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1・わたしの禁煙に協力してくれるんでしょ?

 兄弟が五人いる私にとって、家で勉強するのは大ブーイングの中で三振を目指すピッチャーのようなもの。集中するのに最悪な環境だった。

 何一つとして頭の中に入ってこない。それを言い訳に、成績を下げたくない。静かな環境を探して、行き着いたのは、駅前のコーヒーショップだった。

 注文するのは、コーヒーではなく、ストロベリースムージー。

 440円(税抜き)なり。

 たまにレジ横に置かれているクッキー、スコーンを追加することもある。


「予備校に通わせるよりは安い」


 と、レシートを渡せば父が払ってくれるようになってからは、週三のペースに増えている。

 お陰様で店員とも顔なじみだ。

 レジ前に立つだけで、「えんどう」の名札をつけた大学生と思わしきお姉さんが「いつものですね」とスマイルをプレゼントしてくれる。商品を受取った時の、「勉強がんばってね。長時間はダメですよ」の忠告もなじみになってしまった。

 プラスティックのカップに入ったスムージーを片手に、横幅の狭い店内を歩いて行く。

 運が悪いことに禁煙席はいっぱい。その逆に、ガラスで区切られた喫煙席は空席が目立っていた。

 しょうがない。

 禁煙席が空けば移ろうと、喫煙席のドアを開けて、ぷかぷかと吹かせている中年男性から離れた、比較的煙が来そうに無いソファー席に座った。

 教科書、参考書、ノートを広げて、カナル式イヤホンで耳の穴を塞いだ。

 流す音楽は環境音楽。川の流れ、雨、波の音など自然の音をそのままに収録されたもので、余計なメロディーは一切入っていない。

 CDによっては、ピアノなどの曲がバックに流れるのもあるけど、良かったのは最初だけ。繰り返して聞いていると単純なメロディーに飽きてしまう。

 自然音のみで構成されている方が、リラックスできるし、集中力が途切れることがない。勉強をするのに最高アイテムだと妹、友達に勧めたけど、「いい夢をみた」「トイレが近くなる」と不評であった。

 個人差があるのだろう。私にはとても合っている。

 シャーペンでテスト範囲を記入、蛍光ペンで線引き、過去に書いた文章の確認をして、忘れそうな箇所は小声で音読、と、黙々と勉強をする。

 集中のスイッチが入れば、周りを忘れて没頭する私だ。

 家と違って、邪魔は入ない。

 快適だ。

 懸念していたたばこの煙も、天井にある吸気口に昇っていくので気にならなかった。人が少ないときは、喫煙席のほうが勉強するのにうってつけかもしれない。

 以前に、「長時間の勉強はご遠慮ください」と注意を受けたことがあった。

 そのときは、テスト期間だったのもあって、二度といくものかとムッとしたものだけど、後々になってから、三時間以上も居座っていたのは迷惑行為なのは間違いないし、店の立場を考えると注意するのは当然だと反省した。

 勉強するなと言われたわけじゃない。短い時間なら構わない。

 お店の人にどれぐらいの時間なら構わないか尋ねると「1時間30分」と答えてくれたので、その許される時間内で集中して勉強した方が効率がいいのではないか、と思い直した。

 そもそも、時間のロスとなる最大の理由はスマホだ。

 メールの返事をしたり、息抜きにちょっとゲームしていたら、一時間超えていたなんてザラだ。

 よくよく考えたら、注意を受けたのも、ダラダラとスマホを弄っていたときだった。テストの点数が散々だったのも無理はない。

 だから元凶であるスマホの電源を切って、バイブ機能付のタイマーを1時間セットし、時間内でテキパキこなすようにしたら、段取りがよくなって、成績がアップするようになった。

