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予言と怪物の庭


草花と果実の街、グラオザーム。平和で何の憂いも持たぬ、開かれた花の街。多くの観光客が集まり、草花や果実の交易で栄えていた。

ある日そこにひとりの占い師が訪れる。国中を旅をする占い師は数日とどまり、そして去って行った。



「北の大地に花が咲き乱れなければ、この街は災厄の炎に襲われるでしょう。」



一つ、不穏な予言を残して。

草木と果実の街、グラオザーム。そこにはいつだって色とりどりの花が咲き乱れていた。春には桜が、夏には紫陽花が、秋には桔梗が、冬には椿が。街中どこだって、花のない所なんてない。ただ一つ、北の森を除いて。

薄暗い、木の根の張り巡らされた悪路の進んで進んでその先に。荒れ果てた黒々とした庭がある。草木と果実の街の一画であるというのに、一つの花さえも、一本の草さえも存在しない、死んだ大地。そこには誰も立ち入らない。人っ子一人いない隔絶された土地。そこにいるのは庭の主、巨大な館の主ただ一人だけ。



「き、北の地は草木の生えない不毛の土地です!花なんて咲くはずが……、」

「私はただ、占いの結果をお伝えしただけですから。」



にべもない占い師の言葉に人々は途方に暮れた。

もしかしたら、北の大地にも花が咲くかもしれない。かつてその地には確かに花が咲いていたのだから。館の主が、怪物に喰われるまでは。

死んだ大地に住むのは、主を喰い殺した恐ろしい怪物だけだ。

誰もが怪物を恐れ、北の森へは近づかない。かつて怜悧な瞳をもった青年が館の主であった。だが十年以上も前、突然青年は姿を消し、怪物が館に住み着いた。ちょうどそのころから、北の地は不毛の土地となったのだ。

今まで避け続けてきた、忌避し続けてきた怪物の領域。あの領域に入り、草木を育て花を咲かせるなど、不可能だ。たとえその地に花を咲かせる力があっても、誰も怪物の住む場所に近づけない。近づく勇気などない。



「どうする、誰が……、」

「あの場所に花を咲かせるなんて、」

「誰が行く。怪物は屋敷の主を喰い殺したんだぞ。」

「近づける人間なんて、」



花を咲かせなくては、災厄の炎とやらに襲われる。

花を咲かせるために怪物の庭に入れば喰い殺される。

どちらを選んでも、死しかなかった。



「私は嫌だ。私には妻と娘がいる。」

「俺だって無理だ!身体の弱った両親がいる。」

「じゃあ誰なら、行くことができる。」



頭を抱えた人々の脳裏に、一人の存在が過った。

街に住み、家族はいない。不自由なその身体ゆえに若いのに少しの仕事しかできない。

パッペルという義足の少女。



「パッペル、頼めるか?君しかいないんだ。」



お願い、という形をとっているが、それはもう決定事項だった。皆家族がいる。皆、死にたくない。家族がおらず、片足を失い木の義足をつけた少女は御誂え向きだった。



「はい、この街のためなら、喜んで。」



少女は諦めたように目を伏せた。




***********




ゴロゴロ、ゴロゴロ、音をたてて手押し車が街の中を進む。手押し車の中には、肥料の混ぜられた土、数種類の小さな苗が入れられている。

ゴロゴロ、ガツ、ゴロゴロ、ガツ。車輪の音と、地面を蹴る義足の音に、皆何事かと見に来て、そっと目を逸らした。石畳に手押し車が跳ねて土を少しずつ零す。けれど私にそれを拾うだけの余裕はなくて、私の歩いた後に軟らかい土が点々と道を作っていた。

手押し車は、ひどく重かった。土が入っていることももちろんだけど、これから私が向かう場所のことを考えると、一歩進むごとに重くなっているような気がしてた。


街のはずれの森の奥、人喰いの怪物がいるという。

怖がって誰も近づかない。近づけない。それなのに、街を訪れたという占い師が厄介な予言をした。北の大地に花が咲かなければ、災厄に襲われる、と。占いなんて、予言なんて馬鹿馬鹿しい。占い師さえ居なければ、私がこうして手押し車を押すこともなく家で縫物ができたはずなのに。低賃金でも、安全な仕事。

