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天使の相談事務所  作者: 雪ダルマ
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運命を決める時

初投稿です。良かったら読んでみてください。

なお犯罪がありますが、推奨している訳ではありません。こういったマフィアとか銃とかの表現で小説を書きたかっただけです。趣味です。

悪なき者でイーブレスとお読みください。

プロローグ 暗闇(くらやみ)から、光へ


 ――初めて人を殺したとき、あたし達は何も思わなかった。

 これは復讐。大事な母を殺した男に復讐をするために、銃を取った。

 実際に撃ってみると重いくせに、その引き金は案外軽いものだった。命を奪うことと同様に。


 母は優しかった。

 優しいのは一般的だろうが、二人して奇怪にも同じ病を発病し、一人は紅い眼、一人は人形のように無表情。そんな二人を愛して育てた。父親は自分達が生まれる前に逃げたか死んだかなのに。

 そんな母を、二人は同じく愛していた。母に毎日のように“愛してる”と言われ、頬を染めながら愛情で返す。そういう日々が日常だった。


 それがだんだんとおかしくなっていったのは、『クライムシティ』に引っ越して来てからだ。

 この地への移住を提案した母の帰りはいつも遅く、二人は不安だった。

 そんな矢先、母が殺された。

 殺したのは母の仕事相手――つまり売春をしていた母を買った者。

 その男がのうのうと生きているのが許せなくて、二人は復讐を誓ったのだ。


 ドクドクと流れる大量の血を、虚空を見るように見ていると、前方から誰かがやって来た。

 その者は男だろうと思う。何せ逆光で顔が見えない。しかしどこか楽しそうな声で、男だとわかった。

 男は拍手をしていた。それは二人に向けての祝福の拍手だった。

「おめでとう、復讐を果たしたんだね」

と言って笑う男に、二人は変人を見るような目を向ける。

 そんな二人の様子も気にせず、男はおもむろに手を差し出した。

「この手を取りたまえ」

 そう言われて手をすぐに取る程、二人は無邪気ではない。それで戸惑っている二人に、彼は言葉を続ける。

「取らないのかい?しかしそれでは、君達は日常に戻れないだろう?母親のいない家に帰って、母親を殺した相手の血で自分達の手を汚したまま、これから生きていくつもりかい?」

 言われてみて、二人はその現状が恐ろしくなった。いくら日常に戻った気でいても、それは今までの日常ではない。

ならば、この男は何をしてくれるのだろうか。その手を取ったのならば、自分達はどうなる

のだろう?二人は彼の言葉が続くのを待った。

「この手を取れば、君達は悪となる。でもそれは悪であって悪ではない。悪を裁く悪だ。自分達と同じ境遇の者を、助けてみたくはないかい?」

 つまり、そこで終わるなと言いたいらしい。

二人は顔を見合わせた。きっと思っていることは同じ。いつもそう、双子だから。

 男は自身の手が取られると、ニッと笑った。

逆光が治まり、男の顔があらわになる。

「グット、それで良い。これで君達は『(イーブ)なき(レス)』だ」

 優男風の男は、ニッと得意げに笑った。


 そして何年か月日が経った、ある日のこと。

「――ねぇ、お店の名前…どうする?」

「…あたしは何でも良い」

「何でも良くない!ちゃんと考えてよ」

 ぷりぷりと憤慨する姉に、妹は呆れる。

 しかしそのとがった口は、すぐに笑みに変わった。

「あ、思いついた!ねぇ『天使の相談事務所』ってどう?」

「…何でそうなった?」

「あの人が言っていたでしょ?あなたは〝天使〟で、あたしは〝悪魔〟だって。あたしのことなら気にしないで。〝悪魔〟は違うところで使うから」

「……わかった、それにしよう」

 やった、と姉は抱きついてきた。


 それが、〝天使〟と〝悪魔〟の誕生、そして『天使の相談事務所』の始まりだった。


第一章 鉄槌を下す者


 世界の一端にある、大きな都市『クライムシティ』。ここは、犯罪都市とも呼ばれている。

人口は約十万人。そのうちの約四分の三が、犯罪者――そう、犯罪者達だけが暮らす、史上最悪の都市。それが『クライムシティ』。

 元々『クライムシティ』は国際警察が管理する、大型刑務所だった。凶悪犯罪者達がここで囚人として働いていたが、突然その囚人達が一丸となり、刑務所を乗っ取ったのだ。それが、『クライムシティ』の始まり。今はもう、警察は責任を投げ出している。

 『クライムシティ』は六つの区域に分かれており、AからFの区域がある。

C区には犯罪者ではない、一般人が多く住んでいる。何故、こんな危険な所に一般人が住んでいるかと言うと、『クライムシティ』ではたくさん金儲けができるからである。普通でも、危険な金儲けでも。しかし、『クライムシティ』に住んでいる一般人の数は、だんだんと減ってきている。

 そしてA区には唯一外に出入りできる、『ゲート』と言われる門がある。しかしそこから誰でも出入りできる訳ではなく、毎年変わる『支配人(グループ)』によってそれは管理され、厳重な検問で人や物の出入りはチェックされている。毎日『ゲート』を通るのは、食材配達のトラックぐらいで、多くの人は『ゲート』以外のルートから侵入している。

 この『クライムシティ』の犯罪者は、いくつかの種類に分かれている。まず、『マフィア』。たくさんの犯罪者が集まり、集団で活動している。次に『麻薬売人』。いろんな麻薬で、人を狂わせている。他にも『殺人鬼』、『売春婦』などの犯罪者がいる。

 そんな犯罪者の中に、『(イーブ)なき(レス)』と呼ばれる犯罪者がいた。悪のための悪、『武器売買人』や『医師』、『食材売人』など。そして、悪を裁く悪、『殺し屋』。


 さまざまな悪が闊歩(かっぽ)する、『クライムシティ』。

 今日も、犯罪都市『クライムシティ』という舞台で、悪が踊る。


***


 ある日の昼下がり、『クライムシティ』B区。

 古びた建物の間の路地裏で、一つのマンホールが開かれた。

「ふぅ…やっと地上に出られましたわ…」

 マンホールから出てきたのは、金髪で十代半ばぐらいの少女だった。少女――シルビィは(ひたい)の汗を拭って一息ついてから、(あた)りを見回した。

「本当にここ、『クライムシティ』のB区なのでしょうね?」

 シルビィはジトッと、後から出てきた人物に緑の瞳を向ける。

「当たり前だろ。オイラが何回も案内しているのに、間違える訳ねぇじゃん」

 そう言ったのは、シルビィをここまで案内した少年だった。

「外から来た奴が、生意気言うんじゃねぇよ」

 さらに少年はシルビィに向かって、偉そうにそう言う。

 言われたシルビィは、生意気なのはそっちでしょう、と小さくつぶやく。

 シルビィは元々、『クライムシティ』の外に住んでいた。だがある目的のために、はるばる『クライムシティ』に来ていた。

 一方この少年は、シルビィが『クライムシティ』に侵入するために雇った、『出入り(ドーウェイ)(マン)』――つまり『ゲート』以外から出入りできるルートを案内することで、お金を稼いで生きている人物だ。

「で、どうすれば良いのですか?」

 シルビィは少年を(しか)りつけたい気持ちを抑え、彼に聞く。

「ここを出て、右にまっすぐ行けば、広場に出る。そこからは、アンタの行きたい所に行けば?」

 少年は路地裏の向こう側を指さして、説明する。

 シルビィは少年の指さした方向を見て、うなずく。

「わかりましたわ。ご丁寧(ていねい)にありがとうございました」

 そうシルビィが言うと、少年は手を出してきた。

「…何ですか?」

 とシルビィが聞くと、少年はしかめっ面で口を(とが)らせた。

「報酬!とぼけてんじゃねぇよ!」

 少年にそう言われてシルビィは、彼にお金を渡さなくてはいけないことを思い出した。

「あぁ、そうでしたわね。ごめんなさい」

 シルビィは謝り、少年に報酬を渡す。

 すると少年は、渡されたお金をしげしげと眺め、

「…これだけかよ。ケチな奴」

 と言い、シルビィの前から立ち去った。

「まったく、生意気な子供ですわ」

 少年が立ち去った後、シルビィはそうつぶやいた。

「まぁ、ここまで案内してくれたことには感謝しましょう」

 そう言ってシルビィは、路地裏を出て右に曲がる。

 路地裏から出て歩いていたシルビィは、B区の街並みに少し驚いた。何故なら、『クライムシティ』の風景は、外のスラムとあまり変わらなかったのだ。

 もっとも、シルビィはスラムを見たことしかないので、第一印象だが。

 『クライムシティ』は、不気味で恐ろしい場所だ、と思っていた。だが街並みだけを見るとそうでもないような気がする。シルビィの気分は打って変わり、自分の住んでいた所とは違う場所の風景に目移りしつつ、広場を目指した。

 シルビィがこの『クライムシティ』に来たのは、父を自殺まで追い詰めた、ある『マフィア』の麻薬取引班に復讐するためだった。

 ――シルビィの本名は、シルビィ・フェアード。今は没落してしまった、有名な貴族であるフェアード家の一人娘だ。

 ことが起こったのは二年前。

 シルビィの最愛の父が、毒を飲んで自殺をしたのだ。

 彼女は事実を教えられるまで知らなかったが、父はある麻薬取引組織に脅され、大麻の畑を作って栽培していたらしい。その脅しのエサに、シルビィを含む家族や、使用人達も人質に使われていたという。

 麻薬取引組織の奴らは、フェアード家の肥沃(ひよく)で広大な土地に目をつけ、父を脅した。そして脅さなくなったかと思っていたら、父を警察に通報したのだ。

 脅されたとは言え、父も悪い。だが父は自首せず、自殺を(はか)ったのだ。それもそうだろう、フェアード家は有名な貴族。大麻を栽培したという事実が公表されると、たちまち非難の目と声を浴び、窮地(きゅうち)に追い詰められた。

 その時シルビィはでたらめだと思っていたが、父が遺した遺書に、事実が書かれていた。

 しかし、当主である父が死んでも、非難の目と声は止まなかった。それにより、雇っていた執事やメイド達は次々と辞めていき、フェアード家はついに没落した。

 フェアード家に残っていたのは、シルビィと心優しい執事とメイドが一人ずつ。シルビィの母はこの事件のずっと前に、すでに亡くなってしまっていた。

 どうしてこうなってしまったのだろう?シルビィはそう考えているうちに、父を追い詰めたあの麻薬取引組織を憎むようになった。シルビィは奴らの情報を徹底的に調べ上げた。すると奴らはある『マフィア』――『フェンリル』の一員という情報を手にする。しかも、『フェンリル』は、『クライムシティ』にいるという。

 シルビィは決めた。犯罪都市『クライムシティ』へ行き、『フェンリル』の麻薬取引班に復讐してやる、と。

 しかし復讐するとはいえ、シルビィは殺しの経験はおろか、犯罪さえもしたことがない箱入り娘だ。

 そんなシルビィは、『クライムシティ』の非公式ホームページで、ある広告を目にした。


〝事件の調査、暗殺等の依頼、何でもお受けします!『クライムシティ』(いち)の『殺し屋』があなたの依頼を果たします!自分で出来ない・したくないお方、まずはお電話下さい!なお、『クライムシティ』非公式サイトにある、『悪魔の相談掲示板サイト』でもご依頼出来ます!お気軽にどうぞ!

※連絡先・『クライムシティ』B区 『天使の相談事務所』○○○‐○○○○〟


 というような広告だった。

 早速シルビィはその『天使の相談事務所』に連絡をしてみた。すると軽やかな女性の声が、それに返答した。

『お電話ありがとうございます。長電話も何なので、もし良ければ『クライムシティ』にいらっしゃいませんか?場所はB区、腕の良い『出入り(ドーウェイ)(マン)』を紹介しますよ?』

 依頼の終始は見届けたい、と思っていたシルビィは、二つ返事でOKしたのだった。


***


「ここですわね…」

 シルビィは、ある建物の前に立っていた。

 見た目は二階建てのアパートのようだ。しかし、出入り口であろう扉は二階に一つしかなく、点々と窓がいくつかあるだけだ。

 シルビィは階段を(のぼ)り、扉の前まで行く。

 扉には『天使の相談事務所』と書かれたプレートがかかっていて、その扉の隣にインターホンがある。

 思い切ってインターホンを押した数秒後、カチャリと音がして扉が開いた。

「はーい、どなた?」

 扉を開いたのは、長い銀髪――プラチナブロンドの左の横髪を三つ編みにしている、まだ二十代前半ぐらいの女性だった。それに、驚くほど肌が白い。だがしかし、何故かサングラスをかけている。

 そんな女性に、シルビィは一瞬見とれてしまった。サングラスをしていてもわかる、この女性の謎めいた魅力に。

「どうしたの?」

 返事をしないシルビィに、女性が聞く。

 シルビィはハッと我に返り、(あわ)てて返事をする。

「さ、昨日(さくじつ)お電話させていただいた者で、シルビィといいます。ここが『天使の相談事務所』で間違いありませんでしょうか」

 シルビィがそう聞くと、女性はニコッと笑った。だがサングラスで、眼が笑っているかわからないが。

「えぇ、そうよ。よくぞいらっしゃいました。さ、中にどうぞ」

 女性は扉を大きく開け、シルビィを招き入れた。

 中に入ると、廊下が直線に伸びていた。そしてその周りに、いくつか部屋がある。女性が案内してくれたのは、一番奥の部屋だった。

「ユウナ!お客さんよ!」

 その部屋は、質素な事務所のような部屋――応接室だった。部屋の真ん中には小さなソファとテーブルがあり、奥にはデスクが置いてあった。

 そのデスクの椅子(いす)にもう一人、女性が座っていた。やはり彼女も、謎めいたオーラを放っている。

「…ようこそ、『天使の相談事務所』へ」

 サングラスの女性と、似たような声。

 その女性も、驚くほど肌が白く、長いプラチナブロンドの髪をしていた。ただ、先程の女性とは違いサングラスはしておらず、淡い(みどり)の瞳をシルビィに向けていた。年齢はもう一人の女性と同じくらいだった。

 シルビィは姉妹かな?と疑った。

「改めまして、お客様。あたしは『天使の相談事務所』の秘書であり相談役も務めております、ユールと申します」

 サングラスの女性――ユールは口元をほころばせて、そう言った。ユールは続けて、もう一人の女性の方を向いた。

「あちらに座っておりますは、我が『天使の相談事務所』の所長、ユウナ。彼女があなたの悪に鉄槌(てっつい)を下します。ちなみに、あたしの双子の妹でもあります」

 やはり、姉妹――しかも双子だった。

 ユールが紹介し終えると、ユウナが口を開いた。

「…まぁ、緊張せずに座ると良い」

 そう(すす)められたシルビィは、緊張しつつも真ん中にあったソファに腰を下ろす。

「…客人、名前は?」

「シルビィ・フェアードといいます」

 とシルビィが自分の名前を言うと、ユールがへぇと感心したように声を上げた。

「あなた、フェアード家の人なの?」

「はい」

 そう話す二人を余所(よそ)に、ユウナは何故か考え込んでいた。

 それに気付いたシルビィは、ユウナに話しかけた。

「あの…どうしましたか?」

「…ユール、フェアード家とは何だ?」

「「え」」

 シルビィはおろか、ユールでさえも驚いていた。

「ユウナ…一応これ、有名なのよ?」

「そうなのか」

 ユールが呆れたように言うが、ユウナは平然としている。

 ――せっかく真面目な雰囲気だったのに、ユウナの一言で一瞬にして(くず)れてしまった。

 その様子に、シルビィは少し可笑(おか)しくなった。双子ならではの性格の違いに、笑ってしまった。さっきまでの緊張も、それによりどこかへ行ってしまったようだ。

「フェアード家ってのはね、昔栄(さか)えていて有名な貴族だったんだけど、数年前に没落してさらに有名になっちゃった家のことよ」

 ユールの説明に、ユウナはそうなのか、と相槌(あいづち)を打った。

「…にしてもユール。そのフェアード家の人間の前で、それを言っていいのか?」

「あ」

 ユウナに指摘され、ユールは冷や汗を流したようで、それから彼女は苦笑いしつつ、シルビィの方を向いた。

「えっと、ごめんね?」

「あ、いや…大丈夫ですから。自分でもわかっていますし」

 と自嘲気味にシルビィが言うと、ユールは感嘆したように震えた。

「な、なんて良い子なの…!」

 ユールはそうつぶやいて、座っているシルビィを後ろから抱きしめた。

「わわっ」

「ユウナ!この子、絶対助けてあげましょう!」

 慌てるシルビィには目もくれず、ユールはユウナにそう言った。

「絶対に助けるのは当たり前だ。それからユール、迷惑だろうから離してやれ」

 とユウナが言うと、ユールは素直にシルビィを解放した。

「…そろそろ、依頼内容を話してくれないか?シルビィ」

 というユウナの一声(ひとこえ)で、シルビィとユールは真剣な表情になった。

 シルビィはゴクリと唾を飲み、まっすぐにユウナを見た。

貴女(あなた)方に、『フェンリル』という『マフィア』の麻薬取引班を壊滅させて欲しいのです」

 それを聞いたユウナは眉をひそめていた。

「壊滅か。それはまたどういった経緯で?」

「私の家が、没落しているのはさっき言いましたね。それは、奴らのせいなのです」

 シルビィはそう言って話し始めた。父が脅されて大麻を栽培していたこと、それが公になり父が自殺してしまったこと、詳しく調べたら『フェンリル』の麻薬取引班にたどり着いたこと。それらすべてを、ユウナとユールに打ち明けた。この二人が、自分の依頼を達成してくれると信じて。

 ユウナ達はシルビィの話を黙って聞いていた。

「――という訳なのです」

 シルビィが話し終えると、ユウナはそうか、とつぶやいた。

(つら)かったでしょ、シルビィちゃん」

 ユールが心配そうに話しかけてくる。ユウナも、同じようなことを言いたかったのだろうか、ユールの言葉にうなずいていた。

「…わかった。その依頼、受けよう」

「本当ですかっ!」

 シルビィは喜びのあまり、立ち上がってしまった。

 それに対してもユウナはうなずき、それからユールの方を見た。

「異論はないな?ユール」

「もちろん!」

 口元に笑みを浮かべて、ユールは言う。

「決まりだな」

 ユウナは小さくつぶやいて、椅子から立ち上がった。

「ユール、『フェンリル』の麻薬取引班について早急に調べてくれ」

「了解!」

 ユーリは元気良くうなずいて、部屋の隅にあった階段を下りて行った。

「ユウナさん、ありがとうございます!」

 シルビィが礼を言うと、

「礼はいい。まだ何もしてないからな」

 ユウナはそう言って、数秒おいて微笑した。

 それにシルビィは違和感を覚えた。あれ、今何か――?

