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質問とお願い。

 ――どうしてこんなことになったのだろう。

 思い過ぎだ。一日に二回も、そう思うことなんてあるのだろうか。

 普通はないはずなのだが、今の状況はそう思うぐらいしか出来ないのだ。

「蓮斗ッ! お母さんにくっつき過ぎッ!」

 私の右腕を両手で抱え込んで、有紀がそんなことを叫ぶ。

「有紀こそ、姉さんとベタベタし過ぎだよッ!」

 私の左側を両手で抱え込んで、蓮斗がそんなことを叫ぶ。

 二十センチほどの身長差もあってか、少し歳の離れた兄弟喧嘩のようにも見える。何にせよ、少々複雑だ。

 蓮斗が病室に現れた時はどうなるかと思った上に、実際蓮斗はかなりの面倒臭さで不貞腐れた。それを何とか説得出来たかと思えば、今度は有紀が蓮斗という未知の存在に怯え、パニックに陥った。

 何とか必死に、蓮斗が安全な人間であることを説明していくと、ゆっくりと落ち着きを取り戻していった。

 ゆっくりと落ち着きを取り戻すと同時に、有紀が蓮斗に対して嫉妬の炎を燃やして今に至る。

 二人っきりでいられると思っていた有紀にとって、蓮斗の存在は、母親を奪う存在のように思えたのだろう。

 それでも歳の近い人間に興味があるのか、拒絶ではなく喧嘩のようなものだ。

「……ったく、何がどうなったらそんなことになるんだよ」」

 一週間何をやってもこの有り様だぞ、と有紀からあからさまな距離を置かれている明さんが呟く。

 かなり小さめの呟きだったが、それでも有紀はびくっと反応していた。

「有紀、明さんのことが怖いの?」

「……うん。なんかね、胸がどくんってなるんだ。……すっごく怖い」

「そっか、明さんが怖いのか」

「なんで俺限定にしてんだよ。蓮香と蓮斗以外の人間全員、だろうが」

 大体は明さんのせいという流れと、それに対するツッコミですら、有紀は体を震わせる。

 有紀は私と蓮斗以外の人が放つ一言一言に過剰な反応を見せる。

 有紀の心の傷は、大きく深い。恐らく、その傷が消えることはない思う。

 少なくとも夏休みの間、私は母親として有紀の心の傷を癒す義務がある。

 私が有紀を騙している間はその義務がある。罪悪感を減らす為に、償いの為に。――結局は私の為に。

「明さん、質問と相談とお願いがあるんですけど、いいですか」

「なんだ?」

「有紀、ごめんね。少しの間だけ、蓮斗と一緒にいてくれないかな? 大事な話があるから」

 言外に、有紀には話せない話だと明さんに告げる。こういうことを、明さんはちゃんと察してくれるのだ。

「うん、分かった! ……けど、早く帰ってきてね?」

「当たり前でしょ」

 不安そうに尋ねる有紀の頭を優しく撫でる。触った瞬間だけ、びくっと体を強張らせるが、すぐにその緊張は和らぎ、んぅ、と甘えるような声を有紀は漏らした。

「ズルい! 僕も!」

 それまでの行動で分かってはいたが、有紀が蓮斗に嫉妬するように蓮斗も有紀に嫉妬しているらしい。

 空いている方の私の手を取って、蓮斗自ら頭を撫でている。それで満足らしく、蓮斗は気持ちよさそうに目を細めていた。

 改めて二人を見比べると、幾つかの共通点に気付く。

 蓮斗も有紀も、ひたすらに純粋で、親からの愛情を欲している。そしてその愛情を私から得ようとしている。

 似ているようで微妙に違うアプローチの方法で、二人は愛情を欲しているのだ。

 喩えるなら、蓮斗は甘え下手な子犬で、有紀は甘え上手な子猫といった感じだ。

 蓮斗は不器用に、分別よく、真面目に、愛情を受け入れようとする。

 一方の有紀は、庇護欲をくすぐるような行動をして、器用に、ずる賢く愛情を享受する。

「いつまで撫でてんだよ」

「あっ、すいません。それじゃあ、二人で仲良くしてね」

「はーいっ!」

「うんっ」

 それぞれ元気よく返事をする蓮斗と有紀の笑顔を後にして、私と明さんは病室を出た。

 病室から出て少し離れたところにある休憩スペースに移動する。

「で、質問は何だ?」

「有紀について、です。正確には、有紀の身の回りの環境についてです」

「まぁ、そりゃ気になるわな、お母さん」

「……ッ」

 嫌味のように明さんは言葉を選ぶ。言葉を選んで、心を逆撫でる。

