捜索隊の出発
ネティアは木の上から1、2㎞離れたところにある結界の壁を見ていた。
天空を覆い、大地に届く結界は虹の壁のようになっていた。
その虹の壁に黒い影が行ったり来たりと動いていた。
魔物の先発隊だ。
彼らは始めに結界の弱い部分を調査して回るのだ。
そして、弱い部分を見つけると、その部分を集中的に破壊して侵入してくる。
今回は入念に調べているようだ。
というのも、ネティアが結界の一部を継承したからだ。
完璧なものなどこの世にはない。
必ず、弱点が存在する。
結界も同じだ。
その弱い部分を集中的に攻めれば、短時間で結界内に侵入することができる。
そのことを魔物達は本能で理解しているのだ。
対する、人間側、虹の国領レイス、結界内部にも動きが生まれている。
レイスの軍が初回攻撃に備えて、魔導士部隊を動かしたようだ。
結界から透けて見える黒い影に合わせて移動していた。
初回攻撃で空いた穴から入ってきた強力な魔物を一網打尽にするためだ。
ここで大量に魔物を倒しておけば、後がの戦い楽になる。
始めの結界への穴は1つ、ここからしか強力な魔物は入ってこれない。
対する人間側としては一網打尽の最初の絶好の機会だ。
しかし、そううまくいかないのが世の常。
結界が防いでいるのは本来は魔物ではない。
かつて世界が崩壊するほどの隕石が落ちた。
虹の結界は、それに伴う衝撃波、熱風や、岩や瓦礫、天候の激変による風雨や雷雲などを防ぐものだった。
時と共に、それらの気象が落ち着くと、滅びた世界の半分の再生が始まった。
生き残った魔物達が再生させていったのだ。
そして現在、闇の国と呼ばれるようになった。
つまるところ、結界が防いでいるのは強力な衝撃と魔力だ。
普通の風、雨は通す。
動物、弱い魔物は対象外だった。
その弱い魔物達が結界内にいて、一網打尽を狙う人間側の邪魔をするのだった。
今年のレイスの軍勢は増強されていた。
兵の増員はもちろん、陣形も退路を確保するためか、後方は若干、細長い。
初回攻撃で結界が破られたら、即撤退する算段だろう。
しかし、入ってきた魔物に集中攻撃できる最大の機会である以上、力を入れざる得ない。
ビンセントの苦悩が見える。
抜け目のない彼が知らないわけがない。
現女王ネティアが双子の妹フローレスと肉体を入れ替えて、この地にいることを。
主力部隊であるレイス軍に余裕はない。
だが、ビンセントは無理してでも女王捜索のために人員を割くだろう。
女王がこの地にいることは極秘事項。
表向きの名目は、父王レイガルが率いる正規軍との連絡役と言ったところだろう。
父王レイガルも正規軍を率いて、レイス領内に入るらしい。
いつもより時期が早く、速くこちらを目指す。
それも、もちろん、ネティアの精だ。
身代わりに置いてきた妹フローレスの体調が優れないらしい。
魔力の塊であるようなネティアの体の扱いに対応できていないのだ。
無魔力体質の妹には、この時期に、酷だったかもしれない。
魔物との戦いに際して、前線の兵士達に加護を与えることはもちろん、結界の維持すらできないかもしれない。
そうなっては、すべて、フローレスのせいになってしまう。
それだけは避けなければならない。
だが‥‥・
濃い霧の中に青白い光が漂っている。
『フローネも放っておけない‥‥‥たとえ、残留思念であっても……』
フローネの消滅を防ぐため、ネティア自身が支配する結界外部へ転移した。
そこですぐ捕まえるつもりだった。
しかし、結界は広大過ぎた。
思念に過ぎないフローネを生きながらえさせるための濃霧も、彼女を活性化させてしまい、捕まえるのが困難な状態に陥っていた。
今は広大な結界内を濃霧と共に漂っている。
濃霧の中、フローネを見つけては、見失うを何度も繰り返していた。