「あぁそうだ。報酬は用意している(がく)の半分でいいぞ」

「えっ?」

 不思議なことが連続して起こったので、シルビィは余計に驚いてしまった。

「半分って…どうしてですか?」

 驚いた顔でシルビィが聞くと、ユウナは少しうつむいた。

「あたし達は金儲けのために、この仕事をやっている訳じゃないからな」

 そう言ってユウナは立ち上がる。

「さて、あたしも行くか」

「…どこに行くのですか?」

 シルビィは移動するユウナを目で追いながら、そう聞いた。

 ユウナはさっきシルビィが入って来た扉の前に立って、シルビィの方を向いた。

「久々の大仕事だからな。いろいろ準備しなくてはな、と思って。銃とかを買いに行くんだ」

 ユウナはうーんと考えて、それから口を開いた。

「…一緒に来るか?」

 そう聞かれて、シルビィは目を輝かせた。

「行ってもよろしいのですか?」

 銃を買いに行く。それは外に出るということ。

 シルビィは外を散策してみたかったので、良い機会だった。

「どうせここにいても暇だろう。行くなら行くぞ」

 ユウナはそう言って早々に扉を開ける。

「ま、待って下さい!」

 シルビィは慌ててユウナについて行く。

 待って、と言われたユウナはちゃんと出口で待っていてくれた。

 そんなユウナを見て、シルビィは優しい人だな、と思った。

 初めて見たときは、眼が鋭くて謎めいた雰囲気を出していたので、シルビィは正直怯(おび)えていた。けれども、さっきまでのやり取りで仲良くなれた気がした。

 ――この人なら、きっと大丈夫。そう思いつつ、シルビィはユウナの隣を歩いた。


***


 数十分後、近くの『武器売買人』の店にて。

 シルビィとユウナが店内に入ると、店主らしき男がこちらに気付いた。

「おぉ、ユウナじゃねぇか!よく来たな!」

 店主に話しかけられたユウナは、店主の方を向いた。

「銃を買いに来た。何か入荷しているか?」

「えーっと、今月はなぁ――」

 といった感じで二人は商品に目を向けつつ、商談を進める。

 一人取り残されてしまったシルビィは、店内を見て回ることにした。

 店内にはたくさんの銃や銃弾、それに刃物や鈍器などがあった。中にはシルビィが見たことのないような武器まであった。

 シルビィはそれらを興味津々に見て回った。

 それからユウナ達の所に戻ると、商談はかなりまとまっているようだった。

「ショットガンとPDW、だけでいいんだな?」

「あぁ、各銃弾も余分に用意してくれ」

 ユウナの要望に店主はうなずき、カウンターに頼んだ品を置いていく。

 商品を置いて一息ついた店主は、電卓を打ちながらユウナに話しかけた。

「何だ?こんなに装備を揃えて…戦争でもおっぱじめる気か?」

「戦争じゃなくて仕事だ。久々に大きな仕事だから、ユールも張り切っているのさ」

「ほー、お前さんのドSな姉ちゃんがかい」

 そりゃおっかねぇな、と店主は笑って言う。

 ユウナもユールも、この『武器売買人』と知り合いらしい。

「で、金はどうすんだ?お得意さんなんで多少、値引きはするが」

 店主はまた電卓を打って、ユウナにそう聞く。

それに対してユウナは鼻を鳴し、シルビィを呼んだ。

「こいつが今回の依頼人。どっかの貴族様らしいから、お金はたくさん持っているそうだ」

「この嬢ちゃんがなぁ…」

 ユウナの言葉に店主は関心した様子で、シルビィをまじまじと見てくる。

 それにシルビィは驚いてしまい、少し身を引く。

「オイ、でかい図体(ずうたい)で怖がらせないでくれ」

 ユウナがそう言うと、店主は豪快に笑った。

 シルビィはその様子を見て、ちょっと恥ずかしくなった。

「こ、怖がってなどいません!」

 と言っても、店主はまた笑っただけだった。しかもユウナまでひそかに笑っている。

 もう、とシルビィは呆れて、それ以上何も言わないことにした。

「ククク…威勢のいい嬢ちゃんだな。ユウナ、お前さんが(うらや)ましいぜ」

「そうか?」

 笑いながら言う店主を他所に、ユウナはキョトンとそう言う。

「まぁ、お嬢ちゃんに免じて、少し安くしとくよ」

 店主はそう言って二人に電卓を見せた。それを見てシルビィはお金を払う。

 それからユウナとシルビィは商品を受け取り、店を後にした。

 外に出たユウナはすぐにパーカーに付いているフードを被った。お洒落か日に焼けたくないのかな、とシルビィはあまり気にしなかった。

 それよりも気になったのは、買った商品をすべてユウナが持っていることだった。

「ユウナさん、少し持ちましょうか?」

 重そうだなと思い、シルビィはユウナにそう言ってみた。

 しかしユウナは大丈夫だ、と首を振って答えた。常時無表情なのか、平気なのかそうでないのかもわからない。

「でも…」

 とションボリして言うと、ユウナは困ったように息をついた。

「じゃあ、銃弾だけ…頼む」

 (あきら)めたようにユウナはそう言って、シルビィにいくつかの箱を渡した。

「そういえばシルビィ。お前、これからどうするんだ?」

 ふと、ユウナがそう聞いてきた。

「この後ですか?私、依頼が終わるまで、『クライムシティ』に滞在したいと思っているのですが…」

 シルビィはそう言った後、聞きたいことを思い出した。

「そうだ、ユウナさん。どこかに良いホテルはありませんか?知っているなら、教えていただけないでしょうか」

 そう言うと、何故かユウナは深くため息をついた。

 な、何?私何か変なこと言った?シルビィはそう思って困惑した。

「これだから箱入りのお嬢様は…」

 ハァ、と再びユウナはため息をつく。そしてシルビィに向き直った。

「いいか、シルビィ。ここは犯罪都市『クライムシティ』だぞ。まともなホテルがある訳ないだろ。というか、ホテル自体もここにはない」

 と言われてシルビィは思い出した。ここは犯罪の巣窟『クライムシティ』だ。

「ホテルがあったとしても、それは(わな)だ。(すき)を見せればたやすく荷物を奪われてしまうに決まっている。それか襲われて、(はずかし)めを受けるか、殺されるかだ」

「そう、ですよね…」

 ユウナにそう言われて、シルビィはがっくりと肩を落とした。

 考えてみれば間抜けな話だ。『クライムシティ』には、危険承知で来ていたのに。

 シルビィは先程のユウナより深いため息をついて自重した。

「ハァ…どうしましょう…」

 そうシルビィが悩んでいると、ユウナが口を開いた。

「…行く所がないなら、あたし達の事務所に泊まるか?」

 というユウナの突然の申し出にシルビィは驚きと期待で、持っていた箱を落としそうになってしまった。

「い、い、良いのですか!?」

 そんなシルビィの様子に、ユウナは呆れつつうなずいた。

「そこまで驚くこともないだろう。あの事務所は二人で住むには大き過ぎて、部屋も有り余っているんだ。それに、依頼人に何かあったら困るんでな」

 ユールも許してくれるだろうから、とユウナは付け加えて言う。

 シルビィはユウナに礼を言い、落としそうになった箱を持ち直した。

「そういえばユール、お前のことをとても気に入ったみたいだぞ」

 と思い出したように、ユウナがそう言う。

「…そうですか?」

 シルビィは先程のユールの様子を思い出しながら答えた。

「あぁ、いつもより楽しそうだった。それに、情報収集も張り切っていたよ」

 ユウナはそう言って、フッと笑った。やはり数秒おいて、笑っていた。

「あの、ユウナさん?」

「ん?どうした?」

 シルビィは慎重に名前を呼んだが、ユウナは平然としている。

「なんか…笑い方、おかしくないですか?」

 違和感を隠せなくなり、シルビィは聞いてみた。

「…あたしか?」

 聞かれたユウナは、眉をひそめて聞き返してくる。

 シルビィがはいとうなずくと、ユウナはたくさんの間を置いて考えた。

「……笑うのは、苦手なんだ」

 ユウナはそう言っただけだった。

 でもそれだけで、シルビィが墓穴を掘ったということがわかった。シルビィは何も言えなくなる。

 ――結局、二人は事務所に帰り着くまで何も話さなかった。


   ***


 その後、『天使の相談事務所』。

「あら、おかえりなさい」

 外から帰った二人は、先程の応接室でユールに迎えられた。

ユールは手にコップを持っていて、どうやら応接室にコップを置き忘れて、取りに来たようだった。そして彼女は、まだサングラスをつけていた。

「ユール。シルビィの行く所がないから、事務所(ここ)に依頼が終わるまで居候(いそうろう)させて良いか?」

「え、居候?」

 とユールはユウナに聞き返して、そして何故か震えた。

「もちろん良いわよ!むしろどんと来い!って感じ」

 どうやら、歓喜に震えていたらしい。

 そんな姉であるユールを、ユウナは呆れ顔で見ていた。それからシルビィの方を向いて、ほらな、と言いたげな目線を送ってきた。

 さっきの話のことだ。そう思ったシルビィははにかんでうなずく。

「さて、部屋はどこにしようか」

 ユウナはそうつぶやき、シルビィを扇動(せんどう)して隅の階段を下りた。ユールも一緒に来ている。

 事務所の一階の構造は、二階と変わらなかった。しかし、二階と違うのはキッチンがあることだった。キッチンは至ってはシンプルで、まるで使われてないかのように綺麗(きれい)だった。

「あたし達の部屋に近い方が良いんじゃない?」

「そうだな」

 キッチンから出ると、また二階のようにたくさんの部屋があった。

 ユウナとユールの二人は、たくさんの部屋のうちの、キッチンに近い部屋の扉を開けた。

 シルビィはその部屋を見て、驚いた。

「――なっ」

 その部屋ははっきり言って汚かった。お世辞にも綺麗とは言えないぐらい。

 部屋を埋め尽くすのは、段ボールの山。部屋の隅から隅まで段ボールがぎっしりである。しかも天井まで届いている列もある。

 いや、段ボールがぎっしりなのはまだいい。この段ボールからは服やら小物やらがはみ出て、ただでさえ足場の少ない床をもっと少なくしている。

「な、何ですかこれ!?」

 シルビィは礼儀も忘れ、二人に慌てて尋ねた。

 一方の二人は苦笑いをしていた。

「あはは…ごめんね、シルビィちゃん。実は…」

「…あたし達は、洗濯以外の家事が(まった)くできないんだ」

 というユウナとユールの告白に、シルビィはハァ?と耳を疑った。そして気付いた。

「できないって…え、じゃあ、毎日の食事は?」

「主にインスタントとか、お惣菜とか」

「それからレトルトとか…だな。まぁインスタント類が多いかな」

 まさかの衝撃発言である。

 つまり、あの綺麗なキッチンは使われていないようではなく、使われていないのだ。

「……よく、今日まで健康で生きてこられましたわね…」

 シルビィは自分の立場や相手が年上だということを忘れ、呆れてそう言ってしまった。

 二人は依然として苦笑いを浮かべている。

「…決めましたわ」

「「え?」」

「この事務所に居候させていただく代わりに、貴女方の身の回りのお世話は私がやります!もちろん、この部屋も片付けます!」

 おぉ、と二人から歓声の声が上がる。

「でも、料理とかできるのか?」

「ご心配なく。世間知らずのお嬢様でも、家事はできます」

 少し心配そうな二人に、シルビィは得意げに言う。

 没落はしたが、メイドは一人残っていた。しかし彼女はとても不器用で、家事はやってくれたが、正直危なっかしかった。それ(ゆえ)シルビィがメイドの代わりに教えてもらい、家事を手伝っていた。

「だったら安心ね。じゃあ、二人とも頑張ってね」

 そう言ってユールは向かい側の部屋に行ってしまった。

「さて、あたしは荷物を置いてくる。(しばら)く一人でやっていてくれ。段ボールは廊下に出してもかまわない。床に落ちている物は適当に段ボールに入れておいてくれ」

 とユウナもそう言ってシルビィから荷物を受け取り、廊下の奥の方へ行ってしまった。

 何だか押し付けられている感があったが、シルビィはちゃんとやることにした。

「改めて見てみましたけど…汚い」

 ――どこもかしこも、段ボールの山。

 シルビィは正直ため息をつきたくなった。しかし、ここの片付けも料理も自分からやると言ったことだ。この部屋は少しの間、自分の部屋になるのだから、まずここから始めなくては。

 そう意気込んだシルビィは、まず寝る場所を確保することにした。

 部屋の扉近くに少しスペースがあり、そこから綺麗に片付ける。

「まったく…家事ができないなんて、正直驚きましたわ。できるのは洗濯だけって…あの二人、私よりは年上でしょうに」

 少々愚痴(ぐち)を漏らしつつ、シルビィは散らばっているものを、段ボールに入れては外に出し、入れては出し、と十分以上は繰りかえしていた。

 そんな中シルビィは、

「ん?」

 床に手帳のようなものが落ちていることに気付き、それを拾った。

「母子手帳?ユウナさんとユールさんのものでしょうか」

 降り積もっていた埃を払って、シルビィは改めてそれを見た。

 パラパラとそのページを(めく)るが、ページはすべて白紙で何も書かれていなかった。だが、

「…え?」

 最後のページに数行、何か書いてあった。しかもその内容が――

「――シルビィ」

「ふぇっ!?」

 突然ユウナが部屋に入って来たので、シルビィは飛び上がる程驚いた。とっさに、母子手帳を後ろに隠す。

 そんなシルビィの様子に、ユウナは少し眉を寄せる。

「…どうした?」

「あ、いやっ…その、ゴッゴキブリが出たんですよ!それで驚いちゃって…」

 シルビィが母子手帳を持っているのに気付かなかったのか、ユウナは素直にそうか、とつぶやいた。

「ゴキブリか…ユールが騒ぐ前にすべて駆除しておかなければ…」

 それからユウナは、思い出したようにシルビィに目を向けた。

「そうだ、片付けているところ悪いんだが…ユールがお前を呼んでいる」

「ユールさんが?」

 キョトンとしたシルビィに、ユウナはうなずく。

「何でも、お前が調べた情報を教えて欲しいらしい」

 ユウナはそう言い終えると、部屋を出た。シルビィも部屋を出る。

 しかしシルビィは他のことを考えていた。他のこと――さっきの手帳のことだ。


〝ここに(つづ)らなくとも、私は愛そう。あの子達が劣っていても、優れていても、私の娘はあの双子なのだから。〟


 その数行が何を意味するのか、シルビィにはわからない。でも、これだけはわかる。あの二人は何か秘密を抱えていて、彼女らの母親の決意がこの手帳に綴られている、と。

 それだけ考えて、シルビィは現実を見た。これ以上他人の過去を探ってはいけない。誰にだって嫌な過去はある。自分だってそうだ。

 そう思って、シルビィはユウナの後を追った。


***


 場所は変わって、ユールの部屋。

 部屋と言うよりは、コンピュータールームと言った方が正しいだろう。所狭しに数台のパソコンやらそれに繋がるコードやら何やらで、人が何人も入れなくなっている。足場も少ない。

「ごめんなさいね。急に呼び出しちゃって…あと、狭くて」

 入室第一に、ユールはサングラス越しの目線でそう言ってきた。

 一応自覚はしているらしい。だがすべて大切なものならば、片付けにくいだろう。

「寝室は別にあって、ここはあたしの作業場なの。いろんなとこにアクセスしないといけない依頼もあるからね」

 少し苦笑したように、ユールは言った。

「あの、情報を教えて欲しいって…」

「そうそう。あなたが調べた『フェンリル』の情報をね」

 えっと、とシルビィは考えた。

仇敵(きゅうてき)『フェンリル』の情報は大方調べてある。シルビィは順を追って説明した。

「全体の構成員は千人以上で、殲滅(せんめつ)班、暗殺班、麻薬取引班、諜報班、治安維持班と分かれているそうです。その中でも麻薬取引班は百人前後と聞いております。もしもの場合に(そな)えて、殲滅班を護衛にするときがあるらしいです」

 とシルビィがペラペラと説明したが、ユーリは特に関心を見せなかった。

「まぁだいたいさっき調べた内容は一致しているみたいね。良かったわ」

「…もしかして、短時間でこれだけ調べ上げたのですか?」

 えぇ、と悪びれた様子もなく、シルビィを逆に驚かせた。

「すごい…私が何週間もかかって調べたものを…」

「仕方ないさ。ユーリはあれでも、天才的なハッカーなんだから」

 今まで黙っていたユウナが無表情で言う。

 そんなユウナにユーリが、あれでもって何よ、と口を尖らせる。

「…そういえば『フェンリル』って、今年も『支配者(グループ)』やっているとこじゃないか」

 ふいにユウナが口を開いてそう言った。

「そうよ。去年も一昨年も、その前の年も。あたし達に直接は関係ないけど、毎年毎年ご苦労様よね」

 ユールが呆れたように意見を述べるなか、シルビィは首を傾げていた。

 グループ?何かの団体だろうか?そう考えていると、それに気付いたらしいユールが教えてくれた。

「シルビィちゃんは『クライムシティ』に来たばっかりだから、知らないと思うわ。『支配者(グループ)』っていうのは簡単に言うと、この街の支配者なの。年の始めに選抜戦をして――まぁ紛争なんだけど、勝ったら『クライムシティ』を一年間支配できるの。参加できるのは『マフィア』みたいな大きな組織だけ」

「この無法地帯に、いつからそんな法ができたかは知らんが…『フェンリル』はこの何年かずっと『支配者(グループ)』になっている強大な組織なんだ。どの班も、強敵揃いらしい」

 と補足してくれたユウナの言葉に、シルビィは不安になった。シルビィ自身が調べたときは、そんなにすごい組織だとわからなかった。その一班を相手にするユウナが心配になった。

 ――突然、頭に手を置かれた。誰だと思って顔を上げると、ユウナだった。

「あたしのことは心配しなくていい。大丈夫だから」

「そうよ、シルビィちゃん。ユウナはめちゃくちゃ強いのよ?」

 ユウナもユールも、人の心を読むのが上手い。鋭い洞察力ともいえる。

 そんな二人の励ましに、シルビィは安心してうなずいた。まだユウナの実力を見ていないので何とも言えないが、まだ不安はあるが、彼女達がそう言うのならば、大丈夫であろう。

 二人を信じよう、と思ったのは自分ではないか。シルビィは考えを改めた。

「……さ、シルビィ。そろそろ片付けに戻ろう。ぐずぐずしていると夜になってしまうぞ」

「はい、そうですね」

 シルビィはうなずき、ユウナを見た。

 部屋を出て行こうとするシルビィとユウナを見てから、ユールが思い出したように言う。

「あ、シルビィちゃん。情報ありがとね、参考になったわ」

「いえ、そんな…」

 これからこの人によって、自分が調べきれなかったことが明らかにされていくのだろう。シルビィは技術の違いを思い知った。

「じゃあもっと調べてみるわね。二人とも掃除、頑張ってね」

 サングラス越しにニコリと笑い、ユールは二人を送り出した。


***


 再び、汚い部屋――もといシルビィが寝泊まりするであろう部屋にて。

「だいぶ綺麗になったな」

 ユウナは部屋全体を見回して、そうつぶやいた。

「何かいろいろと…すまないな、シルビィ」

「大丈夫ですよ。こっちは一応泊めてもらう身ですし」

 それから二人は早速、掃除を始める。

 シルビィは正直助かっていた。使われていないとはいえ、すべてユウナとユールの私物だ。おいそれと捨てて良い物ではない。

「ユウナさん、これはどうしましょう」

 シルビィは段ボールの中をユウナに見せる。

「…この際、全部捨ててしまおうか」

 ハァ、とうんざりしたようにユウナは息をつく。

 残しておいても、また他の部屋に放りっぱなしにしてしまうらしい。

「あ、この服かわいい!」

 ふと(のぞ)いた段ボールの中身は、暖色系のかわいらしい洋服だった。

「…いるか?」

 シルビィと同じように中身を覗いたユウナは、唐突にそんなことを言った。

「それ、あたし達がまだ十代半ばに着ていた服だ。もうサイズ的に合わないだろうし、普段もこれだからなぁ…」

 とユウナは今着ている、動きやすそうな服装に目を向ける。

 職業柄、性格的に、あまりお洒落な恰好はしないという。同じような服を着まわしているそうだ。

「洗濯くらいはできるが、何度もやらなければと思うと面倒でな…」

「そう――」

 なんですか、とシルビィは言おうとしたが、足元を見ていなかったせいか、何かを踏んでしまった。それは布のような物で、シルビィはそれで滑ってしまった。そのままシルビィは段ボールの山に前のめりに突っ込む。しかも一番上にあった段ボールが、シルビィに向かって落ちてきている。