木の義足は、いつもより酷使されているのを訴えるようにギシリと音をたてた。



「パッペル!」

「……ネルケ。」



誰も私に近づこうとしない中、一人の少女が飛び出してきた。ネルケ・ハイドン。町長の一人娘で、数少ない私の友人だった。声を掛けられて、少しだけ安堵する。



「本当に行くの?森の向こうには化け物がいるんだよ?」

「知ってる。でも行かなきゃいけないから。」

「でもパッペルじゃなくても……、」

「私しかいないって。」



私しかいないって、そう言ったのが自分の父親だなんて夢にも思わないんだろうな、と思いながら少しだけ微笑む。箱入り娘のように蝶よ花よと育てられた彼女は、きっと綺麗な場所しか知らないんだろう。そして多分、知る必要はない。



「私には、家族がいないから悲しむ人がいない。私がいなくなっても問題ない。そうでしょう?」

「私がっ、私が悲しむよ!」



瞳を潤ませてそう訴えるネルケの頭を撫でた。私とは比べ物にならないくらい艶のある髪が指に絡む。



「……ネルケが悲しんでくれるなら、それだけでうれしいよ。」



一瞬だけ、「じゃあ代わってくれる?」という言葉がよぎったけれど、口から出ることはなかった。これで彼女と会うのも最後かもしれないのに、わざわざ印象を悪くする必要はない。


心配そうに私を見るネルケを置いて、私は手押し車を押した。



ゴロゴロ、ガツ、ゴロゴロ、ガツ。

道の先に、薄暗い森が見えた。

森の入り口に立つと、冷たい風が吹き抜けた。腹は括ったつもりなのに、怖くて、足を止める。後ろを見ると目の覚めるような緑と鮮やかな花の色が見えた。


真っ先に斬り捨てられたけど、この街が好きだった。孤児の私を、ここまで育ててくれた。一年中花に溢れ、賑やかで美しい街だった。この街も、鮮やかな花もこれできっと見納めだ。

もう一度、その景色を網膜に焼き付けて私は森の中へと足を踏み入れた。




*********




ゴロゴロ、ガツ、ゴロゴロ、ガツ。

奥に行けば行くほど木の根が複雑に絡み合っていて歩きづらい。義足の左足は幾度となくその根にとられ、転がし続けていた手押し車は数えきれないほどに跳ねて、中に入っていた土は半分くらいになってしまっていた。小さいころ読んだことのある話に、森に捨てられた兄妹が、帰るときの道しるべに白い石を撒いたものがあったことを思い出した。土を追えば帰れるかな、とも思ったけれど、これから食われるかもしれない私には関係のないものだった。何にせよこんな暗い森の中じゃ、土を辿ることもできない。


昼間森に入ったはずなのに、もう日が落ちたようで前も後ろも真っ暗だった。獣の鳴き声、木々のこすれる音、車輪が回る音、義足が地面を打つ音が、延々続く。肌寒いうえに、お腹が空いてきた。腰に下げた巾着から、申し訳程度のパンを食べる。腰を下ろした木の根が冷たかった。足は痛いし、持ち手を握り続けた掌も真っ赤になっていた。


私の両親は、小さいころに死んだ。火事で家が燃えて、熱くて、苦しくて。燃える柱が倒れ込んできて、私の左足を押しつぶした。お母さんとお父さんは私を助けようと、真っ赤な火の中で柱をどかそうとしていた。それから柱が動いて、お父さんが私を家の外に放り投げた。わけもわからず泣いている私の目の前で、真っ赤な家は音をたてて崩れた。

あの日の赤を、私はきっと忘れることはないだろう。

あのあと、街の人たちの助けによって何とか食い繋いで生きてきた。小さな仕事をもらい、小さなお金をもらう。地面を打つ義足の音は、憐れみを得るのに一役買っていた。慣れ親しんだ木の左足は、嫌いじゃない。

義足のおかげで生きてこれた。けれど義足のせいでこうして生贄のように怪物の庭に遣わされるのは、遣る瀬無い。


日の落ちた夜、暗い森を歩くのは危険だ。けれど私には奥へ行く以外に道はない。のこのこ街に帰ることはできないし、ずっと森の中にいても死ぬのを待つだけ。どうせ死ぬなら、例の怪物の顔を拝んでから。