ネティアは前世の妹フローネを追うため、休んでいた木の上から飛び降りた。
現世の妹フローレスとは違いネティアは妹の体を使いこなしていた。
魔法は使えないが、身体能力は素晴らしの一言に尽きる。
4、5km先を見通せる視力、魔物と遭遇しても倒せる剣技。
走っての長距離の移動もさほど苦にならないほどの有り余る体力。
部屋にこもって本を読むよりも、外で思いっきり馬に乗ったり、剣の稽古をする方が楽しい、と言った妹の気持ちが今ならよくわかる。
風を切って走る、体が羽のように軽く感じる。
それはとても爽快だった。
この身1つで何でもできそうな気がした。
それは自分の体だったら一生味わえない感覚だった。
フローネの本体に追いついた。
しかし、手を伸ばした瞬間、すっとすり抜けて空高くに飛んで行ってしまった。
そうなると、もう捕まえることはできない。
フローレスの体は高くジャンプすることはできても、飛ぶことはできなかった。
ここでネティアの魔法が使えれば万能だったのだが、自ら遮断してしまい、わずかな魔力で、補助魔法ぐらいしか使えなくなっていた。
そこがネティアには辛かった。
生まれてからこの方、ほとんどの生活に魔法を使っていたから、魔法のない生活など想像もしていなかった。
飛んでいくフローネの本体を見送りながら、ネティアはため息を着く。
「また逃げられちゃった……困ったわ‥…」
青白い光をキラキラと放ちながら、フローネは濃霧の海へ消えていった。
***
フロントは女王の寝室にいた。
ネティア女王の身代わりとなっているフローレス姫の警護と看病のためだ。
サラには下がってもらっていた。
彼女はネティア女王の専属の侍女だが、ずっとフローレス姫の看病を1人で秘密を守りながら続けていた。
だから、休んでもらう、ということにしたのだ。
「サラは?」
ベッドで横になっているフローレス姫が話しかけてきた。
「お疲れのようでしたので、今日は帰ってもらいました……」
フロントが短く答えると、フローレス姫が笑いを零した。
「ありがとう、気遣ってくれたのね、サラのこと?」
最近のサラは仕事をしながらモヤモヤしていた。
ネティア女王の捜索隊の話の後からだ。
恋人であるライアスがその隊長になったからだと容易に推測された。
主であるナイト王子からの直々の指名であり、騎士としては名誉なことである。
即刻引き受けるのは当然の話だ。
しかし、魔期の入るこの時期に、結界外部へ赴くのは死に行くようなものだ。
ライアスにベタ惚れのサラとしては、感情を隠せないほどショックだったのだ。
自分の主と恋人を天秤にかけても、恋人に傾いてしまうほどに。
ライアスもサラの態度にモヤモヤしている様子だった。
2人だけで話す時間が必要だと判断したフロントはライアスがいる時に、サラに休むよう伝えた。
思惑通りならば、ライアスはサラの元を訪ねたに違いない。
「仲直りできたかしら?」
「たぶん、大丈夫ですよ」
「そうね‥‥、サラってば、ライアスにゾッコンなのよ」
サラとライアスが仲直りは必ず仲直りすると、フロントとフローレスは確信して微笑みあった。
「そういえば、久々ね、2人でこうして過ごすの……」
フローレス姫が思い出したように呟く。
フローレス姫が親衛隊になる前、フロントがまだ専属の騎士だった時、2人だけの時を過ごしていた。
勉強嫌いのフローレス姫に本を読んで聞かせ、寝付けない時は軽く運動させて寝かしつけたり、巷で流行っているお菓子を買って一緒に食べたり、勝手に外出した時は探しに行って説教したり、などなど。
フロントにとっては心が安らぐ大切な2人だけの時間だった。
一応、恋人同士だったはずだが、それらしい甘い出来事はなかったのがなんとも心残りだった。
フローレス姫は本当に自分のことが好きだったのだろうか?
