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新月と善意の怪物

ポカポカと身体が暖かかった。邪魔じゃないって、言ってくれた。ずっと生きる意味なんてあるのか、私は生きていていいのか、と思い続けていた。誰かのために働けるほど、動けない。それどころか周りの人間がいなければ生きていけない、脆弱な私。だから、まるで生贄のように北の森へと差し向けられたときも恨みつらみを腹の底で抱えながらも、文句ひとつ言わずに従った。役に立てるなら、と。役に立てない私を使ってもらえる。そんな仄暗い喜びさえもあったのかもしれない。認めてもらえなければ、生きていていいのかすらわからない。身体どころか心も弱かった。

でも、カロスィナトスは認めてくれた。嘘なんてなく、邪魔じゃないって楽しいって、言ってくれた。怪物の姿をした彼は、誰よりも優しくて、誰よりも暖かくて、手を差し伸べてくれた。いっそ苦しいほどに幸せだった。みっともなく泣いた私を、面倒くさがるでも呆れるでもなく落ち着くまで撫でてくれていて。今更ながら気恥ずかしくなって、頭を触るとまだその感覚が残っているようだった。


もう夜の帳も降りているのに、眠れない。これほどの幸福感を抱えて寝れば、きっといい夢が見られるだろうに。でもこのまま眠りに落ちてしまうのはなんだかもったいない気がして。窓から差し込む仄かな明かりが暗い部屋の床に落ちる。

春が疎ましかった。花の咲く春、この幸せが終わってしまうと。秘め事のようにあの場所へ行くこともなくなると思うと、春なんて来なくていいと。花なんて咲かなくていいと。私だけの友人でいてくれないなら。私たちだけの庭であれないのなら。


「望むなら、どこへでも行こう」


その言葉がどれほど私を舞い上がらせるのか、カロスィナトスはきっと知らない。終わりじゃない。終わらない。春が来ても、花が咲いても、彼の呪いが解けても、終わりじゃない。言い分がなくても、建前がなくても一緒にいられる。途端に現金なようで、春が来るのが待ち遠しくなる。知らないところへ行きたい。見たことのない世界へ行きたい。きっと彼と見る世界は私の知る何もかもより美しいだろうから。

あれもしたい、これもしたい。なんて祭りの前に浮き足立ち眠れない子供のような心地に恥ずかしさを覚えるが、それ以上に嬉しくなった。未来が待ち遠しくなるなんて、未来を夢想するなんていったいいつぶりなのだろう。一日一日を必死に生きていたころの私には決してできなかったことだ。未来は明るく、眩しい。


ふと、家の外で何かが落ちる音を聞いた。

風で何かが落ちたのかと気にも留めなかったのだが、すぐにその何かが拾われる音を聞いた。



「誰か……?」



誰かがいる。落としたのは人間だ。

暖かったはずの胸がざわつく。何かがおかしい。もう日も落ちて随分と時間がたっている。普段なら外から何の音もしない。静まり返っているはずなのに。耳を澄ませばもっといろんな音が聞こえた。人の声、足音、息遣い、何かの燃える音。おかしい。こんな夜遅くに、皆して何をしてるのか。嫌な汗が流れる。外を動き回る人は、一人や二人じゃきかない。いや、むしろ町人総出とでもいうような。何かが起ころうとしていた。


寝るために外していた義足を装着し、外に出る。空を見上げて自分の察しの悪さに舌打ちをしたくなった。今日は新月だ。窓の外から部屋の中に明かりが入るはずがない。つまり外からの明かりは松明だった。だれかが外で動き回るための。もっと早く気づいてもよかったのだ。

ガツガツと鈍い音をたてるどんくさい脚に苛立ちながら路地裏を通って人のいるだろう方へ向かう。予想通り、広場には多くの人が集まっていた。真夜中だというのに広場は高校と赤い明かりに照らされて明るい。何か会議でもしているのかとも思ったが、それも違う。もっと、流動的だ。人が入れ代わり立ち代わり、現れては姿を消している。逆光で見えにくい中、中心に町長がいるのが見えた。ざわざわと喧しい声を拾う。


「北の森」

「怪物のいる」

「森を抜けて」

「その先」

「退治」

「私たちの手で」

「やり直して、」


聞こえづらく、話が掴めない。もう少し聞きやすいように、と近づこうとしたとき、後ろから腕を引かれた。



「っ!!」

「違っ、待って!パッペル!私!ネルケよ!」



反射的に振り払い、逃げ出そうとしたところで、私の腕を掴んでいた手が白く華奢なことに気が付く。



「ネル、ケ……?」

「……パッペル、もう真夜中だよ。お家に帰って寝よ?」



何故、箱入り娘である彼女がこんな夜更けに外で。自分のことを棚に上げて、茫然としながら彼女を見る。しかし彼女は何かに急かされているようで、茫然としている私に気が付かない。



「疲れてるでしょう?外がちょっとうるさいかもしれないけど、気にしなくていいよ。」

「待って、ネルケ。ネルケはこれが何か知ってるの?」



真正面から橙の日を浴びる彼女の顔には深い陰影が落とされた。しかしその顔は仄かに笑みを浮かべている。まるで安心させるように。きっと日の下で見たなら聖母のような表情を浮かべているのだろう。けれど今の私には魔女や鬼のようにしか見えなかった。



