迷い犬
続きです。今回は一巻にも出てきた犬っぽい彼が主役です。
地獄の番犬でケルベロスとお読みください。読みにくくてすいません笑
序章 約束
――早く、もっと早く。
「いたぞ!あっちだ!」
「裏切り者を逃がすな!」
前方に幾人かの人影か見えた。仕方なく他の道に入る。
だがこっちの道もだめだった。雨のせいか、人影を確認できなかった。
「チッ」
囲まれた。逃げ場はない。
「まったく、世話をかかせる」
先頭の者がつぶやいた。そんなの、こっちから願い下げだ。
「観念しろ。裏切り者は必殺なんだ。それはお前が一番よくわかっていたんじゃないのか?」
「……」
そんなこと、わかっている。
武器を確認。銃が一丁。あるだけマシだが、腕には自信がない。
こんな状況でも、諦めきれない。だって、まだ希望はある。
拳を握り、ぬかるんだ地面を蹴る。
〝助けてやる〟と言ってくれた彼女。もう一度君に会うために、俺は走る。
そして生きて、違う人生を歩むために。
第一章迷い犬
犯罪都市、『クライムシティ』。
警察からも、世間からも見放されたこの都市には、いくつもの『マフィア』などの犯罪組織が存在する。
その中で一番有名なのが『フェンリル』という、『クライムシティ』で一番大きな組織だ。
構成人数は二千人を下らず、いずれも治安維持班、諜報班、殲滅班、麻薬取引班、暗殺班の五つ班のどれかに属している。
その彼らは、恐怖と強さでこの『クライムシティ』に君臨している。そしてその頂点にいるボスは、物凄いカリスマ性と頭脳、それに力を持って『フェンリル』を仕切っている、と専らの噂である。
そんな『フェンリル』が、『クライムシティ』を年ごとに仕切る『支配者』の座に何年も座っているという話は有名だ。
『クライムシティ』の現実を知らずに遊び半分で来た若者達は、ほとんど『フェンリル』に入りたがる。だが数ヶ月経って、その者達は死ぬか生き残るか――裏切って死ぬかになってしまっている。
しかし『フェンリル』もそう甘くはない。裏切り者には、絶対的な死を与えている。特に『フェンリル』の奥を知る者なら尚更である。下っ端にしろ、幹部にしろ。
――であるからして、裏切り者が死ななかったことなど、そうはないのだ。
ただ一人、〝赤の双璧〟と呼ばれる二人のうちの、一人の青年が行方をくらました、例外以外は。
***
ある日の明朝、『天使の相談事務所』。
ザクザクという小刻み良い音と、焼いたパンの香ばしい匂いが漂う。
『天使の相談事務所』所員、シルビィ・フェアードは今日も朝早くから朝食を作っていた。
今日の朝食はサンドイッチ。簡単で尚且つ、一般的な食べ物である。
シルビィが完成したそれらを皿に並べ、テーブルに置いたところで扉が開いた。
「ふぁ~…おはよう、シルビィちゃん」
扉を開け、欠伸をしながら挨拶をしてきたのは、ユール。
『天使の相談事務所』の相談役、兼所長の秘書である彼女の瞳は、異様なまでに紅い。それは〝先天性白皮症〟という、非進行性の病に罹っているのが原因である。そのため髪色も肌の色も常人より白い。本人はそれを知っている者にしか、あの紅い眼を見せない。
「おはようございます。今日はちょっと遅かったですね」
「そうなのよ。少し寝過ごしちゃって」
ぐっと背伸びをして、ユールは答えた。それから食卓につく。
「それもハッキングが長引いたせい。何度も何度も同じことしちゃったわ…あぁもう、これだから『フェンリル』は嫌なのよ」
そんなユールのぼやきに、シルビィは少し動きを止めた。
『フェンリル』という言葉に、驚いたからである。
「何を…ハッキングしていたんですか?」
「『フェンリル』の諜報班が扱っているサーバーにちょっとね」
ハァ、と呆れたようにユールは息をつく。
疲れているユールを他所に、シルビィは二、三カ月前のことを思い出していた。
シルビィは、今は没落した貴族、フェアード家の一人娘だった。没落した原因となった『フェンリル』の麻薬取引班に復讐すべく、『クライムシティ』の『天使の相談事務所』を訪ねたのだ。ユール、そしてその双子の妹であるユウナの活躍にて麻薬班は壊滅し、再興もなくなることとなった。シルビィは一度故郷に戻ったが、再び『クライムシティ』を訪れ、『天使の相談事務所』の所員となり、ユウナ達の仲間になった。
その『フェンリル』のサーバー――しかも諜報班のサーバーに、ユールはハッキングしたという。何故?
シルビィは頭をひねって考えた結果、聞いてみることにした。
「何故そんなことを?」
「最近『フェンリル』絡みの依頼が多いでしょう?だから他で情報を集めるより、直接サーバーにハッキングした方が早いと思って」
「まぁ…そうですが……」
と、シルビィがうなずきかけたその時、また扉が開かれた。
「ユウナさん、おはようございます」
「ん…?おはよ…」
ふあぁ、と欠伸をしながら返事を返したのは、『天使の相談事務所』所長、ユウナ。
ユールとは瓜二つの一卵性双生児の姉妹で、何と〝先天性白皮症〟の病気まで一緒――少しは違うらしいが――なのである。しかし性格も体質も逆という、顔以外はまったく似ていない双子なのだ。
ユウナは眠そうな碧の眼を擦り、食卓についた。
それから朝食がスタートする。
「ユウナ、今日の依頼は依頼人の恋人を始末すること。ただ最初にその依頼人に会って欲しいの。メールにそう書いてあったから」
この事務所がインターネットで経営しているサイト、『悪魔の相談掲示板』。そこでは直接『クライムシティ』に来られない人や、事務所に訪ねられない人がこのサイトに依頼のメールを送り、ユールがそれを確認して、ユウナが執行する。
どうやら今日はそんな依頼らしい。
ようやく眼が覚めてきたのか、ユウナの表情はいつものキリッとした顔になっていた。
「わかった。詳しくは依頼人に聞いておく」
「そうしてちょうだい。あ、でも…」
とそこで、ユールは何故か申し訳ないような顔になりつつ、ユウナにメモ用紙を渡した。
「…ちょっと今日の依頼、ユウナは気に食わないかもしれないわ」
「は?」
ユウナは眉をひそめる。
黙って聞いていたシルビィも首を傾げる。
「行ったらわかるわよ。善意でやっていることを忘れずにね」
「……わかった」
半分わかってないような顔で、ユウナはうなずく。
「あとね、『フェンリル』がちょっと騒がしいみたい。裏切り者が出たって」
「裏切り者…ですか」
そう、とユールはうなずく。
シルビィは初耳だった。まぁ自分はそんなことには疎い――というより関わっていないから、と思うことにした。
「面倒事には首を突っ込まないでね。ホント面倒だから」
「了解した」
ユウナは朝食を終えたら早速依頼を達成しに行くのだろう。そのユウナが帰って来るまで、シルビィとユールは事務所で待つこととなる。シルビィは家事をしながら、ユールはパソコンをいじりながら。
これがシルビィの、新たに始まった日常だった。
***
「もう、ちょっと……だ…!」
走りながら、つぶやいた。
一度路地に隠れて、通りを見回す――追手はいない。何とか撒けたようだ。
ホッとして、次は目的地を確認する。
「あそこか…」
アパートのような外見の建物。あそこに、彼女がいる。
今度は緊張を和らげるために、深く息をつく。
――彼女は、どういった反応をするだろうか?
約束があるのだから、拒みはしないだろう。だがやはり、久しぶりに会うので緊張する。
そんな考えは止めておこう。まずは、会ってみなければ。
心に残る微笑みをしてくれた彼女――ユウナに。
***
ピンポーン、とインターホンが事務所内に響く。
家事を一通り終えて、一息ついていたシルビィは、向かいに座っていたユールに目をやった。
「…来客の予定はないけど」
パソコンから目を離して、ユールは言う。
この事務所の客は、だいたい電話をしてからここに来る。たまに電話なしでいきなり来る人もいるらしいが。
すると再びインターホンが鳴る。さらに連続で。
「……あたし、こういうせっかちな客は嫌いなのよね」
ユールは眉間にしわを寄せ、呆れたように息をついた。
「じゃあ、私が出ますね」
ユールがやる気のなければ仕方ない。シルビィは椅子から立ち上がった。
シルビィが玄関に向かう間も、インターホンは鳴り続けていた。
今日の客は忍耐力に欠けるらしい。そうでなければ、何か切羽詰まった事情なのか。
「はーい」
玄関の鍵を開け、ガチャリと開け放つ。
ずっとインターホンを押し続けていた人物は、ツンツンとした茶髪で右頬に傷のある、淡い水色の瞳をした優男だった。
彼は疲れた顔をしていて、少々息も荒い――切羽詰まった事情の持ち主のようだった。
「あの…『天使の相談事務所』って…ここで合っている?」
「はい、合っていますよ」
そううなずくと、男はホッと息をついた。
「えっと、じゃあ…ユウナはいる?」
どうやらユウナの知り合いらしい。シルビィの知る限りでは、彼のことは知らない。
「申し訳ないのですが、ユウナさん…生憎所長は留守でして」
と言うと、男はがっくりと肩を落とした。
――『クライムシティ』の住人にしては、素直そうな人。それが彼への第一印象だった。
「すぐ帰って来ると思いますし、中で待ちますか?」
そう聞くと、男は良いの?と言いたげな表情になった。
それに対してシルビィはコクリとうなずく。
「じゃあ…お邪魔します」
シルビィはお言葉に甘えた男を招き入れ、応接室に案内した。
応接室に続く扉を開けると、すでにサングラスをかけた――初対面の相手に紅い眼を見られないようにしている――ユールがいた。
そのユールを見るなり、男が驚いたように前に出た。
「…ユウナ?」
一方のユールは先程よりも渋面になった。ただしサングラスを掛けているので、眉間のしわしか確認できない。
「はぁ?何アンタ、ユウナの知り合い?お生憎様、あたしはユウナじゃないわよ」
そう言われた彼はえ?という顔になった。
どうやらユールとは知り合いではないらしい。
「あ、そうか…確か姉がいるって言っていたっけ――」
くしゃり、と跳ねまくった髪を掻き揚げたまま、男はふらりと倒れた。
「ちょっ…大丈夫ですか?」
急いで男に近付く――どうやら気絶してしまっているようだった。
シルビィはそんな彼を、ひとまずソファに寝かすために、男を運ぼうとした。
だがまだ十六歳のシルビィに、しかも家事以外ではあまり動かない自分に、成人男性を運べる訳がない。
シルビィはチラリ、とユールに視線を送った。
「ユールさん、ちょっと――」
「い、や」
はい?状況が呑み込めず、シルビィはもう一度聞いた。
「…あの、ユールさん?この人をソファまで運ぶのを手伝ってもらえませんか?」
「嫌よ」
どういうことか、まったくわからない。いつもは優しいユールが、何故ここまで拒むのか。しかも即答で。
シルビィは困惑していたが、落ち着いて冷静に彼女に聞く。
「…何が嫌なんですか?」
そう聞くと、ユールはサングラスを外した。
「あたし、男は嫌いなの」
「え、でもいつもは普通に接していますよね?」
「確かにね。でもあたし、ユウナに近付く男はもっと嫌いなの」
――あぁ、成程。シルビィは察した。
「だって!あたしの場合は目のことがあるから仕方ないじゃない?だから昔からユウナに言い寄ってくる野郎が多いし?ユウナはまったく理解していないし?」
ユールはとてもシスコンである。だが今回でわかったこと――それはユールが、超が付く程シスコンなことである。
シルビィは呆れた。この男がユウナの知り合いだからといって、そこにもシスコンが反応するとは。
「とにかく、男なんてろくでもないのよ!」
まったく聞いていなかったが、さっきまで文句を言い続けていたらしい。
まぁ、ここは放っておくことにしよう。
「ユウナさんに、確認を取らなければいけませんね。本当に彼がユウナさんの知り合いなのかとか…あ、名前聞いてなかった」
そこは仕方ない。ユールはものすごく拗ねているので、当てにはしないでおこう。
まずはユウナに連絡を取ろうと、シルビィは電話の受話器を取った。
***
一方その頃、『クライムシティ』のC区にて。
「ゆ、許してくれ!殺さないでくれ!」
「はぁ?アンタこういう時だけそんな真似して…ホント最低な奴ね!」
ユウナは只今絶賛、イライラ中だった。
今日の依頼、依頼人はさっきそう言った女性である。
依頼内容は恋人である、今許しを乞うている男を殺すこと。ただし女性も同伴で。
殺せという依頼なはずなのに、先程からこの調子である。男が何かを言えば、女が反抗して文句を言う――この繰り返し。
ユウナはだんだんイライラを超えてムカついてきた。ユールが気に食わないかも、と言った理由がやっとわかった――そんなことより、さっさと殺すか殺さないか、どっちか決めて欲しかった。これでは仕事にならない。
月に一度くらい、こういう依頼はある。まったく仕事にならない、くだらない依頼が。
とそこで、ユウナの携帯電話がバイブを発した。
ちょうど良いタイミングだった。これでこいつらを堂々と無視できる。ユウナは携帯電話を手に取り、耳に当てた。事務所からだった。
「もしもし」
『あ、ユウナさんですか?シルビィです』
「どうした?」
『今お時間、大丈夫ですか?』
そう聞かれたので、ユウナはチラリ、とまだ言い争っている男女を見た。
二人はまだ言い争っていて、ユウナのことなど気にもしていなかった。だからユウナも気にしないことにした。
「…あぁ、大丈夫だ」
『良かった。実は事務所の方に、依頼人と思われる男性がいらっしゃっているのです。しかも、ユウナさんの知り合いだとおっしゃっていたのです』
「は?」
自分の知り合いが事務所に来ている?
