8・姫子ってイヌみたいだね
姫子は待ち合わせ場所にいなかった。
「やっほー」
電車のホームに降りて、エスカレーターで下った改札のあるフロアのトイレ付近に、柱に寄り添うようにして立っていた。
「なんで、こんなところに。あっ!」
トイレの個室に一緒に入ろうとする目論見であることに気付いた。
「しないって」と苦笑気味に手を振って否定した。「待ち合わせ場所ってさ、男がウザいって気付いたから。なんども声かかるのよねぇ。わたし、美人だからしょうがないけど。で、こっちで待ってたら、彩花が必ず通るんだし、安全と思ったわけ」
「本当でしょうね?」
「本当だってば。わたしってそんなに信用ないかなあ」
なにを今更。
「こない? 絶対に、こない? 付いてこないでよね」
「こないって、わたし、さっきしたもの。そんなに信用できない?」
「当たり前でしょ」
学校のトイレの件があるので警戒するに決まっている。
「付いてこないでよ。いいね? 付いてこないで。ぜったいに、付いてこないでよ!」
何度も念を押してからトイレに入った。
個室に入って、素早く鍵をかける。ドアの前で耳を近づけるけど足音はしない。本当に付いてきてないようだ。ホッする。そのホッとさせるのが姫子の狙いかもしれない。安心させた瞬間に、殺人鬼が襲いかかってくるホラー映画のように。もしかして上の隙間から覗いているんじゃないかと確認し、盗撮のカメラがあるのではないかと隅々まで探してしまった。用を済ますまで気が気でなかった。
「ねっ、なにも無かったでしょ」
出てきたら、会ったときと同じ場所で待機していた姫子はにっこりとする。
「ずっと視線を感じたんだけど」
「気のせい、気のせい。わたし入ってもいないもの。それとも、なにかしてほしかった? ご期待があるなら喜んで叶えるよ」
冷たい目線を向けると、「冗談、冗談」と笑った。
「ところでさ」
両手を後ろで組んで、姫子が近づいてくる。
「そのワンピース可愛いね。うん、とっても可愛い。わたしのためにおめかししてくれて嬉しいな」
「別に姫子のためじゃ、ないし」
「いつも制服を見ている子の私服姿って新鮮で感激。ワンピース、似合っているよ。すっごく可愛い。可愛い彩花と可愛いワンピースで世界一可愛くなってる」
「おおげさな」
「可愛いんだもん。他になんて言えばいいわけよ? とっても可愛いから可愛いと言っているんだから、素直に受取りなよ」
「あ、ありがとう」
こんな感じにストレートに褒めてくれたことはなかった。古屋くんは一度としてない。つきあい始めのころは、なにか言ってくれるかなと期待していたけど、どんなおめかしをしてもスルーなのでガッカリさせられ、男なんてそんなものだと、期待していた自分がバカに思ったものだ。
「姫子だって、その、可愛いし」
はっきりと言うのが照れくさかった。
「うん、ありがと」
素直に喜んだ。姫子は、白いフリルシャツに薄めの布のマリンボーダージャケット、デニムのショートパンツというシンプルで動きやすい恰好だ。
「羨ましいよね、美人はなに着ても美人だもん」
コーヒーショップで出会った時の二十代に背伸びするようなファッションも、今回の年相応のファッションも、どちらも似合っている。
「むしろ、なにも着てないほうが綺麗なんだ。素っ裸で歩いてもいいぐらい」
「なにいってんだか」
「あはは、いこっか、お姫様」
姫子は私の手を取った。さらっとした細い手は、冷たかった。
「姫はそっちでしょ」
名だけに。
「今日のわたしはエスコート役ですので。お昼は、ホテルのレストランでいいよね? 予約取ったんだ」
「ホテルっていかがわしいところじゃないでしょうね?」
「なんで、ラブホにレストランがあるのよ。彩花ったら警戒しすぎ」
姫子は苦笑する。
