20・緑川姫子に清き一票をお願いします
なにもない放課後が遠ざかってしまった。
部活動に所属していない私だ。以前ならば、ホームルームが終われば、古屋くんと駅まで一緒だった。
今は相手が変わってしまったし、生徒会選挙のため、下校時間まで学校内に留まることになっている。
「緑川姫子に清き一票をお願いします!」
校門の前。私たちは帰宅中の生徒たちに向かって、大声で訴えていた。
がんばってくださいもなにもない。殆どの生徒がスルー。知り合いが手を振ってくれるのが癒しだ。
だけど、耳に入っている。だからこそ、緑川姫子をお願いします!と言い続けて、顔と名前を覚えてもらうしかない。選挙期間中、駅立ちをする候補者たちの辛さが分かるし、本物の選挙はそれ以上にキツいのだろう。
姫子の思惑通り、谷田は立候補しなかった。
私たちの噂を流した張本人であり、生徒会をラブホ代わりに使っていたという悪い情報が出回っていた。
立候補すれば悪評が高まることに気付かないほどバカじゃない。一位は無理でも、二位に入って副会長になれたとして、姫子の下で働くことになる。その屈辱に耐えられなくて断念した。
とはいえ姫子が一位になるかは分からない。他に立候補者はいないのではと懸念したけど、物好きというのは意外といるもので、届け出したのは四人いた。
「緑川姫子をお願いします!」
人生でこんなに大声を出したことがないという程の毎日だ。応援演説という重役が待っていると言うのに、その前に声が枯れてしまいそうだ。
「ああっ」
姫子の体が震えた。
「どうしたのよ。風邪でもひいた?」
「彩花に、緑川姫子ってフルネームで叫ばれるとゾクゾクする」
「死ね」
「そう考えなきゃやっていけないよ。これ、すっごく恥ずかしい」
「バカなこと言っていると帰るよ。誰のためにやっていると思っているのよ」
「彩花のため」
「自分のためでしょ!」
姫子は暢気なものだ。特に大声を出さず、たすきをかけて、お嬢様のスマイルを向けている。
「あんたら、仲いいね」
「噂になったわけだわ」
クラスメイトが苦笑していた。私ひとりしかいないのではと心配していたけど杞憂だった。手伝ってくれる人が多くてありがたい。
「そうだよ、わたしたちラブラブだもん」
「やめて、キモイっ」
腕を組んできたので、直ぐにそれを払った。
「こういいながらも、二人きりになるとデレデレになるのが可愛いんだ」
「なったことない。つか、真面目にやれ。ったく私が出たほうがいいぐらいだわ」
「逆にする? 今からでも、間に合うかな」
「いや。生徒会なんてまっぴらごめん」
選挙終わったら、さっさと縁を切りたいぐらいだ。
でも、姫子が受かったらそうもいかないのだろう。
「緑川さんって、面白い性格してたんだね。意外だわ」
手伝う人みんなそれを言う。
「ネコ被ってますから。泥棒猫でもあります」
「奪われてない」
「そういえば、宇津さんの彼氏、いや、元彼がさ……」
「古屋くんがなに?」
噂をすればなんとやら。部活動を終えた古屋くんが歩いてきた。
「緑川姫子に清き一票お願いします」
言いながらも、手の平を出して挨拶をする。
彼は照れくさそうに小さく頭を下げた。私の他に気付くことのない小さな仕草だ。彼は票を入れるだろうか。入れない気がするし、私への義理に入れるような気もする。
古屋くんは通り過ぎていった。私はその後ろ姿を見送った。
彼の隣には、1年の女生徒がいる。
私が元カノだと知っているのだろう。
すれ違い際に殺意がこもったすごい目で睨み付けてきた。そして、アツアツっぷりをアピールするように、古屋くんの腕に抱きついた。
「みた、今の?」
「性格悪そう」
手伝いの子たちが口々に言っていた。
「なんだかなぁ」
それを聞きながら、私は呟いてしまう。
考えてみたら、古屋くんとあのようにイチャイチャして帰ったことはなかった。その気もない。私たちの間には微妙に距離があった。古屋くんが勇気を出して、手を触れてきたことがあったけど、握力が強くて痛かったし、恥ずかしいと振り払ったのを思いだす。
あの子は、古屋くんのご希望を叶えてくれているようだ。
そして私は、彼女として失格だったというわけだ。
「元カレに彼女ができて寂しい?」
姫子が、こっそりと言った。
「そういうんじゃなくって。私たちが付き合っていたのって、なんだったのかなぁと思って」
私たちが別れて三週間。
古屋くんは、あっさりと新しい彼女を作った。
姫子が言っていた僥倖とはこのことだ。新カノにべったりとなったことで、私たちのことは何も言わなくなった。
当然、仕組んだのは姫子。彼女は周りのことを良く見ている。古屋くんのことを好きな女生徒がいる事に感づいていて、その子に今がチャンスであると煽ったのだ。
古屋くんは、告白の時が初対面であるのに関わらずオッケーをした。
あの子の名前すら知らなかったはずだ。
なのに付き合った。
そんなんでいいのかと思ってしまう。
「あの二人、もうエッチしたんだって」
「早っ!」
「ええっ、嘘っ!」
手伝いの子たちも反応していた。
「付きあって三日目。駅前のラブホテルで悲願の童貞卒業」
「古屋くん喋ったんだ」
口の軽さは相変わらずなのかと呆れた。
「ううん。言いふらしているのは彼女のほう。ちなみにあの子は、初めてじゃない。経験人数は手の平ぐらいはいるんじゃないかな」とパーを出す。「前彼のほうが大きかったし、上手かったとのこと。でも、古屋は空手部だけあって、たくましい体付きをしているの。腰ふるのが凄い速いらしいよ、出すのも早いけど。あとね、彼女の体を持ち上げてバンバン……」
「わーわーっ! 聞きたくない、聞きたくない、聞きたくない!」
そんな事まで話すとは、いい彼女ではなさそうだ。
「彩花、キスひとつしなかったんだよね?」
「なぜ、知っている?」
「聞いてるから」
古屋くんが喋っていたようだ。肉体的な関係がなくて正解だったと改めて思った。
「彩花は私とキスするんだもんね、んーっ!」
「するか!」
姫子は、逆手を取って私たちの関係をネタにしていた。二人きりの時は本当にやっているだけにたちが悪い。
「わたしならいいよ、んーっ」
真似をして、友達がタコのような口を作った。
「よし、動くなよ。目をつぶってろよ。言われたからにはやってあげるよ」
友達に抱きついて、キスしようとする。
「ぎゃあああっ! やめてえええっ!」
私の顔を押さえて、爪で引っかけるように、必死で抵抗する。
普通ならこんな反応するんだと、感心してしまった。
「こらっ、票に響くから真面目にやりなさい」
嫉妬しています、とふくれっ面になった姫子が面白かった。惚れられている強みを感じた。他の子と仲良くして、姫子にそんな顔を浮かばせるのも悪くないと思った。




