9・彩花の悪いところは、中途半端に優しいところだよね
さすがは予約席。大きなガラス窓が直ぐ傍にある席が確保されていて、横を向くだけで、24階からのジオラマのような景色を見渡すことができる。
私はスマートフォンのカメラアプリを起動させて、外の景色を撮影する。
「綺麗でしょ?」
姫子の手にもスマートフォン。シャッター音が鳴った。
「って、私を撮るな」
撮っていたのは風景ではなく、私だった。
「どんな綺麗でも、彩花の綺麗さにはかなわないぜ。君の瞳に乾杯」
男性っぽく低い声を出していた。
「ダサいから」
「でも、一度言ってみたかったんだよね。悪い気はしないでしょ?」
「カッコイイ男性になら言われてみたいけど」
相手は姫子である。女性だ。だけど、似合わないわけではなかった。雰囲気を作った上でのセリフなら、ドキッとしたかもしれない。
「古屋なら?」
「あー、爆笑しそう」
ごめんと、心の中で謝った。
「なら、あたしの勝ちだ」
「勝負なんかしてないでしょ」
「彩花は、百歩譲って彼氏としてのポジションを保っているけどもうすぐ崩壊する男よりも、身も心もささげたい超LOVEなわたしの方が良かったわけなんだから、勝ったって言えるでしょ?」
「姫子って、古屋くんに対抗心あったんだ」
ゴミ以下の存在として見ていると思っていた。
「あのねぇ」呆れた様子だった。「わたし、彩花のこと好きって言ってるんだよ? ライクじゃなくてラブな意味で。あいつは、敵なの。分かる?」
「分かるけど……」
同性なのもあるだろう。そういう自覚がわたしにはなかったから困惑してしまう。
「信じてくれないなら、この場で叫んでもいいよ。『わたし、緑川姫子は、宇津彩花を愛しています』って、すー、はぁー、すぅー」
大声をあげるべく深呼吸をしていた。
「やめてやめてやめて!」
冗談だと分かっていても、私が沈黙していたら本当にやりかねなかった。
「で、彩花は、わたしと古屋、どっちを選ぶわけ?」
銃で撃つようにビシッと人差し指を向けた。
「それは……」
逡巡してしまう。
「うん、やっぱり私の勝利」
「なんで、まだ私、なにも言ってないし」
「迷ったじゃない。普通ならば、彼を取るでしょ。彩花の気持ちは揺れ動いてしまっている。これは勝ったも同然だね」
「同然じゃないし、私は別に姫子のこと……」
「好き?」
「嫌い!」
パンとテーブルを叩いて、わたしは立ち上がった。空になっている皿を持って、小腹を満たす食べ物を取りに行く。
「彩花ったらかっわいい」
背中を向いといて良かった。今の姫子のセリフで、妙なスイッチが入ってしまい、顔にテレが浮かんでいた。
どうしてだろう。分からない。ちょっとした事で私の感情が揺れ動く、不安定さを感じていた。
気持ちを抑えたかったので、時間をかけてケーキを取っていく。選ぶというよりも、選んでいる振りとなっていた。バイキングに並んだ食べ物はスイーツだらけ、別腹とならないものはサンドイッチしかなかった。それも中身はピーナツバター、ジャムなど甘いもの。
柿の種があれはいいのに、と思ったわたしは、このレストランは向いてないのだろう。
「姫子は、私のどこを好きになったわけよ?」
ピーナツバターのサンドイッチを一口で食べる。ピーナッツの香りが口の中でとろけるようで美味しいけど、薄さに挑戦しているかのようにぺらっぺらだった。10枚ぐらい取りたかったけど、品がないと思われそうで遠慮してしまった。
「こっちは庶民も庶民。頭は良くなくて、見栄えだって平均的で、胸はちょっとでかいかなってぐらいだけど、それ目当てにコクってきた冴えない彼氏がいるっていう、ごく普通の女の子もいいところよ」
姫子は一口サイズのショートケーキを口に入れたところで、モグモグと動かしている。
「私にしてみれば、姫子はキスできる相手だから好きなだけなんじゃないかって、思えるわけ。つまり体目当て。男がエッチのために彼女作りたがっているのと同じなの」