 ……と。

 煙が鼻腔をくすぐった。勉強モードの意識が薄れていった。

 私の周りを、タバコの煙が覆っている。

 ケホっと一回、咳き込んだ。バタバタと大げさに手を振って、わざとらしく大きな咳を繰り返す。

 たばこの煙は、隣の席の女性から送られてきていた。いつのまにか、愛煙家に座られてしまった。空いてる席は他にもあるのに、なんでこっちに来るんだか。

 けれど彼女の手にあるタバコの煙は、私ではなく、天井へにふわふわと上昇していっている。

 つまりは嫌がらせとして、私にタバコの煙をかけたということだ。

 私はその女性を睨み付ける。

 カリスマ美容師にケアして貰っているような、ウェーブのかかった綺麗な髪をしていた。長い黒髪が、彼女の顔を隠しているけど、女が嫉妬するほどの美人なのは想像が付く。

 下部分が赤い花柄のドッキングワンピース、ボーダージャケットをアウターにしている。

 男とデートしていたけど退屈だったので途中で切り上げて、気分転換にコーヒーショップで一服しているという雰囲気だった。

 二十歳ぐらいだろうか。服装からか、随分と大人びて見える。

 視線を感じたようで、彼女がこっちを向いた。

 私は、目を逸らそうとした。

 できなかった。逆に目を大きくしてしまう。

 予想は外れた。

 高校二年生。七夕の時に、「この日に生まれたから、織姫なの。彦星いないけどね」と言っていたので、7月7日が誕生日なのも知っている。

 学年は同じだけど、三月の早生まれの私よりも一コ上だ。


「緑川さん?」


 緑川姫子みどりかわ ひめこ


「ああ、やっと気付いてくれた」


 たまたま入ったコーヒーショップに、クラスメイトがいることに気付いて、隣に座ったようだ。


「熱心に勉強しているね。声かけたんだけど、気付いてくれないんだもん」

「ごめんなさい」


 デジタルプレイヤーを止めて、私はイヤホンを外した。


「いいよ。宇津さんの普段着に、真剣な顔って、レアなの見れたし」


 いいながら、タバコを吸って、ぷかぁと吐いていった。

 煙はやはり、上へと昇っている。


「さっき、私の鼻にかけた?」

「やったよ」


 こんな風にと、私の顔に煙をかける。

 咳き込むと、


「ごめんごめん」


 と謝って、タバコを灰皿に置いた。


「それ体に悪いよ」

「だって好きなんだもん」

「未成年」

「ばれなければオッケー」

「ばれてる」


 隣の席にいるクラスメイトに目撃されている。


「つげ口されたら、停学になっちゃうね」

「別にそういうことしないけど、なんか嫌だし」


 相手に非があるとしても、私が報告したことで、その人を不幸にするのは気分いいことではない。


「宇津さんって優しいね。好きよ」


 ドキっとする。

 目線を逸らした。テーブルの上のタイマーが、1分23秒後に振動するところだった。私は停止ボタンを押す。

 ストレートに好きと言われた動揺も停止させるように。

 私は軽く息を吐いた。落ち着かせながら、目線を元に戻した。

 緑川さんは面白がるように、私がなにかを言うのを待っていた。


「えっと、わ、私のこと、名前でいいよ」

「彩花ね。ちゃん、さん、たん? 呼び捨ての方がいい?」

「好きなほうで」

「じゃあ、彩花。宇津彩花うつ あやか。彩花の顔もキャラも好きだけど、名前も好きだよ。ほんと好き」

「どうも」


 相手が同性であるとはいえ、好き、好き、とはっきり言われるのは、照れくさくなってくる。

 緑川さんが、私のフルネームを知っていたことに驚くと同時に嬉しかった。緑川さんとはクラスメイトであっても、何回か話したことあるぐらいだったから。


「うちも名前でいいよ」

「姫子さん?」

「さんは、いらないなあ。ガラじゃないし」

「姫子」

「そうそう、それでいい。わたし、彩花と友達になりたかったの。だから、ここで見かけたとき、チャンスだって思ったんだ」


 嬉しかった。

 でも、学校での彼女のイメージとは大分違うので戸惑ってもいた。


「姫子って、学校での印象と違うね、そういう人と思わなかった」


 男子の憧れの的。学業優秀、品行方正、優等生をテンプレしたような存在で、先生からの評判も良かった。