「…ユールは何と言っている?」
『ユールさんは知らないようでした。今…拗ねています。男絡みですから』
――呆れた。だが自分の知り合いで男となると、仕方があるまい。
「…で、男はどんな奴だ?」
『茶髪で…淡い水色の眼をしたお方です。今は気絶してしまっていて、名前は聞けませんでしたが――あぁそうそう、右頬に傷がありました』
と言われても、今いちピンと来なかった。
「…知らないな」
そう言うと、シルビィはあれ?と声を上げた。
『おかしいですね…確かにユウナさんの名前は知っていたのですが…』
そこでユウナはもう一度考えた。
茶髪で顔に傷のある、淡い水色の眼をした男。
〝俺、本当は――〟
『ユウナさん?』
「……わかった。すぐ帰る」
そう言ってからピ、と通話を切る。
「で…話は終わったか?」
彼らの方を見ると、二人は手を握り合っていた。
「あ、はい。ご迷惑をお掛けしました」
ユウナは大きくため息をついた。
「…報酬の分、金はちゃんと払えよ」
そう言って身を翻し、愛車のバイクの方に向かう。
――やれやれ。今日みたいな仕事がまたあったら、こっちの身が持たない。
ユウナはバイクのエンジンをかけて、事務所があるB区に向かう。
実際、自分はあぁいった恋愛ごとはさっぱりわからない。ユールに厳しく言われていたということもあるが、元々そんなのには興味がない。
そういえば、今事務所に来ている客にユールは拗ねているらしいが、客はどんな奴だろうか?
先程シルビィが言った特徴に、思い当りはある。しかしはっきり言って、さっきは身に覚えがなかった。だが――
〝困っている人を、助けたいんだ〟
三カ月程前に会った、『クライムシティ』じゃ珍しい誠実な奴。
まさか、な。ユウナは数秒遅れて苦笑する。
――そういえば大通りの方が騒がしい。確かユーリが今朝『フェンリル』に裏切り者が出た、と言っていたが。
それを思い出して、ユウナは何か予感がした。
ひとまず、帰ってみなければ。
***
「はぁ……疲れた…」
やっとのことで、倒れた男をソファまで運ぶことができた。
ユールを何とか説得して手伝わせたものの、やはり消極的だった。今もムスッと口を尖らせている。
「それにしてもこの人、何者なのでしょうか…?」
と男の顔を覗き込むと、彼が身動ぎした。
「う…」
どうやら意識を取り戻したようだ。
男は眉間にしわを寄せてから、ゆっくりと淡い水色の眼を開いた。
「大丈夫ですか?」
そう聞くと、男は起き上がった。
「君は…」
「私はシルビィといいます。ここがどこだかわかりますか?」
すると彼は室内を見回してから、口を開く。
「『天使の相談事務所』…だよね?」
はい、とシルビィは笑いかける。
「悪いね。目的地に着いたから、ちょっと安心して気が抜けちゃったみたい」
申し訳なさそうに男は笑う。そしてシルビィがソファに運んだことにも気が付いたのか、重ねて彼は謝ってきた。
それから彼はソファに座り直し、ユールに目を向けた。
ユールはいつの間にか、再びサングラスを付けて腕を組み、壁に寄りかかっていた。
「…彼女はユールさんです。ユウナさんの双子のお姉さんです」
「まぁ…初めから、別人かなとは思ったけど」
ハァ、と息をついた男にシルビィはところで、と切り出した。
「あなたの名前は、何とおっしゃるのですか?」
聞かれた男は何故かビクッと体を硬直させ、すぐには答えなかった。
「えっと…俺はフィオド」
男――フィオドは控えめにそう答えた。
「フィオドさんとおっしゃるのですね」
うんと彼がうなずいたところで、ユールがあ!と声を上げた。
当然、シルビィもフィオドも驚く。
一方のユールはビシッとフィオドを指差す。
「フィオドって言ったら…まさかアンタが『フェンリル』の治安維持班班長?『地獄の番犬』の一人?」
「い、いや俺は――」
「やっぱり!『フェンリル』の裏切り者が妹に何の用!?」
裏切り者?シルビィは思考が止まった。
「俺はユウナに会いに来ただけだ!それに『地獄の番犬』とは言っても名前だけだって――」
「お黙り。アンタの事情なんて知ったこっちゃないわ!」
と、二人の言い合いは続く。シルビィが口を挟む暇もない。
そんなとき、玄関に続く扉が開いた。
「一体何を騒がしくしている?」
ユウナが帰って来た。帰ってくるなり、こんな惨状に呆れていた。
「おかえりなさい、ユウナさん」
「ただいま。で…これは何の騒ぎだ?」
「お客さんとユールさんが、言い合いをしています」
見ればわかる、とユウナは二人に目をやる。
それからようやく、ユールとフィオドがユウナに気付いた。
「ユウナ!久しぶり!」
ユールより早く、フィオドが笑顔で近付く。
一方のユウナは今思い出したようにあ、と目を見開いた。
「お前…フィオドか?ホント、久しぶりだな」
フッとユウナは遅れて笑う。
そんな二人の間に、ユールが割り込む。
「ユウナ!こいつが今朝言っていた、例の『フェンリル』の裏切り者よ!」
お前が?と言いたそうな顔で、ユウナはフィオドを見る。
「…ということは、約束を果たしに来たんだな」
ユウナの言う約束が何かは、シルビィにはわからなかったが、それが重要だということは何となくわかった。
「約束って何よ?」
ユールが抜け目なく聞く。
「前に言っただろう、シルビィの件で『フェンリル』の奴に話を聞いたって。そのときの奴がこいつで、見返りに助けてやると約束したんだ」
そしてユウナはフィオドを見た。
「…という訳だ。約束は守ろう」
そう言われたフィオドは、嬉しそうに顔を明るくさせた。
がしかし、
「あたしは反対よ」
ユールはサングラスを外して、紅い瞳を晒していた。
フィオドは眉をひそめていた。
「面倒事は持ってこないでねって言ったはずよ?ユウナ」
ギロッとユールの紅い眼が、フィオドを射る。
「ユール、それとこれとは話が別――」
「でも嫌。絶対協力しない」
ユールは一歩も引く気はないらしい。
「この男が来たときから嫌な予感はしていたのよ。何か面倒事が来そうって」
そう言ってユールはもう一度フィオドを睨んだ。そして長い銀髪を翻し、隅の階段を下りて行った。
それを見送ったユウナはハァ、と大きくため息をついた。
「…すまんな。あたしの姉が」
「いや、別に…っていうか、俺のせい……だし」
ユウナはもう一度ため息。
「……シルビィ」
「は、はい!?」
いきなり呼ばれたので、シルビィは声が裏返ってしまった。
「な、何ですか?」
「こいつに部屋を用意してやってくれ。そうだな…一応二階の部屋で」
わかりました、とシルビィはうなずく。
しかし部屋を用意するには、掃除をしなくてはならない。ユウナ達の私物らしきものに溢れている段ボールの山を。
「じゃ、あたしはユールと話してくる」
と言ってユウナは階段を下りて行く。
そして、取り残されたシルビィとフィオドは、
「……ねぇ、俺どうしたら良いと思う?」
「…私に聞かれても」
と言いかけたところで、シルビィはフィオドの方を振り向いた。
「あの、申し訳ないのですが…部屋を片付けるのを手伝ってもらえませんか?お客様に手伝ってもらうのも失礼ですけど」
「あぁ、別に良いよ。何かしていないと、いろいろ不安で…」
そこでシルビィは、この人が『フェンリル』の裏切り者だということを思い出した。
ユウナを頼ったものの、ユールは非協力的だし、いつ追っ手に見つかるかもわからない。先行きが不安なのだろう。
それはシルビィにもよくわかった。実際、こちらもそんな経験をしているから。
そんな彼の不安を少しでも和らげようと思い、シルビィはニコッと微笑んでみせた。
「フィオドさん、大丈夫ですよ。ユウナさんならきっと助けてくれます」
少々呆然としつつも、フィオドはそれに答えてくれた。
「…ありがとう。そう言ってくれると、本人でなくても安心できる」
ニッと人懐っこい笑顔でフィオドは笑う。
――この人となら、すぐに仲良くなれそうな気がする。
「……にしても君、何かしっかりしているね。失礼だけど…いくつ?」
「十六歳です。そうならなきゃ、やっていけませんでしたから」
シルビィが哀しく笑うと、フィオドはそうか、と言った。
「…シルビィちゃん?だっけ。君あれでしょ、麻薬班に狙われていた…」
何故それを?といった顔をしていると、フィオドはすぐに答えた。
「ユウナが言っていたでしょ。こっちに情報を流してくれた『フェンリル』の奴がいたって」
「それが…フィオドさんだったんですか?」
そうそう、とフィオドは得意げに笑う。
「まぁ結局それで、元々辞めようと思っていたのに、裏切り者の疑いをかけられた訳だけど」
そう苦笑したフィオドに、シルビィはさぁと声を掛けて扇動する。
「掃除する場所はこっちです。汚いですが、驚かないでくださいね」
今依頼のことを彼に語らせるのは止そう。それはユウナがいるときで良い。フィオドをあまり不安にさせたくはない。
フィオドを掃除する部屋に招いたが、やはり彼もあまりの汚さに驚いていた。
ユウナ達のことも説明しなくてはならない。それから夕飯も多めに用意しなくては。フィオドは男だから、よく食べるだろうし。
――さ、忙しくなるぞ。シルビィは一人意気込んだ。
第二章 逃走中
翌朝。
シルビィはいつも通り、朝食を作っていた。
普段なら、シルビィの次に起きてくるのはユールなのだが、今日は違った。
様子を窺うように、二階から下りてきたのは、昨日の客人であるフィオドだった。
「あ、フィオドさん。早いですね、おはようございます」
「え?あ、おはよう」
意外だった。寝起きの良いユールよりも早く起きる人が、自分以外にいたなんて――と考えたが、よく見るとフィオドの目の下には、少し隈ができていた。
「…眠れなかったのですか?」
「…うん、ちょっとね」
まだ何かと緊張しているようだ。昨日の夕飯時には、結構笑っていたのに。
「何か手伝おうか?」
「じゃあお皿を並べていただけますか?」
わかった、とフィオドは近くの戸棚に向かう。
昨日の夕飯といえば、結局ユーリは部屋に籠ったきり、こちらに姿を見せなかった。部屋の前に置いておいた夕食は食べてくれたようで、綺麗に空になっていた。ユウナが言うには、もう納得してくれたらしいが。
とそこで、昨日の夕飯時にユウナが言っていたことを思い出した。
フィオドに対して確か――〝それなりの覚悟はしておいてくれ〟――だったか。
シルビィもフィオドも意味はよくわからなかったが、とりあえず気をつけろ、とユウナは言っていた。
