だけども答えは、
姉さんが帰ってきた。空腹に負けて、部屋の扉の前に置いてあった朝ご飯兼お昼ご飯はしっかりと食べて扉の前に置いてある。もうじき、姉さんがそれを下に持って行ってくれるだろう。
三年前とは真逆だ。
そういえば、三年前はあの後どうなったのだったろうか。姉さんに吐いた嘘を覚えているだけで精一杯だったせいで、ちゃんと思い出していないような気がする。
「……そうだ。姉さんと話したことも、このノートに――」
――ちゃんと書いてある。
本当は必要なんてないのに、僕はそれをちゃんと書いてある。誰でもなくなった僕は、それでも姉さんのことを忘れたくなくて、だから姉さんとの会話を全て書いてある。
パラパラと、ノートをめくりながら思い出していく。
あの日から時々、夜中や叔父さん叔母さんの目を盗んで、姉さんと話し合って、考えた。何をすればいいのか、のんびりゆっくりと、僕らは考えた
考えた結果、とりあえず今の環境から逃げ出そう、という結論に至った。
あと少しで小学校を卒業出来る時期ということもあり、叔父さんの家からかなり離れた私立高校の附属中学校に入学した。
僕がそうしたいとゴリ押しをすれば叔父さん達が逆らわないことも、姉さんをさっさと家から追い出したいことも分かりきっていた。だから姉さんはそれを利用した。
姉さんはあらゆる断りの文言を潰すように話を組み立てて、僕はそれを白井蓮斗らしく叔父さんに話して説得した。
その頃から何をするにしても、僕と姉さんは役割分担をするようになった。あの事件の後から僕と姉さんは大きく変わり、両極端になっていた。僕の苦手な物事や作戦のようなものは姉さんが考え、姉さんが出来ない計画の実行を僕がする。
そうやって、二人で暮らし初めてから僕らは、一心同体で今まで生きてきた。
毎日のように、宿題を手伝って欲しいとか、授業のここが分からなかったとか、こんなことを友達や先生に言われたとか、学校でこんなことがあったとか、ことある度に僕は、姉さんに話すキッカケを作った。
ずっと、ずっと、姉さんと話したかった。とても大切で、大好きな、僕の姉さんとずっと話したかった。
そうして一年ほど経過した頃には、僕は姉さんがいなければ生きていられないようになっていた。姉さんと話している時間が起きている中で一番幸せで落ち着けて安心していられる。
学校にいる間は姉さんが今何をしているのだろうかと考え、家にいる間はなるべく姉さんの側にいた。
僕は姉さんに依存した。姉さんが僕に頼ってくれるという、その関係に依存した。姉さんが依存してくれていることに依存した。依存し、依存されることに依存する。そういうのを、共依存と言うらしい。
姉さんは一時期、何とかして僕への依存を少なくしようとしていたが、それも今は諦めているみたいだ。
姉さんが僕に依存しなくなるならそれでいい。僕は別の白井蓮斗となって姉さんの側にいるだけだ。今の僕は姉さんが好きなだけで姉さんがそこにいれば、それ以外はどうでもいいのだ。
姉さんは依存するのを止めようとしたけれど、僕は一度も、たった一度もそんなことをしようとは思わなかった。
思う訳がない。
どうして、大切で、大好きで、綺麗で、美しくて、守りたくて、そして頼って欲しい人が、頼ってくれる状況を、止めようと思わなければならないのだ。
頼りない白井蓮斗を、裏方として必死にサポートしてくれる――大好きな人が支えてくれる今の状況を、どうして止めないといけないのだ。
僕と姉さんが依存し合うだけで、誰も傷付かない。僕と姉さんの間だけで、文句の付けようもなく完結している。僕らの共依存はそういうモノなのだ。周りの人に迷惑を掛けず、お互いに依存し、依存度を高め合うだけなのだ。
だけど、純粋で、時たま天然で、自然な笑顔を作れる白井蓮斗は周りの人を傷付けないが、その分僕自身を、姉さんを傷付け続けていた。
白井蓮斗は、純粋という毒を僕と姉さんに齎し続けた。
パラパラとノートをめくって、あるページに
「姉さん! 宿題手伝って!」
