3・偶然あった記念
クレーンゲームの景品の大きなクマのぬいぐるみ。
「これかわいい」
と女の子らしく言ったら、古屋くんがいいところを見せるべく熱中してしまった。
「かわいい」と「ほしい」は別であることを、古屋くんは理解出来ていなかった。
1200円ものお金を消費したことで、アームの力が強く調整されたのか、さっきまでするりと抜けていたクマが持ち上がって、シューターに落ちていった。
大会で優勝したように誇らしげとなる古屋くんからのプレゼントを断ることもできない。
困惑を隠して、
「ありがとう、うれしいよ」
彼が希望している笑顔を作った。
古屋くんは、今日のデートは成功だと満足気だ。
単純にて純情派の彼は、女の子の心理を勉強すべきである。新しい彼女ができたとき、いいように扱われて、身も心もボロボロにされてしまうだろう。
まあ、今のところ別れるつもりはないけれど。
彼氏持ちというパラメーターは、学校内の女子グループを平和に暮らす上でなにかと便利なのだ。
でも、このクマどうしよう?
大きなぬいぐるみを抱えて歩くことになってしまった。人の目が恥ずかしく、知り合いに見られたくない光景だ。
家に帰れば、弟が「姉ちゃん、似合わねぇ」とバカにしてきて、私はぬいぐるみを武器にして殴りつけることだろう。
そのときに壊れなければ、下の妹にあげるとする。
ブーメランのような緩やかなカーブができたショッピングモールの通路。私たちはその列にある店を一件ずつ気ままに見て回る。
「これ、ちょっと持ってて」
トイレのマークが見えたので、ぬいぐるみを渡した。
「分かった」
デートの回数が増えて、さすがに学んだようで、
「どこにいくのか? あー、おしっこか、ごゆっくり」
なんて付き合い始めの頃のような、無礼なことは言わなくなっている。
「ふぅ……」
トイレの個室に入って、ためいき一つ。
ほんの数分とはいえ、一人になれる時間にホッとする。
スマホをチェックすると、丁度メールの受信マークが表示された。
姫子だった。
昨日、有無を言わせず、アドレスの交換をさせられていた。ポチっとメールを開いてみると、「どこにいるの?」というシンプルな文章だった。
「あなたに教える気はありません」
返信しなかった。
スマホを鞄にしまって個室を出た。
「わっ!」
手を洗っているとき、後ろからガバッと両方の胸を鷲づかみにされた。
ぐにぐにと、痛いぐらいに強く揉んでくる。
「は?」
顔をあげると、姫子が鏡に映っていた。鏡の中で目線が合うと、揉んでいた私の胸をパッと離す。
「ふふっ、彩花ったら、こんなところにいたんだ」
「えっと」
目をパチクリする。
「反応うっす。少しは驚いて」
「いや、驚くあまり表情が固まった」
「いい揉み心地だね。ブラ邪魔だけど」
こっちは痛かった。
「やめてくれない?」
「おっぱい、もみもみ」
「やめなさい!」
手が伸びたので、私は姫子の体を軽く押した。
「なんで、姫子がここにいるのよ」
自分の体を守りながら、姫子に言った。
「私の家、ここだもん」
「嘘付くな。まさか、後を付けてたってわけ?」
「偶然だよ、偶然。さすがの私も、好きでもない男とデートをする彩花の後をつけるなんて、胃の痛いことはしないし」
「好きでなくはないわよ」
「さっき、溜息聞こえたよ」
「あれは……」
「しょうがなく付き合っているんでしょ。不満はないから、別れてないだけで」
図星でしょ?と姫子は、顔を近づけてくる。
後退りすると、姫子は両手を伸ばして、私の頬に触れた。
「はぁ~っ」
甘い息が私にかかる。
「におい、しないでしょ? ちゃんと禁煙してるよ。だから先生に言わないでくれるよね? 言ったらわたしは、停学になっちゃうんだ」
「そりゃ、まあ、約束だし」
なかったとしても、言うつもりはない。
「でもさ。約束って普通、破るためにあるもんだよね」
「そんな普通はない」
破ってほしいのだろうか。
「彩花は優しいね、えらいえらい。わたしとは大違いだ」
頭を撫でられたので、直ぐにその手を払った。
「実は、そろそろ限界なんだ」
「限界って……」
「吸いたくてたまらないの。だからお願い」
