6・キスしたあとの彩花はとっても可愛い
群れを好まず、人間関係はほどほどの付き合いで済ましている私にとって、ひとりでいるのは、それこそ姫子のタバコのように、ホッとできる大切な時間だ。
兄弟が五人もいる影響だろう。
家が地震のように揺れて、近所で工事をしているような騒音が頻繁にある、外野がガチャガャやかましい環境で育ってきた。
だからこそ、ひとりに憧れてしまう。
勉強が嫌いでない――好きというわけでもないので、さほど成績がいいわけでもない――理由も、こうやってコーヒーショップでひとりの時間を過ごすことが許されているからだ。
もしも私が一人っ子で、家に帰っても両親が仕事でいない環境に育っていたなら、逆にこういった時間は、辛かったかもしれない。
スマートフォンの電源を切ることができないクラスメイトがいる。
その子は寝るときも、スマホを握りしめているらしい。それを証明するように、彼女は授業中でも、机の下でこっそりとスマホをいじっている。なんど注意をされようとも、やめようとしないので、教師が取り上げたら、自分の子が誘拐されたように泣きじゃくった。
お手上げとなった教師は、勝手にしろと無視することにした。印象は最悪だ。彼女の内申点が最低クラスとなるのは確実だった。
彼女とLINEの交換をしたら、既読なのに返事がないと怒られたことがある。頻繁に来るし、こっちは忙しいときさえ――同じ教室で同じ授業を受けているときであっても――しつこいぐらいにメッセージが送られてくる。誰かと繋がっているという証が欲しいのだろう。既読して15秒せずに返事するのが常識と思っていた。
私がたまにしかメッセージを送らず、したとしても素っ気ない内容なのに腹を立てて、「友達の縁切るよ」と言われたことがある。
「あんたの友達の基準って、相当レベル低いね」
と返したときの、ショックを受けた顔が忘れられない。
LINEはトラブルの元だと判断して、それっきり使わないことにした。友達の誘いは減ったし、連絡が来るのが遅くなったけど、特に困ったことはない。
かわいそうな子とは思う。そんなレベルの低い繋がりを求めている限り、彼女は不幸のままだろう。
だからと、他人は他人だ。
どうにかしたいという気持ちはなかった。それも彼女の人生だし、結局は自分で選択していることだ。私がどうこうできることではない。
人との繋がりを意識することのない、携帯がなくても困らない私は、抵抗なく電源を切ることができる。
むしろ、このときのほうが邪魔が入らず、快適である。
常連となったコーヒーショップで、いつものようにカナル式イヤホンを耳に入れて、タイマーをセット。
軽いストレスから甘い物を体が要求していたので、ストロベリーパフェを食べながら、勉強をする。
変態レズ女にされたエロいことを忘れて、集中、集中。
といきたかったのに……。
「デートしよ」
邪魔が入った。
禁煙室の長いソファー。
姫子が私に寄り添ってきた。
「勉強中です」
スマホの電源を切ったのが逆効果。私の居場所を知らせる結果となってしまった。
邪魔すんなと、ハエを払うように手を振った。
「吸いたくなってきちゃった」
私の顔をクイッと横に向けさせると、軽くタッチするように唇を重ねた。
まるで、朝の挨拶をするように自然とキスをしてくるようになった。
「ここ、禁煙」
店内を見回すけど、一瞬だったので周囲の客の目に入らなかったようだ。胸の内でほっとする。
「キス禁止って表記はないよ」
「ねぇ、姫子は、人目につく場所でイチャイチャするカップルをどう思う?」
「あー、ウザいよね、あれって」
「ということを、自分がしていることに気づきなさい。店を出ていくか、私の側にいたいなら、隣でなく前の椅子に座りなさい。とにかく、勉強の邪魔すんな」
「でも、カップルになったら、ウザくなりたいじゃない?」
「なりたくない。誰がカップルだ。私は姫子とそんないかがわしい仲じゃない」
私は、シャープペンをナイフのように姫子に向ける。
「勉強中。邪魔するな」
姫子を無視することに決めた。邪魔とはいえ、我が家で勉強するのに比べたら、シーズン中のイモ洗い状態のプールと、就眠中に聞えてくる隣人のいびきぐらいの差がある。気にすることもない。私は、カナル式イヤホンを耳に付けると、音量を上げて勉強を再開する。
姫子がなにかいって立ち上がったが、ありがたいことに聞えなかった。
数分すると、姫子はアイス宇治抹茶ラテを持って戻ってくる。邪魔をしないと決めたようで、隣ではなく、前の椅子に座った。チューとストローでラテをすすりながら、私のことを眺めている。
なにか声を掛けていたけど、私は聞かないようにする。
「そこ、間違ってるよ」
「え、うそ?」
「なんだ、聞えてるじゃない」
「少しぐらいは聞えちゃうの、ウソはやめてよね」
「ウソじゃないって、ここ、ここ。あー、式がこっからミスってるんだ。うん、ここ、もう一度計算してみてごらん」
間違っている箇所を指さした。
「あー、本当だ」消しゴムで消して、そこから計算を再開させる。「姫子って勉強できるんだ」
「知らなかった? トップにはいかなくても、全教科バランスよく10番内に入っているよ」
顔はいいし、スタイルもいいし、頭だって良いのだから、女子として羨む要素が満載だ。
だけど、変態でレズである。
残念な要素のインパクトが大きいので、姫子のようになりたいとは思わない。
「彩花は、勉強しているわりには成績悪いよね」
そう、ハッキリ言うな。グサッとくる。
「平均点以上はキープしています。前にもいったけど、わたしは家族が多くて、一人になれる場がないから、こういう場所でしているの。塾に通うお金だってないし、そのためにバイトをする気もなれないもの」
「私が、教えてあげよっか?」
「いや」
即答した。
「なんでよ? お金いらないよ」
「私の体で払えっていうんでしょ」
「いわないよ。まあ、ムラムラするだろうし、その感情を抑える気はないけど」
「二人きりなんて危険もいいところじゃない。遠慮させていただきます」
「二人きりじゃなくても、彩花をいただきます」
指で私の顎に触れると、私の顔を上げさせる。顔が近づいてきて、キスをされる。
「……んっ」
氷が入ったように冷たく、わずかに抹茶ラテの味がした。
「ごちそうさま」
顔が離れて、姫子は席に着いた。
彼女の長い髪によって、唇が重ね合っているのは隠されただろうけど、誰の目からもキスだと分かる光景だ。
今のは誰かに見られたのではないか。恥ずかしくて、周りを確認する勇気がない。
「やめて」
姫子とのキスは、いくらしても慣れそうになかった。自分でも分からない感情が胸の所から仄かに浮かんでくる。これはなんだろう。嬉しい、恥ずかしい、気持ちいい、切ない、嫌だ、好き――言葉にしてみると、そんな色々な感情がごちゃ混ぜとなったもので、それを意識してみると、さっと消えてしまう。手に取ると溶ける雪のようなものだ。色に表せば、白に近いピンクといったところだろうか。
分かっていることは、気持ち悪い、不快、嫌悪、といった悪い要素が入ってないことだ。
「キスして分かったことがあるんだ」
「なによ?」
「したあとの彩花はとっても可愛い」
姫子の感情は、心の中に入り込まなくても表情で分かる。
喜び、だ。
「日曜日、デートしよ」
うんといわなきゃ、もういちどキスをすると脅すかのような、無邪気な笑顔だった。