フロントは正直疑っていた。
ネティア女王のように、男ではなく兄として見ていたのではないかと。
「ねぇ、フロント……」
甘えた声でフローレス姫が話しかけてきた。
ちょっと、どっきりとする。
ネティア女王の体だからだろうか、フローレス姫にはない色気を感じた。
「子守唄、歌って」
フロントは脱力した。
「何よ?」
「‥‥いえ、やっぱり、フローレス様だなと思いまして……」
「それ、どういう意味よ」
「そのままんまです・…」
「何それ?」
フローレス姫は怒った顔になり、
「で、子守唄、歌ってくれるの?」
駄々を捏ねる。
双子の姉と比べて、ほとんど成長を感じない。
「はいはい、歌いますよ。ねんねこねん、ねんねこねん、良い子はねんねこねん‥‥・」
「なんか、雑‥‥・」
フロントは緩い笑顔で歌いがながらフローレス姫の頭を優しく撫でる。
不満顔だったが、フローレス姫はゆっくり、眠りに落ちていった。
その寝顔を見ながら幼い双子姫の子守をしていた頃を思い出していた。
2人にせがまれて、よく子守唄を歌って、寝かしつけていた。
『ナイトにも子守唄を歌って、寝かしつけたな……みんな、かわいいな……』
フロントは幼い頃の双子姫とかわいい弟に思い出し、心を和ませた。
*
「全く、人のことより自分のことだろうが・…」
フロントとフローレスの様子を盗み見みていたライガが呆れたように呟く。
「そうだな‥‥・こっちも仲直りしてもらわないと困る‥‥・」
ナイトも呟く。
2人がいい感じだったので、ライガと共に見守ることにしたのだ。
2人が結ばれることを誰よりも、ナイトとネティアは望んでいた。
そのチャンスを今回、ネティアは身を挺して与えてくれたように思える。
だが、ナイトはモヤモヤしていた。
今のフローレスはネティアの体だ。
わかっているが、自分以外の男に愛妻が愛撫されているのを見ると、嫉妬を感じてしまう。
また別の嫉妬も沸いた。
『フローレスの奴、兄ちゃんに子守唄、歌ってもらってたのか、羨ましい!!』
幼い頃、兄の愛を独占していたナイトはフローレスに対して嫉妬を覚えた。
自分も撫でてもらいたい、と大人になった今も思う。
フローレスが眠りに落ちたのを見てから、ナイトとライガはフロントの元へ姿を現した。
「こら、ちゃんと、やってるのか!?人の世話焼いてる場合じゃないだろう!?」
ライガがフロントに発破をかけると、
「わかっている……だが、今のフローレス様はネティア様だ。お体の調子も悪い。まだ復縁の話ができる状態じゃないだろう?」
「そうだな、だが、今はチャンスだぞ。ネティア様が戻られて、元の体に戻られたら、また話なんてできなくなるぞ」
「それもわかってる。調子が良くなられてから話をするよ」
「ちゃんと、復縁しろよ」
ライガは不機嫌そうに念を押して、退室していった。
捜索隊の出発前に、2人の様子を見ておきたかったようだ。
「兄ちゃん、義父上が正規軍を率いて出発したら、ネティアの捜索隊も出発することになったよ」
「いよいよだな、ライアス殿とサラはちゃんと仲直りできたかな?」
「自分の心配しろよ。あの2人は大丈夫だって」
「そうかもな‥‥」
フロントは笑ってナイトの前髪優し掻き揚げた。
「なんだよ、急に‥‥」
「お前は大丈夫かなって。本当は一番ネティア様を探しに行きたいんだろう?」
「それはもちろん‥‥・でも、表立っては動けないだろう?」
「辛かったら、兄ちゃんを頼っていいぞ。『お前の為なら何でもやる』から」
「・………うん、ありがとう。本当にきつい時は兄ちゃんを頼るよ」
ナイトは素直に兄の言葉を心の拠り所にした。
フロントはこの言葉のせいで、自ら不幸を招くことになろうとは露ほども思わなかった。
***
数日後、レイガル王は正規軍を率いてレイス領へと慌ただしく旅立った。
正規軍が発った後、ネティア女王の捜索隊は秘かに出発する。
見送るのはほぼ身内のみ、
前女王ティティス、フローレス姫、フロント、サラ、そして、ゼインとマイク。
ナイト王子は公務でレイガル王が正規軍の出立を見送っていた。
ティティス前女王は引退の身、妻であるネティア女王は体調不良。