姫子の顔が寄った。
唇と唇が触れあいそうな距離。
「いや、その、人にみられちゃう……」
カンカンカンと、ハイヒールの足音が近づいてくる。
「まだ間に合うよ」
姫子は私の唇を奪った。
二度目のキス。
長かった。顔を放そうとするが、姫子は強引に唇を押しつけてくる。歯の感触を感じるほどに。
足音が停止した。
トイレにやってきた二十歳ほどの女性が、入り口に立っていた。
私たちを汚物をみるかのような目をしている。
「こんにちは」
姫子はにっこりと笑って、私の手を取ってトイレを出て行った。
直進すると、古屋くんの姿があった。通路の手すりに寄りかかっている。遅いと口を開こうとしたまま、目を丸くする。
「こんにちは、古屋。そこで、偶然あったんだ」
「緑川?」
「なーに、私が、桜井か深井に見えるわけ?」
古屋くんの友達の名前を口にする。
「そういうわけじゃないけど」
私たちの握られた手が、気になるようだ。
「へぇ、このぬいぐるみ可愛いね」
姫子は、古屋くんが持っているぬいぐるみを取った。
「私って、見た目と違って、こういうの好きなの。もらっていい?」
「いや、それは」
「冗談だって、彩花のなんでしょ」
はい、とぬいぐるみを私の胸に押しつける。
「んじゃ、おじゃま虫の私はこれで」
退散しようとして、
「あっ、そうそう」
くるりと私の所に戻ってくる。
「偶然あった記念」
「え?」
きょとんとする間に、姫子は私にキスをする。
唇ではなくて――頬に。
そのあと、呆気となる古屋くんにウインクする。
「じゃねー」
手を振りながら、姫子は早足で行ってしまった。
私と古屋くんは無言で見送った。
姫子はエスカレーターで降りていった。彼女の頭が見えなくなって、古屋くんのほうを見ると、目があった。
「えっと、ばったりと、ね」
指をトイレを向ける。
丁度、私たちのキスを目撃した女性が出てくるところだった。ドキっとしたけど、気付かなかったのか、見なかったことにしたいのか、さっさと行ってしまった。
「あ、うん、分かってる」
「古屋くん、姫子と知り合い?」
「ああ」と頷いて、「彩花があいつと知り合いだって思わなかったよ」
「クラスメイトだよ。顔が合えば、少し話すぐらいだから、別に、仲良いってほどではないんだけどね。さっき、ばったり会っただけで、こんなにべったりとスキンシップしてくるなんて、びっくりしたぐらいだもの」
後ろめたい気持ちがあったから、口数が多くなってしまった。古屋くんだから大丈夫だけど、勘が良い人なら直ぐに察しそうだ。
「まあ、私のことはいいとして」誤魔化すように、ポンと両手を叩いた。「古屋くんと姫子は、どういう仲なわけ?」
「ん、あー、俺らはなぁ、実はいうとー」
のばしながら、上の方を見ていく。ちょっぴり嬉しそうにしていた。私がヤキモチやいていると勘違いしたようだ。
「なんでもねぇんだ。小学校が同じだったってだけ」
「幼なじみなんだ」
子供のころの姫子がどんな感じだったのだろう。
ちょっとだけ気になる。
「つーわけでも、ないかな。2年ほど同じクラスになったとあるぐらい。そんなに話したことはない。あいつの性格が性格だから、どうも付き合いづらくて、あー」
言いたいことがあるけど、言ってよいものかのかと、悩んでいた。
「なに?」
まさか姫子は、古屋くんが好きな女の子を次々と奪っていていて、私はそれで、ターゲットにされているとか……は、ありえないか。
「いや、なんというか、さ。あいつとは」
古屋くんは、言いづらそうにする。私は待つ。それで口を開こうとするけど、やめたようで「まあいいや、いこうぜ」と足を動かした。
「こっちにしよ」
なんとなく、キスを目撃した女性の方向には行きづらかった。
私たちは無言で歩いていく。肩と肩が少し離れていた。古屋くんは、ゆっくりとその距離を近づけていく。
「緑川と、付き合わないほうがいい」
耳元でボソっと言った。彼はそれを言いたかったようだ。
「なんで?」
レズだから?の言葉が、喉まで出かかった。
「あいつ、良くない噂があるんだ」
「どんな?」
姫子が女好きなのを、古屋くんは知っている?
