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退院。

 翌日。様々な準備を明さんに押し付けて、蓮斗に有紀に対する接し方を確認していた。

「えっと、有紀にはなるべく選ばせてあげるんだね。分かった」

 蓮斗は、強く活発に頷く。

 有紀になって欲しいイメージは、多分蓮斗に似た姿なのだろう。有紀に、自分中心に生きるべきなどと宣いながら、私は私で自分中心に生きていないのだ。

 有紀は母親に――私に依存し、私は蓮斗に依存している。

 依存者だらけの中で、蓮斗だけは自立している。今の中で、まともなのは蓮斗だけなのだ。

 まともで、正しい。だから私は、蓮斗を最大限に頼ってしまう。信じて頼ってしまう。

 私は蓮斗を騙すくせして、蓮斗が私に嘘を吐く訳がないと信じて、確信して、頼っている。

 私は、なんて最低なことをしているのだろうか。そんな自己嫌悪に私はまた陥ってしまう。

「ありがと、蓮斗」

「うん。姉さんのお願いだからね」

「……本当にありがと」

 蓮斗を強く抱きしめる。そのぐらいしか私には、感謝の大きさを表す手段がない。

 蓮斗からは、よく分からない暖かい匂いがした。蓮斗も有紀も、そんな匂いがする。だけど時たま、異常なまでに冷たい匂いがする。

 体に存在しない部分に冷たい何かを触れられたような、そんな感じだ。

「――怖いなぁ……」

 なんの脈絡もなく蓮斗はそう呟いた。私の耳元で呟かれたせいかとてもくすぐったかった。

「何が怖いの?」

 蓮斗から少し距離を置いて蓮斗の顔をしっかりと見つめる。蓮斗は、自分が言ったのだと遅れて理解してから、思い出すように説明した。

「……んぅ、よく分かんないんだけどね。なんか、有紀が姉さんを取っちゃう気がするんだ。だから怖いなって思って」

 蓮斗は少し気まずそうに下を向く蓮斗の目は、不安そうに揺れていた。本当に、蓮斗はそう思っているのだ。有紀が私を取るのではないか、私が蓮斗から離れていくのではないか、と。

 そんな漠然とした不安は蓮斗を抱え込んでいた。その不安は、恐らく有紀と初めて会った日から募り積もっていたのだろう。積もりに積もって、そして今日のこのタイミングで溢れ出てしまった。