「――あら。あたしより先に起きるなんて、良い度胸しているじゃない」
噂をすれば、という感じだった。
「は?」
フィオドは後ろ――仁王立ちしているユールの方を向いた。
「ユールさん、おはようございます」
「おはよう、シルビィちゃん❤」
ユールはシルビィに対してはすごく笑顔だったが、フィオドを見るときは鬼のようだった。
え、とフィオドは戸惑う。
一方のユールはスゥ、と息を吸って、
「――アンタの名前、今日から〝犬〟ね」
と言い放った。
「はぁ?」
もちろんシルビィも、はい?と耳を疑った。
「…どゆこと?」
「お黙り。アンタに拒否権はないわ」
バッサリとユールはフィオドの発言を切り捨てる。
ますますわからない。
「あのー…どうしてですか?」
シルビィが聞くと、ユールは得意げに答えた。
「ユウナがね、協力してくれるなら、アンタの身をどうこうしようが構わないって言ってくれたの。だからアンタは今日から犬。あたしに対して拒否権はないし、もちろん敬語ね」
ユールはかつてない笑顔で言う。
ユウナがあぁ言っていたのは、こういうことだったのか。もしかしたら、勝手に売って済まない、と言いたかったのかもしれない。
――ようするに、絶対服従。
「…いや、意味わかんないし。何でアンタに従わなくちゃならないの?」
「敬語って言ったでしょ?それからあたしのことは、ユール様とお呼び」
「はぁ!?それこそ意味がわからん」
ピクリ、とユールの口元が引きつる。
――あ、これはやばいかも。
「……何アンタ。あたしが協力してやっているのよ?少しは誠意を見せなさいよ」
「えらく上から目線だな。依頼人は俺だろ?協力するのは当たり前じゃないのか?」
「馬鹿おっしゃい。あたしの情報網がなければ、アンタは確実に裏切り者として死ぬわ」
「それとこれとは別として、何で〝犬〟なんだ?」
「『地獄の番犬』って呼ばれていたんでしょ?だったら犬で十分だわ」
はぁ?と、これ以降も言い合いは続く。しかも次第に声は大きくなっていき、言い合いではなく怒鳴りあいに発展している。
シルビィは呆れかえっていたが、一つ大事なことを忘れていた。
この『天使の相談事務所』のもう一人の住人が、非常に寝起きの悪いことを。
――バンッと大きな音がした。怒鳴りあい中の二人はそれに気付いていないようだった。
そして勢い良く、リビングの扉が開かれた。
やっとユールとフィオドが怒鳴りあいを止める。何故止めたのかって?
それは扉を開いたのが、ユール以上に恐ろしい表情をしたユウナが仁王立ちしていたからだ。
その顔のまま、ユウナは息を吸った。
「お前等!!朝からうるさい!!」
あまりの怒声に、ユールまでもが困惑していた。
鬼のような形相のユウナはまず姉に、
「ユール!」
「え、はい!?」
「昨日あたしはどうとでもして良いとは言ったが、朝から騒げとは言っていない!そして喧しいから喧嘩も禁止!」
ユウナの怒りは、もちろんフィオドにも。
「フィオド!」
「お、俺も?」
「お前もいちいち反抗するな!そのせいでややこしくなる。お前は依頼人だが、ここに泊まった以上、大人しくしていろ!郷に入っては郷に従え、だ!」
そう怒鳴ったユウナは、ハァと大きく息をついてから、再び部屋の方へ行ってしまった。
二度寝する気だろうか?と思ったが、少し水の音が聞こえる――どうやら顔を洗っているらしい。
今思い出したが、ユウナは寝起きが悪いので、無理に起こしたりするとあぁいう風に怒ってしまうらしい。シルビィは今日初めて見たが、ユールに以前そう教えられた。だからいつもは本人が起きてくるまで、放っておいているのだ。
ユウナが戻って来てから、朝食――気まずい沈黙の朝餉が始まった。
黙々モグモグと、沈黙と口を動かすことで時間が過ぎていく。
一時して、ユールが口を開いた。
「……あたしのこと、様付で許してあげる」
ポツリとそう漏らす。
フィオドは反抗しかけたが、ユウナの有無を言わせない鋭い視線に気付き、自重した。
「……じゃあ、〝姐さん〟ってどうっすか」
という提案に、ユールは数秒考えてから答えた。
「…及第点ね」
これで何とか話は終わったらしい。でもまだ沈黙は続いていた。
その沈黙を破ったのは、ユウナだった。
「さて、今回のフィオドの依頼の件だが…どうする?」
怒りは収まったのか、声は普通に戻っていた。
そんなユウナの視線は、フィオドに向いていた。
「あ、えっと……騒動が収まるまで匿って欲しいっていうか…」
「成程」
ふむ、とユウナはユールを見た。
ユウナの意図がわかったのか、ユールはフンッと鼻を鳴らした。
「『フェンリル』も長引くと予想して、昨日よりも増援しているみたい」
その言葉を聞いて驚いたフィオドは、ユールを見やった。
「アンタ――じゃなくて……姐さん?」
「…言っとくけど、ユウナがどうしてもって言ったからよ。じゃなきゃ誰がアンタのためにやるもんですか」
フィオドは一瞬ためらったが、
「あ、ありがとう!」
と礼を言った。
「まぁ!?あたしにかかれば?こんなこと造作もないってことよ!」
礼を言われて照れたのか、ユールは再び鼻を鳴らす。
「…で、作戦的なものを考えてみた」
話を戻すために、ユウナはそう切り出す。
「相手が多いなら、減らせば良い。ということで、囮を使って敵を殲滅する。おのずとフィオドの場所もバレるだろうし、前回のように襲撃されて事務所が壊されてはかなわん」
まさに単純明快な作戦だった。
「でも、囮って…」
「囮はもちろんお前だ、フィオド」
それを聞いて、フィオドはがっくりと肩を落とす。
「他に方法はないのですか?」
シルビィはフォローするためにそう聞いた。
するとユウナは少し考えた。
「そうだな…『フェンリル』の上層部――ボスとかに掛け合うことができれば話は別だが…」
と言うと、フィオドはブンブンと首を横に振った。
「それは絶対無理だ。許される訳がない。そもそも裏切り者は必ず殺せって決めたのはルキさん――ボス本人だし、それは俺もやってきた」
やってきた――そういうことか。シルビィは理解した。
フィオドは治安維持班の元班長。裏切り者を始末する第一線の班を仕切る者だったのだ。それならば、裏切り者は必ず殺せというのは、よくわかっているのだろう。
「…はっきりしないわね。匿って欲しいとか言ったくせに、諦めるようなこと言って」
ユールがきつい目でフィオドに言う。
う、とフィオドは言葉に詰まったようだった。
「……ともかく、この後やってみるぞ」
***
そして作戦通り、B区の中央通りにて。
作戦を実行するために、ユウナとフィオドはそこを歩いていた。
一見散歩でもしているように見えるが、ユウナはいつでも敵が来て良いように、周囲を警戒しながら歩いている。
一方のフィオドは、緊張してソワソワしてしまっていた。敵がいつ来るかわからない不安もあるが、それ以上にユウナが隣にいることに、緊張してソワソワしていた。
何故かユウナと二人っきりだと緊張――というか、ドキドキしてしまうのだ。呆れたことに、どうして良いかもわからない。
そのまま黙っていると、ユウナがチラリとこちらを見た。
「…フィオド」
「なっな、何?」
驚き過ぎて、思わず声が裏返ってしまった。それ以前に心臓が飛び出そうだ。
「さっきからソワソワしているが、どうかしたのか?」
「何でもないよ!?気にしないで!」
激しく首を横に振り、フィオドは否定する。
そうか、とユウナはフィオドの気も知らずに話を続けた。
「それよりお前、この依頼が終わったらどうするつもりだ?」
「どうするって…」
「『フェンリル』を裏切って逃げている訳だが、この先の当てはあるのか?」
その問いに、フィオドはすぐに答えられなかった。
正直言って、当てはない。
それがユウナにもわかったのか、ため息をつかれた。
「ホント、わかりやすい奴だな」
呆れたように、ユウナは言う。
ごもっともです。フィオドは自分の不甲斐なさに悲しくなった。
「まぁまだ先の話だ。今は依頼が無事に達成することを考えよう」
フ、とやや遅れてユウナは微笑む。
その表情にフィオドはドキリとする。確か最初に会ったときも、こうなった気がする。多分顔も赤いはず。
ユウナに気付かれていないかと思い、彼女の方を見る。
しかしユウナは何か違うことに気付いたらしく、厳しい顔をしていた。
「……来たようだな」
ポツリとつぶやかれたユウナの言葉の後に、誰かの声――怒声が聞こえた。しかもだんだん近付いて来ている。
もしかしてだが――否、もしかしてではなくその声の正体は、まさに自分達――主にユウナが待っていた者達だった。
『フェンリル』の治安維持班や殲滅班の集団は、あからさまにこちらに向かって来ていた。
「いたぞ!アイツだ、ツンツン髪の!」
「隣の女はどうする?」
「関係しているなら殺せ!」
――などなど。
フィオドは慌ててユウナに聞く。
「ど、どうするんだ!?」
「慌てるな。作戦通り、数を減らしながら逃げるぞ」
そう言ってユウナは走り出し、フィオドが彼女の後を追う。
もちろん、いきなり逃げた二人を追って『フェンリル』の集団も走り出す。
その集団に向かってユウナは銃を構え、何発か撃った。
百発百中。撃たれた何人かの班員が倒れる。
フィオドはここでユウナの実力を知ることになり、驚いた。
それからユウナはまた走り、再び銃を撃つ。
「おい、フィオド!」
「何!?」
走りながら大声で話しかけられ、フィオドも大声で答える。
「何はあたしの台詞だ!どうしてお前も撃たない!?完璧不利だろう!?」
ここでまたフィオドは言葉に詰まった。
確かに自分は今銃を携帯している。だけど撃てない。理由は――
「お前も撃て!フィオド!」
ユウナがまた撃ちながら言う。
「……ごめん!」
「はぁ!?」
「俺…銃撃てないんだよ!」
は?とユウナはひどく驚いた顔になる。
「撃てないって…まさか怖気づいたのか!?」
「違うよ!ホント撃てないんだって!俺、撃つの下手なんだ!」
――そう。実はフィオド、銃は持っていても、その腕前がまったくないのだ。
「はぁ!?お前今更そんなこと言うか!?普通!最初から言えっこの馬鹿!!」
ユウナは一旦フィオドの腕を引っ張り、路地裏に隠れた。
敵は気付かずにその前を通り過ぎる。
切れた息を整え、フィオドは恐る恐るユウナを見た。
対してのユウナは息切れを起こしておらず、眉を寄せてこちらを睨んでいた。
「ユウナ――」
