今生の別れ
遠い昔、天災により一つの世界が二つに分かれた。
片方の世界は虹の結界により守られた。
だが、残されたもう一方の世界は、成す術もなく死の世界へと変わり果てた。
虹の結界に守られた世界は天災による被害は免れたものの、人々の争いは続いていた。
世界が割れたように、大国もまた同じ運命を辿り、多くの国々が生まれた。
その一つ、世界の果て、死の世界との境界に国を築こうとしている男がいた。
彼は人間同士の争いを避けるために、あえて魔物の多いこの辺境の地に国を築くことを選んだ。
魔物を排除し、森を開拓して道を作り、畑を作り、家も建てた。
魔物は現れなくなり、完全にこの地を支配したと思っていた。
その矢先、住処を奪われた魔物の群れの逆襲を受けた。
畑は荒らされ、家は潰され、火の手が上がる。
男は村の戦士達を従え、魔物群れに挑んだ。
だが、圧倒的な数と多種多様な魔物の前に成す術もなかった。
「みんな、退け!」
その命令に必死で戦っていた戦士達の表情が強張った。
気持ちは皆、同じだ。
苦労してやっとここまで作り上げた国だ。
例え、死んだとしても自分達で守りたかったのだ。
「『お前達』が生きていれば必ずこの国は蘇る!だから、今は耐えろ!」
男の言葉に戦士達は鎮痛に頷く。
その中に長年連れ添った彼の参謀が口を引き結んで、こちらを睨むように見ていた。
「…レイス、後のことは、頼んだぞ…」
「………御意、『我らが王』よ………」
初めて言われた言葉に男は満足げに微笑を零すと、彼らに背を向けた。
「行け!!」
惟一人、剣を構え、魔物に挑む男を残し戦士達は逃げ出した。
嗚咽を堪えながら、人身御供になった彼らの王のために必死で生き抜く。
戦士達の断腸の思いを背中に感じながら男は魔物に剣を向けた。
「悪いがな…この土地はもう俺達のものだ!」
叫んで、魔物の群れを薙ぎ払い、一気に突っ切る。
目指すは村の中心にある城、彼の家だ。
他の家より頑丈な造りでまだ悠然と聳え立っていた。
剣を縦横無尽に振り回し、大きな魔物は薙ぎ払う。
蜂のように小さい魔物は全身に身に着けた魔法のアイテムを駆使しする。
氷と雷で動きを止め、炎で焼き払い、風で道を切り開く。
追っ手を妨害するため土で壁や穴をを作った。
完璧な防御と攻撃。
しかし、所詮は一人。
魔物の圧倒的な数の前には最高のアイテムも耐えられなかった。
「あと少し、耐えてくれ!」
家の扉を背に剣を一閃、一瞬の間合いを作り出した。
そして、取れるだけの魔石を剥ぎ取って魔物に投げつけた。
閃光が迸る。
魔物が怯んだ隙に家の中に飛び込み、素早く扉を閉めた。
ゴオオオオオン!!!!
爆音が響いた。
外は辺り一面焼け野原になっていることだろう。
だが、この家には影響がない。
強固な結界に守られているからだ。
男の妻は超有能な魔術師で、特に結界魔法に関しては彼女の右に出る者はいなかった。
最愛の妻に感謝しつつ、男は扉を背に座り込む。
安堵のため大きな溜息が出た。
数え切れないほどの魔物の山に突っ込んだのだ、腕の一本や二本失うのは覚悟していた。
だが、奇跡的に五体満足な上、体にもほどんど傷はなかった。
ただ、体力だけは激しく消耗していた。
呼吸を鎮めるのに、予想以上に時間がかかった。
それもそのはず、男の体は病に侵されていた。
周囲に病を隠したまま陣頭指揮を執り、一人で魔物に挑んだのは我ながら大したものだと思う。
自分を鼓舞しながら剣を杖に立ち上がる。
最期の大仕上げが待っていた。
重い体を引きずりながら階段を上って行き、最も見晴らしのいい部屋に入る。
窓から鮮やかな青と、それを横切る美しい虹が飛び込んできた。
空さえ埋め尽かさんばかりだった魔物群れはない。
さっきの爆発で吹き飛ばされたのだろう。
しかし、すぐに舞い戻ってくるだろう。
その時を狙って、最期の引き金を引く。
死は怖くなかった。
今まで誰かのために誰かが犠牲になってきた。
今度は自分の番だ…
虹を見上げ、先に逝った義妹に誓う。
『お前が守ったものは、必ず守ってみせる!』
覚悟を決めると一際大きな柱に向かう。
この柱は地下まで伸び、地下に密かに描かれた強大な魔法陣へと繋がっていた。
柱にもたれ、魔物の群れが戻ってくるまで待機する。
静寂が重い。
覚悟はできているが静寂は死への恐怖を煽る。
気を紛らわせるために、部屋を見回し、家族との思い出を振り返る。
娘もここから見る景色が好きで、彼の傍らではしゃいでいた。
妻はお茶とおやつを持ってきて、よく親子三人でここに長居した。
娘の笑い声が聞こえてきそうで、男は目を細めてバルコニーを見つめた。
そして、入口のドアへと視線を向ける。
茶の支度した妻が入ってくる姿を想像し、不覚にももう一度会いたいと思ってしまった。
その思いに答えるように、扉が開いた。
男は目を見開いた。
「おかえりなさい」
いつも通りにお茶を運んでくる妻を見て夢かと思ったが、床に盆を置く際、彼女の銀の髪が男の顔に触れた。
「ご苦労様でした」
お茶を勧められて受け取るも、困惑は隠しきれない。
「…なぜ、ここにいる?」
男が訪ねると妻は居住いを正した。
「あなたと最期を迎えるためです、お許しください」
今からでも連れて逃げられるなら逃げたかったが、もはや手遅れだった。
一番守りたかった者を守れなかったことに男は肩を落とした。
夫の考えを見抜いた上で彼女は姿を現したのだ。
「最期ぐらい一緒にいさせてください…」
酷く落ち込む夫を見て妻は困った顔になった。
「あなたに出逢えて本当に良かった。あなたがいなかったらわたくしは当の昔に死を選らんでいたでしょう。あなたがいてくれたからわたくしは強くなれました…ありがとうございました…」
今までの感謝の気持ちを述べてくる。
男は黙ってそれを聞く。
「あなたは本当に素晴らしい人です。わたくし達に出逢わなければこんな惨めな人生は送くらなかったでしょう。どうか、来世は他の方と幸せな人生を送ってください…」
語尾が濁った。
顔を伏せた妻から嗚咽が漏れた。
自分達が不幸の元凶だと思っているのだ。
「惨めだなんて思ったことはないぞ」
男はすねた声で否定した。
涙に濡れた顔を上げた妻に男はお道化た顔で宣言した。
「なかなか面白い人生だったぞ。何ならもう一回繰り返してもいいぞ。そしたら、今度はもっとうまくやれる…」
妻の目が見開かれた。
彼女が彼の考えを見抜いたように、彼もまた彼女の考えを見抜いていた。
「一人で背負い込むな、俺達、家族だろう?」
「…はい…」
妻の顔に笑顔が戻った。
来世への願いを語り合った後、二人は最期の時を迎えた。、