「モールの先にあるホテルのことだよ。最上階にバイキングがあるんだ。ケーキメインで、サンドイッチ、パンとか軽いのしかないけど、眺めがとってもいいし、めっちゃ美味しいの」
「高くない?」
庶民の私には入ることすら怖じ気付くほどの高級ホテルだ。
「わたしのおごり」
「いいよ。私の分は私がちゃんと払うから」
「払える? たしか1300円ぐらいしたっけなぁ、それにドリンクバーをつけたら300円プラスだったかも」
「別のとこにしない?」
私のお小遣いが泣いてしまう。
「あはは、だったら、わたしが彩花の分を半分払うってのでどう?」
「それでも悪いよ」
「悪くない。むしろ良いよ。デートはわたしが誘って、彩花はちゃんと来てくれた。そのお礼なの。本当は全額おごりたいぐらいなんだから、半分なんて安い、安い。もち、ドリンクもわたしがつけるよ。それなら払えない額じゃないでしょ」
「う、うーん、それでもやっぱり……」
申し訳なくなってくる。
「バイキングが嫌ならキャンセルしてもいいけど?」
スマートホンを取り出すも、私の顔を見てすぐに、
「オッケー、決まり、キャンセルはなしだ。食べたい顔をしている。食べたらもっといいよ。絶対、美味しいって顔になる」
強引に決めて、姫子は私の耳元に近寄ってきた。
「今日ぐらいはカロリー気にせず、いっぱい食べようね」
そう囁いて、私の腕を取った。
「離れてくれない?」
「えー、いいじゃん。仲の良いカップルには普通のことだよ」
「カップルじゃない」
「友達でも普通だよ」
女同士で腕を組むのは友達として普通だろうか、と考えてしまうが、公衆の面前でキスをしてくるよりはマシだとそのままにした。
改札を抜けて、駅の南口から歩道橋を渡った先にあるショッピングモールに入っていった。
日曜日だけに、家族やカップルで混雑している。この辺りでは尤も大きいモールなので、古屋くんとのデートの定番スポットだ。欠点といえば、近いのもあって、同じ学校の生徒をちらほらと見かけることだろう。今日ばかりは、知り合いに出会わないようにと祈ってしまう。
特に古屋くん関係の友達には会いたくない。
「お昼まで時間あるし、お腹空かせるためにブラッとしよ」
姫子は、近い所にあるアパレルショップに入っていく。
「ここ、高くない?」
二十、三十代の女性がターゲットの店なので、私には年齢層と高級感が高くて、普段ならスルーしてしまう店だ。
「彩花にいいことを教えてあげる。服を買えば有料だけど、試着するのは無料なんだ。こういうときこそ、普段いかない店にいって、新しい自分の開拓していこうよ。楽しいよ」
ツイードジャケットを両手で広げた。
「これなんか彩花に似合ってる」
「いやあ、今の私には大人すぎて」
しかも値段は、半年分のお金がパァになるほどの額だ。汚したらヤバいと、手に取るのも恐ろしくなってくる。
「5年後の彩花を想像すればいいよ。今でもイケてると思うけどね。これなんか着てみたらよくない? サイズは、これぐらいかな? 彩花って地味めなのが多いでしょ? 逆に派手系のを着てみるのもいいかもね。きっと可愛いよ。なに着ても可愛い。だから好きなんだけどね」
姫子は様々な服を、試着させようとする。
「楽しみに待ってるね」
ウィンクしてカーテンを閉めた。試着室に私を入れる時に「一服」とキスしたり、一緒に試着室に入ってきてイヌのように唇をなめ回してくることもない。
大人しく試着室の前で待っていた。
着替え終えて私がカーテンを開いたら、「可愛い!可愛い!」の大絶賛で、「次はこの服、次はこの服」と別の服を持ってきて、それもまた「可愛い!可愛い」を連発する。
「お客さま、店内では静かにお願いします」
姫子のはしゃぎように、店の人から注意されてしまった。
「姫子ってイヌみたいだね」
店を出た時に呆れながらそう言ったら、
「わんわん!」
尻尾があったらブンブンしそうなほど、上機嫌で吠えていた。