「お前、よくそれで『フェンリル』に――いや、班長でいられたな。というかそれ以前によく生きてこられたな」
怒っている。いや、当たり前か。自分だってそう思う。
フィオドはつい目をそらしてしまった。
「…治安維持班の班長とは言っても、俺は面倒事を押し付けられただけ。実力のある奴らは俺に何でも任せて好き勝手やる――それが、『地獄の番犬』と呼ばれた俺以外の二人」
それがフィオドが治安維持班の班長に属していた理由。何故自分のような者が班長になっていたのか。
自嘲気味にフィオドは続ける。
「所詮俺は凡人だ。部下には信頼されているかもしれないけど、それでもマルクルとヴァーグの足元にも及ばない」
その言葉にユウナが何か言おうとする。
「――裏切り者を発見した!至急増援を!」
しかし、追手に見つかってしまう。
ユウナはすぐさま銃を構えてその者達を一掃する。そしてフィオドに向き直る。
「そのことは後回しだ。撃てないとは言っても初心者じゃないんだろう?当たらなくても良い。牽制にはなるから撃て」
「…うん」
フィオドはねじり込んでいた銃を手に取った。ユウナのようには撃てないが、何度か撃ったことはある。きつく銃を握る。
「追っ手から逃げながら、事務所に戻ろう。事情が変わった」
事情――フィオドが使えないとわかったからであろう。戦力外、という訳だ。
タッと走り出したユウナの後を走る。
追手は前からも来ていた。
ユウナが構えて撃った後、フィオドも銃を構えた。
敵は撃たれまい、と物陰に隠れる。そんな彼らにフィオドは銃を向ける。その時だった。
「…フィオド?」
ユウナが不思議そうに見てくる。
「――やっぱり、無理だ……」
敵が隠れた物陰から、いくつかの顔がこちらの様子を窺う。その顔ぶれを、フィオドは知っていた。
治安維持班の、自分の部下達だった。
彼らの後ろから他の――殲滅班の者が身を乗り出して銃を構える。
フィオドは構えたまま、そこから動けなかった。
「このヘタレ!」
ユウナが発砲直前に、フィオドを庇うようにして飛び出す。そのまま道の端に転がる。
その後にユウナが部下達に銃を向けるのを見て、フィオドは叫んだ。
「ユウナ!やめてくれ!」
困惑して構えを解いたユウナに、また銃口が向けられる。そして発砲。
「クッソ!」
ぎりぎりのラインまで、ユウナはフィオドごと伏せる。パラパラと分裂された数本のユウナの銀髪が地面に落ちる。
そこでユウナはキレたのか、チッと舌打ちを漏らし、フィオドを残して壁を蹴って跳んだ。
呆然とする追っ手達の前に彼女は着地。そこから目の前の男に蹴りを放つ。
「走れ!フィオド!逃げるぞ!」
フィオドはその声で走り出した。
ユウナは何人かに体術をかまして、隙を見て逃げる。すぐにフィオドに追い付いた。
「この馬鹿!ヘタレ!根性なし!」
ありったけの暴言を、走りながら浴びせられる。
フィオドは何も言えず、ひたすら走った。
情けないのはとっくにわかっている。ユウナの暴言に当てはまっていることも、十分承知している。悔しい程に。
ユウナはフィオドが撃てなかった者達が彼の部下だった、ということもわかっているらしい。
流石のユウナも息が切れたようで、また二人は物陰に隠れる。
「…裏切るってことは、部下を敵にまわしてその部下に追われるってことだぞ。わからなかったのか、それを」
「俺は――」
もういい、と言いたげにユウナは首を振って息をつく。
「真面目過ぎる、お前は。悪い意味でな」
ユウナはフィオドに背を向ける。
そのまま歩き出した彼女の背中にフィオドは言う。
「……ごめん」
すると、ユウナは振り返った。その顔は今朝見たユーリとは似て非なる、鬼のような形相。
「謝るぐらいだったら、どうしたいのか決めろ」
再び歩き出したユウナの背中に何も言えず、フィオドはその数メートル後をついて行くしかなかった。
第三章 決断
「おかえりなさい――ってあら」
『天使の相談事務所』のリビングにて、ユウナとフィオドの帰りを待っていたシルビィとユールは、帰って来たのがユウナ一人だったので驚いた。
しかもユウナは顔をしかめており、何だかご立腹のようだった。
「ユウナさん、おかえりなさい。フィオドさんはどうしたのですか?」
そう聞くと、ユウナは一層顔をしかめさせた。
「知らん、あんなヘタレ野郎。勝手に殺されれば良いんだ」
そう言ってユウナは自身の部屋の方に向かった。
「ユウナ?」
「悪いが夕食はいらない。暫く話しかけないでくれ」
バタン、と大きめな音で扉が閉まる。
そのユウナの様子に、シルビィは少し困惑した。
「…どうかしたのでしょうか、ユウナさん」
「さぁね。フィオド君が何かやらかしたんじゃない?」
シルビィとは違って困惑しておらず、ユールは呆れたようにそう言うだけだった。
果たしてそうだろうかと考えていたら、また扉の音がした。今度は二階――玄関からだ。
「駄犬が帰って来たみたいね」
フイ、とユールが顔を階段の方に向けると、ちょうどフィオドがその階段を下りてくる途中だった。
「フィオドさん、おかえりなさい」
シルビィがにこやかに言うと、フィオドは疲れきったような表情で、無理矢理笑顔を浮かべてそれに答えた。
そんな彼に、ユールは容赦なかった。
「その様子だと、ユウナにこっぴどく言われたようね」
図星だったのか、フィオドは目を見張る。
シルビィはとっさにユールの名を呼ぶ。しかし良いのよ、とユール自身に止められる。
「……撃てなかったんだ。相手は俺の部下だった――」
「元、でしょ?」
ユールの紅い視線がフィオドを射る。
その視線に耐えきれなかったフィオドは、何も答えずに下を向いた。
「…情けないわね。そんなんだからユウナに見限られるのよ」
フィオド達に何があったのかシルビィ同様知らないはずなのに、ユールは見透かしたようにそう言った。そこはやはり、双子の不思議な繋がりがあるのだろうか。
「わかっているよ!」
急にフィオドが怒鳴った。
ビクリ、とシルビィは驚いてしまう。
「情けないとか、ヘタレだとか根性なしだとか!それは俺がよく知っている!役立たずなんてことは、とうにわかっているんだ!」
そう訴えたフィオドの頬に、ユールは平手打ちを放った。
「キャンキャン喚かないでちょうだい、この駄犬!何もできないからって、何もせずにあなたは怒鳴り散らすだけなの!?」
見なさい、とユールはフィオドの視線をシルビィに向けさせる。
いきなり何だろう?シルビィは二人を見た。
「シルビィちゃんが驚いているじゃない。あなたの勝手なせいでね。反省しなさい」
「ッ……!」
フィオドは唇を噛んでいた。
「あの、フィオドさん。私は大丈夫です。少し驚いただけですから」
と、シルビィは否定するが、フィオドは泣きそうな顔で首を横に振る。
「ごめんっ…シルビィ……」
そんなフィオドの様子に、シルビィは何も言えなくなる。見ていられない。
キツイのだろう。聞いたところではフィオドは、自分の不甲斐なさや矛盾しているところで決断を迫られているようだった。
「決めなきゃいけない――それはわかっているんだけど、やっぱり直面すると…できなくなるんだ」
ユウナを欠いて始まった夕食にて、フィオドはそう独白した。
「まぁ誰にでもあることよね、それは。だからって選択しないっていうのはいけないことだと思うわ。そうしなきゃ、進めないもの」
ユールが、口に含んでいたものを飲み下してから言う。
選択しなければ前に進めない、というユールの意見はシルビィにもよくわかった。シルビィ自身、約三ヶ月前の事件でそれを体験しているから。
「うん、わかっているよ…」
「だから決めきれていない癖に、そう言うの止めなさいって」
うぅ…とフィオドは肩を落とす。見ていて苦笑してしまう光景である。
「…その優柔不断な性格、どうにかしなきゃねぇ」
呆れた顔でユールは息をつく。
「そうですね。そこからどうにかしないと、どうにもなりませんよね」
「でもねぇ…」
シルビィの言葉に、ユールはちらりとフィオドを見やる。
「こうも優柔不断過ぎる人は初めて見たわ」
というユールの呆れた言いように、フィオドはまた肩を落とす。
「…フィオドさんは、迷っているのですよね?自分のやりたいことのために『フェンリル』を裏切ったものの、今まで共にいた部下の人達のことは簡単には切り捨てられない――」
そういうことですよね?確認のために、シルビィは二人に問いかける。
「……確かに、そうだ。俺はアイツらを切り捨てられない。だって今まで一緒に『フェンリル』で活動してきたんだ。良いことじゃなくても、一緒に。だから今更…共に戦ってきた仲間を撃つなんて、俺にはできないよ」
フィオドは苦しい顔をしていた。
そんな彼に、ユールは痺れを切らしたようだった。
「――あぁもう、ホント根性なしね。良い?飼い主の言うことは絶対。つまり、あたしの言うことは絶対なんだからね!」
「お、おう」
ユールは何か言いたいらしい。その解りにくい彼女に、シルビィまでもが困惑した。
「あなた、鬼になりなさい。自分の夢のためなら他はどうでもいい。邪魔する奴は屍にして踏み越えていく――そのぐらいの覚悟決めなきゃ、一生何もできないわよ」
それを聞いて、フィオドはうつむいた。
「…そもそもあなた、『フェンリル』を抜けてまで、何がしたかったの?」
そう問うたユールに、フィオドは静かにつぶやく。
「……前にユウナには言ったけど、困っている人を助けたいんだ。悪じゃなくて、善の立場で」
それを聞いたユールは呆れていた。
「『クライムシティ』に正義のヒーローはいない。求められてもいない。そんなの、ただの偽善者よ。ユウナもそう言うはずだわ」
「…うん、言ってた」
「だからあたし達『悪なき者』がいるの。あなたと同じように、困っている人を助けたいから。行動力のないあなたとは違って」
でも、とフィオドはうつむいたまま言う。
「『フェンリル』からは、抜けたんだ。追われても、死ぬつもりはない」
「それでも生きるために人を殺せない――撃てないんだったら、本末転倒よ」
ユールの厳しい言葉に、フィオドは何も言えていなかった。
もちろん何も言えないフィオドに、ユールは何も言わなかった。
「…フィオドさん、無理することはないと思いますよ?少し休んだ方が」
とシルビィが心配して言うと、ユールも同意したが、
「あ、でも休む前にユウナに謝りに行ったら?」
ふと思い出したように、彼女はそう提案した。
一方のフィオドは別の意味で、少し青ざめていた。
「……やっぱり、謝りに行った方が良いかな…?」
