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19/21

19・中毒ならぬチュウ毒だね


 姫子が生徒会長に立候補するのは、ホームルームで担任の教師が報告するほどだった。姫子はクラスの前に立ち、人見知りすると言っていたのが嘘のように――というか絶対に嘘だ――流暢に挨拶をする。

 そして結びに私の件を触れて、


「応援演説を引き受けてくれた宇津さんに、秘密にしておいてほしいと頼んでいました。彼女は約束通り誰にも言いませんでした。その代わり、私たちがガチユリだと怪しまれましたが」


 と笑いに変えていた。

 どうやら、私が応援演説をするのは、本人の許可無しに決定されてしまったようだ。

 姫子が話題の中心となったことで、学校で二人きりとなって話す機会がなかった。

 昼休みの茶道室ならばと思ったけど、姫子は生徒会指導の田中先生と食事をすることになっていた。誘われたけど、なんで生徒会選挙に誘われているのかなど詳しい事情を知らない私だ。ボロが出そうだったので断った。


『いつものコーヒーヒョップ。OK?』


 帰宅途中に姫子にメールを出した。


『OK。直ぐには行けないから、勉強して待っててね。分からない問題があったら、後で教えてあげる』


 返事は直ぐにやってきた。『大好き』『キスしたい』など愛情表現はなく、普通の文章なのは、誰かに見られる可能性を考慮してだろう。

 姫子が来るまで時間がありそうだったので、私は一旦家に戻って、スクールバッグを置いて、私服に着替えて楽な恰好になってから、コーヒーショップに出掛けた。

 いつものお姉さんにストロベリースムージーを注文する。


「いつものですね」


 と返ってきたので「いつもの」でも通じそうだ。恥ずかしいから言わないけど。

 禁煙席は人で埋まっていた。丁度、背広を着た男性が席を立ったけど、割り込むように中年の女性が座ってしまった。

 逆に喫煙席はガラガラだ。この店のこの時間帯は、タバコを吸うよりも、タバコの煙を嫌う人のほうが多いのだろうか。姫子とキスする切っ掛けとなったあの日を思い浮かべる光景だった。

 私は、その時と同じ席に座った。煙が来そうにない席がたまたまここだっただけだ。あえて選んだわけではない。本当だ。


「ツンデレかわいい」


 うっさい!と心の中で叫んで、ニヤニヤと笑う頭の中の姫子を掻き消した。ツンは百歩譲って認めようとも、こっちはデレているつもりはない。


「お姉ちゃんって怒ってもぜんぜん怖くないよね」


 妹に良く言われていることだ。それが災いしたのだろう。私が怒っているように見えず、それをツンデレと都合のよい解釈をした姫子がドンドンと近づいていって、一か月前の私に話したら「嘘だあ」と腹を抱えて笑いそうな、信じられない世界にはいってしまった。

 元の世界に戻ることは不可能になっている。

 たった一人の人間が、こうも私を変えようとは……。

 勉強用具を出して、姫子がくるまで勉強することにした。といっても殆ど頭の中に入ってこない。今日の予習をしようとも、私は授業中に空想の世界に入り込んでいたようで、ノートの中身は意味不明なものになっていた。