辛うじて満たされた腹を抱えて立ち上がり、手押し車に手を掛けた。



ゴロゴロ、ゴロゴロ手押し車を押す。土はほとんど落ちてしまって、辛うじて底にバケツ一つ分くらいしか残っていない。

汗まみれ、土まみれ、息も絶え絶えになったころ、地面を這う木の根が減っていることに気が付いた。気が楽になったような、重くなったような。それでも少しだけ足を速めて、前へ前へ、進んでいった。


鬱蒼とした森を何時間歩いただろうか。木々がなくなり視界が開ける。

満月に照らされた死んだ大地がそこにはあった。



「……怪物の、庭、」



広大な庭は、ただ広いだけで何もなかった。本当にグラオザームの街の一画なのかと疑いたくなるほどに。だだっ広い庭の先、大きなさびれた洋館が見えた。

死んだ不毛の黒い土地、と聞いていたが、空にぽっかりと浮かぶ月のせいで庭は一面の白に照らされている。雪の積もった墓場のような寒々しさ。けれどそれは街とは別種の美しさがあった。息を潜めるような、呼吸することすら億劫になる死の美しさ。


一通りあたりを見渡したけれど、怪物らしき姿は見えない。この庭には私一人しかいないように見えた。恐る恐る手押し車を庭の中へと押し進めた。

突如訪れる恐怖があるわけでもなく、拍子抜けしたところで本来の目的を思い出した。

私は街に訪れる災厄を避けるため、この土地に花を植えに来たのだ。


花を植えるために持ってきた土はもうほとんどない。何はともあれ、と肥料の混ぜられた土を適当に撒く。柔らかい土が硬い地面に広がった。ただそれもほんの少しで、果たしてこの庭の何十分の一だろうか、という程度である。本当は庭全体を耕して、それから土を混ぜた方が良いだろうけれど、私は鍬や鋤を持っていないし、それらで作業することも、私の軟弱な身体では無理だろう。

苗を植えようとして手押し車の中を見るけれど、入っているのはパンジーの一つだけだった。きっと森のどこかで落ちてしまったんだろう。代わりに、腰に付けた巾着から種を取り出す。コロコロとした種が何の種か、私は知らない。中身を確認することなくただ渡されたものを持ってきただけ。渡したからにはきっと花の種なのだろう。


膝から下が木の私はしゃがみ込む動作が苦手だ。練習したけれど倒れ込んだ方が早いと学んだのはいつのことだっただろうか。慣れたように、撒かれた土の側で倒れる。白く染められた地面は固く冷たい。身を捩りながら、何とかしゃがみ込んだ体勢に近いそれに変えようとしていると、背後から音がした。


足音だ。


ぶわっと汗が流れ出し、忘れかけていた恐怖が明確なものになって背後に迫る。

さっきまで何もいなかったのに。何の姿も見えなかったのに。焦れば焦るほど身体が上手く動かない。そこでハッとした。森を抜けて庭と館を見たとき、私は真っ白だと思ったのだ。今考えれば不自然さがわかる。夜なのに館の明かりは点いていなかったのだ。つまり最初から、怪物は外にいた。

そんなことに気づいても今更遅い。何かの足音が、怪物の足音だとはっきりしただけだった。



「っ……!」



陸に打ち上げられた魚のように身体をバタバタさせている間も、足音はだんだん近づいて来る。恐怖に引き攣った喉から悲鳴が出ることはない。

死ぬ覚悟はできているつもりだった。街を出た時点で、まさか生きて帰って来られるとは思っていなかったし、帰る場所もないこともわかっていた。しかしいざ、こうして少しずつ確かな死が迫ってくると、早朝に決めた覚悟なんてものはあっという間に吹き飛ぶ。せめて、せめて背後から噛みつかれるのは、と思い首をぐいと伸ばして真後ろに向けた。怪物の姿が、見える。