 ――あ、ヤバい。シルビィはぎゅっと目をつぶった。

 だがシルビィに床の感触も、痛みもなかった。ただ、いくつかの段ボールが落ちた音だけがした。

 閉じていた目を開けると、ユウナが片腕でシルビィを支え、もう片方の腕で段ボールを軽々と持っているではないか。

「――大丈夫か?」

 特に驚いた様子もなく、ユウナは腕の中のシルビィに問う。

「あ、だ、大丈夫です!」

シルビィは一瞬呆(ほう)けていたが、すぐに立ち上がる。

 呆けていたのは、ユウナの身体能力に驚いたからだった。

 ユウナはシルビィが段ボールの山に突っ込んだ瞬間に、行動を開始していたのだろう。シルビィが床に尻餅をついてしまう前に支え、シルビィの上に落ちそうになった段ボールを、片手で受け止めることにしたのだろう。

 すごい、とシルビィはまた驚いた。

「…また散らかってしまったな」

 呆れたようにユウナが言うので、シルビィは部屋の惨状を見た。

 さっきの衝撃で段ボールが落ち、中身が散らばっている。まるで掃除前に戻ったかのようだ。

 シルビィは自分のドジさを恨んだ。普段は何ともないのだが、たまにこういった大惨事になるようなことをしてしまうのだ。

「すみません…せっかく片付けたのに…」

「気にするな」

 と謝るシルビィに対して、ユウナは冷静に言った。

 それからユウナは何かに気付き、散らばった紙の束を拾った。

「…懐かしいな」

 ボソリとつぶやいて、ユウナは数秒後に口元を(ほころ)ばせた。

 シルビィはその紙束が気になって、それを覗き込んだ。

「それ、ユウナさんとユールさんですか?」

 その紙束は写真だった。シルビィが言った通り、ユウナとユールが写っている。しかも幼少期の頃の写真のようだった。

「かわいいですね、お二人とも」

 フフッと笑いながら、ユウナに渡される写真を見て、感想を漏らした。

 だが、その中のある写真に、シルビィは驚いた。

 ある写真――情景は普通だ。五歳ぐらいの二人が、かわいく笑っているだけ。淡い(みどり)の瞳をしているのはユウナだろう。しかしユールの両目が写っているところだけ、黒く塗りつぶされていた。(くわ)えて他の何枚かも、ユールの目が塗りつぶされている。

「これ…」

 写真を見て戸惑っているシルビィに気付いたのか、ユウナがその手元を覗いてきた。

「…その写真か」

 ハァ、とユウナは息をついた。

「ユールは……自分の眼が、嫌いなんだ。何も言わなくてもわかるだろ?あいつが何で、常時サングラスをつけているのか」

 そう語るユウナは、少し哀しげ――といっても無表情だが――にシルビィには見えた。

「何か、すみません」

「謝らないでくれ。いずれは説明しようと思っていたんだ」

 それと、とユウナは言葉を切る。

「あたしには構わないんだが、ユールにはあまり聞かないでやってくれ。あんな性格でも、結構気にしているんだ」

 ユウナの哀しそうな声に、シルビィははい、とうなずいた。

「…にしてもユウナさんって、シスコンですよね」

「何でそうなる」

「だってすごく気にしているじゃないですか。何にでもユールさんに当てはめちゃうし」

 はぁ、と怪訝(けげん)そうな顔でユウナは考える。きっと無意識なのだろう。

 それが気になったのもあるが、シルビィは場の空気を変えようとして、そう言ったのだった。

 それ以降二人は、他愛ない話をしながら部屋の片付けを続けた。


***


 その夜、ユールの作業場。

「ユール」

 毎日の習慣であるシャワーを浴びたユウナは、濡れた髪を拭きながら双子の姉に近付く。

「んー?」

 一方のユールは、パソコンから目を離さずに返事をする。

「シャワー、浴びたらどうだ?というか、いい加減休憩しろ」

「遠慮しとくわ」

 ユールの身を心配して言ったのだが、即座に断られてしまい、ユウナは眉間にしわを寄せる。

「そんなに顔をしかめさせないの。かわいい顔が台無しになっちゃうわよ?」

 パソコンから全く目を離さずに、ユールはクスクスと笑う。

「大丈夫よ。あなたとシルビィちゃんが寝静まった頃には中断するわ」

 ユールの陽気さに、ユウナは呆れて何も言えなくなった。

 いつもそうだ、ユールは自分を犠牲(ぎせい)にしすぎる。

 ――まぁ自分も何かあったら、命を投げ出してもユールを助けたいと思っている。もちろん、今回の依頼人も。

 それからユウナは今日起こった、シルビィのことを思い出した。

「シルビィ…良い子なんだがな」

「ん?どうしたの?」

 ようやくユーリが、パソコンから体ごとこちらに向ける。

「意外とドジでな。足を滑らせて、思いっきり段ボールの山に突っ込んだ」

「何それ。すごく笑える」

 プルプルとユールは笑いを(こら)える。

「それから――」

 と、そこでユウナは話すのをやめた。この先は、ユールの話が入っているからだ。

 言葉に詰まってしまい、どうしようかと考えているユウナに、ユールが心配そうに声をかけてくる。

「…遠慮、しなくていいのよ?それに大丈夫よ?あたしのこと、シルビィちゃんに話しても」

 ――流石は自分の姉だ。見事に見透かされている。

 そう思ってユウナは肩をすくめた。

「やっぱり」

 ユウナの心情を言い当てて、ユールは得意げに笑った。

(かな)わないな、お前には」

「あら。あたしだってあなたには敵わないわよ?身体的には」

 そう言い合って、二人はクスリと笑った。

 そこでふとユウナは、パソコンの画面を覗き込んだ。

 画面はユールが管理人となっている、『悪魔の相談掲示板』という『天使の相談事務所』のホームページになっていた。ここでは掲示板による、情報交換ができるサイトになっているのだ。ちなみにこのサイトでも、依頼を頼むことができる。

 今日もこのサイトを知る暇人達が、いろいろと書き込んでいるようだった。

 そこに、気になる点があった。

「…なぁユール。これ、確か閲覧回数とかいうんだっけ?」

 ユウナが指さしたところに、千を超える数字が表示されていた。

 ユールはそうよ、とうなずく。

「何か…妙に多くないか?」

 ユウナが気になった点は、その多さだった。以前ユウナが見たときは、そこまで多くなかったような気がするのだ。いくらこのサイトが少々人気でも、日頃見るのはその暇人達と依頼人などだけなのに。

「…そう?気のせいじゃない?」

「そうか…?」

 うーん、とユウナは考える。

 そんなユウナを余所に、他のパソコンを操作していたユールが言葉を発する。

「…とにかく、明日はA区に行って『フェンリル』の治安維持班の奴から話を聞いてきて。方法は何でもいいわ。とにかく、正しい情報を手に入れて」

「了解した」

 ユウナは目を伏せて承諾する。

「それから麻薬班なんだけど…『フェンリル』内でも評判は悪いらしいわ。素行が悪いとか、他の班に喧嘩を売るとか」

「まぁそうだろうな。悪い奴程、クズが多いからな」

 ユウナの意見を聞いてユールはそうね、と笑った。

「明日忙しいから、今日はもう休みなさい?」

「言われなくても、わかっているさ。お前みたいに朝は強くないからな」

 笑いもせずに言ったので、ユールは苦笑したようだった。まだすぐに笑えないのね、と目が語っているようにも見えた。

 いくらここにいても仕方がないので、ユウナは(きびす)を返す。

「じゃあ、おやすみ」

「うん。おやすみなさい」


 ――そして、戦いは、始まる。



第2章 眼と、その真実


 翌日、明朝。

 二人の食事の面倒を見ると買って出たシルビィは早速、朝早くから起床して簡単な朝食を作っていた。

 食材は昨晩のうちに、夕食の惣菜と共に買っている。

 だがあの二人の好みをまだ把握していない。なので、簡単にベーコンエッグなどの朝食らしい物を作っていた。

「――あら、早いわね」

 朝食作りに没頭していたシルビィは、後ろから話しかけられて少しびっくりした。

「ユールさん?早いですね。おはようございます」

 声の主はユールだった。寝起きがいいのか、昨日と同じテンションで元気良く挨拶(あいさつ)を返して来た。ニコニコ笑っているが、またサングラスをつけているので口元しか見えない。

 その件はユウナに聞くなと言われているので、シルビィはあえて聞かなかった。

「やだ、本当に作ってくれているの?ありがたいわ」

 嬉しそうにユールが言うので、シルビィは謙遜()して首を横に振る。

 それからユールは手伝いを申し出てくれた。そんな彼女に、シルビィは皿を並べて欲しいと頼んだ。

「ユールさん、昨日何時まで起きていたのですか?」

 昨晩ふと起きてしまったシルビィは、ユールの部屋の明かりがまだ()いていることに気付いたのだ。

 だがユールは全く眠そうになく、(くま)の一つもないのだ。

「あー……夜明けぐらいまで、かしら」

「えぇ?それにしては、隈とかないように見えますけど…」

「寝起きはいいのよ」

 やはり、そのようだ。しかし二、三時間しか寝ていないと言うのに、昨日の如く元気とは、ある意味不思議だ。

「そういえば、ユウナさんはまだ起きないのでしょうか」

 ふとシルビィが言うと、ユールは呆れ気味にこう言った。

「あの子ね…朝弱いのよ。無理に起こすと、すごく不機嫌になっちゃうし…」

「ホント、正反対ですね」

 クスリ、とシルビィは笑

う。                              

 それから数十分後、朝食の準備が完成した。その出来栄()えに、ユールが歓声の声を上げた。  

「すごい!やるわね、シルビィちゃん。ちゃんとした朝食が食べられるなんて、何年ぶりかしら!」

「本当に何年ぶりなんですか…」

 シルビィは喜ぶユールを他所に、呆れてそう言った。

「グダグダ言わないの。エクセレントなんだから――あ、口癖移ちゃってる」

 誰の口癖ですか、と呆れたシルビィは尋ねようとしたが、コツコツとゆっくりとした足音が聞こえてきたので口を閉じた。

「ユウナね。おはよう、ユウナ」

 ユールの指摘した通り、扉を開けて出てきたのはユウナだった。

「ん……?おはよう…」

 ユウナは寝起きが悪いようで、これもユールの言う通り。せっかく綺麗なプラチナブロンドは盛大に寝癖が付いており、昨日のキリリとした(みどり)双眸(そうぼう)も、半眼になっていて眠そうだ。

「まただらしなく起きてきちゃって……ほら、顔を洗ってきなさい。(くし)も持ってきてちょうだい、()かしてあげるわ。リビングに来る前にそうして来なさいって、毎日言っているでしょ?」

 まったく、と呆れたように言うユールは、何だか母親のようだった。

 一方のユウナはあぁ、と小さく言って目を(こす)りながら、再び扉の向こうへ行く。

 それから二、三分後。

「いやはや……だらしない姿を(さら)して申し訳ない。改めて二人とも、おはよう」

 さっきの姿とは似ても似つかない程に、ユウナは昨日のような凛々しい表情に戻っていた。まだ髪が寝癖でグチャグチャだが。

 食卓に座ろうとしていたシルビィは、驚きつつも挨拶を返した。

「はいはい、おはよう」

 ユールはもう何も言わずに、朝食に視線を浴びせている。

 ユウナがちゃんと席に着いてから、朝食は始まった。

美味(うま)いな」

 ベーコンエッグを一口食べて、ユウナは感想を漏らした。

「うん。こんなのも、久しぶりだわ」

 ユールも美味(おい)しそうに言う。

 そんな二人の称賛に、シルビィは言い過ぎですよ、と言って照れを誤魔化す。

「あたし達ね、六年前ぐらいにお母さんと一緒に三人で、この『クライムシティ』に来たのよ」

 朝食を終えた後、ユールがそう唐突に話し始めた。

 シルビィは皿を洗っていて、ユールはユウナの髪を梳かしている最中だった。

「でもすぐに母さんは死んでしまってな…料理とか、いろいろと学ぶ前だったから、どうしようもなかったんだ」

 家事のことだろう。ユウナはユールの言葉を引き継いで、そう話した。

「そうだったのですか……」

 皿を洗っているため手は離せないが、シルビィは顔だけを二人の方に向けた。

「ねぇユウナ、あたし達は幸せ者よね?」

「そうだな」

「褒め過ぎですって」

 再びの称賛に、シルビィはまた遠慮がちに言う。

「良いじゃない。ホントのことなんだし」

 ね、とユールは上目遣いでシルビィの方を見る。

 その時に、サングラスからユーリの瞳がチラッと見えてしまった。

「あ……」

 ――紅い、瞳だった。

 ユーリも自分で気付いたのか、パッと姿勢を正した。

「……ユウナ。依頼の件だけど、頼むわね」

「ん?あぁ、わかった」

 ユウナにそう伝えると、ユールは櫛をテーブルに置いた。

「…ちょっと、散歩に行って来るわ」

「ユールさ――」

 シルビィの呼びかけにも何も言わず、ユールはそそくさと階段を上って行く。

 バタン、という二階にある玄関の扉の閉まる音が、ここまで聞こえた。

「……シルビィ」

 どうやらユウナも、ユールの様子がおかしいことに気付いたようだった。

「ごめん、なさい…」

「あたしに謝られても……」

 ユウナは罰が悪そうに、こめかみを()く。

 それからユウナは立ち上がり、メモ用紙に何かを書く。

「これ、ユールのパソコンにある、あたしのアカウントのパスワード」

 その紙を、ユウナはシルビィに渡した。そこには〝先天性白皮症〟の文字といくつかの数字。

「良かったら、調べてみてくれ」

 少々呆然としていたシルビィは、ユウナが自分から離れたときに、我に返った。

「ユ、ユウナさん…」

「依頼の方、朗報を心待ちにしていてくれ」

 ユウナは背を向ける前に、シルビィに微笑みかけた。

「じゃあ、行ってくる」

 背を向けつつ、ユウナは小さく手を振る。

「え、えぇぇ……」

 そのまま一人にされたシルビィは、どうして良いかわからなくなった。


***


 速度制限のない各区の大通りを、ユウナは愛車のバイクで駆け抜ける。

 向かうのはA区の『ゲート』。ユウナ達が住むのはB区なので、飛ばせばすぐそこだ。

 昨晩にユールに頼まれたのは、『フェンリル』の治安維持班の一人から話を聞くこと。

 治安維持班――その名の通りだろう。

 聞くのは強制的になりそうだ。簡単には口を割らせてくれないだろうから――まぁ、造作もないと思う。ユウナはそう考えた後にフッと笑う。

 そんなユウナを不安にさせるのは、さっきの――シルビィの件だ。おそらく、ユールの眼を見てしまったのだろう。少し、怯えていた。それもそうだろう、あれを見て驚かない奴などいない。だいたいは畏怖(いふ)の眼差しを、我が姉に向けるのだから。

 そう考えたところでユウナは首を振り、前方を見る。もうすでに、A区に入っている。

 A区の『ゲート』を管理するのは、今年の『支配者(グループ)』選抜戦で勝利した『フェンリル』。つまり、『フェンリル』の構成員達が管理している、という訳だ。

 『ゲート』の管理を担当しているのは治安維持班だ。これは常識と言って良い程有名な話だ。

 昨日ユールも言っていたが、年始にある『支配者』選抜戦という名の紛争。これに参加できるのは、百人を超える『マフィア』などの大きな組織だけだ。その中で圧倒的勝利を収めたのが今の『支配者(グループ)』である『フェンリル』だ。殲滅班といわれる戦闘のエキスパート達や、暗殺班、治安維持班が戦争で活躍した、というのを知らない住人はいない。しかも奴らはここ5年間連続で、『クライムシティ』を仕切っている。

 年々構成員の数も増えているらしい。何故ならその強さと、『フェンリル』と言うだけでも恐怖や畏敬の目を向けられることが、人気の秘密であろう。

 余程そのボスはカリスマ性を持っているんだな、とユウナは思う。

 ユウナだけではない。『クライムシティ』に住む人々全員がそう思っているだろう。何せボス本人は顔を公表していない。まさに恐怖や畏敬の(まと)なのだ。噂では女ボスだとか、幼い子供だとか、イケメンだとか言われている。はたまた、『フェンリル』のボスは『クライムファザー』である、という根も葉もない噂がある。真実は定かではないが。

 ――数分バイクを駆ったところで、『ゲート』が見えた。トラックなどが入って来ると、そばにいた何人かが、それに対応する。

 ユウナは人目のない路地裏に入って、愛車を止めた。そして銃――身に付けているホルダーを確認する。よし、いつでも銃を構えられる。

 路地裏から出て、ユウナはフードを目深(まぶか)にかぶった。顔を隠すために加え、一つ理由があるためだ。

 銃の方は見えても大丈夫だ。『クライムシティ』じゃ、持っている者はたくさんいる。

 『ゲート』の方に近付くと、あからさまにガラの悪そうな男がこちらに気付いたようで、ユウナに近付いて来た。

「おい、ワレ。何の用だ」

 顔をわずか十センチのところまで近付けて、男が聞く。絵に描いたようなチンピラだ。

 これが仕事なのだろうが、正直言ってうざい。ユウナは顔をしかめた。

「…貴様に用はない」

 軽蔑(けいべつ)した声でユウナが言うと、チンピラは顔を真っ赤にした。

「このっ……!」

 怒りで顔を真っ赤にし、渋面になったチンピラは、バッとユウナのフードを取る。

 フードの下は顔をしかめた女。それが意外で驚いたのか、チンピラの動きが止まった。

 その隙にユウナは拳を作り、思いっきり()つ素早く、チンピラの顔面を殴る。

「ガッ」

 ゴキンッという、鼻の折れる音がした。

「オイッ何してやがる!」

 騒ぎを聞きつけたのか、茶髪の男が何人かを引き連れて、こちらに向かってきた。

 ユウナは、自分には関係ないといった素振(そぶ)りでフードをかぶり直す。今度は少し、顔が見えるように。

「ア、アニキ!この女が……!」

 チンピラは男のそばに寄って、事情を話す。

 ツンツンとした茶髪の、右頬に傷にある男。こいつがリーダーのようだ。

「…コイツが?」

 信じられない、と言いたげな顔で男はこちらを見た。

「……アンタ、何者だ?」

 男は水色の瞳で、ユウナを(にら)んだ。

 しかしユウナは(おく)することなく、むしろ睨み返した。

「『天使の相談事務所』という店を(いとな)む『(イーブ)なき(レス)』だ。お前等治安維持班の誰かに、聞きたいことがある。だがそれは『フェンリル』を裏切る行為となるがな」

