これからのこと
「お疲れさまでした、フローレス様」
サラに迎えられ、部屋に帰ってきたフローレスはベッドに倒れこんだ。
時間は午後4時。
定時には1時間あるが、母であるティティス前女王が娘の体調を案じて、早めに上がらせてくれていた。
「サラ、マイク、後はお願いね」
「はい、ヘレン様」
「後はお任せください」
ヘレンは疲れ切っているフローレスの代わりに今日の仕事の後処理に取りかかるため、いったん自室に戻る。
ついでに、自身の宮廷魔導士としての仕事も片づけてくるのだった。
その間、フローレスの傍には、侍女のサラと護衛のマイクだけになる。
フロントが戻ってくるのは定時上がりで午後5時15分と、きっちりだ。
サラとマイクはフローレスを気遣って、そっとしておいてくれるのだ。
なんともありがたい。
フロントやヘレンが戻ってきたらまたずっと気を張っていなければならないからだ。
広いベッドの上で転がって、天井をボーと見つめる。
今日も嵐のような1日だった。
人、人、人、人、絶えず誰かに会っていた。
そして、女王は絶えず微笑みを浮かべていなければならない。
『ネティア、毎日毎日これで疲れないのかな‥‥?』
この体の本当の持ち主である双子の姉に思いを馳せる。
女王の宿命とはいえ、自分を抑えてずっと人の話を聞き続けるなど、拷問に近い。
フローレスは修行僧になった気分だ。
『きっとネティアも毎日疲れてるはずだわ。だって、私、ネティアの体になってとっても体が重いもの』
フローレスは天井に重い手を伸ばして、ベッドに落とした。
『きっとそうよ、だって、こんなに大変な時にまだ帰ってこないだもの‥‥・』
ネティアが前世の妹を捕まえるために行ったのはわかっているが、そう決めつけずにはいられない。
体を横向きにしてため息を吐く。
『私より、前の妹の方が大事なの‥‥?』
嫉妬で涙が込み上げてきた。
大好きな姉を取られたようで、悔しかった。
*
マイクは女王の部屋の入口付近にいた。
サラはフローレスが起きた時のために着替えの準備とお茶の用意で別室にいた。
トントン
ドアがノックされ、マイクはドアの前に駆けつける。
まだフロント達が戻って来る時間ではない。
それにほとんど、特命を受けた者か、王家側のごく一部の人間以外女王の寝室を訪ねてくるものなどいない。
『ゼインか?いや、あいつのノックはもっと豪快だ。なら、アインか、それともカインか‥‥?』
マイクは同僚たちの顔を思い浮かべながら、慎重にドアを開けた。
「‥‥・シュウ様!!?」
意外な人物の顔を見てマイクは思わず声をかけた。
「ご苦労様、マイク。女王陛下はお戻りかな?」
「はい、戻っておいでです」
「なら、面会したいと伝えてくれないか?」
「はい‥‥・あの、今日はお1人ですか?」
マイクはいぶかし気に聞く。
いつもナイト王子の供としてきていたシュウが単独でフローレス姫に会いに来ることは初めてだった。
「そうですよ、ちょっと仕事が早く終わったので様子を見に来たのです、いけませんか?」
シュウは普通に返してきたが、マイクは戸惑った。
シュウは秘密を知る人間で、ナイト王子の側近だが、そんなにフローレス姫と親しい間柄には見えなかった。
フロントやナイト王子に伺いを立てた方がいいような気がしたが、2人はいない。
「‥‥・あの、どのようなご用件ですか?」
マイクは思い切って、上官である未来の宰相候補に訪ねてみた。
シュウは微笑を浮かべて、しばらく沈黙した。
マイクの額に汗が流れる。
まずいことを聞いてしまったか?