「あはは」と心地よさそうに笑った。「わたしって、学校ではネコ被ってるもん。優等生のお嬢様やってたほうが、色々と都合いいしね。幻滅した?」

「そういうことないけど。そういうことあるかも」


 矛盾することを言って、灰皿を指さした。


「ああ、こっちに幻滅しちゃったか」

「やめたほうがいいよ」

「証拠、作ってあげよっか?」


 姫子はこっちに手を伸ばして、テーブルの上の私のスマートフォンを取った。電源を入れて、カメラモードにして、私に手渡した。


「はい、チーズ」


 姫子は自分で言ってから、火がついたままの灰皿のタバコを口につけた。


「えーと」


 私が戸惑っていると、


「早く撮りなよ。このままでいるの疲れるんだから。はい、チーズ」


 もう一度言って、ぷかぁとタバコの煙を吐いていく。


「う、うん」


 撮影ボタンを押した。

 カシャッとシャッター音。

 ディスプレイに写ったタバコの煙のなかにいる姫子はモデルのようで、壁紙にしたくなるほど様になっている。


「これで、彩花に弱み握られちゃったかあ」


 人差し指と中指の間に挟んでいたたばこを、灰皿に押し込んだ。

 吸い殻は三本あった。


「これを先生に見せたら、私はジ・エンド。学校をおさらばできるよ。ツイッターにさらされたら、もっと大変なことになっちゃうかも。やるなよ、絶対にやるなよ」


 やってほしいのだろうか?


「私、ツイッターやってないから」


 始めたことがあったけど、家族バレしてしまい、一週間足らずでやめてしまった。


「私はやってるんだ。そこでは、別世界の自分を創造して、そのキャラに合わせたつぶやきをしているの。かなり痛いよね。人にみせたら自殺ものだから、ハンドルネームはおしえませーん」


 コーヒーを口につける。ブラックで飲んでいた。私も、僅かに残っていたストロベリースムージーを飲んでいく。


「バラす?」

「バラしてほしいの?」

「んー」と考えてから、「やめてください、ごめんなさい、なんでもしますから」

「なんでもします?」

「え、わたし、なにかされちゃう? やめてぇ~」


 両手を振っておどける。


「そうね」と私は意地悪く笑って「今からタバコ吸うのやめたら、先生には言いません」

「え? なにそれ、ひどい。わたしの楽しみを無くす気?」

「だって、身体に悪いことだし」

「いいじゃん。わたしの身体のことなんだし。それとも彩花は、あなたの身体は私のもんだとでも言ってるわけ?」

「そういうわけじゃないけど。いけないことだから」

「わたし、犯罪はしてないよ。万引きしたことないし、身体だって売ったことないもん。タバコは犯罪じゃなくて、禁じられているってだけ」

「禁じられてるから、いけないんであって」

「彩花は見た目の可愛さに反して、残酷なこと言っているよ」

「タバコは二十歳から。3年後に吸えばいいじゃない」

「先生。我慢できないです」

「じゃあ、退学」

「彩花、さっきのスマホの写真、消してくれない?」

「いや」

「ふーむ、まさかこんな展開になるとは思わなかったなあ」


 どんな展開になると思っていたのだろうか。


「あっ、そうだ!」


 姫子は、凄いことを思いついたと顔をあげる。


「タバコの代わりになるものを見付ければいいんだ」

「かわりって?」

「だからタバコの代わりになれるもの」

「そういうのあるんなら、いいんじゃないかな。悪いことじゃなければだけど」

「ないない、タバコより気持ちいいことだし。体にも、心にも」


 タバコよりも気持ちいい?


「手伝ってくれる?」

「私にできることなら、まあ……」


 キョトンとしたまま私は答える。


「うん、彩花にしかできないことだよ」

「それなら」


 なんのことか良く分からないけど、とりあえず頷いた。


「では早速」


 嬉しげに笑って、私の座っているソファーの肘掛けに手を置いて、顔を近づけてきた。


「え? なに、すんの?」

「わたしの禁煙、協力してくれるんでしょ?」

「するけど」

「なら、黙ってて」


 ウェーブの髪の毛を後ろに払って、私の顎をクイと上向かせた。


「いただきます」


 姫子は私の唇に、唇を重ねた。



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