 限界まで蓮斗を追い詰めてしまっていた。最もまともな蓮斗を、まともではない私が追い詰めていた。あり得ないぐらいに、私は間違え続けているのだ。

「ごめん、蓮斗。最近は有紀にばっかりかまってたね。今度から、気をつけるから」

 私が蓮斗を手放す訳がないというのに。だけどその理由を口に出すことは出来ないし、したくない。

 私は蓮斗に依存しているから蓮斗から離れるようなことは何があってもない、だなんて絶対に言えない。言いたくない。

「……うん」

 せめて、と蓮斗の頭を撫でる。悲しいことに、私はこんなことでしか気持ちを伝えられないのだ。

「大丈夫だよ。私は蓮斗から離れない。私は絶対に蓮斗を置いていったりなんてしない。私はね、蓮斗のことが大好きだよ。多分、どこの誰よりも、私は蓮斗のことが好きだよ」

 勿論それは姉弟として、だ。それが、まともなのだから。

「……うん、僕も大好きだよ、――蓮香お姉ちゃん」

「――っ」

 はっ、とする。嫌な感じ。冷たい感じ。何かいけない場所へ踏み込んでしまったような、そんな気がした。

 蓮香お姉ちゃん。それは昔、蓮斗が私のことを呼ぶ時に使っていた呼び名だ。蓮斗があの日まで使っていた呼び名だ。

 だからなのだろう。私の脳裏にあの日のことが過った。一度過ってしまえば、かなりの間私の脳から離れなかった。

 そんな状態のまま、明さんから有紀を引き取って退院の手続きをする。

「蓮香。これ、有紀の分の生活費だ」

 退院手続きを終えた後、病院の入口あたりで、明さんから封筒を手渡された。

「あ、はい、ありがとうございます。――って、え……?」

 封筒の中には、万札が数十枚入っていた。どう考えても多すぎる。

「ちなみに俺と蓮香で六対四だ。共犯だからな」

「どんだけ貰ってきたんですか」

「七桁弱とだけ言っておこう」

「何も聞いてません。何も覚えていません」

 こう言っておくと何かと有利だ。政治家もよく使って、最終的には無罪放免になっていることが多いのがその根拠だ。

「……まぁ、冗談はさておき、本当に頼むな」

 明さんは私の肩をぽんっと叩いて、真面目な顔になる。

「勿論です。命に換えても有紀のことを守ります」

「ああ、信頼してるぞ。――お前がしっかりしてくれないと、俺の責任になるからな」

 どうしてこの人は、こう、台無しにするような一言を言わないと気が済まないのだろうか。

 しかしながら、無駄に背負っていた重荷は降りたような気がする。過度に頑張る必要はないのだと、気が楽になった。

 明さんのことだから、狙ってやっている訳ではないのだろう。どうせ、ただの本音なのだ。何の意識もせず、明さんはさらっとそんなことをやってのけるのだ。

 有紀は昨日から最高潮のテンションだったらしく、私が迎えに行った時にはぐっすりと眠っていた。

 そんな有紀を、私と蓮斗で交代しながら背負って家まで運ぶ。目の傷を隠すために、包帯を巻いて、そのあとにフードを被せている。

 有紀が周りから何も言われないようにという配慮のつもりだが、私が傷付かないようにしているのだと思う。

「……有紀、起きて。家に着いたよ」

「んにゃ……? 着いたの?」

 目覚めてすぐにきょろきょろと周りを見渡して、しかし目が見えないことに気付いて次に匂いを嗅ごうとする。

 驚く。本当に驚く。有紀は、盲目である状態に適応してきている。したたかに、しかし確実な早さでハンデを克服しようとしているのだ。

「お母さんの匂いがする」

 ぼそっと呟いて、有紀は満面の笑みになる。目の前のそれが、私の匂いの染み付いた場所だと確信したらしい。

 目の前の小さな一軒家。私の部屋と、蓮斗の部屋と、空き部屋が二つ。あとはリビングやらキッチンやらの生活スペース。シンプルで、広くも狭くもない程度の面積の家。

 この家、学費、生活費、更にその他諸々の金銭面の援助。それらが叔父から有紀に与えられている。逆に言えば、それ以外は何もしていない。金は払っているんだ。文句は言わせないぞ、ということだ。

「あ、そういえば有紀。これからは、どこで眠るの?」

「ん……、お母さんのところがいいな」

「じゃあ、しばらくはそうしようか。でも、そのうちは一人で眠れるようにしないとね」

「そうじゃないと困るから、だね! 分かった!」

 有紀の訓練開始と同じ頃から、私は有紀に一人でいる時間を増やすようにしていた。勿論、最初は反対されたけれど、時間をかけて説得したおかげで何とか分かってくれた。

 少しずつでいいから、有紀には一人でいられるようになる必要がある。

 依存するなとは言わないし、言えない。依存していてもいいから、一人であることに慣れないといけない。

 依存は、度を越してしまうと狂気となる。狂気となれば、もうどうしようもない。そのままだ、気が狂った人間は駆逐されるしかない。

 だから、依存していてもいい。依存するだけなら、重い軽いはさておき、精神的な問題というカテゴリにかろうじて収まる。

 だが、それを超えてしまえば、周囲は犯罪者と同じカテゴリとして扱う。関わってはいけない存在であり、淘汰されるべき害悪。そういう扱いは、有紀に受けてほしくない。

「……さて、と。じゃあ、蓮斗に有紀。私は買い物に行ってくるから、ちょっとだけ留守番していてね」

「はーい」

 二人は声が被さったことに照れて笑う。私にとってはそれぞれ、弟と息子という役割なのだが、私には二人の弟という感覚が大きい。

 意識と感覚が違うと言うべきなのか、それとも、明確な意識がないから感じ方が違うのか。

 どちらにせよ、私には責任感が足りないのだ。

 扉のツーロックを二つとも掛けてから、近くのスーパーに向かう。確か今日は肉類が大安売りだったはずなのだ。

 そうだ。あの時も私は全く責任感が足りなかった。だから、あんなことになった。

 もう何も失いたくない。蓮斗も、有紀も、私にとっては大切過ぎる存在となっているのだ。「――よしっ」

 頑張ろう。浅ましく、愚かに、そしてバカ真面目に。私が大嫌いで、最低限しないで生きていくと決めた努力をしよう。

 そんな決意を今しがた固める。遅すぎた決意が、今後どう影響するのかは分からない。それに、もしかすればもう、例えば今、時を同じくして何かが進んでいるかもしれない。

 変な予感がする。あの時と同じような――似たような予感がしている。

 私は無意識のうちにそれを気のせいだと思っていた。私は変わっていないし、変わろうともしていない。あの時と同じように。


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