15・来てるよ
玄関のドアを開けたら、黒いTシャツにショートパンツ姿の妹が二階から走るように階段を降りてやってきた。陸上部に入っているだけはある軽やかな動きだ。日々の練習の成果である、腹筋がかすかに見えるスリムなお腹に、すらっとした足が羨ましい。
姉様が帰宅してわざわざ出迎えをするだなんて、明日は雪が降るのではないだろうか。
「来てるよ」
おかえりもなく、それだった。
「誰が?」
妹はショートパンツのポケットからタバコを取り出して、ぷかぁーと吸う仕草をする。
「は? なんで?」
たしかに玄関には、見知らぬローファーの靴がおいてある。投げ捨てるように靴を脱ぐ私たち家族とは違って、左右のクツが綺麗と整えられてある。
「というか、写真撮ったのあんたかい」
どうりで見覚えのある場所と思ったわけだ。私の身近な場所すぎて、自分の部屋であることに気づけなかった。
「もらっただけで吸ってないよ。あ」
「なによ?」
「これって間接キスだ」写真で撮ったのを貰ったらしい。「私さ、いまお姉ちゃんを嫉妬させてるよね」
「しない」
妹の口にあったタバコを取り上げた。
「やっぱ怒ってる。ヤキモチだ」
「そういう意味で取り上げたんじゃないの。中学生は早い。高校生も早い。大学生になったら、ちょっとは許す。あいつは悪い見本なんから真似すんな。近寄るな。仲良しにもなるな」
私は大きく音を立てながら階段を上がっていく。後ろから付いてくる妹は、ステップを踏むように軽やかな音だった。
「やーきーもーちー」
「ちがう」
私たちの部屋のドアはうっすらと開いてある。
「あんた、掃除した?」
「いつも通り」
汚い、ということだ。
「……よねぇ」
妹は来客が来ようとも慌てて掃除をする性格ではなかった。たとえ彼氏が出来たとしても、部屋の片付けをすることなく、さらにいえば姉が中にいようとも、平気で部屋に招いてしまうだろう。
「って、いないじゃない」
ゴミこそないが、雑誌、衣類などの私たちの物で散らかった部屋に人の姿はなかった。
くいっと私の袖を引っぱった。
妹は指を上に向けていた。その先は二段ベッドの上。
私の寝床だった。
ハシゴに登って、ベッドの中をのぞき込んでみる。
私の布団の中に入り込んで、ミノムシのように丸まり、モソモソと動いている大きな物体があった。姿は見えないけど、中から「はぁはぁ」と荒い息が出していた。
「なにしとんじゃ!」
私は布団を剥ぎ取った。
「あっ、もうちょっとだったのに」
姫子は、私の枕を大事そうに抱きしめている。
「なにがもうちょっとよっ!」
「なにしてるって思ったのかな?」
「なにってその、えっと、ナニよっ!」
「彩花のエッチ」
ブレザーは脱いでいたけど、Yシャツにスカートはちゃんと着ていた。下着もちゃんとはいているようで、足のところに引っかかっていなかった。
「ここ私のベッド! ヘンなことしないで!」
「ヘンなことって、まくらをぎゅっと抱きしめながら、においをかいでただけだよ?」
「それがヘンなことって言うの!」
「彩花のにおいがたっぷりするんだもの。私にとって宝石箱のような部屋よね。1年半ぐらい、ここで寝泊まりしていい?」
「ダメ! というか、なんで一年半って具体的なのよ?」
「卒業したら、彩花と一緒に暮らすんだ」
「するかっ!」
姫子の両手が伸びた。
「こっちのほうがいい」
私の頭を抱えると、前に動かしていって、唇を奪った。
つんと触れあうだけ短いキス。
「久しぶり。やっぱコレだね。最高、やめられない、とまらない、彩花のキス」
顔が離れるとニッコリする。
「おかえりなさい」
「家に招いてないし、さっさと出て行け」
ビシッとドアを指さした。その先には妹がいた。
「バカップル」
私たちのキスをばっちりと見られていた。
「あー、これはその、違うから!」
「違わないよ~」
姫子は、妹に「チュッ」と音を出して投げキッスを送る。
「ちゅっ」
妹は、同じく投げキッスを返したので、姫子は「やったぁ」と喜んだ。
「姫子にノルな。というか、あんた、いつまでいるのよ」
出て行けと、とシッシッとする。
「って、顔を出すなっ! あんたらも向こうにいけ!」