「えっと……」
言いづらそうだ。口が止まった。足だけがゆっくりと動いている。目的地もなく、ただ、ショッピングモールを歩いているだけになっている。
私たちはエスカレーターを上がっていった。上の階に来て、少し歩いてから、古屋くんはやっと口を開いた。
「男をさ、なんか、いろいろ……えっと、ヤッてるらしい」
だから言いづらかったようだ。
「彼氏がたくさんいるということ?」
イメージが湧かなかった。姫子に男は、しっくりこない。いるとしても、彼氏じゃなくて彼女の方だ。
「そうじゃなくて、あいつ、頼んだらさ、誰とでも寝るって……」
「古屋くんは、頼んだことあるの?」
「あるわけねぇよ」
即座に返ってきた。心外だとばかりにムッとする。
「じゃあ、誰が? 古屋くんの友達に、姫子とエッチした人がいるわけ?」
「それは……」
いないようだ。気まずそうにしている。
「私、子供がいるんだ」
と真っ平らのお腹をさすった。
「え?」
「お相手は、中学時代の先生。妻子持ち」
「はっ?」
「そんな噂を、ばらまかれたことがあるんだ」
「なんで、そんな噂を?」
古屋くんは分かりやすく安堵して、誰もが思う疑問を口にした。
「赤ちゃんを連れていたから。それは本当のことだし」
「え? へぇっ?」
目を丸くして、びっくりしている。私は笑った。
「お兄ちゃんの子供。もちろん私のじゃない。私に五人の兄弟がいるって知ってるでしょ? いちばん上のお兄ちゃんは結婚していて、子供が出来たの。この子ね。勇太っていうんだ。かわいいでしょ?」
スマートフォンの中にある、甥の写真を見せる。
「私が勇太と一緒にいるのを、誰かが見ていたようで、私に子供がいるって噂したみたい。宇津が赤ちゃんを抱いていた、に尾ひれがついて、妻子持ちの教師と禁断の関係になって子供を産んだ、になったらしい。知った時は、なにそれ? とビックリしたわよ」
「そりゃ、驚くわ」
「姫子もそんな感じじゃない?」
「うーん」と考えてから、「そうなのかもしれないな」
噂は事実だという証拠は持ってないようだ。
「そういうデマを流されたことがあるから、噂って信用できないのよね。その子の印象を悪くするために、悪い噂を流すのって良くあることだし。姫子ってそういうの流されやすいタイプでしょ?」
「まあ、そうだな」
「小学校のときの姫子はどんな感じ?」
「敵は多かったかも。あいつ嫌いって言ってた女子、何人かいたし」
「嫌われ者ね」
分かる気がする。私も嫌いって言いたい女子の一人だ。
ファーストキス返せこのやろ。
「いじめられてはいなかったな。俺、そういうの気がつかないタイプだから、影であったかもしれないけど」
小学校時代を思い出しながら言った。
「いじめに負けるようなタイプにも見えないけどね」
「確かに。あいつ、平然としてそうだ。女王様気質があるよな」古屋くんは笑った。「緑川とはあまり喋ったことはないけど、忘れることができない奴だったよ。高校で再会したとき、『ゲッ』って思ったぐらいだ。そういえば、学級委員をやっていて、色んなやつを仕切っていたな。無茶なことを言っては、先生を困らせていた。今のほうが、大人しいぐらいじゃないか」
「学校では、ネコ被ってるらしいよ」
「じゃあ、昔と変わってないのかもしれない」
スマートホンがブーブー震えた。電話の通知だ。ディスプレイは噂の相手を表示している。タイミングの良さに、どこかで私たちを尾行しているのかときょろきょろと見回してしまう。
「出ないのか?」
「あ、うん、ごめん」
古屋くんに断ってから、電話に出る。
「なに?」
『大変。直ぐにきて!』
「どうしたのよ?」
『タバコすいたい!』
「我慢しろ」
私はスマホを切った。