球根と未来の庭
春に向けて、私は着々と花の種や球根を集めていた。何をどこに植えるか、どんな準備が必要か、どんな肥料が必要になるか。本を借りて読んだり、花屋のおばさんに話を聞いたり。春に庭を完成させる予定だと町長には話しておいた。ほっと肩をなでおろしていた町長は、災厄の炎を防ぐことができることに安堵したのか、それとも私を一人北の庭に送る罪悪感から解放されることに安堵したのか。心なしか寂しくなった頭頂部を見れば、彼もまた相当のストレスに襲われていたのだろう。最初こそ、苛立ちや怒りもあったが、町長も大変なんだなあと思うだけの心の余裕ができていた。
冬に入り始め、どこにいても寒い。マフラーを口元まで上げて、軍手を手袋がわりに森へと入っていく。森の中は葉の落ちることのない木々に日光を遮られ、なおのこと寒い。鳥が数羽飛んできて、また森の奥へと戻っていく。おそらくカロスィナトスに伝えに行ったのだろう。冬はひもじい。家にいても寒いし、食べ物も少なくなるため町の中の物価も上がる。毎年身体を縮こまらせて冬が過ぎるのをひたすらに待っていた。けれど今年は違う。森の奥の屋敷に行けば、寒さはしのげる。少なくとも、私の家と違って隙間風なんかとは無縁だ。そのうえあそこには暖炉がある。薪自体はたくさんあるから、とカロスィナトスが前に言っていた。こういうのは何だけど、カロスィナトスのところに行けば暖かいし、パンもくれる。彼は料理人見習いだったらしい。はっきり聞いたわけじゃないけど、彼はぽつぽつと零すように昔、人間だったころの話をする。彼は、昔料理人を目指していて、屋敷で働いていた。青い髪と高い身長は怪物になる前からそうだったらしい。それからカロスィナトスは北から来たらしい。彼の年はわからないため、いったいいつ頃だったのかわからないけれど、子供のころは、グラオザームよりもずっと北に住んでいた。よく、雪が降るところで、となかいもいたと。となかいが何か分からないけれど、懐かしそうな彼の話の邪魔をしたくなくて知ったふりをした。たぶん、北の方に住む特有の生き物なのだろう。
「パッペル、おいで。」
木々の間からぬっと現れるカロスィナトスにもう驚きはしない。いつものように私の前にしゃがみ込むカロスィナトスの背に乗る。自分よりもずっと高い視界にも慣れた。ゴロゴロと手押し車を押しながら歩くカロスィナトスは特に防寒と言うに相応しい格好はしていない。春に会ったときとほとんど変わらない格好だ。コートに帽子、ペストマスクをしていないだけむしろ前よりも寒そうに見える。おまけに以前していた手袋も今はしていない。おそらく、黒い手を隠すためにしていたのだろうが、寒くなってきのただから防寒として身につければよいのに。
「カロスィナトスは寒くないんですか?」
「……そうだね。昔と比べて寒いと思わなくなった。この手足じゃ霜焼けもできないし。」
黒々とした手は、確かに丈夫そうでとても赤くはなりそうにない。どうも彼に手袋、靴下は不要なようだ。ふと、目の前の白い首筋が目に入る。手足は黒いという。しかし普通の人間らしい見た目をしている首はどうなのだろうか。悪戯心で、着けていた軍手を上着のポケットに突っ込み、指先の赤くなった手をピタリとその首に当ててみた。
「っ!!」
びゃっ、とカロスィナトスが跳ねる。手押し車の中身大きな音をたてた。
「パッペル……、」
「すみません、つい。」
ジトリ、と金色の眼に肩越しに睨まれるが、らしからぬ可愛らしい反応に頬を緩ませずにはいられない。手はともかく、首は寒いらしい。睨まれただけで、注意もされなかったことに味を占めてその首を触り続けていると体温がうつってじんわりと手が暖かくなる。クスクスと笑うと文句を言うようにカロスィナトスは背に乗る私を揺さぶった。