 ユウナが挑発的にそう言うと、それを聞いていた誰もが戸惑っていた。

 そんな中、

「――俺が行こう」

「アニキ!?」

 リーダーの男が一歩前に出た。

 ほう。ユウナはニッと笑う――少々遅れたが。

「何考えてんですか!?」

「フィオドさん!」

 部下達が引き留めるも男は耳を貸さず、ユウナの数歩前に来た。

「…アンタ――」

「ユウナだ」

 男の言葉を(さえぎ)って、ユウナは名乗った。

 すると男は笑ったのか、水色の眼を細めた。

「……ユウナ、ね…オイ、誰か車を出せ。残りは監視を続けていろ!」

 と指示を出した男は、またユウナの方を向いた。

「とりあえずアンタ…ちょっと、ついて来てもらおうか」

 チンピラのリーダーらしい威厳で、男はユウナを案内した。


***


 時は(さかのぼ)って、ユウナが事務所を出て数分後。

 シルビィは戸惑っていても仕方ないと思い、ユールの作業場に来ていた。

「ユウナさんのアカウントは……」

 昨日ユールが使っていたパソコンを起動し、操作する。

 パソコンは起動すると、二つのアカウントを表示した。

 〝天使(angel)〟と〝悪魔(devil)〟。

「どちらでしょうか……?」

 ユウナのアカウントがどちらかわからないが、一つだけわかることがある。

 天使は純白の翼を持つ、神の使い。その容姿は美しく、綺麗な(みどり)の眼差しで人々を祝福するといわれている。

 ユウナは天使と同じ、翠の瞳――彼女の場合は青みがかかった(みどり)色だが、天使と同じような特徴を持っている。

 それ故か〝天使(angel)〟のアカウントをクリックしてパスワードを打ち込むと、ログインすることができた。

 入れたということは、『天使の相談事務所』という事務所名にも使われている、『天使』ことはユウナのこと、という訳であろう。

 だがユウナは――こう言っては失礼になるが、性格や言動は天使のイメージとは程遠い。確かに綺麗な顔立ちをしているが。

 シルビィが見つけた、この事務所のホームページの名前は『悪魔の相談掲示板』。

 ユウナが『天使』なら、ユールは『悪魔』だろうか。

 ユールは確かにSっぽく、怒ると悪魔のようになりそうだ――そしてあの紅い瞳。悪魔を彷彿(ほうふつ)させないでもない。

 最初に見たときは驚いて言葉を失ってしまったが、よくよく考えればわかることだった。本人が他人には見せたくない、忌み嫌う瞳。ユールは今までどういう気持ちでいたのだろうか。

 そう思った後、シルビィは頭を切り替えた。

「〝先天性白皮症〟……」

 シルビィはインターネットを開き、先天性白皮症、と打ち込んだ。

 そこには、

先天性白皮症アルビノともとは、メラニンの生合成に支障をきたす遺伝子疾患であり、その結果、メラニン沈着組織の色素欠乏およびそれに付随し、本来メラニン色素を有するはずの組織(体毛・皮膚・虹彩・脈絡膜・網膜色素上皮)にメラニン色素欠乏をきたすものである。

 体毛はメラニンの量によりプラチナブロンド(白金)からブロンド(金髪)になり、皮膚は乳白色または皮下の血液により薄紅色を(てい)する。また虹彩はメラニンの量により無色・淡青色・淡褐色などになり、メラニンのない場合は無色半透明で、眼底の血液の色が透け、瞳孔とともに淡紅色となる。

 淡紅色になるのは、脈絡膜のメラニン欠乏により、瞳孔は眼底部の血管の色が透けるためである。その脈絡膜に少量のメラニンを持つ場合はぶどう色となる。脈絡膜および網膜色素上皮における色素欠乏のため網膜上での光の受容が不十分で、視力が弱い。眼球振盪(しんとう)・斜視・乱視・近視・遠視を伴うこともある。

 一般に、色素量の多い人ほど視覚症状は軽い。虹彩に色素がない(少ない)ため遮光性が不十分で、光を非常に眩しく感じてしまうことを(しゅう)(めい)という。また皮膚で紫外線を遮断できず、紫外線に対する耐性が極めて低い。

 といったように、これらの症状を先天的にきたすのがアルビノである。ただし、これらには大きな個人差があり、非進行性である。〟

 ――という症状が書いてあった。

「成程……」

 つまりユールは〝先天性白皮症〟なのだ。プラチナブロンドの髪、常人以上に白い肌。そして、紅い瞳。彼女の特徴はアルビノの特徴と一緒なのである。

 こういう珍しい病気や見た目を持つ人間は、差別されやすい。きっとユールも、差別に遭ってきたのだろう。だから初対面の者に瞳を見せないために、サングラスをして隠していた。怪しまれるかもしれない、不意に見られてしまうかもしれない。そして、差別されるかもしれない――そう思いながら過ごしていたに違いない。

 ユールがどう思っていたにせよ、自分は――

 と考えながら、シルビィは画面を食い入るように見ていた。

 だから、気付かなかった。

「――人のパソコンで何しているのかしら?」

「うひゃあ!?」

 背後から驚かされ――もとい、話しかけられたシルビィは、すぐさま後ろを振り向いた。

「ユールさん!」

 話しかけたのは、もちろんユールだった。

 彼女が帰って来ていたことに、シルビィはまったく気付かなかった。

「お、おかえりなさい……」

「…ただいま」

 で?と言った様子で、ユールは自分のパソコンを覗き込んだ。

「先天――……ユウナね。アカウントもそうだし」

 ハァ、とユールは呆れたようにため息をついた。

「ごめんなさい……」

「別に、気にしてないわ。バレてしまうのも時間の問題だったし」

 そう言ってユールは、サングラスを外した。

 伏せられた双眸(そうぼう)が開き、彼女の瞳――濃く紅い瞳が明らかになった。

「――どう?」

自嘲(じちょう)気味に、ユールはハッと笑った。

「これをあなたはどう思う?(おそ)れ、(おのの)く?それとも、(さげす)む?」

 ユールは楽しげに、それでいて哀しそうに言う。

 シルビィはそんなユールを、見ていられなかった。

「…そんな事、しません。むしろ私は……尊敬します」

「え……?」

 だから――ハッキリと。

「ユールさん。自分を悲観しないでください。普通の人とは違う?それが何ですか。他人とは違う特徴を逆に、(ほこ)りに思うべきです。現に私は、すごいと思います。人とは違うって、何だかカッコいいと思いません?」

 ニコリ、とシルビィは得意げに笑う。

 ユールは、呆然としていた。血の色をした紅い瞳が、丸くなっている。

「……そんな事、初めて言われたわ」

 ユールはボソリと言った。それから独り言を言うように、小さく語り始めた。

「…あたしを怖がって、誰も近付かなかったわ。皆…〝気持ち悪い〟って。ユウナは…何も言わなかったわ。(かば)うように立つだけで…お母さんも、(なぐさ)めるだけ……誰も励ましてはくれなかった」

 やはり、ユールはそれなりに差別され、今日まで生きてきていたらしい。嫌われ、怖がられ、蔑まれ、罵倒(ばとう)されて――。それが彼女を強くしたのだろう。眼を見られないように、真意を探られないようにと、ユールは成長してきたのだ。

「…ありがとう、シルビィちゃん。あたし、泣いちゃいそう」

 全くそんな素振りを見せずに、ユールは笑う。

 その笑みをシルビィは、ユールの本当の笑顔なのだろうと思い、嬉しくなった。

「実はね、ユウナも同じアルビノなのよ」

「え?」

 シルビィは耳を疑った。いくら双子でも、(かか)った病気までも一緒なのだろうか。

「本当よ。まぁ種類はちょっと違うし、あの子は軽い方だけどね」

 フフッとユールは可笑しそうに笑って、パソコンのスクロールバーを動かした。

「ほら。あたしが眼皮膚白皮症I型の一般的なOCA1Aで、ユウナはOCA1Bなの」

 ユーリが画面を指さす。

 〝OCA1Aは、チロシナーゼ陰性型とも呼ばれ、チロシナーゼの活性が全くなく、メラニンを全く生成することができない。毛髪は白金で、虹彩にも色素がなく、赤目である。一般にアルビノと認知されている人の多くが、この型である。

 OCA1Bは、チロシナーゼの活性はわずかにあるが、それが極めて低く、充分な量のメラニンの生成はできない。生まれた直後はメラニンを持たず、外見的にはOCA1Aと同じであるが、成長と共に少しずつメラニンが沈着してくる。毛髪はブロンドで、目は淡青色の場合が多い。メラニンを持つため、わずかに日焼けもすることができる。〟

「ちょっと眼の色があたし達は異例らしいけど、こう診断されたそうよ。あとユウナが外に出るときにいつもフードを被っているのは、少し日焼けできるけど、紫外線に弱いからからなの。あたしよりは症状が軽いから耐性があるけど」

 そう説明されてシルビィは、ユウナが外出時にフードを被っていたことを思い出した。あれにはちゃんとした理由があったのだ。

 パソコンを終了させたユールは、ハァと息をついた。

「……もしかして、ユウナに自分に聞けって言われなかった?」

「はい、言われました」

 シルビィの素直な返事に微笑しつつ、ユールは呆れたようだった。

「ユウナは…心配性なのよね。何も言わないけど、とても気にしているみたいね。あたしも言わんこっちゃないけど…でも、たった二人の家族だし」

 ユールは哀しそうに、笑っていた。

「もう遠慮はしなくて良いわよ、シルビィちゃん。お互い隠すこともないでしょ」

「…そうですね」

 シルビィはまた素直に笑う。

 つられたのか、ユールもニコリと笑った。

「あ、そうだ。ユールさんもシスコン…ですよね?」

「……否定はしないわ」


***


 カランカラン、と扉の開閉で鈴が鳴る。

 ここはC区のとある喫茶店(きっさてん)。今の時間帯、店内の客はそこまでいないらしかった。

 そこに入ったユウナとリーダーの男は、一番奥の席に向かい合って座った。

「何か、飲むか?」

 男はメニューを開いて、ユウナに聞いた。

「…いや、遠慮しておく」

(おご)るぞ?」

 そう男が言うと、ユウナの片眉がピクリと動いた。

「……じゃあ、コーヒー」

 ユウナ言うと、男は店員を呼び、コーヒーを二つ頼んだ。

「遠慮、するんじゃなかったのか?」

「…姉から、相手が奢ってくれるときには遠慮するな、と言われている」

 その答えに、男は笑ったようだった。

「ユウナ、だったか。俺は『フェンリル』の治安維持班の班長を務める、フィオドという。改めてよろしく」

 男――フィオドは手を差し出し、握手を求めてきた。

「『天使の相談事務所』を営む『(イーブ)なき(レス)』のユウナだ。こちらこそよろしく」

 ユウナは手を握り返し、そう返した。

「で、何が聞きたいんだ?」

「その前に……本当に良いのか?」

 自分の所属する『マフィア』の情報を関係者以外の者に流す。それは裏切り行為に等しい。しかしこのフィオドという男は先程自ら行くと言い、ユウナをここまで連れて来た。

 治安維持班の班長といういきなりの大物がかかったのだ。ヘマをやらかす訳にはいかない。それ以前にこの男の目的は何なのか。本当か、罠か。見極めなければならない。

 するとフィオドは、邪気のない表情でこう言った。

「あぁ、良いんだ。どうせ俺は…近いうちに『フェンリル』を辞める」

 ――珍しい奴だと思った。『フェンリル』が有名な今、どんなに『フェンリル』が極悪でも、入りたいという(やから)が多いのに。

「そうか……ならば、聞こう」

 口ではどうとでも言える。ユウナは思考を切り替えて、メモ帳を取り出した。

「あたしが教えて欲しいのは…麻薬取引班の情報だ」

「アイツ等か…」

 フィオドは数秒ほど考えて、話し始めた。

「人数はだいたい…百人ぐらいか。扱っているのは大麻に覚醒剤(かくせいざい)、MDMAや阿片、コカインとか、脱法ドラッグ…その他もろもろだ。数ある麻薬はすべて取り扱っていると聞く。新型の強い麻薬も開発しているとか…他の班だからな。詳しいことはよくわからない」

 ここまではシルビィやユールの情報通りだ。

「奴らのアジトは?」

 『フェンリル』の本拠地は『クライムシティ』のど真ん中にある塔――元は警察の監視塔だった場所だ。それ以外は、各班でアジトが各区にあるらしい。

 一番聞きたい質問が麻薬班のアジトの所在だった。ユウナはフィオドをキッと見据えた。

「確か……D区。場所は、使われていない大きな倉庫。D区では一番大きいから、すぐにわかるよ」

 D区。『クライムシティ』内でもっとも治安が悪く、危険な場所と言われている。ユウナ自身あまり足を踏み入れたことはないが、『クライムシティ』全体に比べると、無法地帯っぷりが顕著だ。容易に近付く馬鹿な奴はいない。そこに他の倉庫の倍程もある、大きな倉庫がある。『クライムシティ』が刑務所時代に使っていたらしいその倉庫が、麻薬班のアジトだという。

 ユウナはペンを走らせ、次の質問をした。

「近年――というか、現在の活動内容はわかるか?」

 そうだな、と聞かれたフィオドは少し考えた。

「活動はそこまで変わっていない。麻薬を仕入れて売る、それだけだ」

 注文したコーヒーが届き、テーブルに置かれる。

 持ってきてくれたその店員に、フィオドは礼を言う。

 ユウナは何も言わずにコーヒーを一口飲む――ユーリがいつも作ってくれるコーヒーより、格段に美味しかった。

「あ、何だったか……」

 ユウナと同じようにコーヒーを一口飲んだフィオドは、思い出したようにつぶやく。           

「確か一週間前ぐらいの話だ。ちょうどトップ会議があってな…――あ、トップ会議っていうのは各班の班長と頭領であるボスが集まって報告やボスへの申請、他の班への依頼ができる月一の会議のことなんだけど…そこで麻薬班の班長が、諜報班に依頼したんだ」

「どんな?」

 すかさずユウナは聞いた。

「ある人物の動向を調べて欲しい、と。麻薬取引班にしては珍しい依頼だと思って、ちょっと覚えていたんだ」

「その人物の名前は?」

「……ごめん。そこまでは覚えていない」

 ふむ、とユウナは考えた。

 ――誰だ?麻薬班が諜報班に依頼して調べていた、という人物は。自分達に関係があるかもしれない。ユウナは少し、嫌な予感がした。

「信じて、くれるみたいだな」

 唐突に言われ、ユウナは我に返った。

「こちらが調べた内容とほとんど一致している。それに、信用できそうだからな」

「俺は本当のことしか言ってないぞ?」

 ハハッとフィオドは乾いた笑みを漏らす。

「…ホントは俺、『マフィア』なんて、自分らしくないって思っているんだ」

 フィオドはポツリ、と小さく話し始めた。

 ユウナはペンを置き、フィオドに目を向けた。

「困っている人を助けたかった。でも俺一人じゃ何もできない――だから恩のある『フェンリル』を頼った。だけどだめだった。『フェンリル』とか『マフィア』って言うと、皆怖がって逃げる。自分が悪なのが、嫌だった」

 少々悲しそうに肩をすくめ、フィオドは語った。

 こいつは誠実な奴なのだ。ユウナが思った以上に正義感が強くて、人を救えるならば、と悪で有名な『フェンリル』に入った。どんな経緯で彼が『フェンリル』に入ったかはユウナにわからないが、それでも正義になれると彼は信じていた。

 本当に『クライムシティ』じゃ珍しい、誠実で純粋な奴だと思った。会ったばかりのユウナにこんな相談ことをしてくるぐらいには。流してくれた情報も、本当のようだし、信用できそうだった。

 だから彼に、ユウナはこう言った。

「ここは『クライムシティ』だ。どう足掻(あが)いたって、ここでは悪になる。正しいと善を語っても偽善――本当の善にはなれない」

 でもな、ユウナはまっすぐフィオドを見た。

「だからこそ、あたし達『(イーブ)なき(レス)』』がいる。悪を、悪の方法で消し去るために。偽善と言われようが、これが『(イーブ)なき(レス)』の仕事だ」

 足掻いて善を語るより、開き直って悪を裁く悪となれ。

 ――あの人の教えは、頭にも心にも残っている。

「…アンタ、すごいな」

 感嘆したように、フィオドは言った。

「ただの受け売りだ」

「受け売りでも、俺にとってはすごく重みのある言葉だよ」

 フィオドはそう言って屈託なく笑った。

 フン、とユウナは鼻を鳴らし、コーヒーを口に含んだ。

「…よし、これで『フェンリル』を抜ける覚悟ができた。アンタのおかげだよ、ユウナ」

「……別に何もしていないが」

 とユウナが言うのも構わず、フィオドはニコニコしている。

 そんなフィオドの様子が腑に落ちなくて、ユウナは息をついた。

「…その人懐っこさ、長所でもあり短所でもある。お前いつか…死ぬぞ」

 そう言うとフィオドは、諦めたように首を横に振った。

「その時はその時さ。まぁ『フェンリル』を抜ける時点で、無傷で抜けられる訳がないと思うけどね。裏切り者は抹殺だし…ボスに掛け合って、どうにかしてみるけど」

 フィオドが笑うのにつられて、ユウナも笑った――二秒ほど遅れてしまったが。

 それを見て、何故かフィオドは顔を(そむ)けた。頬が少し赤い気もする。

「……どうした?」

「いや、別に…」

 変な奴だ。ユウナはまた遅れて笑う。

「フィオドっていうんだったな」

「そう、だけど」

「情報を流してくれたお礼、と言っては何だが…もし、『フェンリル』を抜けてまだ無事だったら、あたしに会いに来てくれ。無条件で、助けてやろう」

 ユウナは千切(ちぎ)ったメモに『天使の相談事務所』の住所と電話番号を書いた。そして、それをフィオドに渡す。

「……ありがとう。必ず、会いに行くよ」

「生きていたらな」

 その言葉に、フィオドは可笑しそうに笑った。


***


 日は、少しずつ(かたむ)いていた。

「そうだ、ユウナ」

 喫茶店からの送迎でA区に戻って来た後、ユウナはフィオドに呼び止められた。

「何だ?」

「さっき思い出したんだけど……殲滅班が今夜どこかに出動するらしい。麻薬取引班が調べて欲しいって諜報班に頼んだあの――ある人物を狙って。それから、暗殺班の一人もそれについて行くらしい」

 ゾワリ、とユウナは寒気がした。そして、(ひらめ)いた。

「……何故それを先に言わない」

「え、だから今思い出したんだって」

 そう弁解するフィオドに何も言わず、ユウナは走り出した。

 麻薬取引班は、殲滅班と暗殺班の一人に依頼をした。フィオドの言っていたある人物を殺すために。その人物は、

「シルビィだ…!」

 ただ、麻薬を仕入れて売るだけじゃない。その障害となる者、自分達に復讐してくる者――つまり邪魔者をすべて消すために、警戒して動いている。

 シルビィが狙われているとならば、彼女がいる場所――『天使の相談事務所』の場所はもう諜報班によって、麻薬取引班に知れ渡っているはずだ。襲撃してくる殲滅班にも、暗殺班の一人にも。