そう聞く彼の顔は引きつっていた。
もしかしてだが、フィオドはユウナに会いに行くのが怖いのだろうか?とシルビィは思ったが、いつぞやのユウナの激高を思い出し、考えを改めた。普段冷静な分、怒りの感情を露わにしたユウナは怖い。
「当然よ。あの子、自分の部屋の地下にいるはずだから、早めに行ってきなさい?」
とそこでユールの言葉に聞き慣れない単語があるのに気付き、シルビィは首を傾げた。
「…ユールさん。この事務所、地下があるのですか?」
ここ『天使の相談事務所』に住み始めてから二、三ヶ月が経つが、地下があるという話は今初めて聞いた。
「えぇ。ユウナの部屋からしか繋がってないけどね。防音とかに優れた射撃場になっているの」
ユール曰く、幅は狭いが奥行きは二十メートル程あるらしい。ある人が、開業前に作らせたのだという。
「すごいな。だからあんなに強いのか」
感嘆したフィオドが言う。
「まぁあの人の修行のお陰なんだけどね――っていうかあなた、早くユウナに謝りに行った方が良いわよ?」
それに、とユールはユウナの部屋がある方向を指差す。
「ユウナが射撃場に籠るときは大抵、射撃の調子が悪いときか、機嫌が悪くてストレス発散するときなのよね」
「……行って来ます」
先程の少し青ざめたフィオドの顔が、さらに青くなっている気がした。
***
さっと二つの銃を構え、容赦なく連続で引き金を引く。弾倉がなくなったらすぐに交換し、また撃つ。
そうして、二十メートル程先にある的が原型を留めずボロボロになってから、ユウナは銃を下ろして大きく息をついた。
今撃っていたのは練習用の弾丸で、実弾ではない。故に無駄遣いするな、とユールに叱られずに済むのだ。
しかし、今ユウナはそれどころではない。
「…まだスッキリしないな」
と顔をしかめ、弾倉の準備をする。
ユウナはフィオドの件でまだイライラしていた。それだけ腹が立った、ということでもある。
フィオドはどうしようもない。人間、誰でも決断できないことはあるだろうが、彼は本当にダメだ。優柔不断なところも、ヘタレで根性なしのところも。気に食わない。
弾倉の準備を終え、再び構えて撃つ。
ユウナがまだイライラしている理由は、もう一つ、あることを思い出したからだった。
――〝『悪なき者』ってね、誰かを助けたいと思う気持ちさえあれば、誰にでもなれるものなんだよね。〟
その言葉はある人から言われた言葉だった。
これに沿うと、フィオドは『悪なき者』に当てはまる、ということになる。それがユウナは気に食わないのだ。
フィオドには誰かを助けたい、という気持ちがある。だが、他人の屍を踏み越えて行くことができないし、しようともしない。
だったら自分はどうなる?他人を救うために、他人を殺すしかなかった自分は。『悪なき者』ではないのか?ただの人殺しなのか?
ユウナは撃ちながら歯噛みする。
つまりは、だ。フィオドには決断して欲しいのだ。他人を助けたいのならば殺せ、と。甘ったれた根性じゃ誰も助けることはできない、とわかって欲しい。
そうでなければ、あたしは――
そこで銃弾が切れた。ユウナは舌打ちをした。予備の弾倉もない。クソ、と吐き捨てる。
カタン、と音がした。この地下射撃場の出入り口である梯子の方からだった。
ユウナは振り向きざまに銃を構えた。弾倉は空なものの、威嚇にはなる。
普段ここには自分しか入らない。ユールでさえも、ユウナが射撃場にいるときは邪魔しない。放っておいてくれる。
しかし入って来たのは、意外にもフィオドだった。
彼は銃を向けられて驚いたのか、とっさに両手を上げていた――降参のポーズだ。
「…何だ、お前か」
そう言って銃を下ろすと、フィオドは安心したように息をついた。
「何の用だ?」
そんな彼に、言葉と共にキツイ視線を送ってやる。結果フィオドは目を逸らした。
「えっと、あの――」
しどろもどろした後、フィオドは意を決したような表情で、
「その、ごめん!」
と勢いよく頭を下げた。
ユウナは一瞬驚いたが、すぐに呆れて息をつく。
「…謝るぐらいなら、その優柔不断でどうにもできないクソみたいな脳味噌で決断しろ、とあたしは言ったつもりだったんだが」
そのとき言っていないような言葉を並べて、フィオドに言う。
「それとも…決断したから、謝りに来たとでも?」
フィオドはまだ頭を下げている。表情はうかがえない。
「……うん」
ポツリ、とフィオドはうなずいて顔を上げた。
何と言うか、変な顔だった。今にも泣きそうで怯えているような表情なのに、本人にその意思はないとわかる。無意識にそういう顔になってしまっている、と。何故それがわかるかというと、フィオドの淡い水色の瞳が語っている――もう大丈夫だと。
ユウナは何だか可笑しくて、声を上げて笑った。フィオドが戸惑っているのも構わずに。
「お前、本当に変な奴だな。ホント、変だ」
笑いが止まらない。
こいつ、素直過ぎる。ユールの言う通り犬だ、犬っぽい。
やっと落ち着いて来て、ユウナは改めてフィオドを見やった。
「撃てるのか?」
突然聞いた質問にフィオドは慌てていたが、すぐに先刻のことだとわかったらしい。
「…俺、鬼になるよ。アイツ等の屍を踏み越えて、前に進むんだ」
それを聞いて、ユウナは頭を振った。その言葉は聞いたことがあったから。呆れたものだ。
「それ、ユールの受け売りだろ。そもそもはアイツの言葉なのにな」
「うっ…」
と怯むフィオドを見て、ユウナはまた笑う。
呆れるしかなかった。さっき自分が悩んでいたのが馬鹿らしく思うぐらい。フィオドのせいかそれともお陰か、あの悩みはどうでもよくなってしまった。
「自分の頭と言葉で決断することはできないのか?お前。そんなだから、ヘタレなんだ」
「…うん、ごめん」
何故謝る。ユウナは自分を呆れさせ過ぎたことと、日中の件とで合わせて彼に腹パンをお見舞いしてやった。そんなに本気の力ではなかったのに、フィオドは体をくの字に屈めて痛がっていた。
そんなフィオドに構わず、ユウナはボロボロになった射撃の的の方に向かった。
「…明日、きっと『フェンリル』は今日以上の戦力を加えて仕掛けてくるはずだ。多分この事務所にお前がいるとつかんでいると思う」
「それって大丈夫なの?」
ユウナはボロボロの的を新しいものに替えてから、フィオドに向き直った。
「さっき自分で言っただろう?前に進む、と。大丈夫なのかはお前が決めることだ」
そしてフィオドの近くに戻って、彼に銃を投げ渡した。
フィオドは驚きながらも、銃をあたふたとキャッチする。
「……だが覚えておけ」
先程と同じ剣幕で、ユウナはフィオドを睨んだ。
「もしその決意が守れなかったら、あたしが『フェンリル』の代わりに――お前を殺してやる」
ゴクリ、と唾を飲む音が聞こえた。
ユウナは遅れてフッと笑いって目を伏せた。
「あたしが戻って来るまで、射撃の練習をするといい」
「良いのか?」
「あたしが戻って来るまでは、な」
じゃあな、と手を振って梯子を登る。
世話の焼ける奴だ。ユウナは自室の扉を開けた。
***
リビングの方に行くと、まだ電気がついていた。
消し忘れか?ユウナは首を傾げながら、その扉を開けた。
「あ、ユウナさん」
意外にも、シルビィだった。
もう遅い時間なのにも関わらず起きている理由はわからないが、余程暇だったらしく、シルビィは食器を磨いていたりしていたようだった。
「…何をやっているんだ?シルビィ」
何故いつもなら自身の部屋にいるのにここにいるのか、何故食器磨きなのか、という二つの意味を込めて、ユウナはシルビィに聞く。
するとシルビィは聖母のような笑みを浮かべた。
「貴女を待っていたのですよ、ユウナさん」
「あたしを…か?」
「はい。お腹が空いているでしょう?夕食を食べずに籠ってしまって」
あ。ユウナは今それを思い出した。お腹がぐぅ、と悲鳴を上げる。
それを聞いたシルビィは意外そうに笑う。
「ちょっと待って下さいね。温め直しますから」
「…すまないな」
少々恥ずかしく思いながら、シルビィと入れ替わりに席に座る。
あのときは本当に夕食はいらないつもりだったのだが、ユウナのお腹は耐えられなかったらしい。まったく。
これもあのヘタレ犬のせいだ。シルビィに余計なことをさせてしまった。
そんなユウナを余所に、シルビィは何か嬉しそうだった。
「……何を笑っているんだ?」
「あ、すいません。不快でしたか?」
いや、とユウナは否定する。
「…何か、嬉しくて。ユウナさんが頼ってくれるようになって」
「家事面は仕方ないだろう。あたしもユールもド下手なんだから。まぁ…仕方なく頼っている訳じゃないがな」
と言うと、シルビィはまた笑った。本当に嬉しそうだ。
シルビィはとても良い子だ、と改めて思った。素直でよく笑って、家事は何でもできて。優柔不断などこかのヘタレとは大違いだ。
比べるのもお門違いだな、と思いつつ苦笑していると、シルビィがポツリと聞いてきた。
「…フィオドさんとは、和解しましたか?」
何となくだが、シルビィはそれを一番聞きたかったんじゃないかと思う。彼女なりに心配していたのだろう。
「和解…と言えるのかな、あれは。アイツ自分で考えてないし」
「それがフィオドさんの性格みたいですから、勘弁してあげては?」
「それじゃあダメなんだ。この『クライムシティ』ではな」
そう答えると、シルビィは苦笑したようだった。それから振り向いて、ユウナにスープを差し出した。
そのスープを、ユウナは礼を言って受け取る。
「…ともかく、次にアイツがまた何もできなかったら殺――そこまでだ、と言っておいた」
フィオドに言ったことをそのまま言わなかったのは、シルビィが悲しむかと思ったからである。一度知り合ったら誰でも心配する彼女は、本当に優しい子だと思う。
話を変えるために、ユウナは言葉を続けることにした。
「明日はきっと『フェンリル』も総力を決すると思う。フィオドがここにいるとバレているかもしれないから、念のためお前も気を付けておいてくれ」
「――そういうことには、ホント鋭いわよね。ユウナって」
そう言われたのは、スープを少し飲んだ後だった。
「…それはどういう意味だ?ユール」
ユウナは知らずのうちにリビングに入って来ていた姉に、碧の眼を向ける。
シルビィも今気付いたようで、小さく声を上げる。
「そのままよ。あなたが自分のことにはとことん鈍いっていう遠回しもあるけど」
「はぁ?」
訳がわからん、と言うユウナを余所に、ユールはその向かいの席に座る。