「そんなに怒るなよ。お前のことだ。先に有紀が勘違いして、事実を告げられなかったとか、そんなところだろ?」

「……はい」

「お前は優しいからな」

 優しいだけで、人のことを、自分自身のことを想っているだけでそれ以外は何も出来ない。優しいだけで、私は間違えている。そんなことを、明さんは暗に告げている。

 それは腹立たしいまでに正解で、反論の余地はなかった。

「――さて、有紀の情報だな。有紀は十二歳で、小学校六年生だ」

「十二歳、ですか」

「体格のことか? 生きられるギリギリの量の飯しか食わせて貰ってなかったらしい。病院に運ばれた時にレントゲンを撮ったが、胃の中には紙とかプラスチックとか、明らかな異物が入ってた。だから、成長はあんまり出来てないだろうな」

 紙やプラスチックを食べてでも有紀は生きようとしていた。それですら、有紀の純粋さが滲み出ている。純粋な生命維持の為に、有紀は万事を尽くし、そして生き延びたのだ。

「では、その……、本当の母親っていうのは……?」

「五年前に死んでる。不幸な事故でな」

「――ッ」

 最悪だ。最低で最悪だ。私はなんてことをしてしまったのだろうか。

 私は有紀を騙して、死者になりすましている。それは即ち、死者を生き返らせているということになる。――そんなことは絶対にしてはいけないことだ。

 死者として生きることは、有紀に対して幻想を与えることになる。

 私が母親ではないという事実を突きつけられても、母親は実は生きていて今度こそ現れるのではないかと、そんな淡く仄かな幻想を抱かせてしまう。

 生者は、死者に縛られてはいけないし、死者は生者を縛ってはいけないのだ。

 ああ、本当にもう、私は何も出来ない。明さんの言う通りだ。

 優しいだけで、何も出来ない。相手のことを考えるだけで、そしてそれは最終的に、本人を最も傷付ける。最大限の優しさは、最大限の暴力でもあるのだ。

 それを私は――。

「蓮香。諦めろ」

 思考に集中していた私を、明さんは一言で現実に引き返した。

 苛立ちに似た感情が心臓をくすぐる。怒鳴り散らして、感情をぶつけたい衝動に駆られる。

「お前はもう、間違えている。その間違えは取り返せない。後悔したところで得るものなんて、暗い気持ちぐらいだ。後悔に何の意味もない。お前はそれを嫌というほど知っているだろ?」

「……っ!」

 当たり前だ。どれだけ後悔したところで、何も変わらない。そんなことは、知っている。蓮斗に嘘を吐いた時だって、いくら後悔したって何も変わっていないのだ。

「反省しろ。反省して、考えて、今をどうにかしろ。今、この瞬間をどうにかしろ。後々のことなんて、そのうち今になる。そのときに解決しろ」

「…………」

「お前は考え過ぎだ。普通の人間は、適当なところで思考停止させてるんだ。都合の悪いことは、全部考えないようにしてんだ。たまにはお前も、普通にしてみろ」

「…………」

 明さんの言い分は正しくない。考えないことは絶対的な悪だ。何も考えないで周囲に流されるような人間はひたすらに悪だ。悪以上でもなく悪以下でもない。

 だけど、間違ってもいない。何せそれが普通なのだから。だからこそ、気が抜ける。気が楽になる。

「……頑張ります」

「どうしても無理になったら、投げ捨てろ。そうすりゃ、誰かが拾ってくれる。お前は罪悪感を抱えて生きていくだけで、重みから開放される」

「最低ですね」

 また、間違ってもいない言葉。

 気が楽になって、だからとりあえずは楽観的に考えることが出来る。

 まぁ、なんとかなるだろうという、どうしようもなく破滅的な考えが出来る。

 ……これって明さんの思考に感染してる訳じゃないよね? 違うよね。違うか。違うな。

「蓮香。蓮斗と一緒に、有紀の面倒を見てやってくれ」

 暗に一人で抱え込むなと告げて、明さんはどこかに行ってしまった。案の定、明さんの後輩が物凄い速度で私とすれ違った。

 明さんは、無知と博識の両面を持っている。――二面性がある。誰にでもある二面性を、本当に分かりやすく示している。

 人間らしさというのは、案外追求すると明さんのような人なのかもしれない。

 勿論、そんなことを口に出す気は毛頭ない。どうせあの人はドヤ顔するのだから。


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