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ヒマワリもコスモスも終わった庭は閑散としているけれど、今は春に向けて準備をしている段階だ。良い土を、花が咲いていられるような土を作る。鍬を振るうカロスィナトスを横目に、私は土の上に座り込み、チューリップの球根を植えていた。小さめのスコップを柔らかくほぐされた地面に突き立てると簡単に抉れる。時々その穴に手を突っ込んで球根二個分、10センチほどになるまで調整する。それからコロリ、と丸々とした球根をその中に入れた。これを花屋のおばさんに聞いたとき不安だったが、どうもそういうものらしい。深い所に植え、冬の間土の中で育ち、地面から顔を出す。そして春には花を咲かせるのだ。グラオザームの街にも至る所で春にはチューリップが咲いている。球根のまま売買できるチューリップは輸出用にも重宝されていると言っていた。何種類か似たものを買ってきたが、手押し車の中で転がっているうちにどれが何色だったか忘れてしまった。まあ春になればわかるだろうという楽観的な気持ちでいる。色がばらついてしまうかもしれないけれど、なんだかそれさえも楽しみになっていた。つん、と上を向く球根にホクホクとした土をかぶせる。球根に布団をかけているような心地だ。
少しずつ横にずれながら作業していると、大きな影が差す。
「大方耕し終わったから私も手伝うよ。」
「あ、じゃああっちに置いてあるパンジーを持ってきてくれますか?」
庭の端に置かれたパンジーの苗を指さす。花は咲いていない緑色の葉っぱだけが見える。
「ここはチューリップを植えるんじゃないのかい?」
「チューリップはパンジーと一緒に植えると良いらしいです。」
曰く、チューリップの球根は植えてしまうと地面からは何も見えない。そのため寂しい上に水やりのモチベーションが上がらない。そこで球根の上にパンジーやビオラを植えるのだ。そうしておけば場所を見失わず、モチベーションも維持できる。もちろん暖かくなればチューリップの芽が顔を出すため、パンジーの苗は球根と少しずらして植える。春になるとパンジーの中からチューリップが咲くらしい。球根と苗の二段構えはチューリップとパンジーが定番の組合せらしい。
「それはまた、豪華な庭になりそうだね。」
「ええ、春が楽しみです。」
冬のうちにいろいろ植えよう。
ムスカリ、ガーベラ、スノーフレーク、クロッカス、アネモネ。
彩りとか見目のよさとかはわからない。咲いてみれば分かるだろう。半年もしないうちに、きっとこの庭は花でいっぱいになるだろう。黒い土地なんてもうない。死んだ土地なんて存在しない。綺麗な花が咲き乱れた生き生きとした庭になる。
災厄の炎はきっと町を襲わない。
怪物となる奇病はきっと消え失せる。
ここは平和で美しい、草花と果実の街の一画となるだろう。
それはきっといいことで、誰もが笑っていられる、誰もが幸せになる終わりだ。
それでも思うところがある。花が咲けば、私はもうここに用はない。花を咲かせるために遣わされた。花が咲いた。それでおしまいだ。私はまた、グラオザームで針仕事をする毎日に戻る。何の楽しみもなく、生きるために生きる日々。
カロスィナトスの病気も治る。そしたら彼は街へと出られる。今までと違って、街の人たち交流ができる。街の中で生きていける。
今、彼と話していられるのは私だけだ。誰も怖がって彼に近寄ったりしない。けれど、病気が治ってしまえばカロスィナトスは私から離れていってしまうだろう。偏屈で、根暗な私とわざわざ一緒にいたいと思うわけがない。今は私だけ。選べないから。でも病気が治れば、彼は関わる人選べる。もっと元気で、明るくて陽気な人達と彼は交流を持つのだろう。彼は優しくて、親切だから、きっとみんなに受け入れられる。
それできっと、私のことも忘れてしまうのだろう。
そう思うと、いつか花で満たされる庭でさえ苦々しく見えてしまう。
花咲き乱れるいつかの春、それが私たちの終わりだ。
少し先に見えるハッピーエンドは、享受するには苦しすぎた。
「パッペル、どうかしたかい?」
「……いいえ、」
いっそ咲かないでいてくれればいいのに、そんな気持ちはかけらも出さない。気づかれれば、きっと軽蔑されてしまうから。独占したいなんて、身の程知らずだ。
「春、楽しみですね。」
目を見たら、嘘だとばれてしまう気がして、私は未だ咲かない庭を見た。
その日の夕方グラオザームの郊外で、三軒の民家が焼けた。