「‥‥あなたは、なかなな思慮深いですね」
「‥‥申し訳ございません、任務ですから」
「仕事熱心で結構です。今日、女王陛下に会いに来たのは、実は私用でして、今後のレイス領のことできいてもらいたい話があってきたのです」
「今後のレイス領のことでしたか‥‥」
レイス領主であるシュウが話に来るのはわかる。
「ですが、今の女王陛下は‥‥」
「今の女王陛下に聞いてもらいたいのです。通してもらえますね?」
シュウはマイクの言葉を遮って有無を言わせない勢いで迫ってきた。
「‥‥わかりました‥‥・」
レイス領主の権威を出されては逆らえなかった。
権力闘争の匂いがした。
シュウ・レイスは、フローレス姫を使って何企てているようだ。
だが、一騎士のマイクには何もできなった。
*
トントン
ノックの音でフローレスは閉じていた目を開けた。
時計を見ると、戻ってきてまだ10分と経っていなかった。
ベッドに身を起こすと、遠慮がちにドアが開いて、マイクが顔を出した。
「お休みのところ申し訳ありません、シュウ様がお越しです」
「‥‥え、シュウが?」
意外な来訪者の名前にフローレスの眠気は吹っ飛んだ。
しかし、シュウが1人で会いに来たことなどなかった。
ナイトの使いだろうか?
「お通ししてもよろしいですか?」
「ええ、大丈夫よ」
なぜか躊躇いがちなマイクにフローレスは許可を出した。
「‥‥では、お呼びします‥‥・」
ドアが開くと、シュウが1人で入ってきた。
マイクとサラは入ってこなかった。
「お休みのところ、申し訳ありません。2人だけでお話したいことがあって参りました」
シュウは眼鏡の位置を直して、フローレスを見据えてきた。
どうやら、ナイトの使いではないようだ。
邪魔が入らない、時間帯を狙ってきたことが伺えた。
「‥‥・話って、何?」
フローレスは訝しげにシュウの狙いを探る。
「フローレス様は、これからどうなされるおつもりでしょうか?」
質問で返されて、フローレスは眉を潜める。
狡猾なシュウのこういうところが嫌いだ。
まるで尋問されているような気分になる。
「これからって、一体いつよ?」
「ネティア女王が戻られて、ご自分の体に戻られた後のことです」
シュウが明確な時期を断言した。
自分の体に戻ってからのことなど、決まっている。
「そんなの決まってるでしょう、親衛隊の隊長になって、ネティアとナイトを支えるつもりよ」
「なるほど、その後は、どうなさるおつもりですか?」
「その後は?」
今のフローレスにとって、親衛隊の隊長になることだけが目標だ。
その後のことなど、まだ考えてもなかった。
「残りの人生を親衛隊の隊長として捧げるおつもりですか」
「ええ、そのつもりよ」
ネティアとナイトの臣下になると決めたのだ。
一臣下として、女王と王に生涯を捧げる覚悟だった。
「ご立派な覚悟です。ですが、勿体ないです」
シュウがため息交じりにフローレスを見つめる。
「勿体ない?‥‥何が?」
「あなたの王女としての身分です」
フローレスは目をしばたかせる。
シュウが何を言おうとしているのか全く理解できなかった。
「あなたは、自分の身分を価値のないものだと思っている。しかし、私からすれば、喉から手が出るほど欲しい」
「え、何が言いたいわけ?」
フローレスの質問にシュウは一度頭を押さえてから、
「では、率直にお聞きします。フローレス様はご結婚されるつもりはおありですか?」
と聞いてきた。
フローレスは言葉に詰まった。
「私どもは、フローレス様のフロントとの婚約は解消されたと思っております。相違ありませんか?」
「‥‥‥‥‥相違ないわ‥‥‥」
フローレスは歯切れ悪く答える。
まだほんの少しだが、未練が残っていた。
だが、フロントにはもうマリアがいた。
「では、好きな方はいらっしゃいますか?」
「いるわけないでしょう!」
「では、まだフロントに心がおありですか?」
「ないわよ!」
フローレスは吐き捨てるように言った。
浮気した男と元のさやに戻るなど考えられない。
「では、復縁はないですね」
「もちろんよ!」
イライラしながら答える。
自分から振ったのだ、もう後戻りはできない。