「ねぇ?シルビィちゃん。あたし達から見ても丸わかりよねぇ、アイツ」
ユールの言葉に、シルビィは苦笑するだけだった。
その二人の様子に、ユウナは何か隠し事をされているような気分だった。気に食わない。
「まぁさておき…予想は当たっているわ、ユウナ。明日『フェンリル』はB区に潜伏している裏切り者を絶対に始末する、との情報よ」
――やはりか。ユウナはフンッと鼻を鳴らす。
「数は?」
「殲滅班が二部隊程。あとは治安維持班がほぼね。暗殺班も出てくるかもね、戦況しだいでは」
どうする?とユーリが目線で問いかけてくる。
「…一応目くらましだとか、策を考えておく。後はフィオド次第だが――あぁ言ったし、撃たない訳がないと思う」
と言ったユウナに、ユールは眉をひそめた。
「……もしかしてだけど、フィオド君に撃たなきゃあたしが殺す、だなんて言ってないわよね?」
その問いに、シルビィが動きを止めるのがわかった。
ユウナは自分に対して鋭いユールを呪いたくなり、息をついた。
「…図星なのね」
「別に良いだろ。あぁでも言わなきゃ、フィオドまた撃たない。ループが続いてしまう」
でも、と言ったのはシルビィだった。
「フィオドさんがちゃんと撃つって…信じていますよね?」
「――あぁ」
ユウナはシルビィの緑の瞳をまっすぐ捉え、うなずいてみせた。
つまり自分は、シルビィに余計な心配をさせたくないらしい。だってこの子はまだ若い。今まで苦労してきた分、あまり心に負担を負わせてはいけない。それが日頃から家事などで頼っている恩返しだと思う。
決戦は明日。フィオドの命運も明日に懸かっている。依頼を受けた以上、フィオドを死なせてはならない――彼が決断を間違えなければ、の話だが。
ユウナはスープを空にした後、早速自分の部屋に戻って明日に備えた。
地下からは本人と同じく必死な銃声が聞こえていた。それをBGMに、ユウナは銃の点検をしながら苦笑した。
***
「――え、それ…どういうことっスか」
元々薄暗い室内は時間帯が夜のせいで、もっと暗くなっていた。月明かりも届かないこの地下は、夜目が効かなければ、中の構造をよく知っておかなければ迷ってしまう。
そんな暗い地下の廊下を早歩きで歩く人物に、彼は話しかける。
前方に誰かがいる、とわかっていなければ、彼が暗闇に向かって独り言を言っているようにしか見えない。
前にいる人物は、闇に溶け込みつつ、憤慨していた。
「どうもこうも、裏切り者を殺すなって彼が言ったのよ」
「だから裏切り者を追うのは止めろって?無理ですよ。もううちの班も二部隊分出しているんですから。ゼオンの班だって…治安維持班に至っては、やる気満々ですよ?」
そう言うと、幼い声はもっと憤慨した。
「今回の襲撃を止めるつもりはないわ。ただ次で殺せなかったら、フィオドを追うのは諦めろって。納得いかないわ。あの子達が悲しむから?ふざけないで欲しいわ」
と急に彼女が立ち止まって、こちらを向いた。
当然自分も止まる。
「デュラン、治安維持班のヴァーグにも伝えて。次で絶対殺しなさい、と。これはあなたにも言っているのよ」
「…俺は各々の隊長にそこら辺は任せているんで」
「関係ないわ、班長はあなたなんだから。戦場に出なくても。ゼオンがいない今、暗殺班もあなたに任せているのよ?あの子の分まで班を動かしなさい」
そう言われたので、肩をすくめてみせた。
すると呆れたらしかった。大きな息をつかれて、再び歩き始める。
その後をついて行こうとすると、怒られた。
「ついて来ないで」
今日はとことん、機嫌が悪いらしかった。
触らぬ神に祟りなし。そう思って立ち止まっていると、もう前方の暗闇には誰もいなくなっていた。
「はぁ~…面倒くせぇなぁもう」
今の時点で深夜遅くを回っているが、今日はもっと働かなければならないだろう。そうすると、いつ休めるだろうか。
それでもし作戦が失敗したら、八つ当たりは自分に来るだろう。となると、休む暇はないに等しかった。
ハァ、ともう一度ため息をつく。
「…ったく、何でこんなときにあの馬鹿はいないんだ」
半年近く前まで自分の隣のいた、同じ特徴で同じ立場の彼を思い出す。
いても困るが、いなくても困る同僚は今どこにいるのか。ボスは行方を知っているらしいが、今は放っておいて良いのだそう。
アイツがいたら、ボスもそんなに怒ってはいなかっただろうに。
奴が帰ってきたら、思いっきりぶん殴ってやろうと考えながら、彼は元来た道を引き返した。
まずは作戦を練っているだろう、治安維持班のヴァーグと自分の部下達の元に行くことにして、暗闇の道を慣れた足取りで歩く。
決戦の時間は、間近に迫っていた。
第四章 決戦
翌朝、やっぱり寝られなかった寝不足のフィオドは、欠伸をしながら一階に降りる。
一階のキッチンでは昨日と同じく、シルビィが朝食を作っていた。そんなシルビィは起きてきたフィオドに気付くと、ニコリと笑った。
「フィオドさん、おはようございます」
「あぁ、おはようシルビィ」
と挨拶を返すフィオドの顔を見て、シルビィは苦笑したように笑う。
「…また、眠れなかったのですね」
「……まぁね。どうしても、今日のことを考えると…ね」
今日、ユウナが言うには『フェンリル』が大規模な戦力で、自分を殺しに来るらしい。ユウナを信じきれない訳ではないが、どうにも不安だ。
そんなフィオドを見かねたのか、シルビィが席に座った自分の前に、静かにコーヒーを置いてくれた。
気を遣われているとわかって、フィオドは申し訳なくなった。
「ごめん、ありがとう」
そう言うと、シルビィは照れくさそうに微笑む。
そこで扉が開いた。ユールである。
「またあたしより早いなんて…ホント良い度胸してるわね」
「いやわざとじゃないって――」
「け、い、ご」
「…わざとじゃないです」
ユールの鋭い声に、フィオドは肩を落として言い直す。
きっとこの人に逆らったら精神的に死ぬんだろうな、とフィオドは密かに思う。
「あら、寝不足?」
ふとユールにそう聞かれる。また隈ができているのだろうか。
「うん――はい、眠れなくて」
というフィオドの答えに、ユールはふぅんと返す。
「寝てないってことは、作戦を考えていたからってことにしておくわ」
「えっ…えぇ?」
冗談よ、とユールは意地の悪い笑みを見せる。
やっぱり無理だ。フィオドが逃げるようにコーヒーを飲もうとしていると、シルビィが皿を持ってこちらにやって来た。
「ユールさん、あまりフィオドさんをいじめてあげないで下さい。見ていて可哀想ですよ」
「だってそうでもしないとつまらないもの。ただでさえ男は嫌いなのに」
ていうか、とユールは半目になる。
「見ていて可哀想って、フォローにもなってないわよ?シルビィちゃん。逆に憐れまれているようにしか聞こえてないと思うわよ」
確かにそうであるのだが、フィオドがずっと苦笑いをしていることを、シルビィは気付かなかったらしい。
「あっすいません…」
シルビィは天然なのかな?とフィオドは思いつつ、大丈夫と答える。
とそこで、電子音が鳴り響く。
音からして、フィオドの携帯電話のものだった。今まで電源を切っていたのだが、ふと思い立って今朝電源をつけたのだ。フィオドは急いで確認する。
「あ」
着信画面を見て、フィオドは固まる。
その異変に気付いたのか、ユールとシルビィが近付いて来た。そして画面を覗き込んでくる。
「誰よ?これ」
「いやぁその…」
電話の相手は、フィオドの元同僚――つまり、『フェンリル』の構成員だった。
「はぁ?出ちゃだめよ。居場所をリークされちゃうかもしれないわ」
「でも、信用できる相手なんだ。アイツは俺の友達っていうか悪友で…」
不服そうなユールを他所に、とにかく出てみるか、と恐る恐るボタンを押す。
すると、
『早く出らんかいこのヘタレわんこがぁぁ!!』
「ひぃ!?」
電話の相手――マルクルの怒声にフィオドは飛び上がる。
『やっと出たなこの野郎。俺だけにはちゃんと連絡しろって言っただろうが』
「ご、ごめん。そういう余裕なくて…」
そう言うと、マルクルのため息が聞こえた。呆れられているらしい。
マルクルはフィオドと同じ『フェンリル』の治安維持班の者だ。『地獄の番犬』の一角でもあり、フィオドよりは実力者である。彼は裏の気性が激しいものの、普段は面倒見が良い奴で、『フェンリル』の中でも一番仲が良いと言ってもいい奴である。
『まぁそれはさておき…おい、ヴァーグが動き出したぞ』
「え、嘘だろ!?ヴァーグが?」
驚きのあまり、フィオドは耳を疑った。
フィオドが大した実力がないのに何故か班長をやっている理由は、他の二人よりマシだったからである。
マルクルは実力はあるものの、自分は上に立つのは向いていないと自ら辞退し、そしてもう一人――ヴァーグは治安維持班きっての問題児だった。『地獄の番犬』最後の一人である彼にとって、規律背反はいつものこと。暴れることを誰よりも好んでいる。三人の中で一番実力はあるが手に負えないので、班長に一番向いていない。
そんなこんなで、班長はフィオドがやっていたのだ。
『嘘じゃねぇぞ。アイツは治安維持班のほとんどを引き連れて、お前を殺しに行くらしい。他にも殲滅班、暗殺班も一部出るってよ。とんだVIP待遇だな』
「冗談はよしてくれ、頭が痛くなる」
クソ、と頭を押さえてユール達の方を見る。どうやら二人とも状況を察したようだった。
「もう出発したのか?」
『いや、まだだ。今ちょうど集まっているところだ』
「そうか…なぁマルクル、俺のことは――」
『大丈夫、言わねぇって。もちろん俺が情報をゲロったことも言わない。むしろバレたら俺がヤバい。俺とお前の仲だろ?』
ありがとう、と電話越しにフィオドは礼を言う。
一方のマルクルは笑ったようだった。
『良いってことよ。その代わり、生き残れよ?生き残って、現状報告してくれよな』
「あぁ、必ずするよ。本当にありがとう」
そう言って、通話を切る。
二人の方を向くと、ちょうどユウナも起きてきた。
「ユウナさん、おはようございます」
「おはよう……どうした、何かあったのか?」
起きてきて早々、ユウナは異変を感じ取っていた。さすがに鋭い。
「『フェンリル』から確信の情報がきたわ。あたしの予測通り。今から来るらしいわ」
と姉から聞いたユウナは、今まで眠そうだった眼をカッと見開いた。
「…やはりか。よし、早速迎え撃とう。フィオド、準備を手伝え」
「うん、わかった」
