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梅雨と怪物の嘘

その日は朝からじめじめとしていた。鉛色の雲に覆われた空は酷く重たげで、明るい日の光を遮断する。カロスィナトスの背に乗っているときは、蛙が茂みから出てくるのを見た。



「カロスィナトス、今日は雨降りそうなので水やりはやめておきましょう。」

「……ああ、そうだね。最近は雨が多い。」

「まあ梅雨ですから。」



梅雨と言えば紫陽花のイメージが強い。少なくとも、グラオザームでは青、紫、白の紫陽花が花を咲かせて街を彩っている。調べてみたら、この時期に紫陽花は挿し木をしても良いらしい。6月から7月にかけて挿し木をする。花が咲くのはずっと先だろうけど、毎年同じ時期に淡い色に染まる紫陽花は安心感にも似た思いを抱かせる。


庭に着いて、鍬を手に地面を耕すカロスィナトスを見ながら、少し生え始めた小さな雑草を引き抜いていた。ここに来始めたころは何一つ生えていなかったことを考えれば、雑草が生えるなんて言うことは凄まじい進歩であるがここに生きる花のためにも彼らは抜き去ってしまう必要がある。以前芽吹いたヒマワリの芽は少しずつ、けれど順調に育ちもう何枚も葉をつけている。マリーゴールドも大きくなりつつあり、花が咲くのはまだ先だろうけど元気そうだ。


ふと、手の甲にポツリと水滴がついた。

パタパタ、と続き水滴が空から降ってくる。



「カロスィナトス!雨!」



柔らかい土を右足で踏みしめ立ち上がる。酷くなる前に森の入り口あたりまで戻り、雨宿りをしなければならない。荷物になるためタオルも傘も持ってきていないため、濡れたら大参事。暖かくなってきているとはいえ風邪をひくのは請け合いだ。カロスィナトスは濡れてもどうってことなさそうだが、コートは重くなるだろう。私の方が森に近いけれど歩くのも遅いためカロスィナトスを置いてさっさと木の下へ避難しようと足早に向かう。しかし当然のごとく彼の腕が後ろから私を抱き上げた。正直この二カ月ほどで自分が遠慮して歩くよりも最初からカロスィナトスに任せた方がはるかに効率が良いため抵抗することも遠慮することもなくなっている。軽々と持ち上げられ視界が高くなる。そのまま森の方へ向かい雨があがるのを待つのだろう。雨季の今、次に晴れるのがいつになるのかわからないけれど。


しかし予想に反し私の視界はぐるりと回る。森の方に向かうはずだったのに私が見ているのは黒い屋敷だった。

そしてカロスィナトスは森の方へ行くことなく、館の方へと歩き出した。



「……カロスィナトス?」



そっちは、怪物の住む屋敷じゃないんですか?その言葉は流石に口から出なかった。静かにカロスィナトスは館の方へ歩みを進める。今まで一度も近づいたことのなかった館が、目の前に迫っていた。大きな扉に彼の手袋に覆われた手がかけられる。



「パッペル。私は君に話さないといけないことがある。」



鉄の嘴から雨粒が一つ垂れた。




**********




雨はまだやまない。窓の外はいくつもの糸が空から垂らされるように地面に吸い込まれ行く。私とカロスィナトスはソファに座り無言で向かい合っていた。雨に濡れたコートは脱いでいるのに、ペストマスクは未だ雨粒を乗せたまま顔を隠していた。



「……私は、嘘を吐いていた。」



おもむろにそう切り出したカロスィナトスはこちらを向いているけれど目が合っているのかすらわからない。



「気づいているとは思うけれど、私は怪物なんだ。」

「……そう、ですか。」



躊躇していた割に単刀直入に言われ一瞬返答に詰まった。今更過ぎる。今更過ぎるがそういえば彼は人間のふりをしていたのだ。最初から随分と適当な嘘で、本人がどういうつもりで言っていたのかも分からなかったが、大真面目だったのかもしれない。