 事務所にはシルビィとユールがいる。シルビィは確実に狙われてしまうが、一緒にいるユールも狙われてしまう。

 ユウナは急いで愛車に駆け寄り、エンジンをかける。

 ――間に合え。ユウナはそう祈り、B区に向かってバイクを走らせた。


***


 一方、その頃。

 事務所にいるシルビィとユールは、夕食の準備をしていた。

「これでいいかしら?シルビィちゃん」

 テーブルに皿を並べていたユールが、少々ドヤ顔しつつ聞いてくる。

 ユールの告白を聞いてから、彼女は更に遠慮がなくなったように思える。

「あ、はい。大丈夫ですよ」

 とシルビィが言うと、ユールは笑みを浮かべてこちらにやってきた。

「ホント、何から何までありがとう。シルビィちゃん」

「いえ、好きでやっていますから」

 にこやかなユールに、シルビィも笑顔で返す。

 だいぶ、ここでの役割に慣れてきた。昼過ぎには違う部屋も片付けたし、応接室の掃除も目の届く範囲でやった。

「それにしても…ユウナさん、遅いですね」

 ユウナが出掛けて行ったのは午前中で、今はもう夕暮れ時だ。もう夜が始まっているかもしれない。

「そうね。でももうすぐ、帰って来るんじゃないかしら。あまりにも遅くなるなら、連絡はしてくるはずけど」

 そうユールが言った後、上の階で扉の音がした。

「…帰って来たみたいね」

 噂をすれば、だ。しかし何故か、その足音が大きく聞こえる。急いでいるようにも、慌てているようにも聞こえなくはない。

 と考えていたら、ユウナがドタドタと階段を下りてきた。

「――無事か、お前達」

 ユウナは息を切らし、焦った表情でそう聞いてきた。

「……お帰りなさい、ユウナ。何があったの?」

 そんなユウナに、ユールが真剣な顔で聞く。

 ユウナは一旦呼吸を整え、普段の表情を強張(こわば)らせて言う。

「…今日ユールに頼まれた件で、治安維持班の奴と接触した。それも班長にだ」

 それにユールが冷静に応じる。

「やるじゃない。それで?」

「そいつが最後に言った。多分シルビィは、狙われている」

 シルビィは驚いて耳を疑った。

「わ、私がですか!?」

「麻薬班はお前みたいな奴――将来自分達の障害になるような人間、つまり自分達に復讐してきそうな人間を、事前にマークしていたんだ。いざその時が来たら、諜報班に調べてもらい、殲滅班や暗殺班に頼んで消してもらう。そして今回のターゲットはシルビィだった、という訳だ」

 ユウナの言葉に、シルビィは愕然(がくぜん)とした。まさか、自分が狙われているとは。麻薬取引班を壊滅させようとしていたのは自分なのに、逆に狙われて殺されるかもしれない状況になっている。

「…それ、本当なの?」

「あぁ。班員ならまだしも、班長が言ったんだからな」

 それから、とユウナは続ける。

「今夜、襲撃班が来るぞ。もう、来ているかもしれない」

 ユウナがそう言った直後、インターホンが鳴った。

「……ユール」

 ユウナが小さくユールを呼ぶ。

ユールはうなずいて、階段の近くにあった受話器を取った。

「はい、どちら様?」

 ユールが対応している間に、ユウナは奥の部屋に行く。

『あの、依頼をしに来た者ですが…入ってもいいですか?』

 普通のお客さんのようだ――そう、シルビィは思ったのだが。

「失礼ですが、事前にこちらにお電話はくださいましたか?」

『…いえ、していません』

「でしたら、申し訳ないのですが…今回は、お引き取りください。当事務所では、お電話による予約が必要になっておりますので。ですからまた後日、ご足労いただけないでしょうか?」

 ユールがそう、冷静に言い放った後、

『……チッ』

 舌打ち、そしてガチャリ、という金属の音――まるで、銃に銃弾を装填するような。

「…逃げるわよ、シルビィちゃん」

 ユールは受話器を元に戻して、こちらを向く。

「今のは――」

「今のは嘘よ」

「じゃあ、相手はまさか…」

「説明は後!いいから行くわよ!」

 ユールはそう強引的に言い、シルビィの腕を引く。そのまま奥の部屋の方へ。

「――やはり来たか」

 扉を開けると、ちょうどユウナがこちらに来るところだった。

 その手と肩には、二挺(ちょう)の銃器が。

「そうみたい」

 ここで呆然としていたシルビィは、やっと理解が追いついた。

 来たのだ。ユウナが言っていた殲滅班が。自分を殺すために――!

「…わかった。お前達は全力で逃げろ。あたしが相手をする」

「そ、そんな!ユウナさんが…」

 慌てるシルビィの顔の前に、ユールの制止の手が伸びる。

「この子なら大丈夫よ。あんな――」

 ユールの言葉を遮るかのように、大きく派手な爆発音が事務所内に響いた。

 その瞬間、ユールの額に青筋が浮かび上がった気がした。

「……あんな雑魚(ざこ)共に負ける訳がないわ」

 ハァ、と眉間にしわが寄った状態でユールは息をつく。

 先程の爆発で玄関の扉を破壊したのか、それからドタドタと何人もの足音が侵入して来る音が聞こえてた。

「そういうことだ。だからさっさと行け」

 でも、と躊躇(ちゅうちょ)するシルビィの腕をユールが引く。

「心配してくれるのは嬉しいが、モタモタしている場合じゃないんでな」

 そう言って、ユウナは遅れて笑う。

「モタモタしないで、行くわよ!」

 シルビィは引っ張られても、ユウナから目が離せなかった。それに体も動かない。

「…シルビィちゃん!」

 ユールに肩を揺さぶられる。

「しっかりしなさい!ここはあなたの死に場所じゃない、あなたは生きるのよ!」

 そう言われて、シルビィは我に返った。

 ――そうだ、自分は死ぬ訳にはいかない。父の(かたき)を取らなければいけないのだ。

そのためには、ユウナを信じなくてはならない。この人ならやってくれる――そう思ったではないか。

「すみません。もう…大丈夫です」

 ユールにそう言い、ユウナの方を向く。

 そしてシルビィは深呼吸し、ユウナをまっすぐ見た。

 その眼を見て、ユウナはうなずいた。

「…行け!」

 先程よりもはるかに、シルビィの体は自然と動いた。



第3章 襲撃


銃撃戦が、始まったようだ。

シルビィとユールはひとまず、ユールのコンピュータールームに入った。

「…バックアップを取っている暇はないわね。入られないよう、ユウナが守ってくれるのを信じなくちゃ」

 ユールはそうつぶやきつつ、部屋の窓を開けた。

 どうやらここから、外に出るらしい。

ユールはキョロキョロと辺りを見回してから、窓の(さん)を飛び越えた。

 それに(なら)って、シルビィも桟を飛び越える。

「じゃあ、見つからないように――」

 とユールがシルビィの手を引いて行こうとするが、突然止まったので、シルビィはユールの背中にぶつかってしまう。

 何だ、と思ったらユールが最悪、と言いたげな顔で驚いていた。ユールの目の前にいる男も驚いていた。

 どうやらこの男は殲滅班の一員で、見回りをしていたようだ。

 突然標的が現れたことで、男も呆然としていたが彼は慌てつつも、後ろを向いて叫ぶ。

「こっ、こっちにもいたぞ!」

 そう叫んだ男を、ユールは後ろから思いっきり蹴りを食らわせた。ユールの渾身の一撃は男の頭にクリーンヒットし、男を気絶させるに至った。

「ユ、ユールさん…!」

「行くわよ!」

 何故か少々息切れしつつ、ユールが走り出す。

 シルビィも急いでその後を追う。

 男を蹴り倒したのは良いが、対応が遅かった。何だ何だという怒声が、だんだんと近付いてきている。

「ユールさん、早く!」

 いつの間にかユールを追い越して、自分が先頭を走っていた。シルビィは走りながら、数メートル後ろにいる彼女に呼びかける。

「わかっ…てるわよ…!」

 ハァハァと息を切らさせながら、ユールは苦しそうに答える。

 言っては悪いが、ユールは運動が苦手なのか、走るのが遅かった。それに体力もないようだ。

 これでは追いつかれてしまう、とシルビィが思っていたら、

「あぁもう最悪!扉は壊されるし折角(せっかく)ユウナが逃がしてくれたのに見付かるしヒールで足は痛いし走りづらいし、全然良いことないじゃない!!」

 といきなりユールが叫び、全力で追い抜いてきた。

 当然、シルビィはビクッと驚く。

「だいたい、あたし運動全般苦手なのよ!走るなんてもっての他!」

 あぁもう!と何かの糸が切れたように、ユールはぶつぶつと文句を言い始めた。

「落ち着いてください、ユールさん。文句を言っている場合じゃありません!」

「そんな場合じゃないのはわかって――」

「――いたぞ!」

 ユールの声を遮って、男達の怒声が耳を(ふさ)ぐ。

「もうっ」

 グイッとユールはシルビィの腕を引っ張り、すぐ近くの路地に入る。

 そのまままた走る。

「これじゃあ(らち)があかないわ。追いつかれるかもしれないし…一旦事務所の方に逃げるわよ!」

 とユールが言って、二人は方向転換。事務所の方角に走る。

「ユウナが…早く来てくれないかしら…?」

 ユールは懇願するようにつぶやく。が、

「…ユールさん、前!」

 前方からも、殲滅班はやって来ていた。

 シルビィとユールは一度立ち止まる。だが当然、後ろからも来ている訳で。

「……囲まれたわね」

 そこまで広くもない路地で、囲まれてしまった。

 その数、双方合わせて三十人程。

「「撃てっ!」」

 双方の隊の隊長が声を上げる。

 ユールはとっさに、シルビィを押し倒した。

 押されたシルビィは、建物の壁際までよろめく。

お陰で被弾はしていない。だが全力で押されたため、尻餅をついてしまった。いたた…とつぶやいてシルビィは立ち上がる。そしてハッと気付いた。

「ユールさんは…?」

 自分を(かば)うようにして押したユールは、

「――最悪ね」

 反対の壁際にいた。

 良かった。そう思ったが、シルビィはユールの腕が被弾していることに気が付いた。

 かすっただけのように見える。が、出血がひどい。

「か弱い女二人にこの人数なんて、大袈裟(おおげさ)なんじゃないの?」

 殲滅班の者達に聞こえるようにして、ユールが言う。

「絶対に殺せ。という、ボスの命令だ」

 片方の隊長が口を開く。

「ボスじゃなくて、麻薬班の命令…お頼みでしょ?」

 ユールはからかうようにそう言う。

 だがその表情は、(つら)そうだ。何とか時間を稼ごうというのがわかる。

「ホントはやりたくないって思っているんじゃないの?面倒だって。知っているわよ?麻薬班が他の班と仲が悪いって。嫌いな奴らの頼みなんか聞きたくなかった…でも奴らの依頼、ボスが直々(じきじき)にやれって言ったんじゃないの?もしくは班長の命令。それで渋々、ここに来た」

 そのユールの推測は当たっていたようで、まだ若そうな隊長が、(いら)立ち交じりに叫ぶ。

「それが何だ!」

 そんな隊長を、反対側にいるもう一人の壮年の隊長が手で制する。

「何で、殺さないの?」

 ユールは腕を押さえながら、そっちの隊長に聞いた。

「殺すなら今のうちでしょ?毎年の『支配者(グループ)』の選抜戦で、驚異の活躍を見せて何年も勝ってきた『フェンリル』の殲滅班様が、何故ためらうの?」

 微笑を含ませながら、ユールが聞く。

「…図に乗るな。貴様等を殺さないのは、せめてもの(むく)いだ。我々とて、女子供を虐殺するのは趣味じゃない」

「甘いわね。あなた方、班の中でも下の方じゃないの?」

 そう言われた隊長の額に、青筋が浮かぶ。

「……最期の言葉は、それだけか」

 隊長が、右手をゆっくり上げる。

「…撃――」

 静かに、右手が振り下ろされようとしていた。

 ――終わった、とシルビィは思った。ここで自分は死んでしまう。父の敵を討てないまま、終わる。終わるのだ、と。

 しかし銃声が鳴っても、シルビィに終わりは訪れなかった。

 え?シルビィは目を開けた。

「……だから甘いって言ったのよ」

 地面に血が飛び散り、それは転がる。それ――つまり、隊長だったものが。

「済まない、遅れた」

 その声は、上から聞こえた。

 何も聞こえない静寂の中、着地音だけが聞こえた。

「…遅いわよ、ユウナ」

「だから謝っただろう?」

 あまりのことに、殲滅班の者達は動けていないようだった。

 予想していなかったのだろう、この闖入者(ちんにゅうしゃ)に。

「さて」

 闖入者――ユウナの乱入に。

「あたしの大切な姉と、大切な客人を傷つけ、恐れさせたその罪…」

 ユウナはどこからともなく、二種類の銃器を相手に見せるように肩にかける。

 PDWのKAC六×三五ミリと、ショットガンのレミントンM八七〇。

「覚悟は…できているんだろうな?」

 それから愛銃のハンドガン、ベレッタM九二を二挺構える。

 ユウナの碧の瞳が、濃く光った。


***


 数十分も、かからなかっただろう。

 その間にユウナは、すべてを終わらせた。

 ――もう一人の隊長が怒声を上げる。三十挺以上の機関銃が火を吹いた。

 ユウナは被弾する直前に、高く跳躍した。

 それは常人にはありえない跳躍能力で、思わず殲滅班の者達は機関銃を撃つのを忘れ、それを見上げた。

 その者達のアホ面を、ユウナはPDW――パーソナルディフェンスウェポン、コンパクトな割に高火力な短機関銃で敵を殲滅する。

 前列にいた全員と、その後ろの数人が倒れる。

 それと同時に、ユウナは着地。

「ひ、怯むな!撃て!」

 驚きつつ、隊長は命令を下す。

 撃とうとする前に、ユウナはショットガンをぶっ放した。

 散弾銃のこぼれ弾に当たった者達の(とど)めは、ハンドガンで。

 これで片方の隊は(くず)れた。

「何をしている!撃てっ、撃つんだ!」

 隊長は叫ぶが、残った者達は動かない――動けていなかった。

 そんな彼らを、ユウナは容赦なく撃つ。

 そして、隊長は一人になった。

 ユウナはPDWとショットガンを担ぎ直す。

「く、くそっ…!」

 逃げ出そうとした彼の両足を、ユウナは素早く撃つ。

「やっやめてくれ…!殺さ――」

「殺すさ」

 ユウナは倒れた隊長に近付き、その背中を踏みつけた。

 そしてハンドガンを頭に押し付けた。

「だらしないな。それでも『フェンリル』か?」

 隊長の顔が恐怖や悔しさに(ゆが)む。

「お前は逆に、ユール達を殺そうとしたんだ。当然の報いだろ」

「じゃ、じゃあ――」

「さよならだ」

 パンッという乾いた音が、夜の『クライムシティ』に響いた。


***


「大丈夫か?」

 腰が抜けて座っていたシルビィに、ユウナが手を差し伸べる。

 はい、とシルビィはうなずいて一瞬迷ったが、その手を取った。

「あ~もう、ホント最悪」

 向こうからユールが仏頂面でやって来る。

「無事か?ユール――って撃たれてるじゃないか」

 ユウナは姉の腕を見て、半眼になった。

「えぇ、見ての通りよ」

「まったく…さっさと事務所に戻るぞ」

 ユウナ達が歩き出すのを見て、シルビィも歩き出した。

「事務所の方、どのぐらいいた?」

「ざっと二十人ぐらいだったか。ずっと撃ち続けるから、余計に手間がかかった」

「そう。じゃあ五十人態勢だった訳ね」

 シルビィは二人が報告し合っているのを、黙って聞いていた。

 ――話す気に、なれなかった。

「…シルビィちゃん、どうかした?」

 ユールが、沈んでいたシルビィの顔を覗き込む。

「いえ……何でもありません」

 そう言うと、ユウナがこちらを向いた。

「死体を見すぎて、気持ち悪くなったんじゃないか?あれは普通、慣れるもんじゃない」

「成程。確かにね」

 そうか、自分は気分が悪いのか。シルビィは自身の気持ちにさえ、客観的なっていた。相手は自分を狙っていた敵だったのに、その死体を見ただけなのに、こうも気分は悪くなるのか。

 まもなくして、事務所にたどり着いた。

「……見事な地獄絵図ね」

 ユールが中に入って、そう呆れたように言った。

「これは改装する必要があるな」

 まさにその通りだった。銃痕で内装はボロボロ、事務所の出入り口である扉も破壊されている。それに加え、床は血の海で死体の山。

「あ~修繕費が…扉壊された時からこうなる予感がしていたのよね――まったく、『フェンリル』のボス()てに請求書でも送り付けてやろうかしら」

 ユールが恨めしい顔で文句を垂れているのを他所に、シルビィはさっきよりも気持ち悪くなっていた。吐き気もする。

「…シルビィ、大丈夫か?」

 ユウナが聞いてくるが、答えられない。

「死体共は『死体(クリー)処理(ナー)人』共に任せるしかないな」

「そうね。ついでにあっちの死体も、片付けてもらいましょう。依頼費なんてもう気にしないわ」

 それにしても、とユールが一階に下りる。

「データは大丈夫なんでしょうね?あれにはいろいろとヤバイものが入っているんだけど」

「まぁ大丈夫だろ。一階には侵入されていない」

 一階は無事なようだった。テーブルには手の付けられていない、シルビィの作った料理が並んでいる。せっかく作ったのに、もう冷めてしまっていた。

「ともかく、ユールはさっさと傷の手当てをしろ。放っておくと危ない」

「わかっているわ。えっと、救急セットはどこだったかしら…」

 そう言ってユールが戸棚に向かおうとして、

「――待て」

 それをユウナが声で止めた。

「…何よ」

「動くな。シルビィも、じっとしていろ」

 緊張感が走る。

 シルビィは唾を飲んだ。

「……まだ客がいたようだ」

 フンッとユウナは鼻を鳴らした。

「出てこい。そこに居るのはわかっている」

 一間、静寂が入って、奥からのそりと人が出てきた。

「…さすが、殲滅班を全滅させたことだけはある」

 鋭い眼をした、男だった。

「お前…暗殺班の者だな?来ることはわかっていた」

 ユウナはホルダーから銃を抜き、遊底(スライド)を引いた。

「おっと、あんたと戦う気はないぞ。俺は偵察に来ただけだ」

「…そうか。ならばその手に持っている物を置いて、さっさと立ち去れ」

 そう言われて男は、ニヤリと笑った。

 男が持っていたのは、コンパクトディスクだった。

「それ!もしかして、あたしのパソコンのデータ?」

 ユールが気付いたように声を上げる。

 本当にそうらしい。男はまたニヤリと笑った。

「……これだけの手練れ、女にしておくには惜しいな。『フェンリル』に属していないことも惜しい」

「御託はいい。置いて逃げるか、死ぬか。選べ」

「…冗談だろう?」

 男はそうつぶやいて、ユウナに殴りかかった。

 ユウナはそれを紙一重で避ける。

「ユール、シルビィ!隠れていろ!」

 ユウナはこちらを見ず、そう言い放った。

 言われた二人は、キッチンの方へ。

 二人の安全を確認したユウナに、さらに男は拳を振るう。

「武器は徒手空拳だけじゃないんだろう?」

 次々と襲ってくる拳を避けつつ、ユウナは余裕そうに聞いた。

「…本当に惜しいな。だが――」

 ニヤリと笑って、男はナイフを取り出した。

「その余裕面、どこまで保てるかな?」

 そして素早い動きで、攻撃してきた。

 だがユウナにそれは当たらない。避けたり、ハンドガンで防いだりしている。

「避けるだけか?」

「冗談だろ」

 ――ユウナが、動く。

 横薙()ぎに攻撃しようとしたナイフを、ユウナは後ろに宙返りして避けた。だがユウナは、避けただけではなかった。宙返りしたときに、ユウナの足はナイフを蹴り上げていた。そのままユウナは着地。

 男は相当、驚いたようだった。

 呆然としていた男に、ユウナはすかさず横から()び蹴りを食らわせる。

「なっ……!」

 男がよろめいて、態勢を立て直そうとした瞬間に、ユウナは正拳突きをお見舞いした。

 お見舞いされた男は壁まで飛ばされる。

 ユウナは反対の手に持っていたハンドガンを、男に向ける。

「ちぃ…!」

 正拳をまともに食らい、鼻血を出していた男はユール達の方を向いた。

 その男の手は、自分の(ふところ)を探っている。

 そうして出てきたのは、ナイフ。それを投げようというのか。

「――やめてもらえる?」

 シルビィの隣で、ユールが相手の目を見つめてそう言った。

 そんなので、やめてもらえるはずがない。

 だが、男は本当にナイフを投げてこなかった。

「…え?」

「降参してもらおうか」

 シルビィが驚いているうちに、ユウナは男にハンドガンを押し付けていた。

 そこで男がハッと気付いたように、我に返った。

「お、俺に何をした!」

「さぁな。あたしにもよくわからん」

 その会話を、シルビィは不思議に思った。彼は、何をされたのだろう?