ううんと、首を振って否定した。食べている時に喋るのは品がないと思っているようだ。
姫子は、ケーキを飲みきってから口を開いた。
「彩花が好きな理由は、前に言ったよね?」
茶道室でお弁当を食べたときのことだろう。あのときはたしか、一緒にいて楽しい、居心地が良い、だった。
「どうも、納得がいかないのよね」
波長が合ったと言っているようなものだ。人との付き合いはそういうものかもしれない。けれど、他になにか理由があるのなら知りたい。
「群れないところかな」
姫子は少し考えてから答えた。
「群れって?」
「うちのクラスって、大体5つのグループに分かれているんだよね。彩花は、その中のどこのグループにも属してない。3つのグループを点々としてるし、他クラスの所にいることもあるでしょ」
「まあ、そうかな?」
グループなんか意識したことなかった。
「悪く言えば八方美人ってことじゃない。向こうから声かけてくるから、そっちにいっちゃってるだけだし。私って流されやすいのよ。最近、それ、すっごい実感してるし」
姫子のせいでと、訴える目線を向けるけど、気付いてはいなかった。
「それで嫌われないんだもん。どこにいっても彩花はとけこんでいる。それ才能だよ」
「兄弟が多いからかな?」
あんまり意識したことがなかった。
「わたしって性格がアレじゃない? 地のわたしを見せると、ハブられるの分かってるし。中学の時にね、色々とあったから」
「いじめ?」
「それは無かった……うーん、近いかな。女子からシカトされてた。男子って鈍感なの多いから、そういうの気付いてなかったっぽいけどね。だからわたし、クラスでは男子ぐらいしか話す相手いなくって、それが男に色目つけてるってムカついて来ちゃうようで、ますます嫌われモンになってた。でも、上履きや教科書を捨てられたり、悪口言われたり、暴力を振るわれたりと、ハッキリとしたいじめはなかったんだよね」
「表だったイジメをすれば反撃を食らうって、察してたのね」
「なんでだろう。私ってこんなにも気の弱い女の子なのに」
「うそつけ」
「うん、嘘。全然平気。孤独なの慣れてるから」
笑いながらコーヒーを飲んだ。それは、諦めに近い寂しい笑いだった。
慣れている。でも、好きなわけじゃない。
彼女にとって孤独は、息を吐くように当たり前なものになっている。
「正直、傷つかなかったというと嘘になる。猫被ってなければ中学と同じことになるから、優等生をやってたの。彩花は仮面を被っていない。素の自分をさらけ出してるのに、みんなから好かれているじゃない。それが、凄いなあって思って、憧れて、意識するようになったんだ……というので、答えになってる?」
姫子は、皿の上にあるケーキを食べていく。先ほどより、食べるペースが早くなっている。
「まあ、都合よくキスできる女、というだけじゃないのは分かった」
私は、アイスミルクティーを飲む。
姫子と私の環境は、まるで正反対だ。
だからこそ、自分にないものを持っている私に惹かれたのだろう。
「だから言ったじゃん。彩花のこと好きなんだって。彩花だからキスしたくなるの。恋人っていいね、ケーキよりも甘いんだもん」
「なってません。私は彼氏がいます」
「いるだけじゃない。好きでもなんでもない彼氏でしょ。さっさと別れちゃいなよ。はたから見て、似合ってないって分かるもん。古屋は、彩花の魅力をダメにしている。高校生活は短いんだから、あいつで無駄にするのやめなよ」
妹と同じことを言っている。
「私って古屋くんといて、楽しそうに見えてないわけ?」
「うん。というか、ぎこちない。無理している。なんか、ああ、彼氏ってこの程度のものなのかって、諦めている感じ」
「別に、古屋くん、悪い人じゃないし」
「そんなこといったら、世界中の良い人と付き合わなきゃいけなくなっちゃうよ? 悪い人じゃないから、付き合い続けているって変な理由だよ」
「でも……」
