双子の妹姫
フローレスは馬車の小さな窓から流れる景色を凝視していた。
双子の姉ネティアは本を読んでいる。
ランドまでの長い道のりの暇つぶしに読書は最適だ。
だが、フローレスは姉と違いじっとしていることができない性格だった。
始めはネティアに倣って本を読んでいたが、すぐに飽きてしまった。
ネティアと話をするも、従者のフロント、両親の話はタブー。
好きでもない婚約相手ジャミルの話などもってのほか。
そのため、すぐに話題がなくなってしまう。
他に誰か同乗者がいて楽しい話でもしてくれればいいのだが、虹の国の王女の顔はごく親しいものにしか顔を見られてはならかった。
フロントの他に専属の忍びのライガがいたが、表には出たくないということで拒否された。
ネティアが選んだ正規軍の騎士達も、『恐れ多い』と言って誰も同乗しなかった。
フローレスはフロントの存在がどれだけ大きかった今になってようやく悟った。
彼がいればどんな場所でも楽しく過ごせていた。
彼がいてくれたから心細さなど微塵も感じなかった。
彼がいたからどんな災難も退けてくれた。
『フロント…今何してるの?』
フローレスの中でフロントへの思いがどんどん募っていく。
だが、ネティアの前ではその名前は言えない。
『ネティアにも、私のようにフロントみたいなのがいれば良かったのに…』
読書に専念する姉を盗み見て思わず思った。
フロントはフローレスにとって許嫁のようなものだった。
小さい時に、『お嫁さんになりたい』とフロントと周囲に言ってしまったのだ。
今では、何故そんなこと言ってしまったんだろうと後悔しすることもあるが、フロントが何でも話せる大事な人だということには間違いはなかった。
『ネティアは恋とかしないのかな…?』
不意にそんなことを思った。
ネティアはほとんど人に本心を明かしたことがなかった。
虹の国の世継ぎと言う立場と環境のせいだと思う。
だけど、年頃の女の子だ。
素敵な男性が現われればきっとときめくはずだ。
なぜなら、双子の妹である自分が恋をしたのだから。
『一か八か、ネティアの恋心に掛けてみるしかないわ!』
フローレスはある企みを思いついた。
窓の外の風景がよく手入れをされた農園に変わって行く。
今夜宿泊する街は近い。
『大人しくしてるわね…』
双子の妹が悪巧みを思いついたことに気づきもせず、ネティアはまた読書に戻った。
***
ナイトは馬に乗り、王都への向かう道を駆け抜けた。
目指すはランド軍が泊まる宿場だ。
宿営する街はわかっていた。
キロロという街だ。
なぜわかるかと言うと、伝令の鳩が定期的にナイトの元にやってくるのだ。
どうやら、ネティア姫の傍に協力者がいるようだ。
『キロロに着く頃には日が暮れているな…酒場が開いているだろうから、うまくいけばランドの騎士達と接触できるかもしれない…』
ナイトは潜入方法を考えながら、馬を駆った。
***
「どうぞ、ごゆっくり」
宿の者達が足早に出ていく。
ネティアは顔を覆っているヴェールを取って大きな溜息を吐く。
一日中馬車に籠ってヴェールを被っていたから解放感は大きかった。
ベッドに横になり背伸びをする。
フローレスも同じ心境かと思ったが、こちらに来る気配はない。
不思議に思って体を起こすと、フローレスはヴェールをまだ被ったままだった。
「ネティア、私、外に行くけどどうする?」
目を輝かせて聞いてくる。
ネティアとは違い、双子の妹はとても好奇心旺盛で活発だった。
外に出たくてうずうずしている。
「わたくしはやめておくわ。行きたいのならちゃんと護衛を連れて行きなさいね」
「ありがとう、ネティア!」
フローレスは大喜びで部屋を出ていく。
ネティアは微笑んで見送ると、またベッドに沈み込んだ。
*
ナイトは酒場を覗いていた。
久々に1日中馬を駆ったせいで体はヘトヘトだった。
ランドの騎士に取り入るのは明日にしようと思ったのだが、宿が取れなかった。
無理もない、虹の国の双子姫の御一行が田舎町に来たのだ。
住人達は見たこともないほどの人の群れにてんやわんやの大騒ぎだ。
宿は騎士や商人達に貸切られていた。
身分を隠し、金もコネもないナイトが泊まれるような場所はなかった。
『くそ、身分が使えないってこと忘れてたぜ…』
他国で単独行動をしている王子など自分の他にいるのだろうか?