「では、質問を戻します。今後、ご結婚されるつもりはおありですか?」
「そんなの、わからないわよ‥‥」
フローレスは正直な気持ちを口にした。
シュウはしばらく沈黙した後、話し始めた。
「王族や貴族の子女の多くは、親が決めた許嫁と結婚します。政治権力の維持のためにです。それ故、恋愛結婚は稀です」
そう言ってから、シュウはベッドに腰を掛けたままのフローレスのすぐ目の前にやってきて、膝をついた。
「レイスに来ていただけませんか?」
シュウの言葉が頭の中に木霊する。
それは婚姻の申し出だった。
『え、私とシュウが?』
頭が混乱する。
シュウのことは男として意識さえしたことがなかった。
頭がいいことを鼻にかける陰気な嫌な奴と思っていた。
「あなたがレイスに来てくれると聞いたら、ビンセント様はお喜びになります」
「ビンセントが‥‥・」
心が揺れた。
レイスに降嫁する話は、ずっと前からあった。
ほかならぬ、ビンセントが熱望していた。
始めは、ビンセントの実子ジェラードだったが、フローレスに興味を示さず。養子のフロントへ変わった。
しかし、フロントがジェラードを殺めるという大事件が起き、フローレスのレイス行きは消滅していた。
まさか、ここにきて、レイス家のさらなる養子になったシュウからの申し出で、わかに復活した。
「レイスは度重なる困難で疲弊しています。もし、あなたが来てくれれば、レイスは蘇るでしょう」
「私にそんな力なんてないわよ」
「いいえ、あります」
俯くフローレスの顎にシュウの手が伸びてきた。
「あなたは強く美しい。レイスの騎士たちを奮い立たせてくれるでしょう。そして、あなたの血を引く子供もきっと強い。それに、私の知恵が合わされば、レイスを導く強力な指導者になるでしょう」
まっすぐ瞳を見つめてくる。
「レイスのために、私の妻になってください。私に、レイスに、あなたの力を与えてください。私はあなたを縛ることはしません。騎士でありたいのなら、続けられて結構です。あなたの性格はよく知っています。あなたも同じでしょう。私たちは、恋することはできないかもしれません。ですが、時が経てば愛することはできると思います。もし、レイスに来ていただけるのなら、私は生涯あなただけを愛することを誓います」
シュウからのプロポーズ。
しかし、そこに愛はない。
心臓が早鐘を打つ。
「‥‥そんな、急に‥‥・言われても‥‥・」
突然の事態に頭が混乱して、何を言っていいのかわからなかった。
ドン!!!
突然、勢いよく飛び込んできたのはナイトだった。
人払いをしている女王の私室に入れるのは肉親か、伴侶のナイトぐらいだ。
鋭い視線がシュウに向けられる。
何が起きているのか、知っているようだった。
シュウは微笑を零して、
「この話はここまで。良い返事をお待ちしています」
と囁いて、フローレスの傍を離れ、ナイトの元へ。
「おや、ナイト様、今日は早かったですね」
「‥‥・シュウ、話がある。俺の部屋に来い」
「ちょうど、私もお話したいことがありました。では、後ほど‥‥」
シュウはナイトの横をすり抜けて、何ごともなかったかのように退室していく。
ナイトはシュウが出ていくまで後姿をしばらく睨んでいた。
ドアが静かに閉まると、すぐに慌ただしくドアが開いた。
「フローレス様!」
「大丈夫でしたか?」
マイクとサラが血相を変えて駆けつけてきた。
温かいものが頬を流れた。
「フ、フローレス様!!己、シュウ・レイス!!」
フローレスの涙を見たマイクが怒って、シュウが出て行ったドアを睨む。
サラが涙を拭いてくれるが、ドンドン溢れてくる。
ナイトもやってきて、フローレスを優しく抱きしめてくれた。
「1人にして悪かった。シュウには俺から厳しく言っておく」
堰を切ったように涙があふれ出して、ナイトにしがみついて泣いた。
別に脅されたわけでもないのに、なぜか、怖かった。
***
フロントはきっかり定時に上がり、フローレス姫がいる女王の部屋に帰ってきた。
手には、恒例になった1輪の花の手土産を持ってきた。
今日は菖蒲の花だ。
鼻歌を歌いながら入室し、護衛のマイクと侍女のサラにフローレス姫の今日の様子を聞くのが日課になっていた。
