10・わたしが欲しいのは愛情なの。愛情にすごい餓えているの
ホテルの人に頼んでおいたようで、一階に下りてロビーから出ると、タクシーが待機してあった。
有無を言わせず、連れていかれたのは姫子の家だ。
「いらっしゃーい!」
部屋に入ると姫子はくるりとこちらを向いて、両腕を広げて歓迎のポーズを取った。その胸に飛び込んで来るのを希望していたけど、私はスルーして部屋を見回す。
姫子の部屋は広かった。妹と共有している私の部屋の三倍はありそうだ。軽い運動ができるほどだし、実際にやっているのだろう、バランスボール、懸垂用のマシンなどが置かれてある。ベッド付近の直ぐに使える位置にあって、お母さんのように長いこと放置している感じもしない。姫子のスタイルがいいのは、それらのお陰なのかもしれない。
「女の子の部屋って感じしないね」
ぬいぐるみなどの可愛い系が見当たらなかった。壁にポスター類はなく、真っ白で無個性な壁紙があるだけ。目立つもののといえば、ディスクの上にある小難しそうな本とノートパソコンに、大きめのベッドぐらいだ。
無駄なものはひとつもなく、展示場みたいな殺風景さがあった。
「わたしって、物が溢れてるのって落ち着かないの。本は読み終えたら直ぐに捨てちゃうし、また読みたくなったら買えばいいだけだしね」
「わたしは逆、勿体なくて捨てれないタイプ」
買い直すほどのお金もない。妹も同じくなので、部屋中、足の踏み場もないほど物で溢れてしまい、お母さんに片付けなさいとよく怒られている。
「中学のときまでは、そこにピアノがあったんだ」なにもない所を指さした。「弾きたくもなかったから、捨てちゃった。物がないって便利だよ、スッキリするもん」
姫子は、バランスボールの上に乗った。楽しそうにお尻を左右に揺らしていく。椅子の代わりに使っているようだった。
「あ、そこ座って。ごめんね、座布団もなくて。お客さんって来たことなかったから、なんも用意してないんだよね」
ベッドを示した。
「じゃあ、遠慮なく」
私は足側の隅にちょこんと座った。マットレスのクッション性が優れていて、そのまま体を倒して眠ってしまいたくなる。
「ごめんね、座るとこなんもなくて。わたし、誰かを家に招待したの初めてだからさ。うん、ちょっと恥ずかしいものだね、でも、うれしい」
とニッコリとすると、
「あーっ!」
と急に立ち上がった。
「なんか、飲み物いるよね? 持ってくるね。紅茶がいいかな? いいの持ってるんだよねぇ。あっ、でも、どこ置けばいいんだろ。わたし、自分の部屋で食べたりしないから。あ、ケーキもあったかなあ、たしか冷蔵庫にプリンが、えーと、いくつあったっけ……」
「なにもいらない。さっきたくさん食べたじゃない。甘いものは一週間どころか、一か月はやめておきたいぐらい」
飲み物も食べ物も遠慮したかった。
「それもそうだね、わたしもいらない」とバランスボールに座りかけて「あっ!」とトランポリンの反発を受けたようにぴょんと立ち上がった。
「お風呂入ろう! わたしの家って檜風呂で、良い香りがするんだよ」
「いらない」
「わたし長風呂なんだ。一時間は入っちゃってる。彩花と一緒なら五時間は余裕で入れるね」
「のぼせるわ」
「彩花の身体を隅々まで綺麗にしてあげるよ。わたし、そういうの得意だよ、たぶん」
「なんで人の家にきてお風呂に入らなきゃならないのよ。着替えもってないし、私、姫子の家に泊まるつもりないからね」
「でもさ、先に入っといたほうがいいでしょ」
「なんの先よ?」
「まあ、わたしとしてはそのままのほうが嬉しいんだけど」
「だから、なんの話よ?」
「好きな子を部屋に入れるの初めてだから、私でも緊張しちゃってるってこと」
姫子はバランスボールを前に動かして、私の近くにくる。
「それは見て分かるけど」言っている意味とは違う気がした。「私のこと上手くエスコートしてたのに、部屋に入ったらグダグダになってるものね」
