16・だいっきらい
二人きりで話したかった。私の家では無理なことだ。夜の九時すぎの遅い時間帯なので、姫子を駅まで送ることにした。
夜道。徒歩15分ほどかかる駅まではまだ遠い。すれ違う人はおらず、私たちの足音が響き渡るほど静かだった。遠くからイヌの鳴き声が聞えてくる。
「んー、お腹いっぱい。大満足」
姫子は星空に届きそうなほど大きな伸びをする。
「うるさかったでしょ? うちって毎日があんな感じ。嵐の中を生活しているようなものなんだ」
「すっごい良かったよ。わたしって家庭の味って初めてだから、こんなものなんだって、すごい新しかったし、羨ましかった。お母さんから料理を教わるの、本気だよ。彩花とふたり暮らしをしたら、姫子の料理はいつも美味しいって、褒めてもらいたいもの」
「一緒になんか暮らさないから」
「今から楽しみだなあ。家賃は気にすることないよ。親が投資しているマンションがあるから、そこに住むことにしてるんだ。彩花と毎日一緒にいられるなんて、考えるだけでどうにかなっちゃいそう」
「だから、勝手に決めるな。人の話を聞け」
「あはは、明日もまた彩花ん家にいこっと」
「二度とくるな」
私以外の家族は、いつでも遊びにおいでと、社交辞令抜きに言っていたし、姫子のことだ。これからは遠慮せずに頻繁に来そうな予感があった。
「彩花の家族は元気いっぱいだよね。パワーをくれたよ。家族っていいねぇ、自分ではそうは思ってなかったけど、わたしって愛情に餓えていたんだって気付かされた」
夕食は家政婦さんが作ったのを食べていると言っていたし、家族で食事する機会が滅多にないのだろう。
「その愛情を私に求めるのはやめて」
「性欲は求めていいの?」
「もっと嫌」
「てれるな、てれるな。彩花って、とりありず口では否定するよね。本心とは裏腹だし、体は正直になってる」
本当に嫌なんですけど……。
「思い切ってメールして良かった」
「思い切ってたんだ」
私が古屋くんと別れて、勝利のガッツポーズをあげながらメールを出したのだと思っていた。
「そりゃそうだよ。わたしだって、気を使うんだ」姫子はこっちを見る。「彩花、ありがとう。今日は、幸せな一日だった」
「学校では散々だったけどね」
明日になるのが憂鬱だ。
「わたしは楽しかったよ」
「姫子、悪者になってるんだけど?」
「まぁ、本当のことだしねー」
「違うでしょ。別に寝取られてないし、そういう関係でもないもの」
「古屋とは別れたんでしょ?」
「姫子の件がなくたって別れてた。ただ、私たちは相性が悪かったということに気付いたのがちょっぴり早かっただけ」
「同じことだよ。私が彩花に近づいたのが切っ掛けで別れる結果となったんだから。早いも遅いもないんじゃない」
そうなのだろうか。良く分からない。
ただ、私は、姫子が影響しているのを認めたくはなかった。なんとなく。
「認めようと認めなくても、周りから見たら、わたしは泥棒猫になっちゃってるんだよ。そのほうが、面白いし、話題性があるじゃない」
「それは分かるけど……」
他人事としてみたら、こんなに面白いネタはない。広がるのも無理なかったけど、いい迷惑だ。
「学校、どうすればいいのよ。わたし、不登校したい気分。というか明日、学校サボる」
実際に学校をサボッたら家族が騒ぎ出すから、できないけど。
「旅行いこっか?」
「いかない」
そんなお金はないし、それがバレたらさらに学校にいけなくなる。
「いつも通りにしてたらいいんじゃない。気にするほうが返って悪い噂が広がるもんだよ。古屋だって、私のこと恨んでいるわけじゃないんでしょ」
「いや、恨んでる」
彼の立場からしたら、彼女を女に取られたのと同じだ。
「だからって、悪口言ったりはしないでしょ。わたしはともかく、彩花が学校の嫌われ者になるのは望んではいない」
「まぁ」
謝罪メールが来たぐらいだし、今の状況は、彼にとっても望ましい状態ではなかった。
