人っていうのは、
明さんと別れてから病室に戻ると、蓮斗と有紀はお互いを睨み合っていた。また喧嘩かと思っていると、せーの、じゃんけん、ほいっ! と仲良く声を合わせて、各々の手を出す。
お互いに同じタイミングで同じ手を言っていた。蓮斗がグーで有紀がチョキ。当然ながら蓮斗の勝利だ。
「これで三連勝~!」
「うぅ……、また負けた。なんで負けるんだろ……?」
「有紀、言う前に手を出してるよ。自分で手を教えていたら負けるに決まってるじゃない」
「……あっ」
言われて気付いたらしく、有紀はそんな声を漏らした。その後で何回も、手と口を同期させる練習をしている。可愛い。
「蓮斗もズルしちゃダメだよ?」
「はーい、ごめんなさい」
母親と姉。どちらでもありどちらでもない。二つの間であり二つの枠外。
そんな微妙で、妙にしっくりくる立ち振る舞いに慣れているのは、私が蓮斗の母親の代わりも務めていたからなのだろう。少なくとも、今のところ有紀が違和感を覚えている様子はない。
それに、蓮斗と有紀の間もいい感じである。やはり、精神レベルが同じぐらいだからなのだろうか。
蓮斗が馬鹿という訳でも有紀が大人びているという訳でもない。あえて言うならば、蓮斗は精神年齢が少し幼く、有紀は少し大人びている。
蓮斗は愛情を得られやすいように幼い子のようになり、有紀は父親からの暴力を避ける為にほんの少し賢くなった。
「二人ともあんまり喧嘩しないでね。疲れちゃうから」
主に私がというのは意図的に言わないでおく。普通に疲れるし、気疲れもするだろう。それに、既に今もちょっと疲れており、言うことが少し面倒臭い。
「はーい」
声が揃ったことが不服なのか、二人はお互いにむぅっと唸り声のような声を漏らす。二人とも迫力は皆無であり、むしろ可愛らしい。
「――っと、助けてくれッ! あの後輩、ヤンデレ化してきてる、ヤバい、アイツヤバいッ!!」
「ひっ!?」
「うわっ!?」
「うっわ、きっしょ、死ねばいいのに」
有紀、蓮斗、私の順にそれぞれの反応をする。純粋な怯えと、純粋な驚きと、純粋な悪意。
「悪い、有紀。怖いなら俺に近付くな」
「……う、うん」
有紀は蓮斗を盾にしながら引きずって、病室の隅の方に歩いて行った。
「何してんですか、明さん」
主に有紀をビビらせていることに対しての文句である。
「チッ、眠らせるか。念の為に麻酔を持ち歩いていて助かったな。眠らせてから、拘束して刷り込みでもするか……。トランス状態にさせる音楽って今のスマホにあったっけな……」
明さんの独り言は小さ過ぎて何を言っているのか分からない。
断じて麻酔とか、拘束とか、刷り込みとか、トランスとか、そんな危険すぎる単語を私は聞いてますん。しまった、地の文で噛んだ。地の文で噛むとか世界初だと思う。
「あ、そうだ。私は今日で退院ですけど、有紀はあとどれぐらい入院しておかないといけないんですか?」
「少し栄養不足なところがあるし、精神的な余裕もまだない。まだ一週間ほど入院するべきだと思う。一応、退院した後もここに泊まれるように手配しておいた」
「ありがとうございます」
「栄養面とかはこっち側でやるから、蓮香と蓮斗は精神面の方を何とかしてやってくれ」
「分かりました」
確かに、今の有紀は情緒不安定な面がある。私や蓮斗には気を許し、それ以外の人間に対しては怯えてしまう。よく言えば分かりやすい。悪く言えば露骨。
事情を知らない人間からすれば、それはただ単に嫌な奴だ。
何の意図も持たず接した相手が無条件に自分を嫌う。そんな理不尽なことに対して、そんなこともあるか、などと落ち着いて考える人間は滅多にいないのだ。いるとしたら釈迦の生まれ変わりの可能性が高い。
怯えるのは自分を信じていないからであり、自分を信じないアイツは敵である。
そんな短絡的で排他的な、半ば停止した思考をする人間の方が多い。
楽しいことは自分の味方であり自分のものであり、気に食わないものは自分の敵であり不必要なもの。それが、大抵の人間の深層心理だ。
利己的で自分優先で自分が可愛い。それが普通なのだ。だけど、人間はそれを認めようとはしない。認めようとせずに思考を停止させる。
有紀の心は、相手が暴力を振るうのではないのかという恐怖に支配されている。
最も愛情を貰えるはずだった父親という存在から暴力を受けていた有紀は、母親とその周辺の人間しか信じることが出来なくなっているのだ。
人を無条件で信頼しろとは言わない。そんなのは、ただの馬鹿だ。疑うべきだ。疑って疑って、杞憂で済めばそれでいいのだ。
テストの点数や将来の不安なんてものはどうせ何とかなる。そんな心配よりも、人間関係の心配をするべきだ。人間関係だけは、時間ですら解決してくれないのだから。
「有紀。明日から、人に慣れる訓練をしよっか」
「……訓練?」
「人と話していく練習をするの。大丈夫、絶対に安全だし、何かあったら私が守るから。ゆっくり、色んな人と話してみよう?」
「……うん。分かった。頑張る」
有紀は私の提案に頷いてくれた。それだけで私はほっとする。
少なくとも有紀は、私や蓮斗と一緒にいられればいいとは思っていないということだ。それはそのまま、社会復帰の可能性が十分にあることを意味している。
私のようにもう誰も信頼しないと決めてしまった私とは違い、世界と共存しようとする気力があるということだ。
世界に裏切られても尚、世界に寄り添おうとするその姿を私はただひたすらに美しいと思う。