「おまたせ」


 ホットコーヒーが置かれたのは、再生している環境音楽が一周を回った時だ。私は、耳からイヤホンを外した。


「遅くなっちゃって、ごめんね。私がいなくて寂しかったでしょ?」

「勉強捗るから、来ないで欲しいと思ったぐらいよ」

「分からない箇所はあった?」

「ない。私はパーフェクトだもの」


 まったく勉強できなかったと認めたようなものだった。


「あははははは、かわいい」


 学校での緊張の糸が解かれたように、涙をにじませながら笑っている。


「彩花。大好きだよ」

「はいはい」


 姫子は、ハンカチで目元を拭いてから、ブラックコーヒーに口をつける。


「で、どういうわけよ?」


 マグカップがテーブルに置かれたところで、私は聞いた。


「どういうって?」

「こっちは状況が分かってないのだから、ちゃんと説明しなさいよね」

「聞いた通りだよ。私は生徒会長になるべく選挙にでることにしました。清き一票をよろしくね」

「姫子にいれると、汚い一票になりそうでヤダ。生徒会からスカウトがあったなんて、私聞いてない」

「お断わりしてたからね。喋ることでもないと思ってたんだよ」

「あんたって、ほんと上手く猫被っていたのね」

「いやあ、それほどでも」


 褒めていない。


「なんで、私が応援演説をしなきゃならないわけ?」

「適任と思ったからだよ」

「んなわけないでしょ。わたし、人前で演説なんかしたことない」

「大丈夫。わたしだってないから」


 それは大丈夫な理由になっていない。むしろ心配の種となる。


「クラスの子よりも、上級生か下級生の人望のある子を探した方がいいでしょ。私だと身内しか応援しないよ。それに、姫子が言うほど、私って人見知りしないわけでもないし」

「わたしより友達多いじゃない。こっちは、高嶺の花みたいに思われてて、声をかけてくれないのよ」

「自分で高嶺の花いわないでよ。付き合ってみると残念レズなのに」

「あはは、上手いね、それ」


 何が上手いのか良く分からないけどウケていた。


「彩花だからいいんだよ。私の目的は、生徒会長になることじゃない。わたしたちの噂がデマであることを広めるためなの。わたしはそのままでいいけど彩花は嫌でしょ?」


 うん、と頷いた。


「わたしが生徒会長になろうか迷ってるのを、彩花に相談したら『わたし、手伝うよ。一緒に頑張ろう』って、協力してくれることになったの。口の堅い彩花はそのことを言えなかった。そのために、勘違いした古屋と関係が悪くなり、私は彩花をいただいた残念レズって噂になったの。まあ、事実だけど」

「事実じゃない」

「でも、それを否定するのに一番いいシナリオじゃない?」

「そりゃ……まあ……」


 私には、これ以上の手は思い浮かばない。


「これって、生徒会のオファーがなきゃ出来なかったことよね。よく、あったわね」

「ミイラ取りがミイラになったんだよねぇ。いや、これは策士策におぼれるかな?」

「はい?」

「運が良かったというか、結局は一周をして引き受けることになってしまったというか……まあ、結果オーライかな」

「なんのことよ?」

「田中先生がしつこいの。生徒会にでろでろでろでろでろでろってさ」


 生徒会指導の先生だ。


「私は断ってるんだよ。そんな興味ないから、何度も、何度も。なのに、しつこいんだもん。あまりにしつこいから、セクハラで訴えますよって言ったの。そしたら、『その気の強さがまた生徒会長に相応しい』とかなんとか言ってくれるの。しょうがないから、天都先輩にどうにかしてくださいって頼んだら『僕も緑川が相応しいと思っているんだ』って、先生の味方になっちゃったのよ。相応しいひとは、他にもいるでしょ。なんであたしなのよ、ほんとムカってきた。わたし、人に注目されること大嫌いだっていうのに」

「小学生のころ、学級委員やってたんでしょ?」

「それでこりたの!」


 性格が災いして、多くの敵を作ったのだろう。


「モテモテねぇ」

「わたしは彩花だけにモテたいの。そもそも男興味ないし。天都先輩は私怨があってのことだろうね。ああ、わたしにじゃないよ」

「誰よ?」

「生徒会役員をしている二年E組の谷田って奴」


 顔をみたらピンと来るかもしれないが、名前だけでは知らない生徒だった。


「先輩が片思いしている彼女を奪っちゃったのよ」

「うわあ」

「しかも天都先輩、生徒会室で谷田と彼女がエッチしてるところを目撃しているの……」

「それはショックねぇ」


 片思いの子のそんな光景を見てしまうだなんて……。


「天都先輩は優しいから、見なかったことにしてあげたんだ。でも、彼女はそのことを自慢話として色んな人に喋っちゃった。それで、私も知っているんだけどね」

「そんな彼女、片思いのままで良かったじゃない」

「同意。で、谷田は生徒会から気まずい存在となってしまった。結果的に、その子とも別れちゃったしね。でも生徒会長になる野望を持っていたから、今も生徒会の役員は続けている。あんな肩書き、なにがいいのか分からないんだけど」