ドアから、弟、末っ子の妹も顔を出していた。しげしげと姫子を見ている。私はベッドのハシゴから飛び下りると、部屋に残ったままの妹の背中を押して、ドアを閉めた。
「ふぅ」
ドアの向こうから、ブーブーいう声が聞えてくる。
「賑やかだねぇ」
「言ったでしょ、私は五人兄弟なの。家にいるとこんな感じで落ち着かないから、コーヒーショップで勉強していたの」
「彩花って長女?」
「うん。妹が二人、兄一人、弟一人。兄は結婚して、別んとこにいるって……コラァっ! 開けんじゃない!」
うっすらと開かれたので、私はそのドアを蹴った。中学生の頃に同じことをしてドアに穴を開けてしまったことがあり、リバー・フェニックスのポスターで隠している。
「可愛いねぇ。わたし、一人っ子だから羨ましい。親も冷たいし、いつもひとりぼっち。でも、今は寂しくないね。宇津彩花って可愛い恋人がいるもん」
「恋人じゃない。付き合ってない。付き合う気もない。そもそも、噂が広がっているんだから、自粛しなさい。だーかーらーっ!」
ノブが回ったので、私は両手でドアを押す。
「噂というか、事実なんだけどね」
「全部が全部じゃないでしょ。あーっ、もーっ!」
妹たちは三人がかりでドアを押してきた。下の2人はともかく、陸上をやっている妹は私よりも強い力をもっている。敵うわけがなかった。
「ちょっと姫子、手伝ってよ!」
押し負けて、ドアが開きそうになっている。
「パッと離しちゃえ」
それもそうかと手を離した。
妹たちは雪崩のように部屋に入っていた。
三人じゃなかった。
四人いた。
「お母さんまでっ!」
もう一人は、お母さんだった。
「姫子さん、いらっしゃい。晩ご飯ができたけど、ご一緒にどう?」
ベッドの上にいる姫子は、正座をして姿勢を真っ直ぐに伸ばしていた。
「はい、お言葉に甘えさせていただきます」
さすがの変わり身の早さだ。親の前になると、礼儀正しいお嬢様になっていた。
一階のリビングに降りていく。テーブルに並んだ料理は、いつもの手抜きではなく、元家庭科の先生である腕をふるった豪華なものだった。
「うわぁ、凄い。とても美味しそうです」
姫子は当たり前のように私の隣に座り、必要以上にぴったりと椅子をくっつける。
「いっぱい食べて頂戴ね。なんなら、お父さんの分も食べちゃっていいから」
「はい、遠慮なくいただきます」
「あらあら、うふふ」
「お父さんの唐揚げもーらい」
「私もー」
「じゃあ、俺こっち」
父がかわいそうになってくる。
「姫子さん、毎日来てください」
こんなご馳走を食べられるならと、なにをせずとも妹たちの好感度は上昇中だ。
「さすがに、毎日なら手を抜くわよ」
「私、お手伝いしたいです。こう見えても料理は得意なんですけど、私なんてまだまだだって実感しました。お母さんの料理は、家庭の味の見本となる最高の味です。私の先生になって、教えてくれませんか? これ、社交辞令じゃないですよ。本気です。この味に近づけたら、料理が楽しくなると思ったんです」
「あらあら、困ったわねぇ。こんな簡単なものしか出せなくて、恥ずかしいぐらいなのに」
顔は困った様子もなく嬉しそうにする。
「これが簡単だなんて凄い! 私には難しいですよ。家庭料理の天才ですね。お母さんのような料理を作って、こんな簡単なものしか出せなくて、なんて、言えるようになりたいです」
「あんた、褒めすぎ」
聞いているこっちが恥ずかしくなってくる。
「彩花、なにいっているの。本心だよ。私、本当のことしか言わないって知ってるじゃない」
そして「だいすき」と声に出さずに言った。横を向いていたから、家族には見られなかったはずだ。
「あなた、姫子さんを見習いなさい」
言うと思った。姫子の、私の家族に好印象を与えるべく上品に振る舞った試みは大成功だ。
「お母さんは、姫子の素の姿を知らないからそういえるんだよ」
娘のファーストキスを奪って、貞操も狙っている最低な奴だと知れば、その気持ちも失せるはずだ。さすがに言わないけど。
「なにいってるの。あなた、よその家にいって、姫子さんのように礼儀正しくできる?」
「ひゃぁっ!」
「どうしたの?」
「はいはい、できません、できません、できません!」
私のお尻をこっそり撫でてきた姫子を睨み付けた。