白井蓮斗という勉強が苦手な少年を演じる為に、姉さんと一緒にいる為に、一人でもなんとか出来る宿題も、僕は姉さんに頼っていた。
「最近多いね。蓮斗ってそんなに勉強出来なかったっけ?」
「中学校に入って、勉強が難しくなったんだ……」
「そっか。まぁ、蓮斗がそう言うならそうなんだろうけど」
姉さんはさらっとそう告げて、言葉を信じた。僕じゃなく、白井蓮斗だから、と。
それが、どれだけ辛くて、どれだけ苦しいものか。
姉さんは僕を見て、僕のことを思って、だけど、それは僕じゃない。僕を見ずに、白井蓮斗を見ている。
絶対と言っていいほど、僕は何も見られていない。直視されていない。
「じゃあ、宿題の内容を教えて。あと、教科書とかの範囲も」
「あー、ううん。今日の宿題は総合の宿題なんだ」
「総合……?」
「えっと、数学とか、国語とか、そういうのじゃなくて、えっと、道徳みたいな、そんな感じの勉強のことで、えっと」
「あー、もういい分かった。空気を読む生徒の思考を捻じ曲げて教師の傀儡にする洗脳授業のことね」
「……よく分かんないけど、違うと思う」
姉さんが時々吐く嫌に現実的で、しかし、否定しないと人ではないと申告しているような、そんな毒の言葉。姉さんの言葉は正しさ故に間違っている。理不尽なまでに正しい答えを、現実は求めていない。
多数決の原理に則った答えを求め、それを絶対正義としたいだけなのだ。正しくとも正義出ない限り、誰も正しいと認めない。だから、みんなで答え合わせをして、すり減らして、原型を失くして、安心して、間違える。全員が間違えていれば、それは仕方がないことであり、つまりは正解になるのだ。
「認識の違いなんて些細な事、それより宿題の内容は?」
だけど、僕のせいで世界から拒絶された姉さんは、答え合わせを止めた。姉さん自身を否定し、僕を肯定する。その結果生まれた答えが、それだけを絶対的な正義と定めたのだ。
「えっと……、生きてる理由って一体何なのかを原稿用紙一枚程度に纏めて提出、だって」
「一行だけ書いときなさい。分からないから、今を生きてるだけ、答えなんて何もありません、って」
思考する間もなく姉さんは即答して、缶ジュースを豪快に一気飲みし、缶を机に叩きつけるようにして置いた。
「……?」
自棄酒、という謎の言葉を脳裏に過ぎらせながらも、僕は白井蓮斗を演じ続けた。意味が分からない、と小首を傾げてアピールした。
「こういう問題って、色々な答えがあるよね。色々な答えがあって、その大体が一応正解だよね」
「国語とかも、そうだね」
「その時、先生は大抵何て言う?」
「えっと……、正解は一つじゃなくて、みんなの答え全部が正解」
「そんな感じだよね。だけど、答えたら先生がそうじゃないって言ったり、何となくみんなの答えが似てたり、そういうことってあるんじゃない?」
「うん、ある」
「じゃあ、正解と正解じゃない答えって、どう違うと思う?」
「えーっと、先生が正解って思ってるか、思ってないか……?」
「そ。結局、先生次第な訳。別の先生だったら、不正解が正解になるかもしれない。だから、先生が違えば答えは全部正解で、全部不正解。ってことはさ、答えなんて初めからないんだよ」
「……答えが、ない?」
「うん。答えがないから、みんな見つけるの。自分が完全完璧に納得できる答えを見つけて、それを死ぬまでに達成できたら、人間として最高の一生何だと思うよ」
「……難しいよ、姉さん」
「あはははっ、まぁ、そのうち分かると思うよ。多分、蓮斗も分かる日が来るから」
難しい。だけど、分からない訳じゃない。むしろ、よく分かっている。姉さんが僕の目の前で教えてくれたのだ。
どれだけ正しいことを訴えても姉さんは正しいと認められず、どれだけ間違っていると分かっていても人々は間違えを正さなかった。
姉さんが諦めれば、人々は姉さんを弱者と嗤った。
姉さんは何をしても、何もしなくても、認められず、嗤われ、罵られた。
人々は何をしても、何をしなくても、認められ、弱者を嗤い、罵る。
この世界に答えがないことなんて、あの時に思い知らされたのだ。