「ユウナ、殺しちゃだめよ。そいつには、聞きたいことがたくさんあるから」

「…了解」

 ユウナは銃を押し付けるのをやめ、ホルダーに戻した。

「あら、動いちゃだめよ」

 解放され、逃げようとした男にユールが言う。すると男は止まる。

 そこでシルビィは、ユールの紅い瞳が淡く光ったように見えた気がした。


***


 その後、シルビィはユールと共にユウナの部屋に来ていた。

 ユウナにユールの傷の手当を頼まれたのだ。救急セットはこの部屋にあるらしい。

 彼女の部屋は、工具や銃弾や何やらかんやら――何ともユウナらしい部屋だが――でゴチャゴチャしていたが、目的の救急箱はすぐに見つかった。

「さぁユールさん。傷の手当をしましょう」

 ユールはベッドに座って、部屋をジロジロ見ていた。

「…相変わらず汚い部屋ね」

 それはお互い様ですよ、とシルビィは心の中で言う。

「シルビィちゃん今…あなたもですよ、とか思ったでしょ?」

 ぎくり。シルビィは何も言わず、平静を装うことにした。

「傷、見せてください」

 シルビィがそう言うと、ユールはユウナとお揃いの上着を脱いだ。

 上着の下ノースリーブで、傷は前腕部分だった。

「あれ…傷、ひどくなってる…?」

 明らかに怪我がひどくなっていた。傷の化膿(かのう)も早い。

「……いつものことよ」

 ユールはそう言うだけなので、シルビィは手当に集中した。

 手当が終わると、ユールは状態を確かめるように、腕を見つめていた。

「大丈夫ですか?」

「えぇ。治りは遅いけど、そのうち治るわ」

 そう言って、ユールはシルビィの方を向いた。

「…ねぇシルビィちゃん。これからあたしがやることは後で説明するから、それまでは…何も聞かないでくれない?」

 少々(ばつ)が悪そうに、ユールがそう言ってきた。

 これからやること――それはさっきやったことなのか。

 ユールは一体何をしたのだろう?彼女の瞳が淡く光ったのは、自分の気のせいだろうか?

 思えばユウナだってそうだ。常人にはあり得ない運動神経、反射神経。彼女の瞳も、濃く光っていた気がする。

 でも、とシルビィは首を横に振った。

 後で聞けるというのならば何も聞かず、黙っておこう。焦ってはだめだ。

 あちらの部屋に戻ると、ユウナがこちらを向いた。

「様子はどう?」

「だめだ。全然吐かない」

 ユウナは呆れたように、肩をすくませる。

「…俺は何も吐かんぞ」

「当たり前だけど、強情ね」

 ユールはクスリと笑って、男の前にしゃがんだ。

 それからユールは、男と目を合わせた。

「さて、まずは何を聞こうかしら」

「だから俺は吐かないと――」

「あなたの目的は?あたし達が来なかったら、何をしようとしていたの?」

 そう聞いた直後、ユールの瞳が淡く光った。

 まるでそれは、人を操っているかのようだった。

 ユールと目を合わせた直後、あんなに拒否していた男が、

「……俺の目的――任務は、殲滅班がしくじった場合の保険だった」

 と話し始めた。

 シルビィが驚く暇もなく、それは続く。

「保険…殲滅班が殺し損ねたら、あなたがあたし達を殺すようにって言われていたのね?」

「そうだ。俺も殲滅班がしくじるとは思っていなかった…」

 男はそう言って、ユウナの方を見た。

「そっちの女が、ここに入ってきた殲滅班を一掃して出て行ったあと、『フェンリル』の利益になりそうなものを探していた…」

「それであたしのパソコンを見つけたって訳?」

 ユールの問いに、男はコクリとうなずく。

「まぁ…それはいいわ。で、シルビィちゃんは何故狙われていたの?」

「麻薬班は、客と脅した相手の個人データを持っている。もちろんその家族もだ」

 やはり、ユウナの推測した通りだった。

「成程、マークしていたのね。『クライムシティ』に入る前も、シルビィちゃんを監視していたの?」

「それは知らない。俺の任務は大抵暗殺だ。そういうのは諜報班の仕事だ」

「じゃあこの事務所の情報は?」

「これも諜報班が調べ上げた。ただの『(イーブ)なき(レス)』の店と聞いていたが…まさかこんな猛者(もさ)がいたとは」

 ハッと男は笑う。

「我が組織の〝赤の双璧〟やボスと同等――」

「無駄話は結構。ユウナ、他に聞きたいことは?」

 不意にユールがこちらを向いた。

 聞かれたユウナは少々考えてから、

「…確認のため聞くが、麻薬班のアジトは?」

 だが男はユウナの問いに答えない。

「ちゃんと答えなさい!」

 ユールが強引に目を合わせ、彼女の目がまた淡く光る。

「……D区の、使われていない大きな倉庫だ。明日、そこで麻薬班の全員が集まる」

「全員?何のために?」

「殲滅班とこいつの、始末したっていう報告を聞くためだろ?」

 ユウナが口を(はさ)んで、そう言った。

「…そうだろ?」

「……そうだ」

 その答えを聞いたところで、ユウナはハンドガンを取り出した。

「…もう良いか?ユール」

「えぇ。用済みよ」

 ユウナがガチャリと遊底(スライド)を引いたあと、男は我に返った。

「あ――」

 パンッと、赤い花が咲く。

 その瞬間にシルビィは、口を押えて顔を背けた。

 花はドロリと流れ、床を濡らしていく。

「…シルビィちゃん?」

 ユールの呼びかけを無視し、シルビィは外を目指した。


***


「シルビィちゃん、大丈夫かしら」

 椅子に座って足を組んでいたユールが、肘をついてつぶやく。

 そんなユールに、同じく椅子に座って足を組むユウナは息をついた。

 すでに、ここで死んだ暗殺班の男と二階の殲滅班の死体は『死体(クリー)処理(ナー)人』――進んで死体を処理してどうにかしてくれる、一応『(イーブ)なき(レス)』――の者達が片付けてくれていた。

 それも終わって、もう数十分経()っている。だがシルビィはまだ戻ってきていなかった。

「…ただ気分が悪くなって、吐きに行っただけだろ」

「あなたはデリカシーってものがないわね。同じ女なのに」

「余計なお世話だ。報告を続けるぞ」

 ユウナは手元のメモ帳に、目を落とした。

 二人は現時点の状況について、話し合っていた。

 まずは午前中の件だった。

「『ゲート』の近くで、治安維持班と接触した。面倒だから、一人来いって言ったら…班長のフィオドが出てきた」

「まさか班長が出てくるなんて、思ってなかったわよね?」

「当たり前だ。それからそいつとC区の喫茶店で――」

「え、喫茶店?」

 ユールの眉間に、しわが寄せられる。

「…そうだ。それで、フィオドに話を聞いた」

「……もしかして名前教えられたからって、自分の名前を教えた?」

「別に良いだろ」

 ジトリとユールの目が座る。

「…良くないわ。それを機に、諜報班に調べてくれって言われるわよ?」

「あいつはそんな奴じゃない」

 ため息交()じりにそう言ってやると、ユールは半眼で睨んできた。

 ユールは何故か、ユウナが勝手に同年代の男性と知り合ったら怒る。勝手じゃなくても怒る。その理由はわかるようで、わからない。

 ユウナは、別にそういう目的じゃないのだが、といつも思っている。それ以前に面倒くさい、とも思っている。

「でいろいろ教えてもらった、という訳だ。もちろん麻薬班に関してだ」

「…ユウナのことだから、見返りをあげたんでしょー?」

 半分諦めたように、ユールはやる気なく言った。

 まさにその通りだから、ユウナもフンと鼻を鳴らすことしかしなかった。

「…もうすぐ『フェンリル』を辞めるらしい。だからもし無事だったら、会いに来いと言っておいた。助けてやるからって」

「それこそ余計だっての」

 肘をつくのを止め、ユールはテーブルに顔を伏せた。

 きっとその顔は眉間にしわが寄っているか、口が尖っているかだろう。

 さっきまでテーブルに置いてあった冷めた料理は、キッチンの方に置いている。食べるかはまだわからない。

「……で、どうする?」

「どうするって…どうせ行くんでしょ?」

「まぁな」

 ユウナは、フィオドや暗殺班の男が言っていた、D区の大きな倉庫――麻薬班のアジトに行くつもりだった。全員が集まるらしいから、これを(のが)す手はない。

 そう考えていたら、ユールが顔を上げた。口が尖っていた。

「あたしは行かないわよ。怪我したし、疲れたし」

「連れて行くつもりはないさ。第一、お前の眼はもう使えない」

 ユールはまた、テーブルに肘をついた。

「…そうね。休むことにするわ」

「そうした方が良い」

 ユウナは椅子から立ち上がった。

「そうだ」

 ユールがふと、思い出したように口を開いた。

「前、あなたあたしの掲示板見て、閲覧回数が妙に多くないかって言ったじゃない?」

「そのことか」

 あぁ、とユウナは思い出す。

先日の件だ。ユールは気にも()めていなかったのに、今更何だろうか。

「あれ…『フェンリル』の諜報班か何かが見ていたんじゃない?確かに、回数は多かったなって後で思ったもの。見た時に怪しむべきだったわ。足跡を残していってたんだから、考えればすぐにわかったのに」

 もう、とユールは息をつく。

「まぁあそこで麻薬班の策略に気付かなかったのは、仕方なかったんじゃないか?」

 そう言ってやると、ユールは疲れた様子でそうねと返した。

 ユウナはそこで、もう行くことにした。

 だがユールが言伝(ことづて)を渡す。

「…シルビィちゃんに会ったら、もう大丈夫だよって伝えておいてね」

「わかった」

 長い銀髪と共に上着のすそも(ひるがえ)し、ユウナは銃器を取りに行った。


***


 シルビィは事務所の出入り口につながる、階段に座っていた。

 足音が聞こえたのか、近付くとこちらの方を向いた。

「大丈夫か?」

「…はい、ご迷惑おかけしました」

「気にするな」

 ユウナは、シルビィの座っている段の二、三段下に立った。

「もう事務所の中は大丈夫だ。死体はない」

「…運ばれて行ったの、見ましたから」

 沈んだ表情でシルビィがそう言うのを見て、ユウナは隠れて肩をすくめた。

「あたしは今からD区に行く。もちろん…麻薬班のアジトにな」

「ユウナさん…私も――」

「一緒に行く、なんて言うなよ」

 立ち上がろうとしたシルビィは、再び階段に座った。

 ユウナはハァ、と息をついた。

「あれだけ間近で人が殺されるのを見て、お前は十分わかったはずだ。(たと)え憎くても、その死体は気持ち悪い――自分の気分を害すると。また同じことを繰り返すのか?」

「でも私は――」

「見届けたい?そんな使命、捨ててしまえ」

 フワリと、風が通り過ぎる。

「…そもそも使命じゃない、ただの欲だ。それも心のどこかじゃ、否定しているはずだ」

 淡々と、ユウナは言う。

「後先考えずに、何か言ったり行動したりするのは、お前の悪い癖じゃないのか?」

 ユウナの指摘に、シルビィは言葉が詰まったらしかった。

 それでもユウナは続けた。

「シルビィ。お前にはあたし達みたいになって欲しくない。死体を見て平気な者に。お前には普通の純粋な子でいて欲しい」

 そう言ったが、シルビィは何も言わなかった。

「……中に、戻っていてくれ。ユールも心配していた。ユールと一緒に、あたしが帰るのを…待っていて欲しい」

「…わかりました」

 シルビィはすくっと立ち上がって、事務所に戻って行った。

「……」

 言い過ぎた、とは思わない。あれでいいのだ。

 シルビィはまだ成人もしていない、子供なのだ。あれぐらい言ってやらねば。そんな子が、自分達のような者になってはいけない。

 そこでユウナは思い返し、すべての階段を下りた。


 ――夜が、明ける。



第4章 輝くは、濃い碧と淡い紅


「おい、殲滅班はまだか?」

 まだ夜が明けたばかりだが、この薄暗い倉庫は騒然としていた。

「暗殺班の奴も、まだ帰って来ていない」

「どういうことだ?」

「知らねぇよ。少し手間取っているだけじゃないのか?」

「まさか、そんな訳ないだろ」

 夜明けとほぼ同時に、報告が来るはずだった。だがもう一時間以上経っているが、殲滅班と暗殺班の一人は一向に現れない。

 まさかまさかと、集まっていた者達が騒ぎ始める。

 そして痺れを切らした男――麻薬取引班の班長が立ち上がる。

 が、


「――遅くなった」


 倉庫の重い扉の開く音が、ここにいる者達を静寂にする。

 到底、この場には似つかない声だった。

「これを言うのは二回目だが、お前等には言わなくても良かったか」

 朝日が逆光になり、その者の顔は見えにくい。

 ただその者は女であり、殲滅班や暗殺班の一人ではないことは確かだった。

「殲滅班も、暗殺班もここには来ない」

 その言葉で、皆は身構えた。

「あたしが…殺した」

 女が近付いてきて、顔がはっきりする。

 ――断罪を下す、美しくも残虐な天使の表情だった。

「お前らも、同じ場所に逝ってもらう」

 静寂は、消え失せた。


***


 シルビィが事務所の中に戻ると、ユールが出迎えてくれた。

「コーヒー、作るけど…いる?」

「あ、私がやります」

「いいわよ、座ってて。コーヒーぐらい作れるんだから」

 そう言われて、シルビィは渋々椅子に座った。

 暫くして、ユールがコーヒーを持って来て、同じように座った。

 初めて飲んだユールのコーヒーは、少し薄かった。

「……ユウナさん、行っちゃいましたね」

 シルビィの言葉に、ユールは何も言わなかった。

「…ユールさん。教えて下さい。何故貴女達は、あんなことができるのですか」

 あんなこと――ユウナの超人的な身体能力と、ユールの人を操るかのような能力こと。

 これを聞けば、何故二人が不思議な雰囲気を出しているのか、わかるかもしれない。そして二人の抱える心に、近付けるかもしれない。

「……潮時ね」

 ユールはコーヒーを一口飲んで、そのコップをテーブルに置いた。

「ある病院で…史上稀(まれ)なる双子が生まれたわ。一人はユウナ、一人はあたし」

 自分の胸に手を当て、ユールは語り始めた。

「どこが稀かって?二人とも〝先天性白皮症〟で、しかも…正反対の体質を持っていた」

「…正反対の、体質?」

 シルビィが眉をひそめるのを見て、ユールはうなずいた。

「そう。ユウナがあんな常人離れした能力を持つのは、常人より身体的に優れているからなの」

 身体が常人より優れているということは、動く面での才能に恵まれているということ。

 だからユウナは、戦闘時に見せたような超人的な動きができるらしい。

「逆にあたしは精神的に優れている。内面的に」

「じゃあ、あれは――」

「あれは精神の強さがなせる技。ま、相手が少しでも動揺している時にしか効かないけど」

 ユールはとことん、精神(メンタル)が強いという訳だ。だから目を合わせることにより、相手を意のままに操れるという。

 これで、納得がいった。

 だが――

「え、ということは正反対の体質っていうのは…」

「逆にユウナは精神的に弱くて、あたしは身体的に弱いってこと」

 ユールが怪我した時、何故かひどくなっていた理由はこれだ。

「そういう弱点は、常人より劣っているからなの。だからあたしは運動が超苦手だし、怪我したら治りが遅いのよ」

「ならばユウナさんは、精神的に…弱い?」

「えぇ。あの子が上手く笑えない理由はこれよ。精神的に弱いから表情を顔に出しにくいし、追い詰められると、すぐに壊れちゃう。精神が崩壊してしまうのよ」

 ユウナが笑うのが遅いのは、これが理由らしい。ちゃんとした理由はわからない、とユールは言うが、精神的に弱いことが関係しているという。

 身体的に強く精神的に弱いユウナと、精神的に強いが身体的に弱いユール。

 つまりすべてが正反対の双子。体質も、性格も正反対。唯一一緒なのは、性別だけ。

 シルビィは言葉が出なかった。こんなにも珍しい双子が、この世に存在するのかと。

 正反対だから、二人で補い合っている。どちらかが身体的に弱ければ、その能力を持って守る。どちらかが精神的に弱ければ、絶対的に助ける。そういう双子なのだ。

 ――ある種の運命。

 シルビィがそう思っていると、ユールがふと口を開いた。

「…シルビィちゃん。この依頼が無事に終わったら…『クライムシティ』から出て、そこで起こったことも、あたし達のことも…全部忘れなさい」

 そう言われて、シルビィはひどく驚いた。

 だが、どちらも当然のことだ。ここ『クライムシティ』で起こったことも、忘れて未来に行かなければならない。ユウナ達も所詮(しょせん)――赤の他人だ。

 でもシルビィは、そう思いたくなかった。

「…どうして、ですか?」

「どうしてって…あなたは、ここにいて良い人間じゃないからよ」

 ユールは、哀しそうな顔でそう言った。

「たくさんの死体を見て、どうした?シルビィちゃんは…気持ち悪くなったでしょ?それは純粋な人間っていう証拠よ」

「……本当に、そうでしょうか?」

 私だって。シルビィは拳を握りしめた。

「…私は父を自殺まで追い詰めた、麻薬取引班に復讐を誓いました。これは果たして純粋な人間でしょうか?私は違うと思います。復讐を考えた時点で、純粋な人間じゃありません!」