え、と戸惑ったのはシルビィだった。
「あの…皆さん朝食は?」
どうやらユールも朝食を放って観戦するようだった。だからシルビィは皆さんと言った。
その問いに答えたのはユウナだった。
「朝食は後からな。だから、美味しいものを作って待っていてくれ」
「……はい、待っています」
シルビィのためにも、生き残らなければならない。それからマルクルのため、ユウナに殺されないため、ユールを見返すため。そして自分の未来のために。
必ず、生き残ってやる。そうしてフィオドはユウナの後を追い、リビングを後にした。
***
その景色は、壮観と言っても良い程だった。
何故これ程までに、人は何かのために集まれるのだろうか。まぁ理由は決まっていて、自分を殺しに来たんだと他人事のようにわかる。
総勢は、百人程いるだろうか。殲滅班と暗殺班が一部で、自分の元部下達がほとんどこの場に集まっているらしい。
今更ながらに、フィオドは震えそうになっていた。しかし、そんなことも言っていられない。今日、すべてが決まるのだ――生きるか死ぬかが。
フィオドは不安を紛らわすために、隣のユウナを見た。
ユウナはじっと、『天使の相談事務所』の下の方にいる群衆を見ていた。
そして彼女の視線の先、群衆の中から、一人の男が人々をかき分けて出てきた。その男はこちらの方を見上げると、おもむろにメガホンを取り出した。
『よおぉ、裏切り者フィオド!テメェが出て行ったのはついこの間だってのに、随分と久しぶりに会う気がするぜ!』
メガホンで無駄に声を張り上げた男――『フェンリル』治安維持班の問題児ヴァーグは、ギロリとフィオドを睨んでくる。
一方のフィオドは彼に会いたくなかったため、うんざりとした顔になっていた。
『今から殺しに行ってやるから、そこで大人しく待っていろ!』
「あ~…だからアイツ嫌なんだよ」
好戦的で、何があっても暴れたがっていたヴァーグには、フィオドは裏切る前から苦労していた。それが敵に回るとなると、本当に嫌なのである。
その猪突猛進っぷりに、ユウナがやっとこちらを見た。顔は呆れていた。
「うるさい奴だな。良い意味でも悪い意味でも熱い奴だ」
「アイツは昔っから、あんな感じの凶暴な奴だよ」
呆れる程ね、とフィオドは肩をすくめる。
そうしているうちに、ヴァーグが先程よりも近くまで来ていた。単身で乗り込んでくるつもりらしい。
フィオドがどうしようか、と考えていた直後、いきなり隣のユウナが二階分の高さがあるこの場所から飛び降りた。
「ちょっ、ユウナ!?」
慌てて下を見るが、ユウナは無事着地していた。前に彼女の身体能力の高さを目の当たりにしているので、半分くらい流石だなと思っていたが。
「あぁ?何だテメェ」
突然女が立ちふさがったため、ヴァーグは目つきの悪い顔でガンを飛ばす。
一方のユウナはいつもの無表情で、凛と立つ。
「あたしはフィオドに依頼された、『悪なき者』だ。フィオドに身の上の安全を依頼されたため、お前達を一掃する」
ユウナがそう言うと、ヴァーグはハッと馬鹿にした笑みを漏らした。
「ハッ、堕ちるとこまで堕ちたなぁ、負け犬フィオド!女に頼るなんて、どんだけヘタレなんだよ!かっこ悪い野郎だなテメェは!」
まぁいい、と言ってヴァーグは右手を挙げる。ガチャリ、と後ろに控えている治安維持班と殲滅班の一部が各々(おのおの)の銃器を構える。
「裏切り者は抹殺。それから、その裏切り者に協力した奴は『フェンリル』の敵だと見做し、同じく抹殺。という訳で、二人仲良くあの世に逝きな」
ヴァーグの右手が下ろされ、彼の後ろから銃器が火を噴く――はずだった。
彼の右手は完全に下ろされる前に、撃たれていた。だからヴァーグは血が噴き出した右手を押さえ、苦い表情になっていた。
撃ったのはユウナではない、フィオドだ。フィオドは自身の放った銃弾がヴァーグの右手の甲に被弾したのを確認してから、ユウナと同じように飛び降りた。
二メートル程下の地面に着地したとき、かなりの衝撃が痛かったがそれを耐え、苦しんでいるヴァーグを見やる。
「フィオドッ…テメェ……!」
物凄い形相でこちらを睨んでくるヴァーグに、フィオドは臆することなく彼の前に立ちはだかる。
「……あのヘタレ野郎の弾が、この俺に当たっただと…?まぐれだ、まぐれに決まっている!クソッふざけた真似しやがって!」
ヴァーグはバッと後ろを振り向く。
「お前ら、撃て!女共々裏切り者を始末するんだ!」
そうヴァーグは命令するが、治安維持班のほとんどの者が、撃たなかった。撃ったのは治安維持班ではない殲滅班と暗殺班の者達だけだった。
その様子にヴァーグも、もちろんフィオドとユウナも後退しつつ驚いた。
「何をしている!?撃て!」
「や、やっぱり無理だ。フィオドの兄貴を裏切れねぇ」
治安維持班の者達は、戸惑っていた。今まで自分達の長をやっていたフィオドを殺せるのか、と撃ちかねているようだった。昨日まで弱音を吐いていたフィオドのように。
一人の嘆きからどんどんと戸惑いは広がり、殲滅班の者達も何だ?と撃ってこない。
気付かぬうちに、フィオドはこんなにも信頼されていたのだ。
そんな彼らを殺せない、と思ったフィオドはとっさの思いつきで、叫んだ。
「お前達!死にたくなかったら今すぐここから逃げろ!これは俺の最後の命令だ!!」
フィオドの『フェンリル』治安維持班班長としての最後の命令に、ほとんどの者が銃火器を捨てて、逃げて行く。残ったのは殲滅班と暗殺班の一部と、ヴァーグ。
取り残されたヴァーグは、混乱した様子で逃げて行く部下達を目で追う。そしてフィオドを睨む――その目は、さながら獲物を奪われた凶暴なハイエナのようだった。
そんな彼との距離を、フィオドは一歩縮める。
「…フィオド、残っている連中はあたしに任せろ」
「ユウナ、ありがとう」
そう言われたユウナはフン、と鼻を鳴らして銃を構える。
ヴァーグは、歯ぎしりをした。
「……だからテメェのことは前々から嫌いだったんだ!弱っちい癖に他人を助けたいだなんて抜かして、弱い者同士集まって群れを成して…!マルクルでさえも、テメェのことばかりで!ふざけんな!甘ちゃんの癖に!」
というヴァーグの激高に、フィオドは言い返す。
「俺だって、お前のことが嫌いだ。そこまで俺を嫌って殺したいのなら、殺してみろ。俺だって容赦しない!」
「上等だゴラァ!」
そう言ってヴァーグは殴りかかって来る。
それをフィオドは流し、背負い投げる。しかしそれは罠で、ヴァーグはフィオドの頭を自身の両足で挟み込み、そのままバック宙のように回転し、地面に叩きつける――フィオドはフランケンシュタイナーの餌食にあう。
そしてフィオドに馬乗りになって優位に立ったヴァーグはニヤリと笑い、ナイフを取り出す。
ナイフで刺されるかと思いきや、いつの間にか殲滅班を一掃させたユウナがこちらに駆けつけて来て、ヴァーグの顔面に蹴りを放つ。
ユウナの蹴りを、腕で顔を庇うことによって防いだヴァーグは、フィオドから離れて舌打ちをする。
「ユウナ!」
「大丈夫か?依頼人に死なれると困るんだが」
女の子に窮地を救われるのはいささか抵抗があるが、ユウナの場合は仕方ないとでも思った方が良さそうだ。
そんなユウナはフィオドを立たせてから、ヴァーグを見やった。
「っこの女…悔しいがやるな。何でその野郎を助ける?」
というヴァーグの質問に、ユウナは冷たい視線を送る。
「さっきも言ったが、依頼されたからだ。よってあたしは、フィオドを守る義務がある」
そう言ってユウナは続けてヴァーグに言う。
「そんなことより、お前に一つ言いたい。確かにこいつはヘタレで犬で根性なしだが、他人に信頼されやすいという、長所を持っている。それをお前が妬もうが関係はないはずだ。それがフィオドの性格なんだからな」
いきなりユウナが褒めてきたので、フィオドは驚きつつも少々照れる。前半は貶されていたようだったが。
一方のヴァーグは、また歯ぎしりをしていた。
「クソッホント気に食わねぇ!俺は認めねぇ!殺して――」
その時だった。銃声が鳴り響いて、ヴァーグの心臓を貫いた。
フィオドはとっさにユウナを見た。ユウナが自分に聞かず、撃つ訳がないと思いながら。
予想通り、ユウナは銃を構えてもいなかった。フィオドと同じく驚いた顔をしてこちらを見返していた。
それを確認したフィオドは、ヴァーグの元へ走った。そしてしゃがむ。
「ヴァーグ!大丈夫か!?」
地面に倒れたヴァーグは、返事の代わりのようにゴフッと血を吐く。
「伏兵…かよ。テメェ、らしくねぇ……」
「違う、俺達が仕組んだ訳じゃない!」
「…ハン、どうだか」
フィオドは正直ホッとしていた。自分でも殺すつもりだったが、でも他人に撃たれるとは予想していなかったので、彼の心配をしてしまった。
「ていうかテメェ…馬鹿、かよ。普通放っておくだろ…俺のこと、嫌いな癖に…憎んでいる癖に、よ。そういう、とこ…ホント嫌いだ。うぜぇ…」
ヴァーグは多分死ぬだろう。彼の背中に広がる血の量でそれがわかる。それでもヴァーグは、フィオドをキッと睨んで、その胸倉をつかんで引き寄せた。
「っヴァーグ…?」
「――忠告だ、馬鹿犬。そんなんじゃ、いつか後悔して死ぬぞ」
と言われたフィオドは呆然となる。
そんなフィオドに対して、ヴァーグはハッと笑ってまた血を吐く。
「あぁ、でも…テメェなんかに殺されなくて良かったぜ…テメェに殺されたりしたら、悔しくて…仕方ねぇや――」
そうして、ヴァーグは逝った。
フィオドにとってヴァーグは、暴れることが好きな問題児だった。彼に言った通り、嫌いだった。自分とは性格が合わないし、その点に関しては、憎んでもいたのかもしれない。
でも、それでもヴァーグはフィオドの仲間だった。一緒に治安維持班で働いてきたのだ。だから他の部下達と同じく、本当は殺したくなかったのかもしれない。
だから他の人が殺してくれても良かったのかもしれない、何て。でも自分の手でケリをつけたかった、何て。
矛盾した思いを振り払うように、フィオドはヴァーグの死体から目を離した。
「……大丈夫か?」
そう言いながら、ユウナが近付いてきた。表情はあまり変わっていないが、きっと心配してくれているのだろう。
「…うん、大丈夫」
少し無理な笑顔だったかもしれない。気持ちの整理がまだついていなかったから。
でもユウナは特に何も言ってこず、そうかと小さく返してくれた。
そんなユウナだったが、突然ピクリと反応して、どこか遠く――廃ビルの方を見始めた。しかも何故か殺気を含んだような眼で、そこを睨んでいる。