「笑えるでしょ」
「むしろ、ホッとする。それに……」
古屋くんのほうがもっとグダグダだった、と言おうとしたけど、比べられるのはいい気分じゃないだろう。
そもそも私は、古屋くんの家に来たことは一度としてなかった。逆に古屋くんが私の家に来たことは一度あるけど、妹が歓迎しなかったので、一時間せずに帰っていった。あのときはほんと悪いことをした。
「あ、そういえば、スマホ返してよ」
古屋くんで思い出した。スマートフォンを使用禁止だと姫子に奪われたままだった。
「はいっ」
渡されなかった。私の手に入ってきたのは姫子の手だ。
「お手じゃないんだから」
「お手する気はないよ」
姫子は指と指を絡めていき、そっと握ってきた。
もう片方の手も同じように絡めていく。
「ねっ」
姫子の身体が、息がかかりそうなほど近くに来る。服ごしに重なり合い、彼女の体重がかかってくる。
「えっと、そういえば、姫子のご両親はいるのか……な? いたら、えっと、ご挨拶を……し……」
姫子の唇が、私の言葉を塞いだ。
「んっ」
舌が侵入してきて、私の口内にある唾液をもらうようにからめてくる。
「ぷはぁ……はぁ……」姫子の唇が離れた。とろんととろけた瞳をしている。「仕事だよ。OFFの日なんてないような二人だし、あったところで、わたしのことは空気扱い」
「それは……ちょっと……」
さらにキスをしてくる。
「うちは、そういう家庭なの。愛情なんてどこにもない。あるのはお金だけ。彩花がこの家で暮らしたとしても、三ヶ月はばれないんじゃないかな」
姫子は私を押し倒す。唇が重ね合ったまま、私たちはベッドの上に倒れていった。
「だからわたしが欲しいのは愛情なの。愛情にすごい餓えているの」
甘くて温かい吐息をかけながら、私の頬を撫でていく。
「それは彩花がくれるもの」
姫子のもう片方の手はスカートの先をつまんで、太ももを露わにさせる。
「タバコ、吸いたくなったの?」
「違うよ」私の首筋を頬に向かってキスをしながらゆっくりと舐めていく。「彩花を食べたくなったの、いっぱい。もう、我慢できない。たまらなく彩花を欲している」
口の中に姫子の舌が挿し込んでくる。貪るようなキスの攻めに、快楽の波がじんわりと刺激して切ない心地となってくる。
「ぷはぁ……はぁ……」
姫子は、私の水色の下着に親指を引っかける。
「彩花、良い声……キスが気持ちよくて、とろけそうなんだね……」
「ち、ちが……」
「違わない。そんな顔してるよ……とろんとしていて、すごいかわいい……」
するりと、膝の所まで下ろしていった。
「ん……はぁ……ちょっと姫子……やめ……て……」
姫子の長い指がくすぐるように私の太ももを撫でていく。微妙に振動が入った、力のない、優しいタッチだった。くすぐったいはずなのに、ゾクゾクとした快感が込み上げてきて、それでいて本当に欲しい箇所を触れてくれない、じれったさがあった。
「だから……これ以上は……んっ……」
なにか喋ろうとすると、姫子はキスによって塞いでいく。
「もっと気持ち良くしてあげる」
姫子の愛撫する手が、遠回りさせながらも、近づいたり、離れたりと、焦らしていきながら、中心部へと近づいていく。
「だ……め……」
そして、尤も敏感な部分に触れようとした。
犯される!
「いやぁっ!」
恐怖心の方が勝って、私は咄嗟に両手を伸ばして姫子を突き飛ばした。
この反応は予想していなかったのだろう。
「え? あ……」
ベッドから落ちて、尻餅をついた姫子は何が起こったのか分からない様子だった。こっちを見て、目をパチクリとさせている。
「……あ」
無言のままのほうがいいのかもしれない。でも、中途半端に優しい私は気まずくてそんなことはできない。
「ごめん!」
私は素早く、下着を戻した。そして、乱れたワンピースを真っ直ぐに正しながら、早足で姫子の部屋を出て行った。