「だから大丈夫。あいつにフォローをいれておけば、あっさり収まるって、問題なーし」
「なんか手があるわけ?」
「まぁ、なくはないかな」
具体的な策はナイショのようで、それ以上はなにも言わなかった。
姫子はマンションの敷地内にある、ブランコとベンチが置いてあるだけの小さな公園を見つけて、その中に入っていく。
公園にある唯一の遊具であるブランコの上に立って、ゆっくりとこぎ始めた。
「パンツ見えてる」
スカートですることじゃない。公園にある照明灯は一本だけなので、薄暗くて、ハッキリとは見えなかったし、見る気もなかったけど、一応指摘した。
「ご希望なら、ノーパンになってもいいよ」
「ご希望じゃない」
「私のほうが希望かな。ノーパンブランコは気持ちいいよ。目にも嬉しいものだしね」
「しません」
「あーやーかーっ!」
足をピンと伸ばして、胸を前に出し、ブランコを高々とあげた先で大声をあげた。
「なによ?」
姫子は後ろに戻ってから、
「だーいーすーきーっ!」
さらに高くブランコをあげて叫んだ。
「やめて」
恥ずかしい。周辺に人がいないとはいえ、誰かの耳に入ってもおかしくない大声だ。
「さらにーっ!」
ブランコを後ろにやってから、
「すきだああああああっ!」
絶叫しながら上がっていった。
「だからやめて、恥ずかしい」
「あははははははは」
姫子は勢いを弱めていって、前へとジャンプをして下りていった。
「あっと、とっとっ」
着地に失敗して、転びそうになっていた。
「もう、なにやっているのよ」
手を貸して姫子を支えた。
姫子は私の胸の中に入ってきて、両手を背中に回した。
「わざと?」
これが狙いで、着地失敗したわけか。
「うん」
顔が近づいてきた。なにをするのかは分かっている。私はそのままだ。それが受け入れる合図になっている。
唇にやわらかい感触がやってきた。ジッとしていると、姫子は口を吸い付くように押してくる。唇の向こうにある歯の感触があった。
「んんっ……」
上下の唇が小さく開いて、姫子はその間から舌を出していく。閉ざた口から強引に侵入して、私の前歯を舐めていって、その先の舌に触れると、甘くて美味しいものを発見したように絡めていった。
とろけるような気持ち良さに、とくんと、心臓が鳴った。
これが好きという気持ちなのかは分からない。けれど、長いこと感じ続けたいものとなっている。
「はぁ……」
唇が離れると、姫子は微笑んで「好きだよ」と、私の後ろ髪を撫でていく。
「姫子はストレートすぎる。言われたほうは、その、困る」
姫子は、私の鼻の先をつまむように舐めてから、唇を合わせる。愛情を伝えるものだ。舌は入ってこなかった。
「私は彩花のことが好きだから好きといっているの。彩花が好き。大好き。愛している。その気持ちが溢れてきて、我慢できないから、伝えているの」
「恥ずかしいの。言われる身にもなってよ」
「と言いながらも、嫌がってない。いい気持ちになっているんでしょ。彩花の体も、心もとろけているんだよね」
右手が下がっていって、私のおしりの片方を撫でた。
「やわらかい」
「それはダメ。ここは外」
「中ならいいんだ」
お尻の穴のあるところを、指で押してきた。
「ひゃあっ!」
思わず叫んでしまった。
「怒るよ」
睨み付ける。
「でも、逃げない。ビンタもしてこない。嫌がってない証拠だよね。彩花は私のこと許してる」
「これは、ただ、諦めているだけ。抵抗すれば、なにするか分からないし。別に私、姫子のこと……あー、やっぱなんでもなし」
「好きじゃないんだからって、ツンデレのテンプレートをいいかけた?」
ニヤニヤとしていた。
「うっさい」
自分でもそう思って、やめたというのにバレバレだった。
「かっわいいなあ」
「ほっとけ、姫子のほうは可愛くない」
「私のこと大っ嫌いって言ってみて」
「そんなリクエスト、答える気にはなれません。いつまでくっついてるのよ、バカ」