 当時は、本当にひどかった。来る日も来る日も泣いて、その(たび)に復讐を考えた。こうしてこうしてやる、とか。すぐには殺さない、とか。できもしないことまで考えた。

「純粋って…何ですか……!」

 シルビィは拳を握り締めた。

 意味がわからなかった。ユールやユウナの言う〝純粋〟という意味が。

 しかしユールは、それに関して何も言わなかった。

「……そうね。あたし達だって、そうだった」

 ユールはうつむき加減にそう言った。

「お母さんを殺されて、二人でいつも泣いていたわ。殺そうって誓い合って…」

 それからうつむいていたユールの顔が、上げられる。

「違うのはここから。あたし達はそいつを殺して、スッキリしたの。初めて人を殺したのに、妙に清々しかったのよ。あの時のことは…よく覚えている」

 そう語るユールの紅い瞳は、どこか虚ろだった。

「あなたはまだマシな方。殺したらきっと、また吐くんでしょうね」

「吐きません」

 シルビィはハッキリと、強く言った。

 だがユールは(かぶり)を振った。

「…どうして、そこまで言えるのですか」

「そう、予測できるから。あなたがどんなに強がっても…あたしはそう思うわ」

 シルビィは立ち上がる。

「それはユールさんがただそう思っているだけです。私は吐いたりしません、乗り越えて見せます!」

 ユールの紅い瞳が、ゆっくりとシルビィを見据える。

「……その心意気は結構だわ。でも、現実はそう甘くはない」

 そう否定され続けたシルビィはカチン、ときていた。

「…ユールさんって、結構ネガティブですね。否定することしかできないのですか」

 これを聞いてユールも、カチンときたようだった。

「…お言葉だけど、こう言っているのはあなたのためよ?純粋なシルビィちゃんは、よく知らない他人の死体でも吐いちゃうものね」

「あれはいきなりだったからです。ユールさんだって本当は、ゲロゲロ吐いていたんじゃないですか?スッキリしたって言っていましたけど、違う意味なのでしょう?」

「あのねぇ、あたしはあなたみたいに純粋じゃないの。吐く訳ないわ」

「嘘でしょう?」

「嘘じゃないわ」

「「……」」

 そう言い合って、二人はお互いを睨んだ。

 だがユールが降参したように、目を逸らして息を吐いた。

 認めた訳じゃないだろう。言い合いにするのに(らち)があかないと思い、呆れたのだろう。

 シルビィも、ユールを怒らせるためにそう言った訳ではなかった。ただ言い返して、認めてもらいたかっただけなのだ。

 それから、

「…私、ユールさん達の力になりたいのです。私のせいで迷惑をかけてしまって…だから少しでも、協力したくて…」

 でもこんなに、危険だとは思っていなかった。ただ依頼して、見届けて、それで終わりだと思っていた。だがそれは甘い現実――悪は狡猾(こうかつ)で、逆に命を狙われるという現実があった。それ故ユウナを余計に戦わせてしまい、ユールには怪我をさせてしまった。結果として二人とも無事だったが、シルビィは後悔していた。

「シルビィちゃん…迷惑だなんて、そんなこと思っていないわ。こうなったのは、あなたのせいなんかじゃないわ。あなたはただ――」

 ――ふとそのとき、バタンという音がした。

 驚いたように、ユールが黙る。

「…ユウナかしら」

「ユウナさんにしても、早くないですか?」

「相手が大勢でも、あの子ならこのぐらいよ」

 そう言ってユールは立ち上がる。

 しかしシルビィは、ユウナだとは思わなかった。何故か、嫌な予感がした。

 そのシルビィの考えは、銃声にかき消された。


***


 雨のように、銃弾が降り注ぐ。

 ユウナはとっさに、何らかの荷物の(かげ)に隠れた。

「ったく、武器だけは一流だな」

 ユウナは空になった弾倉を取り出し、新しく銃倉を装弾した。

 ――麻薬班との交戦を開始したユウナはまず、PDWをぶっ放した。

 だが麻薬班も抵抗してきたので、銃撃戦が勃発。簡単に終われる状況ではなくなった。

「面倒だな…」

 意外と銃器の準備が良く、先程からあまり反撃できていない。

 もっと違う種類の銃器を持って来れば良かった、とユウナは後悔した。だが(なり)振り構っていられない、と考え直す。

 殲滅班が援軍としていないのが、何よりの幸運だった。もしここに殲滅班がいたとなれば、ユウナも無傷ではなかっただろう。

 ユウナは荷物の影から銃身を少し出して撃つ。

 何人か倒れるが、それ以上撃っておられず、身を隠す。

 だがその身を隠したユウナはとっさに、他の荷物の陰に逃げる。

 さっきユウナがいた場所に銃痕ができていた。上に狙撃手がいるのだ。

 これで面倒さは倍増した、と言っていい。

 とそこで、銃弾の雨が(おさ)まった。

 ユウナは眉をひそめたが、すぐさま銃口を向けた。

「待て。撃つな!」

 そう言われたがユウナは構わず、声を発した男の隣にいた者の頭を撃った。

 ――当然、その者は死んだ。

「敵に(なさ)けをもらうつもりか?残念だがあたしは、時と状況を考えて行動する主義だ」

「情けをもらうつもりはない。だが聞いてくれ、取引しよう」

 ユウナは呆れた。こいつは何を言っているんだ、と。

 自分だったら、命乞いのようなことはしない。ましてや取引など。自分(ユウナ)には覚悟がある。それ以前に自分はこんな状況でも、奴等に負けるつもりはなかった。

 フンッとユウナは鼻を鳴らす。

「馬鹿か。どうせしょうもない取引だろ」

 と言ったユウナに男は反論しかけたが、ユウナがそれを(さえぎ)る。

「『フェンリル』も形無しだな。最悪と恐れられた『マフィア』の実態はこんなものか」

 麻薬班の者達は、何も言えない。

 何故なら、身元も判明しない『(イーブ)なき(レス)』一人に蹂躙(じゅうりん)されているからだ。しかも女。

 これはさぞかし悔しく、情けないものだろう。

 ふとそのとき、あちらにいた麻薬班の一人がさっきの男――おそらく麻薬班の班長に近付き、コソコソと耳打ちをする。

 班長の顔が驚き、そして不敵な笑みに変わる。

 ユウナはガチャリと遊底(スライド)を引いた。

「…良い知らせがある!」

 先程まで苦渋に歪んでいた班長の顔が、余裕面になっている。

 何だ、とユウナは警戒心を強めた。

「取引の材料が届いた!さぁ、取引を始めよう!」

 ユウナは取引を受けたつもりはなかった。というか絶対にしない、と決めていた。

 だが、班長のそばに連れてこられた二人の女を見て、ユウナの顔が驚愕(きょうがく)に変わる。

「知らない訳、ないよなぁ?」

 二人の女は――ユールとシルビィだった。

「……貴様」

 ユウナの反応に、班長の顔が愉悦(ゆえつ)に変わった。

「……ユウナさん…」

「ごめんなさい、ユウナ」

 各々(おのおの)が、ユウナに聞こえるぐらいの声で謝罪した。

 ――いつ、捕まった?それ以前に、何故捕まった?手足は縛られている。当たり前だ。大怪我とまでは行かないが、怪我もしている。クソ、まだ暗殺班の奴がいたのか。気付かないなんて、余程の手練れがいたものだ。ユウナは必死で考えた。

 そんなユウナの思考は、フル回転していた。事務所にいたはずの二人が何故捕まったのか、何故自分はこうなるかもしれない、と予想していなかったのだ――グルグルと、周りが見えなくなる程思考を(めぐ)らせていた。

 持っていた愛銃も落としたような気がする――いや、それどころじゃない。

ドクンドクンと、心臓が脈を打つ。

「どうすれば…二人を無事に助け出せる……?」

 様々な策を考える。

 だがその眼は――混乱しそうになっていた。


***


「……ヤバいわね」

 ユールが小さくつぶやいた。

「…ヤバいって、何がですか?」

 周りの麻薬班の奴等に気付かれないよう、シルビィは小さく聞いた。

 シルビィ達はあのとき、奇襲に()ったのだ。ユウナと思った人物は『フェンリル』の構成員で、銃で傷を負わされたその後に捕られた。

 そしてここ、麻薬班のアジトに連れてこられた、という訳だった。

 今その構成員――どうやら暗殺班の一人――は麻薬班の班長と話していた。

 だがそれより、

「ユウナよ。様子がおかしい」

 ユールにそう言われ、シルビィはあちらにいるユウナを見た。

 彼女の言った通り、ユウナの様子が明らかにおかしかった。凛と立ついつもの姿勢は崩れ、息も少々荒い。それから、眼。相手を睨みつけているものの、その眼は虚ろに見えた。まるで、混乱しているかのよう。

 そう考えて、シルビィはハッと気付いた。

「…まさか」

「そのまさかよ」

 二人の視線がユウナに集中する。

「もうユウナは……壊れかけている。自分じゃ正気には戻れないわ」

「そんな…」

 事務所でユールから聞いた話が、シルビィの脳裏を(よぎ)る。

 ユウナは精神的に弱い。追い詰められると、すぐに精神が崩壊してしまう。

「…どうにか、できないのですか?」

「無理ね。今のあたしじゃ、どうもできない」

 ユールの言葉に、シルビィは眉をひそめた。

「今の、ユールさん?」

「……一つだけ、方法があるわ。あたしがユウナのそばに行って、例の精神操作をあの子にかける。そして正気に戻すのよ」

 それを聞いて、シルビィは喜びかけた。

 しかしユールがでも、とつぶやく。

「でも、今は無理なの」

「どうしてですか?早くしないと、ユウナさんも私達も死んじゃいます!」

「そこをどうにかして、時間を稼がないとね」

 うんざりしたようにユールは言う。

 だがシルビィにはそれが余裕に見えた。だからユールにいい加減に――と言いかけた。

 でも次の言葉を聞いて、

「……使えないの。あの精神操作は消耗が激しくて、次に使えるようになるまで時間がかかってしまうの。あたしに体力があろうとなかろうと、関係ないの」

 シルビィは唖然とした。

 このままでは、三人とも死んでしまう。自分が依頼したせいで、ユウナとユールが死んでしまうかもしれない。

 ――それだけは、嫌だった。

「さぁどうする?」

 ユウナの方で、声が上がる。

 いつの間にか班長は、ユウナに少しずつ近付いていた。

 班長は気付いているのだ。ユウナがとても動揺していることを。

「…あたしが、あいつらの代わりに…なる。だがら…あの二人を離せ……!」

 苦しまぎれに、ユウナは班長に言う。

 班長はせせら笑う。

「おぉ、いいぞ?その代わりアンタは、何をやってくれるんだ?」

 その言葉に、周りの麻薬班の者達も下衆(げす)な笑いを漏らす。

「……何でもする、さ…」

「だめです、ユウナさん!私が…私がやります!」

 思わずシルビィは叫んだ。

「人質は黙っていろ!」

 近くにいた他の班員に、シルビィはぶたれてしまう。

 反動でシルビィは地面に這いつくばる。

「シル、ビィ…」

「本当に何でもするのかぁ?」

「あぁ…やって、やるさ…」

 ユウナはあんな状態でも、自分とユールを庇おうとしているのだ。

 シルビィは涙が出そうになった。

 そして、

「アンタが早く決めてくれないから、あの子は殴られちゃったんだぜ?」

「う、あ…」

 壊れた。

「あああああああっ!!」

 ユウナは絶叫を上げ、その場にうずくまる。

 麻薬班一同、これには驚いたらしい。

「…何だ?こいつ」

「イカれているんじゃないか?」

 追い詰めて、彼女の精神壊したつもりはないらしい。

 それもそのはず。ユウナが壊れるのはあまりにも早すぎた。

「ユウナさん…!」

「…シルビィちゃん、ここは我慢してちょうだい」

「ですが……」

 言葉と視線で制したユールに、シルビィは起き上がりながら反論する。

「あたし達じゃ、どうもできないわ」

 シルビィは何か言おうとして、近付いてくる気配に気付いた。

 ――麻薬取引班の、班長である男だった。

「よぉフェアードのお嬢ちゃん。久しぶりだな」

 こいつが、父を殺した――自分の狙っていた男。

 いろんな感情を混ぜて、シルビィは班長を睨みつけた。

「…はは、良い目だ。憎しみが宿っている。何度も見てきた顔だ」

 クク、と班長は口元を大きく歪ませる。

「覚えているか?俺の顔」

「忘れる訳がありませんわ……!」

 シルビィはこの男に会ったことがあった。無論――シルビィの父親が死ぬ前だ。

 あの時は信じて疑わなかった。まさかこの男が、父を自殺まで追い詰めていたとは。

「光栄だな。そしてそんなに憎んでいるのに、身を売ろうとする気分はどうだ?嫌で嫌で仕方ないよなぁ?ははは!」

 班長の笑いに、周りも笑う。

 この人達はなんて、下劣なのだろう。シルビィは唇を噛んだ。

 シルビィは悔しかったのだ。父の敵を取りたいのに。少しでも、ユウナ達の力になりたいと思ったのに。

 麻薬班を、何もできない自分を、この状況を、シルビィはすべてを憎んだ。

 もう嫌だ。何故自分はこんなにも力がないのか、何故何もできないのか。何故――!

「――それはあなたがまだ子供だからよ」

「え?」

 まるでシルビィの心を読み取ったかのように、ユールがそう答えた。

 見ればユールがこちらを見て、微笑んでいた。

「何もできないから嫌。その気持ちはわかるわ。でもね、あなたはそれで良いの。急に重い責任感を背負わされただけの、子供なんだから。それは恥ずべきことじゃないわ」

「ユールさん…?」

「むしろ、胸を張っても良いと思うわ」

 ニコリと、この場にそぐわない笑顔でユールはそう言った。

そのユールの瞳は、淡く光っているように見えた。

「おいっ、何をして――」

「――汚い手で触らないでくれる?」

 声と光で、班長は固まる。

「な、何だ!?」

「さぁシルビィちゃん。立てる?」

 いつの間にか、ユールの手足を縛っていた縄は切れていた。

 呆然としていると、ユールが縄を切ってくれた。

 その手にはナイフがあった。あの暗殺班の男のナイフを、ユールは取っておいていたのだ。

「周りの皆さんも、動いちゃだめよ?」

 銃を構えようとした班員達は、これで封じられた。

 立ち上がったシルビィの手を取り、ユールはユウナの元へ歩き出した。

 麻薬班の者達は一歩も動けていない。何故そうなったのかさえ、理解していない。

「ユウナ」

「嫌…来ないで……!」

 いつもの(たたず)まいとは一転して、ユウナは兎のように震えている。そこが精神を崩壊させていることを感じさせる。

「もう大丈夫よ。だから安心して」

 そんな怯えているユウナに、ユールはしゃがみ、優しく話しかける。

「あなたはユウナ。あたしの最愛の妹にして、〝天使〟と称されるその美しさと恐ろしさを、思い出して?」

 ユールの紅い瞳が光り、ユウナの虚ろな(みどり)の瞳に、光が戻る。

 ユウナの目は一度閉じられ、呼吸が整えられる。

「――迷惑をかけたな」

 そう言って立ち上がったユウナの目は、いつものキリッとした鋭い目。

「良いのよ。あたしはこれぐらいしかできないから」

 ユールは安心したのか、ホッと息をついていた。

 良かった、ユウナは戻ってきたのだ。そう思うと、シルビィもホッとした。

 だが、まだ問題は残っている。

「さて…」

 ガチャリとユウナは、拾った銃の遊底(スライド)を引いた。

 誰もユールによって動けない。つまり逃げる者はいない。

「依頼を、終わらせようか」


***


 動けない麻薬班の者達の体に、銃弾は吸い込まれるように飛んでいく。

 百人程いた奴らはすぐに倒れていった。動けないから当然だ。

 唯一動けたのは狙撃手。上の階にいたので、ユールの精神操作には引っかからなかったのだ。

 だがユウナは後ろを向いていても、その弾丸を避けていた。

 狙撃手も決して下手ではない――ユウナがその上をいっているだけだ。

 ユウナは狙撃手が弾の交換をしているときに、目を付けた。

 相手とは、五十メートル程離れていたはずだった。だがユウナは冷静に銃――ハンドガンを構え、撃った。

 見事銃弾は狙撃手の脳天を撃ち抜き、相手は崩れるように倒れた。

 あと残っているのは――麻薬班の班長。

 体は動かなくとも、しゃべることはできるし、感情もあらわにできる。

 班長は息を荒くして、自分の番を待っていた。

 すべてを撃ち終えたユウナは、フゥと息をついた。

「あとはこいつだけ?」

 ユールが問うて、ユウナが辺りを見回す。

「――あぁ。こいつで終わりだ」

「ひぃ!」

 班長は情けなく、恐怖で身を縮こませた。それから思いついたように、

「こ、殺すな!殺さないなら、もうお嬢ちゃんには手を出さない。家にもだ。そうだ、『フェンリル』の力でフェアード家を復興させよう。それなら――」

 そう言おうとした班長を、ユウナは思いっきり殴った。

「ふざけるな!!フェアード家を復興させる?馬鹿か。そんなことしても、彼女の父親は戻ってこない。父親のいなくなってしまった日常を、シルビィに味あわせろというのか!?そんなの悲しいに決まっているだろ!!」

 ユウナの激昂(げっこう)を、シルビィは初めて見た。

 殴られ、地面に這いつくばる班長に、ユールが近付いた。

「あなたが彼女の平穏な日常を壊したのよ?自覚はしている?それとも…壊し過ぎて、わかんなくなっちゃったのかしら?」

 クスリと妖艶(ようえん)な笑みで、ユールは班長を追い詰める。

 班長は精神操作をかけられたのか、這いつくばったまま動かなくなった。

 ユールのあんなSっ気たっぷりの姿も、シルビィは初めて見た。

 それからユウナが何故か、シルビィの方を向いた。

「シルビィ。お前が殺せ」

「…はい?」

 いきなりで、しかも予想もしなかった言葉に、シルビィは少し戸惑う。

 するとユウナは銃を取り出して、それをシルビィに差し出した。

「え、ちょっと…ユウナさん?」

 さらに銃を握らせてくるので、シルビィは本当に戸惑った。

「撃ち方は簡単だ。握って遊底(スライド)を引いて、引き金を引く。これだけだ」

「ちょ、ちょっと待って下さい!」

 シルビィがそう言って手を離そうとするが、ユウナは手を離さない。

 何故ユウナは、自分にこんなことをさせるのだろうか?

「な、何をさせる気ですか?」

「――お前が撃って、ケリをつけろ」

 ユウナの言葉に、シルビィは言葉を失った。

「…そうね。ケリはあなたがつけた方が良いわ」

「ユールさんまで…」

 シルビィを庇ってくれそうなユールまで薦めてくる。

 戸惑う以上に、動揺がシルビィを襲う。

 自分でケリをつける、ということは彼を殺す、ということ。

「私……が?」

「そうだ」

と、ユウナはコクリとうなずき、首肯する。

「あたし達の(おも)な仕事は、自分の手を汚したくないっていう人間の代わりに、相手を殺してあげること。あなたも、手は汚したくないの?」

「…違います!私はちゃんと見届けたかっただけで――」

 じゃあ、何?とシルビィは自分で思った。手を汚したくないのが違うなら、撃つのか?自分でこいつを――殺すのか?

