアはナイトの言葉を遮り感情を爆発させた。
「ナイト王子がどんなに立派な方でも、所詮は余所者です!だから、この国のこと何てわかるはずがないのです!」
その言葉にナイトは少しムッとした。
なぜなら、ナイトは6歳までこの虹の国に住んでいたのだ。
いわば、本当の故郷だ。
王宮からほとんど外に出ることが許されなかったネティアよりは知っているはずだ。
「余所者、他所者って、そんなに余所者には理解できない国なのかよ、虹の国は…?」
「ええ、とても複雑なんです、あなたが思っているよりもずっと…」
ネティアは悲しげな顔をして、ナイトに背を向けた。
「始まりはわたくしの祖母ディアナの選択でした。祖母は王の一族から王を選ばず、隣国の風の国の王子を婿に迎えました。賢く、慈愛に満ちた方だったそうですが、武勇の方は並の騎士程度だったそうです。それが致命的な欠点になりました。婿入りしてから最初の魔期で祖母は最初の夫を亡くしました…」
ナイトが生まれる前の話だが、有名な話だった。
ディアナ女王の最初の夫マルコは魔物に首を刎ねられて即死したそうだ。
虹の女王は契りにより、夫に力の加護を与えることができる。
その加護はどんな魔法も消し去り、負った傷はたちまち治り、毒を受けてもすぐに治癒できる万能の力だった。
その力の為に、結婚するまで虹の姫は人前で顔を晒せないのだ。
マルコ王はその加護を過信したと言われている。
万能の力と言えど、タイムラグがある。
つまり、即死の攻撃を受けたら死んでしまうのだ。
「最初の夫を失った祖母は悲しみにくれました。そして、長い間、王の座は空席でした。その間、国を支えたのが王の一族でした。王になるべき者がいたのです。しかし、祖母が選んだのは、虹の国に残っていた最初の夫の従者でした」
ベルク王だ。
ナイトの父ウォーレスとネティアの父レイガルはディアナ女王のその2人目の夫に仕えていた。
「そして、謀反は起こりました…」
バイソンの謀反だ。
王の一族の中でも最も献身的に虹の王家に尽くした一族だった。
バイソン家は謀反の罪で追放された。
これに残る王の一族が反発した。
それから王家と王の一族の対立が生まれた。
バイソン家を呼び戻すよう王家に圧力をかけるようになった。
魔物が襲来する季節、魔期にも兵を出さないという強硬手段にも出るようになった。
それまで王家は少数の兵しか保持していなかった。
すべての兵は外戚である王の一族が出していた。
それでも、ディアナ女王はその圧力に屈せず、夫ベルクに兵を集めさせ、正規軍を作った。
その正規軍に父達は所属し、メキメキと頭角を現し、軍の中核となった。
父達の話はナイト達にとっては英雄の物語だった。
だが、ネティアの視点は違う。
「待望だった母ティティスが生まれました。しかし、母の髪は虹の王家の象徴だった銀の髪ではなく、茶色の髪でした。祖父の風の民の影響が出たのです。それがまた波紋を呼びました。虹の王家は力を失ったと…王の一族は王家に失望しましたようです。そして、母も、祖母と同じ道を選びました、わたくしの父は闇の民です。王家の象徴である銀の髪のかけらもない」
ネティアは自分の髪を悲し気に見つめる。
その姿に居た堪れなくなる。
ナイトはネティアの髪に触れる。
ネティアが驚いて振り返る。
「綺麗な黒髪だ…黒髪は嫌いか?」
「…いいえ…」
「父親と母親は?」
「…好きです…」
「じゃ、祖母さんと祖父さんは?」
「……覚えていませんが、大好きです…」
泣きそうなネティアをナイトは優しく抱きしめた。
「それなら、誰も間違った選択なんかしてないんじゃないか?」
「…祖父は強い人でした…でも、幸せだったのでしょうか?他国に来て、亡き主の妻と結婚し、誰からも望まれなかったのに、偽の王と蔑まれて…」
ネティアは一筋の涙を流し、ナイトの胸に頭を寄せた。
虹の女王が死期を迎える時、王も一緒に死期を迎える。
それが女王の加護の代償だった。
しかし、ベルク王だけはディアナ女王亡き後も生き続けた。
そのため、偽の王と呼ばれ、歴代の虹の王とは認めない者も多い。
「俺は幸せだったと思うぞ。きっと、娘が心配だったんだよ。だから、見届けてから逝きたいと思ったんじゃないか?」
「でも、祖父は他に守る者がなかったのでしょうか?故郷にいる家族とか…」
ネティアの祖父への疑問にナイトは言葉を詰まらせた。
忠実な従者は主亡き後も、主の願いを全うする。
味方によってはベルク王は亡き主への忠誠を貫いたようにも見える。
「では、ナイト王子はどうでしょう?背負っているものは多そうですね…」
またも、唐突な疑問がネティアの口から飛び出してきて、ナイトはドキッとする。
今度は自分へ問いだ。
「もし、わたくしがナイト王子を選んだら…ナイト王子は虹の国のために命を懸けてくれるでしょうか?虹の民の信頼もないのに…」
「…それは、もちろん…」
虹の王になったら大軍を率いて魔物と戦わなければならない。
その覚悟も自信もある。
だが、ネティアは懐疑的だ。
「安全な故郷を捨てて、危険な地へ赴く理由は何でしょう?」
「それは愛だろうな…」
ナイトの父もレイガル王も家族のために魔物と戦っていた。
愛こそ戦士達の勇気の源だ。
「では、愛がなくなったら戦わないのでは?」
「それは…」
理屈ではそうなり、ナイトは困る。
「わたくしは義務と野心が最も必要だと思います。愛はその次です」
「身もふたもないこと言うな…」
「それが真実だと思います。虹の王は女王の加護があるとは言え、不死身ではないのです。それ故、王の一族でも王に自らなりたがる者はそう多くはありません。ジャミルは違います。建国時からの大貴族の誇りと義務、民からの信頼を背負っています。王と地位を欲しても何の不足もありません。それに彼は自らの命をわたくしと共に捧げると言っているのです。それを何も知らない他国の者にできるでしょうか?」
ナイトは何も言い返せない。
「わたくしはジャミルを尊敬しています…例え、最後まで愛し合うことがなかったとしても、それぞれが抱えている大事なものが守れるなら、夫婦でなく、同志でも構わないと思っています」
ネティアはそう言うと、ナイトから離れた。
もう泣いてはいなかった。
静々と帰り支度を始める、何事もなかったかのように…
説得は失敗に終わった。
日が落ちて、辺りは暗くなっていた。
星が瞬いている。
山道にはロマンチックな街灯が点灯している。
その道を熱々のカップル達が夜景を見るために上がってくる。
それとは逆に、山を下るナイトとネティアの間には冷たい風が吹いていた。
ネティアは物思いに耽ていた。
『色恋だけじゃダメか…難しいな…』
ナイトも自分が背負っているもののことを思う。
シープールの領民、ナイトに忠誠を誓う臣下達、そう簡単に捨てられるものではない。
先を歩くネティアの後ろ姿は寂しそうだった。
国が違うだけなのに、ネティアが別世界の住人に見えた。