「これ以上の進展の見込みはありえないでしょ。なのにダラダラと付き合っている。別れ話をしないのは、古屋がかわいそうだからってだけ。それこそかわいそうじゃない」
言い返したかったけど、なにも言えなかった。
「古屋は悪い奴じゃない。それはわたしも認める。ただ、彩花と相性が悪かったってだけだよ」
「だからって、姫子とも相性いいわけじゃないけどね」
「相性いいよ。バッチグー」
「ないない」
私は流されているだけだ。
姫子も、結局は古屋くんと付き合っているのと変わらない。
同じままでいいわけがない。
今がチャンス。はっきりと言おう。
「私は女の子とは付き合いません。もちろん、姫子とも付き合わない。姫子の禁煙を付き合ってあげるのは今日まで。明日からはしません」
「はい、あーん」
聞いてなかったという風に、フォークに乗せたケーキをこっちに持ってくる。
「だからぁ」
「ケーキが落ちちゃうよ。服に落ちたら大変だよ」
しょうがないのでケーキを口に入れた。
ストロベリーのムースケーキだ。
「美味しいでしょ?」
「当然じゃないの。作ったわけじゃないんだし、姫子が自慢するものじゃないでしょ」
「もっといる?」
「自分で持ってきて食べます」
姫子は、私が口につけたフォークをぺろっと舐めた。そしてキウイソースがかかったチーズケーキを小さく切った。そっちは自分の口に入れていた。一口サイズのケーキを、何等分かに分けて食べるのはお嬢様らしい。サンドイッチもケーキも一口で終わった私とは大違いだ。
「ねぇ、さっきの聞いてた? 私は……」
「彩花の悪いところは、中途半端に優しいところだよね」
「え?」
姫子は立ち上がった。
「ティラミス来たから、持ってくるね。彩花の分もいるでしょ?」
姫子は私の頬についたケーキの食べかすをつまんで、それを自分の口に入れた。
「否定は口ではなく体でするものなの。本気で私と付き合いたくないなら、なにも言わずにここから去ることだよ」
姫子はケーキが並んだテーブルの方へ歩いて行った。お皿を取ろうとした際、小さな男の子とぶつかっていた。ごめんとかなにか謝ったのだろう、その子と簡単に話して、頭を軽く撫でていた。
それからお皿を二枚取って、男の子の分のケーキも取ってあげている。
私は席を立つこともなく、半分まで残っていたミルクティーを空にする。
落ち着かなかった。空になってもストローを吸ってしまう。
スマートフォンを見てみると、古屋くんからのメールが三通来ているのに気付いた。
それに妹からも一通。
内容は三通とも『どこにいるのか?』と聞いたものだった。文章は素っ気ないけど、苛ついているのが分かる。
妹からのメールは『お姉ちゃんの元彼から電話が来た、ウザイ』だった。
古屋くんは、私が思っている以上に怒っているらしい。でも、なんで私に直接、電話をかけないのだろう。いつもの彼なら、そうしているはずなのに。
不思議だった。
古屋くんにどう返事をしようか迷った。
曖昧なことを書いたり、嘘をつくより、姫子と一緒にいることを正直に書いたほうがいいのかもしれない。
でも「姫子」の名前は爆弾となる可能性が大だ
事実を知って、彼は安心はしない。逆に不安になる。
最悪、「浮気した」と解釈してしまいそうだ。
私が古屋くんなら「おまえなんなの? 俺の彼女だろ。なのに、なんで他の女とイチャついてんの?」と怒っただろうし、キスする仲と知れば、殴られてもしょうがない。
なんて書けば古屋くんの機嫌を収められるだろうと考えて、さっき姫子が「彩花の悪いところってさ、中途半端に優しいところだよね」と言っていたを思い出した。
相手を傷つけたくない。
だからこそ、私は流されてしまっている。それは、良いことではなかった。
「私だってヤキモチ焼くんだよ。デートしているときに、他の奴のことを考えちゃだめ」
いつの間にか姫子が戻ってきていて、私のスマホを取り上げると、電源を切られてしまった。