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推測と怪物の喜び

ゴロゴロ、ガツ、ゴロゴロ、ガツ。


大きな車輪の音がしても、もう誰も目をむいたりはしない。慣れたようで、視界の端で音の原因を捉えていつものことだと興味を失くす。私自身、もう北の庭に向かうことに何ら感慨も持っていない。行っても何か危険があるわけではないのだ。私はただあの庭に花の種を蒔き、世話するだけ。穏やかな怪物と共に。

街のずっと北にある、荒れ果てた庭に通い始めて一週間ほど経った。大体一日ごとに街と庭をと行き来している。もっとも、街に帰ってくる頃には疲れ切っていてほとんど寝て過ごしている。街ですることと言えば町長に報告する、寝る、食料を買う、花の種や土をもらう、その程度だ。それらができると大体日付が変わっていて、朝のうちに森に入る。森に入ると鳥の鳴き声がして、それからしばらく経ってからカロスィナトスが迎えに来るのだ。彼が運んでくれると大幅に時間が短縮できるし、体力も使わずに済むため助かってる。私が歩くと庭にたどり着くころには日が暮れてしまう。



「カロスィナトス?」

「何だ?」

「もしかして機嫌良いですか?」



帽子とコートの間から覗く青髪と白い首を眺めながら揺られていると、なんとなくそう感じた。何かが明らかに違うわけではないけれど、心なしか足取りが軽く伝わってくる揺れが大きい。憶測だったけれど、それは正しかったらしく、カロスィナトスは喉でクツクツと笑った。



「……まあね。パッペルもそのうちわかるよ。」

「それは、楽しみですね。」



心当たりは、ない。けれどきっと庭に何かがあったのだろう。でも楽し気にしている彼を見て詮索するのはやめて、着いてからの楽しみにしておく。勝手にあれこれ推測するのは喜びに水を差すだろうから。



「そういえば、今日は手押し車の中身が違うね。何の草だい?」

「草じゃないです。マリーゴールドです。」

「これが?」



ゴーグル越しに緑色の芽をジッと見た。不思議そうな、怪訝そうなそれに少し得意になりながら背中越しにマリーゴールドの説明をする。



「マリーゴールドは種からも育てられますが、挿し芽をすることも多いそうです。」

「挿し芽?」

「はい。すでに大きくなったマリーゴールドの枝を少し切って、それを花壇に挿すみたいです。挿した後は土が乾かないように注意すること。肥料はあまり与えない方が良いらしいです。」



覚えてきたばかりの本の内容をカロスィナトスに話す。もっとも、これ以上何かを聞かれても答えられないのだけれど。



「すごいなあ。切られたのに、生きてるんだね。」

「植物は強いですね。」

「何で肥料は与えない方が良いんだ?栄養はあればあるほどいいんじゃないのか?」

「わかりません。本で読んだだけですから。」

「難しいなあ。」



ぐんぐんと進むカロスィナトスの長い脚。気づけば森の終わりだった。木々の先には相変わらず真っ黒い地面が見える。まだそう長い間種を蒔いているわけではないけれど、こうも代わり映えしないとモチベーションが下がってしまいそうになる。私のモチベーションなど、誰も構いやしないのだけれど。

いつもと変わらない、と思ったが、カロスィナトスは森を抜けてからも何やらソワソワしている。いつもなら割とすぐに私を地面に下ろすのに、今日は何故か背負ったままだ。



「嬉しそうですね。」

「君もきっとすぐにうれしくなるさ。」



長い脚が少し緩められて、黒い地面を柔らかく踏む。彼が向かっているのは私が最初に種を蒔いたあたりだった。

一体何が、と思ったところで黒い地面の異変に気が付いた。



「カロスィナトス!」

「ああ、」

「芽が!」



煩かっただろうに、彼は機嫌よさげに笑っていくつか芽の出ている地面の側に私をそっと下ろした。柔らかい土に勢いよく膝をつき、緑の芽を見る。小さいけれど、いくつも黒い地面から顔を出していた。ひょこひょこと出た芽は柔らかそうな淡い緑色で、豆粒よりももっと小さな葉っぱが二つ、顔を近づけた私の声に揺れた。