「大丈夫だよ、パッペル。怖い物なんてないから。」

「何を言って……?」

「怖いものなんて、なくなるから。」



私の両手をとって、彼女はにこりと微笑んだ。爪先から頭のてっぺんまでゾワリとした悪寒が駆け抜ける。寒いくらいのはずなのに、汗が流れるのを感じた。

何かがおかしい。何かが起きようとしている。何かが起こされようとしてる。



「っネルケ、何をしようとしてるの?何が起きようとしてるの?」

「大丈夫、大丈夫だよ。怖い物なんてなくなるから。」

「だから怖い物って、」

「そしたら私も一緒に森へ行けるでしょう?誰もパッペルのことだって疑わなくなる。」



『怖いもの』が何なのかそれでわかった。

彼女の言う『怖いもの』私にとっての『大事な人』だった。



「待って、ネルケやめて!」

「大丈夫、パッペル。パッペルは今から家に帰って寝るだけでいい。そうしたら、朝には全部『終わってる』から。ね?」



終わってしまう。夜明けまでに、何かをしようとしている。朝までに、私の大切なものは奪われそうになっている。

幸福感なんてあっという間に霧散してひたすら恐怖に胸を占められる。

カロスィナトスが、危ない。



「私、行かなきゃ、」

「パッペル、私見たの。」

「何をっ!」

「今朝、森から街へ来るあなたの後ろ姿をじっと見てる、化け物を。」



頭が真っ白になった。

見られていた。誰も周りにいないから、と過信していた。



「おぞましい化け物ね。あんな大きな角をはやして、黒い手をして……それにあんなに大きな身体。あんなのにパッペルが近づいたら……、」

「ちがっ……、」

「大丈夫、もう怖がらなくていいから。パッペルは会ったことなかったんだよね。きっとあれはずっとあなたのこと遠くから見てたのよ。隙を見てパッペルのことを食べようとしていたのよ。」



違う違う違う。何もかもが違う。

カロスィナトスは人を襲ったり食べたりしない。彼は化け物なんかじゃない、人だ。私の側にいて、助けようとしてくれる。私のことを森まで迎えに来てくれる。送ってくれる。

怖くなんてない。恐ろしさなんてない。私の知る誰よりも優しい人。



「だから私、パパに言ったの。」

「え……?」

「怪物がいるせいで花を育てに行けないなら、怪物がいなくなればいいって。」



言葉を失った。そしてわからなくなった。

私の前にいる彼女は、優しくて、純粋培養なのかというほど無垢な箱入り娘のはずだ。なのに目の前の彼女は恐ろしいことをとうとうと語り始める。



「怪物がいて近づけないなら殺してしまえば良いでしょう?でもあんなに大きくて恐ろしいから、焼き討ちにすればいいって。」

「焼き、」

「全部燃やしちゃうの。近づくのも危ないから、ある程度近づいて、そこから火をつける。四方から炎で囲めば、屋敷に住み着いてる怪物の逃げ場もないわ。そのまま焼き殺しちゃえばいい。」



彼女は一体、カロスィナトスのどこが恐ろしいといったのだろうか。彼女の方がずっと恐ろしいのに。誰かを傷つけることを嬉々として語る彼女は、誰より何より恐ろしいはずなのに。



「全部、」

「……ごめんね、パッペル。パッペルが植えてきた花のあると思うけど……、全部焼いてからやり直しましょ?今度は私たちも手伝うから。この街みたいにいろんな花を植えるの。怪物がいた後なんて跡形もなくして、綺麗な花畑を森に作るの。そうすれば占い師の予言だって防げるわ。」



違う違う、そんなのいらない。新しくした花畑なんて、カロスィナトスのいない花畑なんて、いらない。

愕然とする私なんて知らないように、ネルケが私を抱きしめた。



「今まで一人で怖い思いさせてごめんね。これからは、私もいるから。」



美しい娘のはずだった。無垢な笑顔を振りまき、誰の眼にも愛らしく映るような、そんな友人。でも今の彼女にはおぞましさしか感じなかった。


私の話をまるで聞こうとしない彼女は正しく『善意の怪物』だった。

良かれと思って、私の大切なものを壊そうと、奪い去ろうとする。私の意見なんて、聞かないで。なくなったなら、新しいのをあげるから、と。信じられないようなことを彼女は慈愛の込められた瞳で言う。


気持ち悪い。とにかく気持ち悪かった。私を抱きしめる腕が、私を見つめる瞳が、美しく作られた笑顔が、おぞましかった。



「っ……!」



反射的にネルケを突き飛ばす。両手を突っぱねるように突き放されたネルケはふらついて尻餅を突いた。どこか冷静な部分が、町長の愛娘にこんなことをしてはこの街で生きてはいけないな、と言う。



「パッペル、何で……?」



縋るような目を向けるネルケに背を向けて私は逃げ出した。うまく動かない足を引き摺って、彼女から離れた。善意の怪物は、それ以上追ってこなかった。それをいいことに私は森へと向かう。いつもとは違う道。いつもはいる道は街の人々がひっきりなしに出入りしていた。どうやらネルケの言っていたのことは本当だったらしい。



「カロスィナトス……!」



早く、早く知らせなければ。どうか逃げてほしいと。貴方を害そうとする人が向かっていると。

私は死に物狂いで夜の森へと踏み入れた。

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