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帽子と友人の厚意

雨季が過ぎればジリジリと暑くなる。未だどこか湿気を孕みながらも着々と季節は夏に変わっていた。それはグラオザームのどこを見ても同じだ。石畳は日に焼かれ熱を持っている。住人たちはそれをごまかすように水を撒いた。ジリジリと照る日を喜ぶものもある。夏になり咲き始めた青い朝顔、真っ白なマドンナリリー、鮮やかな朱色のサンタンカ。グラオザームの草花は夏も色とりどりの花を咲かせている。かく言う私もまた、この夏を楽しみにしていた。

降り注ぐ日の光に負けず、園芸店をいくつか周る、北の庭へ行くまでグラオザームの人間でありながら花を育てようなどと思ったことは一度たりともなかった。自分が食べていくだけでギリギリだったため他のものにかまけている余裕がなかったというのが実際のところだ。いくつか苗を手に取り、持ってきた本とにらめっこしながら選ぶ。今までカロスィナトスと植えてきた花はほとんど種から育ててきたが、木立ち性のものは苗から植えた方が確実だ。少なくとも素人が種から育てられるとは思えない。しかし木立ち性のものは毎年花を咲かせる。時期を過ぎるとそのまま枯れてしまう花と比べると、やはり植わっているだけで存在感があると思うのだ。



「……これと、これください。」

「はいよ。それは白だけどいいかい?」

「とりあえず白だけ。またほかの色ももらいに来るかもしれません。」



とりあえず白。他の色はカロスィナトスに話してからにする。ふくよかなおばさんにお金を渡す。安い買い物ではないけれど、北の庭に関する出費は町長が持ってくれているため、遠慮はしない。最初こそ、町長から種や土を受け取っていたけれどいちいちそうするのも面倒で、一月ほど過ぎたあたりから仕入れも私が行うようになった。


苗と土の入った手押し車を押しながら道を行く。ゴロゴロという車輪の音と義足の音にもう誰も振り向いたりあからさまに目を逸らす人はいない。

初めこそ、私を怪物の住むと呼ばれる館の庭に送ることは死にに行かせることとほぼ同義で、罪悪感に苛まれたような顔をする人が多かったが、私が庭にいくようになってはや三か月。未だ私は元気に庭に通っている。それを見た人々は罪悪感やら良心の呵責やらが薄れていったようで今はもう私を見ても何とも思わないようだ。現在比較的楽しく通っているため特に不満はないのだが、思うところがないわけではない。なんとなく釈然としない。私が化け物に襲われないとわかったなら、他の人も手伝いに来ればいい。しかし未だ自分も、と手をあげる者はおらず相も変わらず私一人で庭に向かうのが現状だ。



「ねえパッペル!」

「ネルケ。」



手をぶんぶんと振りながらネルケが走ってきた。無視する理由もないので手押し車を手に待つ。前は手押し車を押すのにもふらついていたが今ではそれもない。心なしか筋肉質になったように思え、嬉しいやら年頃の女として悲しいやら、だ。



「パッペル暑くないの?」

「暑いよ。最近はかなり。」

「表情変わんないねー……、」



暑そうな顔をしていなかったらしいが、自分ではよくわからない。ただコロコロと表情を変えるネルケと比べれば無表情だと言うのは認めよう。



「そんなパッペルにプレゼントです!」



じゃーん!と誇らしげに差し出したのは鍔の大きな麦わら帽子だった。思っても見ず、目を丸くする。



「前まで家で仕事してたから、持ってないでしょ?外で庭仕事するなら夏は必須アイテムだよ。ただでさえパッペルは黒髪で熱が集まりやすいから。」



ほら、と言われるままに麦わら帽子をかぶらされる。視界の端で苅安色のリボンが揺れた。一旦頭から帽子をとるとジト目で見られるが、麦わら帽子の飾りを見る。黄色のリボン、それから小ぶりなヒマワリの造花が点けられていた。しかしどこかで見覚えのあるデザインだ。思い当たりネルケの方を見る。



「これ、」

「えへへ、私とお揃いだよ!私のがダリアでパッペルのがヒマワリ。」



そう笑うネルケの麦わら帽子には白いダリアがが咲いていた。同じように、白く長いリボンが垂れる。



「……もらっていいの?」

「あげるための持ってきたの!パッペルはずっと皆のために一人で頑張ってるんだよ?私は手伝いに言っちゃダメって言われてるし……私ができることはこんなことしかないから。せめて熱中症で倒れたりしないように、ね?」