ドキドキと胸が音をたてる。じわじわとお腹のあたりが暖かくなって、たぶんこれが「喜びがこみ上げる」という感覚なのだろう、と小さくため息を吐いた。



「すごいだろう?」

「すごいですね……!」



喜びとか、驚きとか、表現する言葉が上手く出てこなくてすごい、としか言えなくなっている。

正しい育て方なんて知らず、怯えながらぞんざいに土を撒き、種を蒔いた。たぶん、それは十分ではなかっただろうし、もっと良い蒔き方もあったんだと思う。それでも芽吹いてくれた。それが途方もなくうれしかった。



「ありがとう、パッペル。」

「何がですか?」

「君がいてくれたから、こうして花が芽を出した。君がいなければ、花を咲かせるなんて何年たってもできなかったかもしれない。」

「……それは、咲いてから言ってください。」



あ、と思う前に可愛くないことが先に口から出て、一瞬で後悔する。

でもこうも真正面からお礼を言われると座りが悪くて逃げ出したくなってしまう。お礼を言われるのも、感謝されるのも、慣れていない。素直にありがとう、と言えるくらいにはなりたいけれど、どうしても否定の言葉が先に出てしまう。



「それじゃあ、咲いたらもう一度言うよ。」



だからまるで気にした様子を見せず朗らかに言うカロスィナトスに安堵の息を吐いた。



「この花はいつ咲くんだろうか。」

「たぶん、順調にいけば夏ごろには咲きます。」



巾着の中から、初日に蒔いた種の残りを出す。楕円で白と黒の縞模様が入っている。



「この種はヒマワリの種だったみたいです。知らずにまいていましたが、春に蒔いて夏に咲くそうです。」

「……ああ、夏に咲く背の高い、黄色の花だね。」



どんな知識をどこまで持っているか、よくわからない怪物の彼も、ヒマワリのことは知っていたらしい。ヒマワリは夏になると咲く花で、春の終わりごろに蒔いたのはちょうどよかった。きっと時期のことも考えて町の人は私に種を持たせたのだろうけど。



「たぶん、この庭で一番最初に開花するのはヒマワリでしょうね。」

「そうか……楽しみだね。」



真っ黒い庭、一本の草すらも生えていない死んだ土地と呼ばれた庭に、小さな緑が芽吹いた。数カ月で大きく、太陽のような花が咲く。それは魁に相応しい、希望の花だ。

花いっぱいなんて、夢のまた先だ。それでも今その入り口に立てた気がする。


『花を植えるなんて無理だ!』


いつかに聞いた言葉。きっと街の人の誰もがそう思ってる。



「無理なんかじゃない。」



花は咲く。私たちが怖がっても、恐れても、忌み嫌う土地だとしても、花は素知らぬ顔で育ってみせる。そこに生きるために必要なものさえあれば。



「無理なんかじゃないよ。」



独り言のはずだった言葉を、カロスィナトスに拾われる。同じものを見ていても、同じことを言っていても、言葉の意味はおそらく違う。返す言葉なく、私は小さな芽を見た。


私は占い師の予言に抗うため、自分を育ててくれた街に報いるために花を育てる。

カロスィナトスは何のために、ここで花を咲かせようとしているのだろうか。


ここには誰もいない。夜の間、館に明かりが灯ることはない。館の主たる怪物のカロスィナトスが私と共に外にいるから。ここには、カロスィナトス以外誰もいない。ここに花を咲かせても、見る者も、気が付くものもカロスィナトス以外にいなかった。それこそ、私たちが予言によってここに連れてこられるまでは。