国の代表として、娘婿のナイト王子が戦地に赴く国王と正規軍を見送らなければならなかったのだ。
「では、ティティス陛下、行って参ります」
リリィが出発の挨拶をティティスにした。
初期のメンバーは、隊長にライアス、副隊長に最高司祭リリィ、親衛隊からはニルス、忍び衆からはライガ、レッド、ブルー、グリーンの7人。
後で、レイスと正規軍からも数名が派遣されることになっていた。
「ワープ拠点を築いたら、速やかに戻ってくるように。初回攻撃が始まる前になんとしてもこの任務をやり遂げてちょうだい。ネティアの捜索はその後に本格的に始めましょう」
「了解しました」
ティティス前女王が出立する捜索隊のメンバーに言葉をかけた。
その後にサラが、隊長のライアスの元へ駆け寄る。
「ライアス様、お早いお帰りをお待ちしてます」
前日とは打って変わって、サラは落ち着いた様子でライアスと向き合っている。
2人だけで話して、気持ちが落ち着いたようだ。
「これを持ちになってください」
「これは?」
「お守りです、私が作りました‥‥・」
「私のために、ありがとうございます」
ライアスは嬉しそうに、お守りを受け取り、サラの手をギュッと握った。
サラの頬が赤く染まる。
「いいな、いいな、お守りほしいな!」
忍び衆のグリーンが羨ましそうにぼやくと、ライガが振り、
「欲しいならやるぞ」
と1つのお守りを渡した。
「え?え?え?え!?これ、若が作ったの!?」
「俺が作るわけないだろう、バイト先の客からたくさんもらったからやる」
そういうとライガは着ていた上着を広げた。
その内側にはびっしりとお守りが縫い付けてあった。
「え?え?えええええええ!?こんなに!?1人から?」
「バカ、1人なわけないだろう」
「若目当ての女性客からだ」
レッドとブルーが突っ込む。
「ひゃあ、若はモテるんだ・……グレイの思惑通りだ・……」
「残念だが、そうでもない……」
レッドが頭を押さえて俯く。
「フロコ、必ず君の元へ帰ってくるよ。俺はお前一筋だから!」
ライガはお守りが縫い付けてある上着を脱ぎ捨てて、フロントの手を熱く握っていた。
フロントの額に青筋が浮かんでいる。
寒気を覚える。
ここが公の場でなければ、爆発していたのは間違いない。
「任務を完了させて、速やかに帰ってこい、お前以外・……」
フロントは震える声でライガの手を強力に握り返した。
「またまた、つれないな!」
ライガは意に返さず、ニコニコと笑っている。
「ライガ、気を付けて行ってきてね」
「もちろんすよ、フローレス様」
「はい、これ、お守り。サラと一緒に作ったの。不器用だから1個しか作れなかったから、代表してライガに」
「え!?いつの間に・・……!?」
隣にいたフロントが驚いてフローレス姫を見る。
「ありがとうっす!本当、不器用っすね」
「文句を言うな!フローレス様、こんな奴にお守りなんかいらないですよ・……」
「気持ちよ。私、何もできないから‥‥」
フローレス姫が寂し気に笑って言うと、フロントは何も言えなくなった。
「じゃ、一っ走りにいってくるっす!!」
「待て!」
フロントがライガの肩を掴んだ。
「私からもお前に即席の『お守り』をやろう」
そう言って、フロントはドス黒い丸い塊をライガの懐に入れ込んだ。
「サンキュ、フロコ!これで100人力だ!さあ、みんな行くぞ!」
ライガは意気揚々としていたが、やり取りを見ていた忍び衆の面子は恐怖に慄いていた。
「………あれ、時限爆弾じゃないっすか?」
「たぶんな‥‥」
グリーンがレッドに話しかける。
ブルーが助けを求めるような視線をリリィに送った。
「大丈夫よ、わたくしがなんとかします」
「「「お願いします」」」
ライガについていく、レッド、ブルー、グリーンは最高司祭リリィが同行してくれることに心から感謝した。
ちょっと浮いたようになったニルスの肩をゼインとマイクが叩く。
「頑張れよ・……」
「……大丈夫かな?」
「大丈夫さ……」
そう言ったマイクだったが、心の底では捜索隊のメンバーにならなくてよかったと思っているようで、ニルスとは視線を合わせなかった。
秘かに出発するはずだったネティア捜索隊は半分意気揚々ともう半分は意気消沈して出立した。