何といえばいいのかわからなかった。今私の手にあるのは決して安いものとは言えない。それにネルケとは友人だが何かをプレゼントしあうような間柄でもなかった。そもそも誰かからこうして改まってものをもらうことなどここ数年なかったため、相応しい言葉、気の利いた言葉が見つからない。



「ありが、とう……。」



なんとか出てきた言葉それだけ。なんでもないただのお礼の言葉だけ。気の利いた言葉も愛想のいい笑顔もない。そんなことができるほど私は器用ではなかった。さぞ不愛想だろう、感謝しているようには見えないだろう。



「うん。どういたしまして!」



けれどネルケは満面の笑みでそう返した。用はそれだけだったようで、ネルケは機嫌よく私に手を振ってから広場の方へと去っていった。私は半ば茫然としたままその背中を見送った。日に当たり続けて熱を持った頭に、もらったばかりの麦わら帽子を乗せると、さっきよりもずっと涼しくなったように思えた。

何も知らないような無垢な顔をしているのに、時々人の心が透けて見えているのではないのかと思えるほど鋭いことをしたりする。タイミングがタイミングで、どきりとした。感謝されたいわけでも、心配されたいわけでも、罪悪感に苛まれ続けていてほしいと、今は思っていない。けれどネルケによってそういったものに近い感情は霧散していった。




**********




「パッペル、何かいいことでもあった?」



比較的涼しい森の中をカロスィナトスの背に乗りながら進んでいるとそう声を掛けられる。



「機嫌よさげに見えましたか?」

「見えるね。街で何かあったのかい。」



無意識のうちに浮き足立っていたらしい。視界の隅で苅安のリボンが揺れる。思っていた以上に、私は友人からの唐突なプレゼントに喜んでいたらしい。



「……友人に、麦わら帽子をもらったんです。」

「その黄色いリボンの麦わら帽子かい?」

「はい。お揃いなんだそうです。」

「それはいい。」



カロスィナトスが笑う。梅雨のあの日から、彼がペストマスクを着けているところを見ていない。どうやらもう隠すのをやめたようだ。それが夏になって暑くなってきたからなのか、ここを訪れるのが彼の正体を知っている私だけだからなのか、私にはわからない。しかし遮るもののなくなったおかげで、以前よりはるかに彼の感情が読み取りやすくなった。



「カロスィナトスもご機嫌ですか?」

「ご機嫌だねえ。良いことがあった。」



悪戯に跳ねてみせるカロスィナトスに大きく揺られる。手押し車が音をたてて跳ねた。



「もしかして、」

「黙ろうか。想像はついてると思うけど、実際に見た方が感動するだろう?」



今日はいい日だ。激しい日の光は遮られ、鬱蒼とした木々の間から零れ落ちる日は穏やか。ネルケから麦わら帽子をもらい、カロスィナトス曰く良いことがあった。幸せ、と言うのはたぶんこういった穏やかな状態のことを言うんだろう。ぴたりとカロスィナトスの背に耳をくっつけると話をする彼の声が響いた。



「今日は、木立ち性の苗を持ってきました。」

「木立ち性?」

「花のつく木です。でも普通の木よりも小さい木で……、なんていえば正しいのかわかりません。」

「じゃあ具体的に。」

「バラです。白バラの苗をもらってきました。大苗なので早ければ来春ごろには咲くそうです。」

「バラって育てるの難しそうだけど、」

「意外と丈夫らしいです。綺麗な状態を保つには色々必要みたいですが、育てる分にはそんなに難しくないそうです。……まあ何事も挑戦ですよね。」

「そうだね。でも上手くいったらきっと華やかになるんだろうね。」

「楽しみですね。」



真っ黒い土地は少しずつ緑に変わり始めている。花でいっぱい、というのはまだまだだけど、それでも少しずつ先へと進んでいる。いつか、鮮やかな庭になるだろう。

しかしふと思う。もし、あの庭に花が溢れるようになったら、どうなるのだろう。

街には災厄の炎が訪れず、カロスィナトスの病は治る。果たして、カロスィナトスの言っていた他の患者たちは、どうなるのだろうか。



「パッペル?」



わからないことがまだ多い。それはもしかしたら知る必要のないことなのかもしれないけれど。



「何でもありません。」



穏やかなこの空間で、余計なことを考えない方がきっと良い。幸せの享受に必要なのは、何も考えないことだろうから。

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