花を咲かせて、誰かに見せるのか。その誰かを花を育てながら待っているのか。花を咲かせると何かが起こるのか。その真意はわからない。


でもそれはきっと、ただこの黒い土地に花を咲かせるという共通の目的のために集まっている私たちには些細なことなのだろう。



「パッペル、マリーゴールドの植え方を教えてくれるかい。」



マスクの下が見えなくても、ゴーグルの先の眼が見えなくても、何の問題もない。



「はい、それじゃあ少し水を持ってきてもらっても良いですか?」

「わかった。」



私の言うがままにテキパキと動き出す彼の背を見送りながら、マリーゴールドの枝を手に取った。




**********




朝方、街に帰ってきて町長の家を訪れる。早すぎるとバタバタしてしまうため、森から戻るのは日も上りきった午前中にしている。



「パッペル、ありがとう。何か変わりはあったかい?」

「はい。初日に植えたヒマワリが芽を出しました。」



至って平静を務めて報告すると、町長が小さな眼をまん丸にした。得意げになりそうになるが、それをそっと押し込めて、お茶と共に出されたスコーンを手に取る。



「本当に、あの土地で……!」

「ええ、案外大丈夫そうです。必要な土や肥料は街から持って行ってますし。この分なら他の花も大丈夫そうです。」



驚愕のあまり落ち着きを失くした彼に、可愛いですよ。見に来ますか?と冗談交じりに聞いてみると遠慮という体を装った拒否の返事をもらう。十分予想通りだったので特に気にすることもない。みんなでやれば、あっという間に花が咲くだろうに、いまだ彼らはあの屋敷を、庭を怖がったままだ。



「いつもすまないね、パッペル。」

「大丈夫です。最近は少し楽しくなってきましたし。」



ほっと安堵の息を吐く町長に、言うべきではなかったかなとも思う。せっかく罪悪感を感じてもらってるのに、自分でわざわざ相手を許すような言葉を口にするべきではなかった。死にに行かせている、という街の人たちの客観的共通認識は変わっていないのだから。

それでもそれは事実だった。私はあの場所で穏やかに花を育てることが嫌いじゃない。あの場所は殺風景で何もない。静かな館と、よく喋る怪物だけがあの場所にいる。騒がしい声も、うるさい視線も、余計なものはなにもない。何もないからこそ、安心にもよく似たものがそこにはあった。


大方の報告も済み、部屋を辞そうとしたところで思い出す。



「一つ聞いても良いですか?」

「何だい?私の知っていることであれば。」



一つの推測があった。

北の森の奥、大きな館がある。その館には青年が住んでいた。しかし青年は怪物に食べられてしまった。今屋敷には人喰いの怪物しかいない。しかし人喰いの怪物とされるカロスィナトスに、そのような殺伐としたものは感じられない。

では食べられたとされるその青年はどこへ行ったのか。



「以前、北の森の館に住んでいた青年がいたそうですね。」

「ああ、あまり街に出てこなかったが、物静かそうな青年だったよ。」

「なんていう、名前でしたか?」



町長は二重顎を手で撫でながら、記憶を手繰り寄せるように視線を彷徨わせた。戸惑っている、と言うよりも単純に古い記憶を呼び起こすように。

しばらくぽろぽろと青年に関する情報がその口から出てきて、それからようやくその名前が呼ばれた。



「そうだ、名前は確かカタラ・ポルタだ。まだ十代で、若かった。」

「カタラ、ポルタ……。」



カロスィナトス、ではない。

確信にも近かった推測があっさりと覆され、納得いかないような不完全燃焼な思いを抱えて私は自分の家へと足を向けた。



怪物の正体は件の青年だと勝手に思い込んでいた。

人間が怪物になるなんて、そんなお伽噺のような話を信じるのは幼子だけ。けれどこうもまざまざと怪物というあるわけのない異形を見てしまえば、どんな不思議なことが起こってももう疑う気さえもなくなってしまう。

角を持つ大きな怪物だって、人の言葉を解する鳥だって、人間を怪物に変える魔法使いだって、いてもおかしくなどない。むしろいて当然のように思えてくる。


でも違った。カロスィナトスと淀みなく名乗った彼は、館の主である青年ではなかった。


人喰いというには優しすぎる怪物。大きいのに誰一人として人間がいない館。植物のない黒い庭。消えた若い館の主。


青年、カタラ・ポルタは果たしてどこへ行ってしまったのだろうか。

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