「シルビィちゃん…あなた、乗り越えるって言ったわよね?それはこいつらの(しかばね)を踏み越えて、これから生きていかなければいけない、ということなのよ」

「過去を乗り越えるか、乗り越えないか――それはお前が決めることだ」

 ユールが言って、ユウナが言う。

 しかしそれはシルビィの耳に、あまり入っていなかった。

 ――いつの間にか、シルビィの体は震えていた。ユウナはもう手を離しているのに、シルビィは彼女の銃を、震える手で持っていた。

 撃って、殺す。でも撃たなくても良いのだ。否、こいつは――父を殺したようなもの。追い詰めて、自殺させたのだ。

 カタカタと、震えは止まらない。

「あなたがあたし達の力になれるのは、この選択肢を決めることよ」

「…シルビィ」

 ユウナが催促(さいそく)するように、自分の名前を呼ぶ。

 シルビィは一度、大きく息を吸った。そして息をつく。

「……わかりました」

 ゴクリと唾を飲み、銃を両手で持ち直した。

 思ったより、銃は重かった。もしかしたらこの重さは、シルビィの心の重さが加わっているかもしれない。

 そして引いた引き金は――軽かった。



エピローグ 新たな仲間


 ――あれから、一ヶ月経った。

「…はい、わかりました。では、すぐいらっしゃるのですね。はい、お待ちしております」

 『天使の相談事務所』では、今日も依頼の連絡があった。

 受話器を置いたユールが、こちらに近付いてくる。

「依頼よ。詳しい話はここに来て話すって。すぐ来るらしいわ」

「…そうか」

 応接室にある自分のデスクの上でユウナは、愛銃を分解して銃の清掃を(おこな)っていた。これは定期的にやらなければならないが、ユウナの場合は趣味でもあった。

 それをしながら生返事をしたユウナに、ユールはちょっと顔をしかめる――だがすぐに、呆れた表情になった。

「……シルビィちゃんのことでも考えているの?」

「…別に」

 ユウナはぶっきらぼうに言った。それから点検するように、部品を目の前に(かか)げた。

「そろそろ新しいパーツを買おうかと思っていたんだ。いや――別のパーツにして、もっと改良を加えようか――」

「…無駄遣いしないでよね。先月の修繕費や何やらかんやらで、お金をたくさん持っていかれたんだから。あの『修理屋』が、調子に乗って上乗せするから…」

 ユールは本当に呆れたようで、さらに先月も言っていた文句を、繰り返し言っている。

 そんな姉に、ユウナは指摘してやる。

「シルビィのことを考えているのは、むしろお前だろう?ユール」

「うっ……」

 図星だったらしい。文句を言っていたのは、考えを紛らわすためだろう。

 それから追い打ちをかける。

「…シルビィは出て行った。それだけだ」

 シルビィは、もうこの事務所にはいない――出て行ったのだ。あの一ヶ月前、『フェンリル』麻薬取引班との戦いが終わってから、逃げるように。

「……そうだけどさ」

 少々頬を膨らませ、ユールは接客用のソファにドカッと座った。

「あいつを悩ませた麻薬班はもうない。それはお前がちゃんと調べただろう?」

「…えぇ。再構成の見込みもないらしいわ」

 ユールが言った通り、あの後の麻薬班は壊滅した。また麻薬班が生まれることもない。何でもボスが、直々に諦めたらしいと聞いている。壊滅させたのはユウナ自身であるが――仕方ないだろうと思う。 

 次はどんな班ができるのだろうか。しかしこれ以上『フェンリル』に関わらないだろうから、ユウナ達には関係ない。

「シルビィは今頃、残った使用人達と静かに暮らしているさ」

「でもさ~」

「ウダウダ言うな。お前もちゃんと見送っただろう」

 そう言うと、ユールは黙った。

「…また会いたいと願う気持ちはわからんでもない。良い子だったからな」

「……うん」

 ――正直、シルビィのことを考えていたというのは、あながち嘘ではない。

 さっきも言ったが、良い子だった。考え方はまだまだ子供だが――家事はできるし、前向きで明るい。後先考えないのはちょっと欠点だが。

 シルビィはあの時、班長を撃った。その後はあまり語らず、翌日に〝お世話になりました〟と言って、早々に帰ってしまった。

 あれは良い決断だった、とユウナは思っている。早く故郷に帰って、嫌なことはすぐに忘れて新しい現実を生きた方が良いに決まっている。まだ成人にも満たないシルビィには、それが一番であろう、と。

 でもユウナは少しの可能性も、また頭に入れていた。

「あーあ、またこれからレトルト生活に逆戻りかー…」

「一ヶ月前からそうだったろう?あたしはお前の加減の知らない薄いコーヒーを、これから飲むと思うと恐ろしいよ」

「んま、失礼ね。前々からそう思って飲んでいた訳?」

「この頃味に目覚めたんだ。シルビィに(しか)り、喫茶店のコーヒーに然りな」

「シルビィちゃんのはわかるけど、男と飲んだコーヒーですって?そんなの、今すぐ忘れなさい!男に汚染されているわよ!」

「だから何でそうなる。お前はいつも偏見(へんけん)ばかり――」

 とそこで、インターホンが鳴った。

「きっと電話の人だわ。仕事に切り替えないと」

 言い始めたのはそっちの(くせ)に、ユールは素知らぬ顔でサングラスを付け始め、玄関に向かおうとする。

 一ヶ月前はいろいろあったが、いつもはこうしてユールが客人を迎えるようにしているのだ。

 だがユウナはそれを止める。

「待て、ユール」

「何?文句なら後で聞くわ」

 そうじゃない、とユウナは首を横に振って、立ち上がった。

 ――少しの可能性に、賭けようと思ったのだ。

 ユウナはユールの代わりに、来客用の受話器を取った。

「はい、こちら『天使の相談事務所』。どうぞ中に入ってくれ」

 そう言って、受話器を置く。

 相手の反応は聞かない。来客が本当にユウナの予想している人物だったら、声は聞かずとも、大丈夫。

 いつもは接客しないユウナの行動に、ユールは眉をひそめたようだった。

「…ちょっと、どういうこと?」

「まぁお前は静かにしていろ」

 (いぶか)しがるユールを(なだ)め、ユウナは客が来るのを待った。

「何なのよ…」

 とユールが息をついた直後、彼女はやって来た。

 応接室の扉が開かれ、入って来たのは――


***


 時は三年程前に遡る。

「さ、ここが今日から君達の住む場所だよ」

 そう言って紹介されたのは、アパート程ある建物だった。

 予想と違い過ぎて、ユウナは目を疑った。

 外見を見ただけだが、違うのは二階に玄関があること。一階には窓しかないようだった。

「すごいわね。中はどうなっているの?」

「鍵は開いている。見てくるといい」

 やった!とユールは子供のように喜び、玄関へ続く階段を上った。

 逆にユウナは呆れて息をつき、隣の男性を見やった。

「…おい、これはどういうことだ」

「どうって?」

 肩をすくめる飄々(ひょうひょう)とした男性に、ユウナはさらに言おうとする。

 が、楽しそうにユールがそれを遮る。

「ユウナもあなたも、早く来なさいよね!」

「はいはい。すぐ行くよ」

 ルンルンと楽しそうに建物の中へ入っていくユールに、男性は笑顔で手を振る。

 ユウナは姉とは正反対の表情で、もう一度彼に(たず)ねた。

「もう一度聞く。これはどういうことだ?」

 すると男性は呆れたように、こちらを向いた。

「何だい(やぶ)から棒に…君達が住む家と一緒に店を構えたいって言ったから、ここに決めて君達を連れて来たんだよ?」

「…それはそうだが、でか過ぎるとは思わないのか?」

 ユウナが聞きたかったのは、自宅兼店になるかもしれない建物が、二人が住むのに大き過ぎる、ということだった。

「良いじゃないか。大きいに越したことはない。しかも部屋がいっぱいあるんだ。有効活用してくれ、ユウナ」

 ちなみにこの男性はこの後、どこかに去るとか言っていた。

 つまりこの建物は、ユウナとユールの自立祝いという訳だ。

「それにしてはでか過ぎる、と言っているんだ。部屋がいっぱい?阿呆(アホ)か。だいたい、あたしとユールで二つしか使わないんだぞ?」

「いや、ユールのパソコンルームが必要だから三つだよ」

「確かに――ってそうじゃない!」

 危うく乗せられるところだった。どうもこいつの性格は苦手だ。

 ユウナはそれも加え、大きくため息をついた。

「…何、予想してなかったの?」

「……そうさ。まったくどこの誰かが、いきなり出掛けようとか言い始めるからだ」

「それは済まなかったね」

 まったく悪びれた様子もなく男性は言うので、ユウナはまたため息をついた。

 ――まぁこいつのこういう性格は今に始まったことじゃない。むしろこの性格は、ユールにうつりつつあるのだ。

 今日の朝、男性がいきなり〝引越しだ!〟とか言い出したのだ。まるで『クライムシティ』に来る前の再現のようだ、とユウナは思った。そして今に至る。

「…ま、確かに最初は大きいかなって思ったんだ」

「だったらその時から変えていれば良かったじゃないか」

 そう文句を言うと、男性は苦笑した。

「OK、ユウナ。まぁ聞いてくれよ」

 今更言い訳をする気か。ユウナはフンと鼻を鳴らした。

「僕はね、君達に…仲間を作って欲しいんだ」

 彼の突然の言葉に、ユウナは呆気(あっけ)にとられた。

「……は?」

 そんなユウナを気にせず、男性は続ける。

「君達は弱い立場の人が簡単に目的――復讐を果たして欲しいから、『(イーブ)なき(レス)』の仕事をここで始めることにした。君はその(おさ)になるんだろう?」

「まぁ…多分な」

「それから執行するのも君だろう?だったら、それは一人じゃきつくないかい?ユールがいるにしろさ」

 そう聞かれ、ユウナは考えた。

 ――確かに今はまだしも近い将来、たくさんの仕事がやって来るかもしれない。そんな時は一人じゃ大変だろう。

「だから仲間を作って欲しいんだ。誰でも良い――いや誰でも良いって訳じゃなくて、君達が選んだ人なら誰でも良い。君達が信頼を置いて、絆を深められる人をね。もちろん男でも良いよ」

「…ユールが怒るんじゃないのか?」

「はは!そこは君が何とか説得しなきゃね!」

 可笑しそうに、男性は笑う。

 他人事だと思って。ユウナは頭を抱えた。

「とにかく、仲間を作って欲しいのさ。『クライムシティ』には、家を捨てた人や逆に捨てられた人が多いじゃないか。その人達って心のどこかじゃ、温かくなるような場所求めているんだと思う。〝ただいま〟って言って、〝おかえり〟って言われて――逆に〝ただいま〟って言われて、〝おかえり〟って言ってあげる、そんな場所をね。だから作ってあげると良い」

 頭を抱えていたユウナはまた驚いた。でもある意味、感心した。

 男性はこんな性格でも、やはりユウナとユールの師匠なのだ。若く見えても学ぶことは多いし、学ばされることも多い。今がそれだ。

 彼は続ける。

「この『クライムシティ』の中から信頼の置ける人を選んで、スカウトするといい。仲間になってくれるかは、その人次第だけどね」

「…成程」

 だからユウナはこの人を尊敬していた。口に出しては絶対に言わないが、本当に尊敬している。この場にはいない、ユールだってそうだろう。

 呆れた表情とは一転して、ユウナはフッと笑っていた。

「仲間ができたら、賑やかになるだろうね」

「あぁ。お前は一緒じゃないのか?」

「…うん、時間が来たんだ。いつまでもサボってはいられない」

「何のことかも――秘密か?」

 と言うと、男性は観念したように笑い、うなずいた。

「秘密ばっかりだな、お前は」

「済まない…とは思っているよ」

「どうだか」

 ユウナは肩をすくめて見せた。

「――ちょっとアンタ達!早く来なさいって言っているでしょ!?」

 いつまでも中に入ってこない自分達に痺れを切らしたのか、ユールが中から出てきた。

「何であたしが一人で見て回らまきゃいけないのよ!全然決められないじゃない!」

 ユールは烈火の(ごと)く怒っていた。あれ以上は怒らせない方が良い。

「今行く!」

 ユウナはそう答えてやって、男性の方を向いた。

「行こう。ユールが待っている」

 男性は微笑んだまま、うんとうなずいた。

 そして二人で階段を上がる。

「…そうだ、ユウナ」

「何だ?」

 玄関の扉を開けながら、ユウナは返事をした。

 男性は思いついたような顔をしていた。

「何でも先に文句を言う癖、直した方が良いよ?」

「癖って…」

 ユウナは思わず立ち止まった。

「そうさ。いちいち文句を言うのはやめて、冷静に話を聞くんだ。そうすれば、何でも簡単に進む。君が文句を言うから、余計に話が複雑になる」

「……考えておく」

「それじゃダメだよ。これは僕が教える、最後の指導だよ?」

 ユウナは言葉に詰まった。

 本当に、こいつはこれからいなくなるらしい。自分達を本格的に、自立させようとしているようだ。

 そう考えて、ユウナは否と考え直した。

 自分達はもう十八歳になる。だったらもう自立して良い頃。いつまでもこいつに甘えていては仕方がない。だから男性も自立を(すす)めたのだと思う。

 だけど――何となく、ユウナは寂しくなった。

「…もう、会えないのか?」

 意外だったのか、男性は驚いた顔をしていた。

 まぁそうだろう。ユウナは普段から表情を顔に出さない――体質もあるが――それに弱気なこともあまり言わない――そう、教えられてきたから。

「……連絡はするさ。それから会いに行く」

「…そうか」

 そう小さくつぶやくと、男性が頭に手を置いてきた。

 ()でられて、少しびっくりした。

「寂しいのかい?」

「……うるさい」

 悪態はついても、手からは逃げない――逃げられなかった。

 それがわかったのか、男性はまるで母のように、笑った。

「でも、僕がまた会いに来るときは……君達には仲間がいるさ」

「…そんなに早くはできないだろ」

「……ごもっともだね」

 ユウナの皮肉に男性は苦笑して、手を離した。

 ――本当に、それが最後の指導だった。


***


応接室の扉が開かれ、入って来たのは――案の定、シルビィだった。

「――シルビィちゃん!?」

「二人とも、お久しぶりです」

 そう言われて呆気にとられたのか、ユールはため息をついていた。

 その様子に、シルビィは得意げになっているようだった。

「久しぶりだな、シルビィ。元気だったか?」

「はい。お陰さまで」

 シルビィと会話を交わすと、ユールが恨めしそうにこちらを向いた。

「…もう一度聞くわ、ユウナ。これはどういうこと?」

「どういうことって…あたしにもわからんさ」

「はぁ!?」

 バンッとユールはデスクを叩く。

 そんなこと言われても、ユウナはただ少しの可能性――シルビィがもしかしたら、事務所に戻って来るかもしれないという、可能性に賭けただけだ。そしたら案の定、シルビィだったという訳だ。

「まぁ座れ。ユールも落ち着け」

 そうシルビィとユールに言って、自分もデスクの椅子に落ち着く。

「で?シルビィ。お前は何故、ここに帰ってきた?」

 と聞くと、シルビィはコクリとうなずいた。

「私はあの後、フェアード家のある故郷に帰りました。そこで考えたのです。これからの自分と、その周囲について」

 シルビィはゆっくりと語り始めた。最初の頃の急いだ話し方とは違う――落ち着いた、成長した話し方だ。

「ユウナさん達、言いましたよね?平穏が戻っても…父がいない喪失感(そうしつかん)(ぬぐ)えない、と。確かに、そうでした。メイド達は、帰って来た私を温かく迎えてくれました。でも…元の日常に戻ってもやっぱり……悲しかったです。父がいないことは」

 だから、とシルビィは顔を上げた。その顔には、自信に満ち溢れている。

「だから――残っていた執事やメイド達を辞めさせて、屋敷も売って、『クライムシティ』に戻ってきました」

「何で、そんなことを…」

 そう聞いたのはユールだった。

 ユウナは口を出さないようにしている。彼女の答えを聞くためだ。

「ユールさん、ユウナさん――」

 シルビィは立ち上がって、それぞれの名前を呼んだ。

「私を、ここにいさせて下さい!」

 ユールはまた、呆気にとられたようだ。あの時の自分のように。

 シルビィは続ける。

「何でもします。召使いのように、炊事に洗濯、掃除、買い物…雑用もします。お二人が望むなら――人殺しも、します」

 だから、どうか。シルビィは頭を下げた。

 そんなシルビィに、ユウナは告げる。

「――良いぞ」

 と。

 随分(ずいぶん)とシルビィは驚いたらしい。驚きすぎて、頭は上がっている。

「だが人殺しはしなくて良い。家事は…任せるかもしれないが」

 ユウナはゆっくりと立ち上がる。

「ユール。お前も同じ気持ちだと思う」

 シルビィの近くに行き、手を差し伸べる。

 そして、あの人に言われた通りに。

「シルビィ・フェアード。お前を『天使の相談事務所』の所員にスカウトしたい」

 シルビィは、今にも泣きそうながらも、今度はすぐに手を取ってくれた。

「…はい、よろしくお願いします」

 ユウナもシルビィの一回り小さい手をしっかりと握る。

「お前はここにいて良いんだ。召使いのような雑用なんかじゃなくて、あたし達の仲間として」

 そう言って、ユールの方にも目を向けた。

 ユールはコホンと咳払いをして、

「あなたは必要とされている――もちろん、あたしも必要としているわ」

 と言って笑って、シルビィの反対の手を取る。

 シルビィはその目から涙を流しながら、コクコクとうなずいている。

「ありがとう…ございます。私……嬉しいです」

 ユウナはそんなシルビィを撫でてやった。いつか、そうされたように。

 ユールも涙ぐみながら、シルビィを抱きしめた。

「私、頑張ります。お二人の期待に(こた)えるように…」

「大丈夫よ。あんまり気張らないで」

「倒れたら元の子もないぞ?」

 ユールが笑うのにつられ、ユウナも少し遅れて笑った。

 ――お前は、いつ会いに来る?ユウナは心の中で、彼に問うた。

 彼がいつ来ても自慢できるよう、ユウナはまた可能性を考えておくことにした。

 とそこでまた、インターホンが鳴る。

「はーい!」

 ユールが客人――電話の相手を迎えに、玄関に向かう。

 シルビィは(あふ)れていた涙を拭って、鼻もすすった。

 客が来るというのに、泣いてはいられないからだろう、とユウナは思った。

 (しばら)くして、ユーリが戻って来た。

 ユウナはいつもの定位置――デスクの椅子に座り直す。今日もそこで、客人を迎える。

 戻って来たユーリがデスクの近くに、いつものように立つ。

 そのユーリの隣にはシルビィが立つ。彼女の定位置は、そことなるだろう。

 そして、扉は開かれる。

「――ようこそ。『天使の相談事務所』へ」


                                     END

ここまで読んでくださってありがとうございます。

いかがでしたか?随分と前から書いていて、ようやく投稿してみました。

続きもあるので、良かったら読んでみてください。

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