しかし、いつもいるマイクとサラの姿が見当たらない。
女王の寝室へとつながるドアが開け放たれた状態に、異様な雰囲気を感じた。
まさか、フローレス姫に何かあったのではと、フロントは駆け込もうとした。
「ナイト様!?」
中から出てきたナイトにフロントは目を剥いた。
ナイトは厳しい顔をしていた。
「所要ができた。フロント、ついてこい」
「は、はい‥‥・」
フローレス姫のことを聞きたかったが、ナイトは公の顔をしていた。
先を急ぐので、菖蒲の花を近くの棚の上に置いて、慌てて追いかけた。
「何かあったんですか?」
追いつきざまに聞くと、ナイトは一度唇を結んでから、
「‥‥シュウが俺の許可なく勝手に女王の部屋に入った」
とだけ言った。
シュウはネティア女王とフローレス姫が入れ替わっていることを知っている、ナイトの腹心だ。
レイス領主として、女王に謁見することは可能だ。
だが、今の女王はフローレス姫で、ナイトの命なく、シュウが個人的に会いに行く理由はないはずだ。
『シュウ様は何しにフローレス姫に会いに行ったのだろうか?』
シュウとフローレス姫はあまり親しい間柄ではなかった。
仲が悪いというわけではないが、性格が正反対で反りが合わないのだ。
見るからに、ナイトは何か知っているようだっで、怒りの形相だ。
何が起きているのか聞くに聞けないまま、ナイトの部屋にたどり着いた。
ドアを開けると、中にはすでにシュウの姿があった。
「おや、フロントも一緒でしたか‥‥」
シュウが意味ありげに笑いかけてきた。
ナイトはシュウの向かいに腰を下ろすと、
「俺に断りもなくフローレスに近づくな!」
すぐに叱責した。
フロントはびっくりした。
ナイトが虹の国に来てから、身内に対して発した初めての怒声だった。
しかし、シュウは冷静だった。
「申し訳ございません、フローレス様と話をするのに、ナイト様の許可が必要だとは露ほども考えませんでした」
「当り前だろう!フローレスはもう俺の配下だ。俺の許可なしに勝手なことはするな!」
「ただご提案をさせていただいただけです。その返答を聞いてから、ナイト様にはご報告せていただくつもりでした。先に話して、後で断られたら私も立場がありませんから」
シュウは巧妙な言い訳を並べる。
「提案だと?」
ナイトの声が低くなった。
「はい、あくまで決められるのはフローレス様です。断られたら、すぐに諦めます。相手にされていないのは知ってますから、ダメもとで行ってみただけです。でも、それが成功したら、レイスに大きな利益がもたらせます。まあ、賭けですね」
「何が賭けだ。今のフローレスに選択肢はほぼないだろう?」
シュウは微笑を浮かべて足を組んだ。
「ナイト様はネティア女王陛下が戻られて、フローレス様が元の体に戻った後の処遇をどうなさるおつもりですか?」
ナイトが口ごもった。
「親衛隊でありながら、女王陛下を守れず、魔物に攫われてしまうという失態。処罰の対象になりますよね?まさか、身内だから見逃すおつもりですか?」
周囲はフローレス姫とネティア女王が入れ替わっていることを知らない。
あまい処罰を与えれば、非難の対象になる。
「だから、助け船です。フローレス様に逃げ場が必要でしょう?」
シュウはあくまで穏やかに攻勢に転じる。
「ナイト様は処罰の必要性がなくなり、私は力を得ます。成功した暁には、王の一族が私の下に付くことになっていますから。ちょうどフローレス姫はフリーで、私には絶好のチャンスだったのでそれを掴みに行ったまです」
シュウがフロントに意味ありげな視線を投げてきた。
なにが起きているのか、話の流れからフロントは理解した。
2人の話に黙って耳を傾ける。
「誰もが得をするのです」
「‥‥フローレスの意思を無視している」
「ちゃんと断る権利はあります」
ナイトはテーブルを叩いた。
「なんにしても、シュウ、フローレスへの接近を禁じる!今のあいつはネティアだ!!勝手な行動は許さん!」
ナイトは身を乗り出して、シュウを睨んだ。
「‥‥そうでした‥‥では、この話は女王陛下が戻られてからまた話しましょう。ご無礼をお許しください‥‥‥我が主よ」
シュウはナイトに謝罪して、部屋を出て行った。