私は体を押して、姫子から離れた。もっと抱きしめていたかったのか、もの寂しそうにする。
「これだけは言っておく。姫子の禁煙には付き合ってあげる」
「禁煙?」
なんのことと首をかしげている。
「え、忘れた?」
「うそうそ、冗談だってば。わたしはタバコを吸っていて、彩花とキスをすることで、それを止めさせてくれていたって設定だったもんね」
設定言うな。姫子はタバコが好きだったのか、疑わしくなってくる。
「私、禁煙の手伝いやめてもいいんだよ」
「そしたら、彩花のキスを思い出しながら、タバコを吸っちゃうな」
「他の代わりになるの見つけなさいよ」
「あるよ」
「それにしてよ」
「じゃあ、いこっか」
姫子は私の腕を組んだ。
「どこへ?」
「ラブホ」
「私関連じゃないのにしてっ!」
組んだ腕を振り払った。
「うそつき」
「私の体とは思わなかったの。姫子のことだし、それに気づけない自分がバカだけど」
私は大げさに溜息をつく。
「もう、姫子がボケてばかりいるから、言いたいこといえないじゃない」
「早くいいなよ。どうせ、私とは付き合わないとか、そういうことでしょ?」
「え?」
その通りだった。禁煙には付き合うけど、姫子とは恋人の関係にはならない、と伝えるつもりだった。
古屋くんのこともあるし、暫くは友達のままでいたかった。まあ、キスをする間柄で友達と言えるかは疑問ではあるけど、恋人という関係を受け入れるには抵抗があった。
肝心なのは私の気持ちだ。
一緒にいたり、キスをされたり、体を触られるのは、抵抗感は無くなっているし、実際、認めたくはないけど、嬉しいという感情があるのは確かだ。
でも、自分から姫子を求めたいとは思わない。
そんな半端な感情のまま、付き合うわけにはいかない。そのことは古屋くんで懲りている。
特に姫子は同性。相当の覚悟がいることだ。
「それでいいよ」
そんな私の考えは、言わずとも姫子に伝わっていた。
「わたし、好きだとは言ってるけど、付き合ってくださいなんて言ってないでしょ?」
「卒業したら一緒に暮らすとか言ってるじゃない」
私にとっては、付き合ってくれと同じ意味に聞えていた。
「それは卒業したらだよ。未来の話。今はね、このままでいいんだ。学校の件も、色々あるしね。もちろん、付き合えるなら、喜んで付き合うよ。そのほうが、早くにできそうだし」
「スケベ」
「好きな子と結ばれたいという、恋する人が誰しも持っている感情だよ。彩花のことが好きだからこそ、スケベになるんだ。むしろ、彩花は私はエロくした」
「私、体を許す気ないから」
「キスは許してるのに?」
「それは、禁煙を手伝っているだけ」
「わたし、一生禁煙し続けるよ? タバコより、彩花とキスするほうが気持ちいいもの。体も心もあったかくなるんだ」
「それ以上は許さない」
「いいよ。今はそうでも、そのうち、ね」
いつかそうなると自信ある顔をしていた。
「そして、私のことを好きって言いたくなる思いでいっぱいにしてあげる。もうね、好きすぎて、好きだあああっ! って言葉が溢れてくるんだ」
姫子は私の頬に手を触れる。ひんやりと冷たかった。姫子の心も同じように冷たくて、それを暖めてくれる人を求めていた。
それが、私……なのだろう。
「大好き」
そう言って、姫子は私の唇と自分の唇を重ねた。
私たちがキスするのは、これで何度目だろう。分かっていることは、姫子がタバコを吸っていた本数よりも遙かに多い回数になっていて、この先も姫子のキスを受け入れることになる、ということだ。
タバコを吸わない代わりにキスをしているのではない。
キスをしたいからキスをしている。
――お姉ちゃん、いい顔しているもん。
私はそのつもりないし、認めたくないことだ。
けれど、妹のその言葉がすべてを語っている。
「彩花は私のこと好き?」
期待する顔をした。だからリクエストに応えてあげることにした。
「だいっきらい」
姫子はにっこりと微笑んで、私の唇を奪った。