「化け、もの……、」



ほとんど吐息に隠された言葉が、音になったか私にはわからなかった。


白い大地を踏みしめ背中に月光を受ける男がいた。

二メートルはありそうな背丈、鍔のついた帽子、それから鉄色のペストマスク。

月光を背負う化け物の影は私を丸々飲み込んだ。


呼吸することさえも忘れて怪物を凝視した。恐怖が身体を支配し、思考することをやめた頭はただただ真っ白になる。

どれだけじっと見ていただろうか、化け物が巨体を丸めさせ、ぬぅとマスクの嘴を近づけた。突如縮められた距離、焦点が合わずその嘴が私の視界を占めた。そのため、伸ばされた手にも気づかない。



「っひぃ……!!」



背中に回された手に短い悲鳴をあげる。一瞬手が止まったような気がしたが、私の背中と足に手が手袋越しに触れる。


あ、食べられる。


真っ白になった思考に、その言葉だけが浮かんだ。

しかし恐怖に身を固める私に対し、怪物は私に噛みつくでもなく、引き裂くでもなく、嘴で屠るでもなく、ただ横たわっていた身体を起き上がらせ座らせただけだった。



「は…………、」



吐き出した息が間の抜けた音をたてて落とされた。地面に座り込んだ私に、怪物は膝をついてじっと視線を投げかけた。いや、実際にはマスクの黒い穴の奥の視線がどこに向けられているかなんてわからないけれど、たぶん怪物は目の前の私を凝視していた。



「……ここへ、何しに来た。」

「ここ、へ、」



くぐもった声が嘴から聞こえる。口が利けるんだ、と馬鹿みたいに感心した。うまく咀嚼することもできず、おうむ返しに呟く。



「ここは、化け物の住む場所だ。君のような娘が、来る場所じゃない。」



重ねるように低い声がそう言い、当惑の言葉は飲み込んだ。

貴方こそが怪物なのではないか。

おそらくそれは言ってはいけない。少なくとも、目の前の怪物は人間のふりをしているのだ。バレたら食べる、なんてこともあるかもしれない。ならば怪物の思惑通り、人間だと思っておく。



「……花を、花を植えに来ました。」

「花?」



ようやく出た言葉は掠れて震えているという悲惨なありさまだったが無事に怪物の鼓膜を揺らしたらしい。



「私、は……この庭に花を咲かせるために、グラオザームから遣わされました。」

「なぜ、こんな場所に花を?」

「よく、わかりません……。ただ先日街を訪れた占い師が、北の大地に花を咲かせないと、災厄の炎が街を襲う、と予言したらしいです。」

「占い師……、」



考え込むように、怪物はその嘴を撫でた。仕草がやたらと人間臭い。

怪物ならば、すぐに襲い掛かり喰い殺すものだと思っていた。けれど目の前の怪物は会話ができ、理知的に見える。倒れていた私を抱き起したことも、こうして膝をついて視線を合わせるのも、下手すると街の男たちよりもずっと紳士的に見える。



「それで、花は?」

「花の種が、この巾着に。それと、手押し車の中に園芸用の土をいれてきました。」



ここに、撒きました、と柔らかい土の部分を指さすと、感触を確かめるように手袋で土を撫でた。



「少ないようだが。」

「……ほとんど、ここまで来る間の森で零してきてしまいました。」

「……そうか。」

一瞬、黒い穴が私の足へと向けられたが、何を言うでもなく花の種子にそれを移した。



「君、名前は。」

「ぱ、パッペル、です。」

「そうか……パッペル、種を蒔こう。」

「……はい。」



ずりずりと身体を捩り、撒いた土に向き合う。

人差し指をプスリと土にさして穴をあけてから、一つ種をいれ、軽く土をかぶせる。少し横にずれて、また指をさして穴をあける。二、三回繰り返したところで怪物も同じように指を土に突き立てた。しかし手袋越しのせいで穴が大きすぎ深すぎたようだ。何度か穴をあけた後手袋を外す。手袋の中から真っ黒い掌が出てきて、慌てて目を背け、目の前の地面と向き合った。


ぷす、ころん、ぽふ。

荒廃した庭の一画で行われるには穏やか過ぎる作業だった。


怪物に食べられるはずの私が、なぜ怪物と種を蒔いているのだろう。

私を食べるはずの人喰いの怪物が、なぜ私と種を蒔いているのだろう。


わからないことが多すぎた。そしてたぶん、考えても答えは出ない。

月明りの中、私は人間気取りの怪物と共に花の種を蒔いていた。

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