ナイトはこの身の不幸を呪いながら、酒場に入った。
ランドの騎士に取り入って、今夜の宿を手に入れようと言いう魂胆だった。
まずはカウンターに行って食事と安酒を注文する。
安酒がすぐに来たので一杯やりながら、辺りの様子を窺う。
「さすが、ジャミル様、あのネティア姫を口説き落とすとはな」
「クールでカッコいい方だからな。しかも、強い!ネティア姫が振り向かないはずないさ!」
「これで王権は王の一族の手に戻る。どこの馬の骨かわからない余所者の手から我らが女王の奪還だ!」
「ジャミル王に、乾杯!!」
「乾杯!!」
自分達の領主を称え、酒を一気に飲み干す。
飲み干した後、またすぐに注文が飛ぶ。
「店主!酒だ、酒だ!どんどん持って来い!」
「はい、ただいま!」
ランドの騎士達は浮かれていた。
酒がどんどん注文されている。
お蔭でナイトの注文した料理が遅れる…
「なぁ…」
1時間が過ぎ、我慢の限界に来たナイトは忙しそうにしている店主を捕まえた。
「俺の料理まだ?」
店主の顔が青ざめる。
「忘れてたのかよ!?」
「申し訳ございません、今すぐお作りします!」
「店長!もう、材料がありません!」
調理場から悲鳴じみた声が聞こえ、店主とナイトの動きが止まった。
「お客さん…」
「もういい!」
ナイトは怒って立ち上がった。
「お代は結構ですから…」
店主が申し訳なさそうに頭を下げたが、ナイトの怒りは収まらない。
騒いでいるランドの騎士達の方へ歩いていく。
テーブルには大量の料理がほとんど手つかずで残っていた。
「景気がいいね、ランドの騎士様方…」
ナイトは開いている席に勝手に座り込んだ。
そして、フライドチキンにかぶりついた。
突然の乱入者の登場に辺りは一気に静まり返った。
「うめぇ!」
静まり返った店内にナイトの声が響く。
ナイトは次々に皿を空にしていく。
その食いっぷりをランドの騎士達は唖然と見ていた。
「ああ、食った、食った!御馳走さん!」
食べるだけ食べてナイトは立ち去ろうとした。
「おい!」
「何だよ?」
呼び止められたのでナイトは普通に振り返る。
「貴様、何者だ?」
「旅の傭兵だけど」
「傭兵風情がなぜ我々騎士の食卓に交じる?」
「あんたらが大量注文してたせいで俺の食い分がなくなっちまったんだよ。だから、食わせてもらったんだよ、じゃな!」
「それで済む問題か!?」
「うるせぇな、どうせお前ら残すだろうが!食事食われたぐらいでガタガタぬかすなよ。騎士のくせにちっちぇ奴らだな」
「何だと!!!?」
店にいたランドの騎士達が一斉に剣を抜いた。
店の者達が外へ逃げ出す。
「おいおい、ランドの騎士は気が短いな」
ナイトは剣を抜かず、腰に手を当てて余裕を見せる。
「貴様は我々を侮辱した!切り捨ててくれる!」
「全員でか?ランドの騎士は弱い者いじめが好きなんだな」
「何、言わせておけば…」
「落ち着け、こんな奴俺1人で十分だ」
1人の壮年の騎士が前に出てきた。
ナイトの話に応じるところを見ると他の騎士達よりは幾分か話が分かるようだ。
「どうした、剣を抜け!」
「騒ぎを起こしてもいいのか?」
「騒ぎを起こしたのはお前だ。それとも怖気づいたか?」
「まさか、抜いてもいいが、条件がある」
「…何だ?」
「俺が勝ったら指揮官に合わせてもらう」
「何!?」
どよめきが起きる。
「…何をするつもりだ?」
「何って、商売だよ。勝って、あんたの代わりに俺が騎士になってやるよ」
「傭兵風情が大した自信だな。良かろう、その自信、この場で俺が切り捨ててやろう!」
騎士が駆け出す、ナイトも剣を抜いた。
両者の白刃が駆け抜けた。
カチン
ナイトが剣を鞘に納めると、騎士が腕を押さえて崩れた。
「エルク!!!」
仲間の騎士達が駆け寄る。
「俺の勝ちだな、取次、頼むぜ?」
ナイトは座り込んでいる騎士に爽やかな笑みを向けた。
だが、
「ふざけるな!!誰が貴様などに負けを認めるか!!」
「そうだ、そうだ!!」
介抱していた騎士の1人が叫んだ。
それが周囲に飛び火する。
「おいおい、約束は守れよ!」
「黙れ、傭兵風情が!」
1人が剣を抜き斬りかかってきた。