鈍い沈黙が落ち、雨音がやけに大きく聞こえた。無言がひどく居た堪れない。


ふと、カロスィナトスがペストマスクに手を掛けるのを見てギョッとする。今まで見てはいけないもののようにされてきたその顔が、晒されそうになり目が離せなくなる。

ガチャガチャとマスクが外され、帽子も取り払われる。そしてゴーグルの下が明らかになった。



「……っ、」



金色の眼。その色に目を奪われる。

金目の人はグラオザームにいない。深い青髪も見たことはない。


『二本の黒い角を持ち、獣のような藍色の毛と金色の眼をしてる。手足は黒く、身体が大きい、それから口には牙が生え揃っている。』


まさに、それだった。

けれど、それだけだった。

怪物、というにはあまりにも普通だった。



「あなたが、北の館の怪物だったんですね。」

「ああ、きっとそうだろう。」

「……あなたが、人喰いの怪物で、この館の主を食べたんですね。」

「私がっ!?」



目を丸くして手をわたわたとさせる。



「私はカタラを食べてなんかない!人を食べるなんて恐ろしいこと……!」



異形だ。けれどそれは見た目だけ。口を開けばひどく普通の人間だった。

そんなことはしていない、と黒い手を振りながら必死に弁解する。その様子に嘘の類は見えない。それどころか、きっと彼は人喰いと恐れられていることさえも知らなかったのだろう。口から覗く牙は恐ろしいものなのだろうけど、中身は人間と変わらない。



「グラオザームでは、怪物が来たの屋敷に訪れ、館の主を食べてしまったと言われ恐れられています。」

「……それでここに来た住人たちはすぐに逃げ出していたのか……、」



あからさまに落ち込んで見せるカロスィナトス。本人はただ見た目が怖いからだけだと思っていたらしい。人喰いという根も葉もない設定のせいであれほどまでに恐れられ続けていたのだ。



「……じゃあなぜ君がここに?恐れられているなら君みたいな娘を送ってくるとは思えない。」



至って自然な質問だ。想像していただけに、鳩尾が冷たくなる。

勝手な話だが、あまり詳しく話したいとは思えなかった。


カロスィナトスはここでの私しか知らない。ちまちまと裁縫をして日銭を稼いでいることも、憐れみの眼を人々から向けられていることも、下位のカーストに甘んじることで生き延びていることも、知らない。それを今までどうこう思ったことはなかった。それしか生きる道はなく、生きるための知恵だった。けれど今私は、それを彼に知られたくない。みっともない、情けない、恥ずかしい、そんな気持ちが湧いて来る。


何も知らないからこそ、カロスィナトスは何も気にすることなく聞いて来るのだ。言葉を選び、あくまでも客観的に簡潔に話をまとめる。



「私は家族がいません。それにこの足のせいで大して仕事をすることもできません。……街の中で、私が一番、居なくなっても困らなかったからです。だから、選ばれました。」



自覚はしていた。ずっとわかってた。けれど自分の口でこの現状を説明するというのは、あまりにも惨めだった。



「それで、君が……、」

「はい……、」



どこを見たらいいかわからず、下を向く。すると自然と木の左足が視界に入って、また苦しくなった。そろり、と視線を上げると考えるように顎を撫でるカロスィナトスが見える。ペストマスクを外していても、その横顔が何を考えているか私にはわからない。



「……君は、なんで初めて私と会った時逃げなかったんだ?君も私が人喰いの怪物だと聞いていたんだろう。」

「それは、違うんです。……逃げなかったんじゃなくて、逃げられなかったんです。」



絞り出すように、目を伏せて答えた。

私はあの時逃げようとした。後ろから迫る人喰いの怪物から逃れるためにもがいていた。けれど義足が上手く動かず、辛うじて身体を起こすことくらいしかできなかった。逃げようとしなかったんじゃなく、私はただ逃げられなかった。逃げることに失敗して、カロスィナトスに抱き起されたのだ。

彼の顔を見ることができない。どんな顔をしているのか、知るのが恐ろしい。



「パッペル、君は私が怖いか?」



怒るでもなく、悲しむでもなく、カロスィナトスは静かにそう訊いた。

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