「あんた、立候補するじゃない」

「で、以上の理由があって、天都先輩は谷田のことが大っ嫌い。そしてこのわたしは、谷田が告白してきて、振ったことのあの女である」


 自慢げに胸を張った。


「へぇ~、いつ?」

「一年のときかな。ちなみに彼女がいるときも言い寄ってきていたよ。まあ、生徒会室でお楽しみだったようですね、って言ったらなくなったけど」

「姫子も、告白されることあるんだね」


 物好きな男がいるものだと思ったけど、性格を無視して、体目当てなら山ほどいると思い直した。


「彩花の10倍以上はあるんじゃないかな。ラブレターをいれたらもっとあるよ。ただ、彩花のようにオッケーすることがないってだけ。フルとかわいそうだからとか周りの空気読もうとして付き合うのは、その人のためにならないよ」


 反省しているんだから、ほっといてほしい。


「女の子からは?」

「ゼロ」


 男子ほどじゃなくても結構いると思っていたので、こっちは意外だ。


「まあ、彩花だけでいいけど」

「わたし、姫子に告白したことないから」

「彩花、好きだよ」

「はいはい」

「ちぇっ」


 好きだよって言ってもらいたかったようだ。


「だから生徒会選挙で緑川姫子が立候補するのは、現生徒会長にとって都合のいいことなんだ。それに天都先輩は、わたしが古屋の彼女を寝取ったという噂は、谷田が流したものだと推理したんじゃないかな」

「なんで?」

「わたしを立候補させないために先手を打ったの。だから、天都先輩は逆手を取って、悪い噂を流したのは谷田だっていう、悪い噂を流そうとしているんじゃない?」


 生徒会長がなんとかする、と言ったのはそのことだったようだ。


「でも間違っている」

「いいんだよデマであっても。谷田にとって都合の悪いネタだもん。それが嘘であり、私たちの噂が本当だと判明したとして、天都先輩は尚更都合がいいと流すはずだよ。その方が、わたしが選挙で勝つ確立がぐんと上がるんだから」

「上手くいくかなあ……」

「谷田が逆転できる唯一の手はあるよ」

「え、なに?」

「わたしたちのアキレス腱はなにかな?」

「ええーと」


 言われても、直ぐにピンとくる私ではない。


「古屋」

「なんで彼が?」


 名を出されてもピンとこなかった。


「噂を流した張本人じゃない。そして、わたしと彩花が愛し合っていることを知っている唯一の人物だ」

「愛し合ってない」

「すぐ否定するのって、彩花のテンプレートになってるね。わたしたちって結婚を誓い合った仲だもんね」

「誓い合って……」


 ない、と姫子の狙い通りのセリフを言うところだった。

 姫子はニヤニヤと気持ち悪い顔を浮かべていた。


「じゃあ、なんて言えばいいわけよ。事実じゃないんだから、そう言うしかないでしょ」

「事実だよ」

「じゃない」


 こういうやりとりを、姫子は気に入っているのだろう。楽しそうにしている。


「彩花が思っている以上に古屋は危険なの」

「口が軽いということ?」

「そうそう、噂を流す友達が多い。広まるのも早い。でも、谷田の味方にはならないだろうし、彩花の敵にはなることはもっとない。わたしのことは少なからず憎んではいるだろうけど、応援演説をする相手が彩花ならば、彼は噂の噂を否定しないで沈黙してくれるはず」

「私の応援演説って、そういう意味があったんだ」


 古屋くんの口を止めるためだったなんて思ってもいなかった。


「それだけじゃないよ。応援演説は信頼できる人にやってもらいたいから彩花を選んだのはほんとのこと」


 感心が先にきて、特に気にならなかったけど、私が不愉快になると考えたのだろう。姫子はフォローをいれる。こういう辺り、上手いと思ったし、生徒会にスカウトされるのも分かる。


「それに、古屋は口が軽いから、安心はできない。王様の耳はロバの耳状態となったら、イライラするだろうし、つい喋っちゃうだろうね。だから、もうひとつ手を打たなくてはいけない」

「どんな手よ」

「僥倖を与えるの」

「僥倖?」

「思いがけない幸運って意味。彼の感心を別の方向に持っていけばいいんだ」

「どうするのよ?」

「後で分かるよ、きっとね」


 言うつもりはないようだ。

 私に隠して、後でビックリさせようとしているのではなく、結果が出てないことは喋らないようにしているのだろう。


「なんか、私の知らないところで、色々と陰謀が渦巻いていて、恐ろしくなってきたんだけど」

「世の中は情報戦だよ。これで、谷田は立候補を断念する可能性がでてきた。田中先生も万々歳だろうね。生徒の自由を尊重すると口にして、谷田のことを表向きでは応援していたけど、生徒会をラブホにした奴だもん。本心では当選どころか候補にすらさせたくなかったみたい」