ナイトは難なく交わした。
再び全員が剣を抜く。
「皆、落ち着け!」
「エルク、下がってろ!」
ただ1人、ナイトの相手をした騎士が制止するが、酒が入り、頭に血が上った仲間には届かなかった。
「しゃねな、俺の強さを認めるまで全員相手してやるよ」
ナイトは不敵な笑みを浮かべて剣を抜いた。
*
フローレスは暗くなった街を5人の護衛と共に歩いていた。
『何もないわね…』
普通の街の様子を見て回りたかったのだが、日が暮れて人通りはほとんどなかった。
店も閉まっている。
空いているのは酒場と宿屋ぐらいだ。
その客もランドの騎士達がほとんど。
普段見れないものを見に来たのに、見慣れたものばかり。
フローレスは落胆した。
「フローレス様、そろそろ帰りましょう。夜もだいぶ更けてきましたし…」
ここぞと護衛の1人が切り出した。
「そうね…」
『帰る』というフローレスの言葉を護衛達は待ち望んでいた。
「最後に、酒場を見てみたいわ!」
「酒場!?」
期待を裏切られた護衛達は肩を落とす。
「お言葉ですが、フローレス様はお飲みになれませんよ」
「わかってるわよ。ただどんなところか見てみたいだけ、いいでしょう、見るくらいなら」
フローレスはウィンクを振りまいて、護衛達の機嫌を取る。
「酒場で最後ですよ」
「わかってるって、さあ、行くわよ!」
疲れ切っている護衛達はあっさり折れた。
酒場へ向かうフローレスの足取りは軽やかだった。
『やったわ、あのフロントでさえダメって言われた酒場に行けるんだから!』
活発なフローレスはよくお忍びで街に出かけていた。
当然、お目付け役でフロントが付いてくる。
フロントは、フローレスが行きたいと言った場所のほとんどを案内してくれた。
だが、人目を盗んで王宮を抜け出してくるのでいつも時間は限られ、あっという間に夜になってしまう。
開いている店と言えば、宿屋とカジノと酒場ぐらいになる。
宿屋には、帰らなければならないから当然いけない。
カジノと酒場は大人の行く場所、と言われて行けなかった。
『大人の場所』と聞いて、フローレスの好奇心が疼かないはずがない。
大人になるまで待てるはずもなく、いつか行ってやると、心に決めていたのだ。
そのチャンスが今巡ってきた。
今護衛についている正規軍の騎士達は王女であるフローレスの命には逆らえない。
何でも言ってくる目の上のたん瘤がいない今ならできる。
フローレスは、馬車の中でフロントのことをあれほど恋しく思っていた事をあっさり忘れた。
遠くに明かりの零れる店が見えてきた。
その零れてくる光と一緒に喧噪も乗ってきた。
『あと少しだわ!』
フローレスが鼻歌まで歌い出したくなったころ、前方から複数の人影が現れた。
突然、フローレスの前に2人の護衛が立つ。
疲れてダラダラしていたが、やはり正規軍の騎士だ。
危険な匂い感知したのか、息を吹き返したように機敏になった。
「止まれ!」
こちらに真っすぐ向かってきたので前に出た護衛が叫んだ。
その声に人影達は闇の中で身を竦ませて止まった。
そして、その中のうち1人が恐る恐るこちらに向かってくる。
近づいて来た人影は、エプロンを身に着けた肉付きのよい壮年の男だった。
明らかにどこかの店の者だとわかる姿だったが、護衛達はフローレスの周囲を固める。
「こんなところで何をしている?」
「騎士様、どうかお助け下さい!」
男は突然ひれ伏した。
「何があったのだ?」
「私共の不注意で『若い傭兵』と騎士様方との間に乱闘が起こりまして、店を逃げてきたのです!」
沈痛な男の訴えにフローレスは胸を痛めた。
「その店はどこです?」
「この先を真っすぐ行った酒場です!」
男は必死の形相で自分の店を指さした。
ガラスが割れる音や怒号が聞こえてくる。
護衛達はフローレスに目で指示を求める。
「放ってはおけないわ!争いを止めて!」
「は、仰せのままに!」
護衛達は勢いよく答えると、フローレスを守るために2人を残し酒場へ急行した。
「フローレス様はここでお待ちください!」
「嫌よ!」
「「え!?」」
「私も行くわ!騎士に喧嘩を売る若い傭兵を見てみたいわ!」
「…」
