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意外と簡単なものだったりする。

 答えがないが答え。分からないことが答え。答えを求めることが答え。

 そんな言葉が、ノートに書かれていた。

 なんだ、そういうことか。

 何を考えているのか分からなくなって、何の為に考えているのか分からなくなって、何にも分からなくなって。――それでいいのだ。

 その分からないことが、答えなのだから。

「……人間が全てを理解できるだなんて、ただの傲慢」

 姉さんが吐き捨てるように呟いたその言葉は、ノートには書かれていない。

 書くまでもなく、覚えている。僕の心の奥底に、強く深く刻み込まれているのだ。

「そっか。そういうことか」

 やっぱり、姉さんは賢い。正しい。そして僕は馬鹿だ。大間違いの大馬鹿者だ。ダメな弟だ。

 どうすれば今の状況を解決出来るか。――そんな答えはどこにもないのだ。

 答えはなくて、分からなくて、それでも答えを求めるのだ。正解も不正解もないのだ。

「あははっ」

 思わず声が漏れた。ああ、僕は本当に馬鹿だ。

 答えがないのだから、どんなことをしたっていいのだ。

「あははははっ!!」

 涙が流れる。馬鹿みたいに、壊れたように。笑えば笑うほど、涙は次々と流れる。

 それは悲しさのせいじゃなく、嬉しさのせいだ。

 ようやく、ようやく分かった。姉さんの気持ちが。

「……蓮斗?」

 しばらく大笑いしていると、姉さんが戸惑ったような声が扉越しに聞こえた。

「蓮斗、どうしたの?」

「姉さん、ちょ、ちょっと待って。これが収まったら全部話すから。全部、全部話すから。だから、ちょっとだけ、待ってて」

 一言一言、区切って言わないとダメだった。それぐらいには笑いが止まらない。

 なんて、なんて簡単なことだったのだろう。

 答えがない問題を答える方法なんて、二つしかないのだ。誰かが失敗しなかった答え選ぶか、それとも、自らの手で無理矢理に答えを作り出すか。

 だから、そうしよう。

 もう、いいのだ。僕は姉さんが望む白井蓮斗じゃなくてもいい。

 ちゃんと姉さんに見てもらう。白井蓮斗じゃなくて、汚くて、浅ましくて、小賢しくて、純粋じゃなくて、大馬鹿者の僕を。

 怖い。ただひたすらに怖い。何を言われるのか分からない。姉さんに嫌われてしまうのは、死ぬほど怖い。だけど、でも――。

 ――でも、僕は正解を作る。何を言われても、僕はそれを正解に変える。それだけだ。

 僕が考えに考えて導き出した最終手段なのだ。

 覚悟を決めて、扉を開ける。

 姉さんはちゃんといてくれて、優しい笑みを見せてくれた。

「……よかった。私よりは早く出てきてくれたね」

 そんな風に、姉さんは笑ってくれた。

「姉さん。あのね」

 ああ、そうだ。そういえば姉さんは、あんなことを言っていた。

 ゆっくりと膝、両手の平、額の順で床に付ける。最終手段の時に使え、と姉さんが言っていた土下座。それを、今実行する意味を、多分姉さんは分かってくれると思う。

「姉さん、ごめんなさい。今まで、ごめんなさい」

「……何がごめんなさい、なの?」

 ゆっくりと、落ち着いた声で姉さんは尋ねてくれる。

「今まで。――三年間、全部に嘘を吐いていてごめんなさい。僕は姉さんをずっと騙していました。姉さんが傷付いている間、僕は自分の為に姉さんを助けませんでした。姉さんが塞ぎこんでいる間、僕は一人でのうのうと生活していました。今までの僕は全部姉さんに嫌われないように演じていた、僕じゃない白井蓮斗です。僕はもう、本当の僕は分からなくなりました。今の僕は偽物の白井蓮斗です。今まで本当にごめんなさい」

 吐露。暴露。白状。今までの僕を全て、一番教えたくなかった姉さんに曝け出した。

 姉さんは何を言うのだろう。考えられる限りの罵詈雑言を考えた。

「なんだ、そんなことか」

 だから、その一声は想定外だった。

「知ってたよ。そんなことは」

「知って、た……?」

 顔を上げて、姉さんの顔を伺ってしまう。

「当たり前でしょ。私の呼び方も変わるし、私への態度も変わるし、私とやけに接するようになったし、だから落ち着いて考えてみれば、分かった」

「そう、なの……?」

「純粋で天然な蓮斗なんて、蓮斗らしくないしね」

 そう言って、姉さんは笑った。

 どうして、どうして姉さんは笑うの

「じゃあ、なんで、言わなかったの?」

 分かっていたなら、僕を責め立てるのが、普通なのに。

 僕は立ち上がって、逆に責め立てるようにして尋ねる。

「私にはそんな資格ないから」

「違うッ! 姉さんは何も悪くないの! あの時、僕が、僕が何もしなかったから!」

 僕のせいで、姉さんは今のようになった。

 だから、どうしてくれるのだと僕を責め立てる。それが、普通なのに。当たり前なのに。

「蓮斗が言ったところで、どうせ私が言わせているとか、そんな話が巻き起こるんだよ。あの時は、もう誰も何もしないのが正解だったんだよ。それに、蓮斗だけは私のことを知ってくれていた。私は、それだけで十分だったよ」