 だからこそ、対抗できる相手として、姫子をしつこいほどスカウトしてきた。


「そうなったら、姫子が生徒会長に当選する可能性が上がるよね?」


 有力候補が抜けて、しかも前生徒会長と田中先生の推薦なのだから、ほぼ確実じゃないだろうか。


「そうなんだよねぇ。優等生を演じて、こんなに困ったことはない」

「地の姿を見せたらいいじゃない」


 そうしたら、生徒会長の器じゃないと諦めるのではないか。


「ダメダメ。見せてみたら逆効果。ぐるぐる回って、引き受けることになりましたー」

「はい?」

「彩花。わたしがタバコを吸っている写真ってまだ残っている?」


 そんなの撮ったっけ?と考えてしまう。


「もしかして、この店で撮ったやつのこと?」


 うんと頷いた。


「とっくに消去したよ」


 あれなら家に帰ってから、ベッドで眺めている時に消している。


「え、なんで? 恋人が可愛く写ってるのに」

「当たり前でしょ。あれは振りでなく、実際に吸っているものだよ。私ってスマホをよく人に見られるの。あれが人の目に入って、出回ったりしたら、姫子は停学になっちゃうじゃない。生徒会選挙に出るのなら尚更。消しておいて正解だった。あと、メールも全部消してるから、証拠は残ってないはずだよ」


 もちろん、私たちの関係を怪しませる内容のものは全部消した。誰かに見られるデメリットを考えたら未練はなかった。


「私の読み違いは、彩花の性格だろうね」

「なんのことよ?」

「わたし、彩花が正義感の強い真面目な子って思ってたんだ」

「はぁ」

「クラスメイトがタバコを吸ってるのを目撃したら、わたしのためだと学校にチクっちゃうタイプ」

「え?」

「なのに彩花ったら、わたしのことを考えて、誰にも言わないんだもん。しかも、禁煙に協力するって、キスまで許しちゃうし。あなた、どんだけやさしいのよ。もう、ほんと、惚れちゃった」


 呆気になった。

 ということは、この店で出会ったのは偶然ではなかった。

 姫子は、私がコーヒーショップで勉強をしていることを前もって知っていた。それで、周りから高校生に見えないよう、学校の制服ではなく、大人びた服を着てやってきた。実際、私が最初に見たとき、20代の女性と思ったぐらいだ。

 彼女の目的は、隣に座ってタバコを吹って、その姿を私に目撃させ、証拠の写真を撮らせることだ。

 私なら、スクープだと人に見せびらかして、話を大きくすることはせず、生活指導などの然るべき先生のみに報告すると判断して。

 つまり最小限の被害で済む相手を目撃者として選んだのだ。

 バレたら姫子は退学はないにせよ、停学となる。

 初犯だし、問題児ではないから、さほど大きな処分にはならないだろう。反省文だけで済んだ可能性もある。

 でも、問題を起こしたのだ。

 しつこかった生徒会選挙のお誘いは、無かったことになる。


「姫子がタバコを吸ってたのって?」

「家庭教師やってた人がヘビースモーカーって言ったことあったよね? あの人からもらったのを、3年ぶりに吸いました」

「……負けた」


 私は額をテーブルにぶつけた。痛みと共にゴン!と大きな音がなった。

 目的のためにタバコを吸っていただけだった。

 禁煙を手伝う必要はない。あれは、私を攻略するための手段だった。まんまとハマッたのだから、姫子の企みは大成功だ。


「負けたのは私のほうだよ。彩花の可愛さにノックアウト。結局、生徒会長を引き受けることなったんだし、わたしの完全敗北だね」


 姫子は椅子から立ち上がって、私の隣に腰掛ける。


「タバコは好きになれなかったけど、こっちは大好きになっちゃった。中毒ならぬチュウ毒だね。体にも心にもいいから、やめるつもりはないよ」


 体を抱きかかえると、テーブルについた私の顔を上げていった。


「一生うらむ」

「喜んで」


 姫子は満面の笑みを浮かべて、私のファーストキスを奪ったのと同じ場所で、タバコのにおいのしない甘いキスをした。


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