固まる護衛2人の返事も聞かずに、駆け出した。
なぜなら、今度は確実に止められるからだ。
「フローレス様、危ないですって!」
「お待ちください!!」
護衛2人も泡を食ったように追いかけてくる。
それよりも早くフローレスは先行した3人の護衛に追いついていた。
3人は何故か動きを止めていた。
フローレスは彼らの間から中の様子を垣間見て、息を飲んだ。
大勢のランドの騎士達が床に横たわっていた。
まだ立っているランドの騎士達も及び腰だ。
対峙するは、たった1人の若い傭兵。
青い髪に、更に深く吸い込まれそうな青い瞳を持つ男が不敵な笑みを浮かべて、ランドの騎士達を凌駕していた。
「できる…」
護衛の1人が呟くと、他の者達も同意するように頷いた。
国王直属の正規軍の騎士達が認めるのだから、本物の実力者だ。
「増援か?」
店の入り口に立つフローレス達に傭兵が気付いた。
『カッコいい!!』
クールな瞳と低く押し殺した声がフローレスに電撃を与えた。
「丁度いい…数ばっかりで弱い奴らに飽き飽きしてたところだ」
イケメン傭兵がこちらに剣を向けてきた。
「何だと…!!」
コケにされたランドの騎士達は声は上げたものの、動くことができなかった。
散々打ちのめされ、意思に反して体が動かないようだった。
「待て、我々は虹の国王の正規軍で仲裁に来たのだ!」
近づいてくるイケメン傭兵に慌てて護衛が名乗った。
「虹の国の正規軍だと?」
イケメン傭兵の顔が驚きに変わる。
仲裁の機は掴んだ。
「そうだ、だから、両者、剣を納めてくれ」
「ねぇ、あなた、1人!?」
仲裁を始めた護衛を押しのけてフローレスが飛び出した。
傭兵は目が点になっていた。
「フローレス…?」
イケメン傭兵に名前を呟かれてフローレスはメロメロになる。
慌てたのは護衛達だ。
「そうだ、このお方は虹の国第2王女フローレス様だぞ!」
「ちょっと、邪魔よ!ねぇ、あなた、傭兵なんでしょう?」
「邪魔!?」
邪魔と言われて突き飛ばされた護衛はショックで蹲った。
護衛達は慰め合う。
その間に、フローレスはイケメン傭兵を攻める。
「まあ、そうですが…」
「なら、私の専属の護衛にならない!?」
フローレスの突然の申し出に場の空気が凍った。
「ええええええ!!!!!???」
「駄目ですよ!!!!!」
先ほどのショックを引きずりながら、護衛達は猛反発した。
フローレスはキッと護衛達を睨む、
「じゃ、フロントの代わりに私の相手してくれる?」
護衛達は一瞬で沈黙した。
フローレスは笑顔でイケメン傭兵に向き直る。
「どうかしら?」
「………こ、光栄です、フローレス姫…わたくしめでよろしければ…」
イケメン傭兵は周りの視線を気にしながら、フローレスの専属護衛を了承する。
「契約成立ね!あなた、名前は?」
「えっと、『ルーク』と申します、フローレス姫」
「ルークね、これからよろしくね!」
フローレスはギュッとイケメン傭兵ルークの手を握り締めた。
護衛達は何か言いたげだったが、無視した。
代わりに、ランドの騎士達の方を見る。
「さてと、あなた達、後片付けはするのよ」
「え?」
ランドの騎士達が間の抜けた顔をした。
護衛達の顔から血の気が引く。
「当然でしょ、暴れたんだから、わかった?」
「フローレス姫!暴れたのは、そいつですよ!」
「そうです!」
ドン!
フローレスが強く床を踏みつけると、ランドの騎士達の抗議が止まった。
「あら、まさか、誇り高きランドの騎士ともあろう者がたった1人の傭兵風情にやられたのかしら?」
腕を組んで強気で問いかける。
返ってきたのは沈黙。
この問いを、誇り高き騎士達が肯定できないことをフローレスは知っていた。
「仲間同士で暴れたことにしておいてあげるから、後片付けはよろしくね」
フローレスはランドの騎士達にヴェールの下からウィンクを投げて、ルークの手を引いて酒場を出た。
その後を、ゾンビのように護衛達が続く。
「ルーク、宿屋に着いたら、私の姉を紹介するわね!」
波乱をまき散らし、双子の姉へのサプライズを手にして、ようやくフローレスは帰路についた。
護衛達は姉姫ネティアへの報告に頭を悩ませることになった。