 だけど姉さんは違った。姉さんにとっては、僕が信じてくれたことだけでよかったのだ。

「けどっ! せめて僕が叔父さんに話せていたら! そうしたら姉さんは今みたいに……」

「やっぱり、蓮斗は私の弟だね。そうやって全部自分のせいにしたくなる。そうしないと気が済まないんだよね。私もそうだから、分かるよ」

「違う。本当なの。全部、僕のせいなのっ! 僕が姉さんの未来を壊したんだ!」

 僕が姉さんを助けなかったから。そう思いたいし、実際にそうなのだ。

 だけど姉さんはそれを打ち崩した。呆気なく、あっさりと、明日の天気を告げるかのように。

「いや、私の未来は全然壊れてないけど?」

「……は?」

 頭が真っ白になる。姉さんが放った言葉の意味が理解出来ずに、間抜けな声を漏らす。

「そりゃまぁ、ヒキニートの捻くれ者だけどさ。別にいつでも、社会復帰は可能だよ」

「そんな。だって、姉さんは人を信じて……」

「信じてないよ。信じてないけど、だからって嫌ってる訳じゃないよ。そうじゃなかったら私は多分、蓮斗も有紀も家に監禁して、誰とも会わせない。大切な人や物に、それを会わせないっていうのが、嫌うってこと」

 真剣に、姉さんはそう答える。姉さんは本気で、そんなことを言うのだ。

「でもっ!」

「……あーあ、もうちょっとこれ秘密にしときたかったんだけどなぁ」

 はぁ、と溜息を吐いて、姉さんはどこかに行ってしまう。全く思考できずに、姉さんの背中を視線で追い、姉さんが帰って来るのを待っていた。

 帰ってきた姉さんが持っていたのは、数冊の冊子。表紙には第一高校転入について、と書かれていた。

「それ、は……?」

 理解は出来る。意味も分かる。だけど、それがどういう結果を生むのかが推測ができない。答えがすっぽりと抜けている。

「えー、この度、私、白井蓮香は第一高校の転入試験を受けることに致しました! イエーイ!」

 妙に、というか無駄に、というか。よく分からないハイテンションで、姉さんはそんなことを告げる。

「……姉さん?」

「だーかーら。私の将来なんて全然壊れてないんだよ。本当に馬鹿だな、蓮斗は」

 そう言って、姉さんは僕の頭を撫でる。優しくて、暖かくて、安心できるような、そんな撫で方だ。最初から、何も変わらない。いつもの姉さんだ。

「でも。なんで。……え?」

「私が貴重な青春時代を家に引き篭もってたまに病院のボランティアして過ごすとでも思う?」

 そうだ。姉さんは、賢くて、意外と欲張りなのだ。正しいことを求めて、考えることを止めずに、そして全てを手に入れようとする。

「でも、勉強とか、その」

「一体誰が蓮斗の勉強手伝ってると思ってるの? どこかの誰かが、律儀に学校に持って行っては持って帰ってる教科書とインターネットを使って、それなりに勉強してるのよ」

「そ、それじゃあ、お金は! お金はどうなるの?」

「兄弟がいれば半分免除だし、残りの半分は叔父さんから適当な理由でふんだくればいいでしょ。蓮斗が私が行かないと自分も学校に行かないって急にゴネてまして、とか適当に」

「さらっと僕のせいにしたね」

「何のことやら。――さて、これで蓮斗が気にすることはなくなったね」

「……あ」

 姉さんにそう言われて、気付く。

 僕が不安に思っていたこと。

 僕の嘘に姉さんに気付いたら、どうなるのだろうか。

 ――何も変わらず、いつものように接してくれた。

 姉さんの未来を潰した責任をどうやって取ればいいのだろうぁ。

 ――責任を取る必要はなんてなかった。だって、最初から潰れていないのだから。

「…………」

 何も考えられず、僕は姉さんの顔をぼぅっと見つめたまま停止していた。

「偽物の蓮斗なんていないんだよ。どんなに演じていても、演じてなくても蓮斗は蓮斗。もし蓮斗が間違えそうになったら、私がはっ倒してでももとに戻してあげるから。だから蓮斗は自分らしく生きてもいいんだよ。――どんな蓮斗でも、私は嫌いにならないから」

 そう言って姉さんは僕を強く抱き締めた。僕の全てを肯定するような言葉を紡ぎながら、僕の全てを許してくれながら。

「私はね、私が大切な人の全部が見たい。この三年間で、蓮斗の綺麗なところは一杯見た。だから、これからは蓮斗の汚いところもちゃんと見せて。裏も表も、善も悪も、全部、全部見たい。――私が意外と欲張りなの、蓮斗は知ってるでしょ?」

 姉さん言葉を肯定してしまえば、僕は許されたことになる。だけど、それを僕は望んでいない。こんな形で、都合よく解決してしまっていい訳がない――はずなのに。

「……うん」

 だけど僕は肯定した。正直に生きられるようにしてくれた姉さんを否定することなんて、僕には出来なかった。

 姉さんは一方的で絶対的な方法で、僕を許してくれた。

 姉さんは何もかも綺麗に丸く収めて、全てを解決してくれた。僕の感情を除けば、完璧だ。

「……姉さんは、僕のこと好き?」

「うん。大好きだよ」

 それに、僕の感情だって姉さんの笑顔と、その言葉だけで、何とかなる。だから今は、これでいい。

 僕は心の底から、そう思った。

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