「…ユウナ?」
とフィオドが呼ぶと、ユウナの眼はいつもの鋭さに戻って、こちらを振り向いた。
「どうかした?」
「いや、何でもない。ただ…ちょっと変な視線を感じただけだ」
変な視線?フィオドが先程ユウナの見ていた方向を見ても、そんなものは感じない。
それでも、ユウナはもう一度廃ビルの方を睨み続けた。
――何はともあれ、『フェンリル』の裏切り者事件は失敗に終わった。これは『フェンリル』史上初の裏切り者の抹殺失敗として、幕を閉じることとなった。
***
気のせいか、とユウナが視線を逸らして、事務所に戻ろうとしていたのと同じ頃。
「…ふふっ、あはっあはは!」
ユウナが殺気を放った、例の廃ビルの屋上にて。
屋上にいた男は、ハラペットに隠れて大爆笑していた。
その傍らには狙撃銃が一挺あるが、男の性格を表すかのように転がっている。
男が笑っている理由として、先程ユウナがこちらに気付いて睨んできたことが一因ある。
さっきまで暴れていた『フェンリル』治安維持班の一人――ヴァーグの隙を見て、撃ち殺したのはこの男だった。あそこまでの距離は三百メートル弱あるが、この廃ビルから悠々と彼は撃ってみせた。
そんなことよりも、男はユウナが気になった。当然この男はユウナの名前を知らないが、興味を惹かれたのは確かである。何故なら、普通こんな遠くにいる狙撃手には気付かないもので、それが撃った直後ならまだしも、数分経過した後にこちらの場所に気付いたのだ。場所が正確にわかっていたかは知らないが。
「いやー…すごいね。どんだけ鋭いんだよ」
男はユウナの鋭い碧の瞳を思い出し、武者震いに似た興奮の震えを感じた。
彼女に会ってみたい。その瞳に間近で睨まれたい。その瞳に自分だけが写ると思うと、ゾクゾクする。
しかしそこで、ピリリと携帯電話が鳴った。
男は今まで放りっぱなしだった狙撃銃を拾い上げてから、その電話に出た。
『やぁ、首尾はどうだい?』
そう言ったのは、男か女かもわからない電子音だった。
その相手に男は動じることもなく、平然と答える。
「いつも通り、難なく終わったよ」
『そのようだね。相変わらず良い仕事をやってくれるね、君は』
相手は男の雇い主だった。だから相手が電子音で依頼を頼んできたり、終ったのを見計らって電話を掛けてくるのはいつものことで、男にとっては慣れっこだった。
今回の依頼は、この『フェンリル』裏切り者騒動で先頭に立って動いている者の始末。つまりヴァーグの暗殺。
相手はいつもこのような『クライムシティ』全体の騒動を止めるために、男を使っていた。
そして今回、殺すのが何故、裏切り者ではなかったのか不思議だが、相手はいつも突拍子のないことばかり言うので、気にはしない。
さ、と相手が切り出す。
『報酬の話をしよう。いつもお金ばかりだと君がつまらないだろうと思って、今回はお金ともう一つ、付け加えることにした。君の働きぶりに敬意を表してね。何が良いかな?何でも言ってごらん』
男はその話を待っていた。いつかプラス報酬が来るのではないか。しかもあの子のことを調べるチャンス――良いタイミングである。じゃあ、と男は嬉しそうに切り出す。
「あの子のこと、調べてくれない?ほら、今回裏切り者側にいたあの銀髪の子!」
長い銀髪を棚引かせて、敵を一瞬で葬り去るあの姿はとても美しかった。例えるなら、美しさと残虐性をあわせ持つ〝天使〟。
そう言うと、何故か相手のさっきまでの勢いがなくなった。
『…どうしてだい?』
「どうしてって、気になったからさ。あの子強かったよね。監視の段階から見ていたけど、裏切り者のワンちゃんなんかよりずっと目立っていた!名前ぐらい知りたくなるよ」
と楽しそうに言う男を他所に、相手はそうかと静かにつぶやいた。
そうして数分後に相手が放った言葉は、
『――残念だけど、そのお願いはお断りするよ』
というものだった。
当然男は不服な訳で、口を尖らせる。
「何でさ?だったら自分で調べるよ。お金だけで良いや」
『そうかい。ならば君との関係はここまでだ。君があの子を求めるのならばね』
そのニュアンスで、男は察した。相手はユウナのことを知っている。知っているから、男に話したくないし、関係を絶とうとしている。
「……へぇ、そんなに大事なんだ。それはますます知りたいな。どんな子かな」
そう言った男の言葉で相手も関係がバレた、と気付いたらしい。動揺が伝わってきた。
余程の子、という訳だ。相手が今までしたこともなかった反応をしたので、それがわかった。
その子に会うためなら、相手との絶縁になってもお金をもらえなくても良い。男はニヤリと笑う。
『そこまで言うのだったら、もう君との関係は終わりだ。報酬も払わない』
ただし、これだけは言っておく。相手の声音は、いつものような楽しげなものではなくなっていた。電子音なので違いは微妙だが。
『あの子には近付くな。あの子だけじゃない、周りの子にも周囲にもだ。近付いたとしても、君は気に入ってもらえないだろう。睨まれるだけさ』
と言うのを聞いて、男はまた声を上げて笑った。
「それはどうかな。案外仲良くなれるかもしれないよ?なぁ、『クライムファザー』?」
ブツッ、と通話は切れた。
男は口元を歪めながら片付けを始める。そして片付け終わると、さぁと立ち上がる。
「この〝一流〟の狙撃手が会いに行くからね。待っていてよ」
男は狙撃銃を直したギターケースを背負って、軽い足取りで廃ビルの屋上を後にした。
終章 新たな道
あれから二週間程経った。
あの襲撃の日から『フェンリル』はフィオドを追うことを諦めたらしく、追手も襲撃も来なくなった。ユールが調べたところ、そういう情報もないという。
そしてフィオドは、というものの。
「――で、何でアンタはここに居座り続けているのかしら?」
ユールの冷たい視線と言葉に、フィオドはビクッと体を硬直させる。
そう、フィオドはあの日からずっと『天使の相談事務所』に居座り続けているのだった。誰もそのことに関して何も言わなかったのだが、ついにユールが突っ込んだ。
フィオドは違う方向を見ながら、苦い顔をして答える。
「い、いや…まだどこに行こうか決めてなくて」
「あらそう。外に出るだけだったら、腕利きの『出入り人』を紹介するわよ?今すぐにでも」
ユールは早いところ、フィオドに出て行って欲しいらしかった。
その二人の様子に、シルビィは隠れて呆れていた。それはユウナも同じらしかった。
「で、でも俺…皆に恩返ししたいって思っていて――そう思うと、どこにも行けなくて」
ただの言い訳にしか聞こえないだろうけど、とフィオドは苦笑して言う。
シルビィとしては、恩返しをしてもらうようなことは何もしていないのだが、生きるか死ぬかもわからない状況だったフィオドとしては、恩返しをしなければ気が済まないのだろう。
「…恩返し、か。それは具体的にどういうものなんだ?」
そう聞いたのはユウナだった。
聞かれたフィオドは慌てて考えていた。
「えっと、例えば仕事を手伝うとか…雑用をやるとか?ぐらいかな」
「そうか」
フィオドの答えに、ユウナはそう言うだけった。そして彼に近付く。
一方のユールは先程よりもムスッとした表情で、フィオドを見ていた。
「…ユウナ、ちゃんと約束は守ってよね」
「あぁ、わかっているさ」
という双子の会話に、フィオドは首を傾げていた。それよりもユウナが近付いてきたことに、戸惑っているらしかった。
そんなフィオドに、ユウナは向き直る。
「フィオド。あのヴァーグという奴に、あたしが言った言葉を覚えているか?」
え?と戸惑うフィオドを他所に、ユウナは話を続ける。
「奴に言った通り、お前はヘタレだが他人に信頼されやすい良い奴だ。何より、お前自身は困っている人を助けたい、と思っている。そういうところも含めて、お前は『悪なき者』に相応しい。もしかしたらあたしよりも、な」
「え、え?俺が…?」
ユウナに褒められて、フィオドは真っ赤になっていた。
彼女の性格上、誰かを褒めることは滅多にないので、シルビィもびっくりである。
そしてユウナは、以前シルビィにそうしたように、フィオドに手を差し伸べた。
「フィオド。お前を『天使の相談事務所』の所員にスカウトしたい」
そう言われたフィオドは、さっき以上に硬直したままだった。すごく驚いているのだろう。
そんな様子のフィオドに、ユウナは呆れたように息をつく。
「恩返しをしたいのなら、これが一番簡単だと思うが?ユールを説得するのは大変だったんだからな?我が儘ばっかりで」
とユウナがユールを指差して言う。
「失礼ね。あたしが反対したのは、この馬鹿犬が役立たずだと困るから反対したの。あたしが我が儘だとか、今は関係ないわ」
「我が儘なのはいつもだろ」
「うっさいわよ、ユウナ。あたしとの約束をないものにする気?」
ユールの言葉に、ユウナはハイハイと嫌そうにうなずき返す。
何の約束なのかは聞かない方が良いだろう、と思ってシルビィは何も言わない。
「……本当に、俺で良いのか?」
フィオドの静かな問いに、シルビィを含む三人が彼に注目する。
「もう一つ理由を挙げるなら、男手が欲しい…ぐらいか。あたし達は女ばかりだからな。それにお前、行くあてなんてないんだろ?だったら、ここにいると良い」
ユウナはそう言うと、数秒遅れて笑った。
対してのフィオドは半ば泣きそうになりながらも、何度もうなずいていた。
「ありがとう、ユウナ。俺…頑張るから…!」
「おいおい泣くなよ。情けない」
「ホント駄犬ね。女々しいから止めなさい」
――という三人の会話を聞いていたシルビィは、数カ月前の自分を見ているような気分になっていた。
数ヶ月前にユウナとユールが自分を救ってくれたように、フィオドもまた、彼女達に救われたのだ。そして仲間になった。
そんなフィオドに、シルビィも笑いかける。
「フィオドさん。これからよろしくお願いしますね」
そう言われたフィオドは、不安がなくなってから初めて見せる、人懐っこい笑顔で笑いかえしたのだった。
END
ここまで読んでくださって、ありがとうございます。
今回ちょっと短めでしたが、どうでしょうか?フィオド君の想いはどうなるんでしょうかね?期待しなくていいです。ヘタレですから笑
いろいろと伏線を入れてみたんですが、気になりますか?気になってくれると嬉しいです。こっちは期待しててください。
まだ続くので、また読んでくださると嬉しいです。