第五章 無限を操る力
梅雨明けが宣言された。昨日は台風なんて予報は出てなかったのにとんでもなく雨が降った。雷も何度鳴っていただろう?
降っていた時間は30分くらいだったと思うが、校庭は湖と呼べるくらい一面雨水で覆われていたっけ。その後は青空が広がっていて蒸し暑い熱気が街中に溢れていた。
今日もそれを超す暑さだ。蝉の声がとにかくうるさい。
クーラーは壊れて修理に出したばっかり。もっと早く出しておけばよかったかな。
窓はもちろん全開にしてある。扇風機がないのでうちわでごまかす。
蕾斗は冷蔵庫から麦茶を取り出すとコップを人数分揃えて羽竜の部屋に向かう。途中、氷を忘れたとキッチンに戻りコップに氷を入れて再度二階へ上がっていった。
「う゛〜痛い………。」
羽竜が全身傷だらけでベッドに寝そべっている。
昨日の戦いでベルフェゴールの放った衝撃波で傷を負ったあげく、人間離れした動きをする悪魔の攻撃を防ぎかわした為に身体中の筋肉が絶叫していた。
「なんだか怪我ばっかりね。大丈夫?」
「普通の人間なら重傷だろうな。」
「なんだよ……それ?普通の人間だぜ俺は。」
変人扱いされムッとする。
ただ、レジェンダの言ってる事はあかねには少しわかった気がしていた。
土曜で休日の今日、昨日一日あった事をレジェンダに聞くため羽竜の自宅に集まっていた。
両親は忙しく、滅多に家には帰ってこない。蕾斗は羽竜とは従兄弟なので我が家同然。冷蔵庫の中はもとより買い置きの品々までその住家を知り尽くしている。
「みんな麦茶持ってきたよ〜。」
蕾斗のユルイ声がドアが開くと同時に流れ込んでくる。
言っておくが、蕾斗が持ってきたコップは三つ。何せ、レジェンダは霊体なのだから飲み物など必要としない。
「初めて会った時から不思議な気を感じてはいたが、まさかあそこまで動けるとは。」
「羽竜君はボクシングやってるから反射神経いいんじゃないのかな?」
麦茶に手を伸ばし一口飲んであかねが言った。
「………それだけではないだろう。千年もの年月を見て来たが、遊ばれていたとはいえ悪魔相手にあそこまでやれるのだから素質はあるのだろう。」
「素質?」
羽竜の気持ちを代弁して聞く。
「あの剣はトランスミグレーションだと教えたな?あれは本来人間に扱えるほど軽くはない。」
「え?そんな馬鹿な。綿でも持ってるみたいに軽かったけど?」
「重さを感じてないのは見てとれた。だからこそ素質がある。」
「私達は悪いけど昨日の今日だしレジェンダが何を言ってるかわからないよ。悪魔とか天使とか、このフラグメントの事も。ちんぷんかんぷんで頭がこんがらがっちゃう。」
フラグメントがあかねの前で淡く輝いている。また、同意するように蕾斗が頷く。
「そうだ。ちゃんと説明してもらうからな!イテテテ……………。」
上体を起こそうとするが激痛に負けてしまう。それを見兼ねてあかねが羽竜の上体を起こしてやる。
「………………いいだろう。お前達の疑問に答えてやろう。長くなるがよいか?」
「お、おう。上等だ。」
「うん。僕も興味はある。」
「私も。」
三人の真剣な眼差しにレジェンダは満足したように、
「……………わかった。話の発端は今から千年前になる。」
ごくりと唾を飲み込みそれぞれが扇いでいたうちわを止める。
「千年前、オノリウスという人物がいた。彼は人間で在りながら魔力を持って生まれてきた。無論、かれの両親、祖先に魔力を持つ者などいなかった。魔力というのは人間には無い能力だけに彼は迫害され続けた。そんな環境にも負けず勉学に勤しみ、その結果彼は祖国を代表する君子へと成長する。 数学、科学、化学、哲学どれをとっても完璧なお人だった…………。」
「そういえばアドラメレクも言ってたけど、知り合いなの?そのオノリウスって人と。」
「知り合い?ふっ……恐れ多い。オノリウス様と私とは師弟の関係にある。」
「師弟?」
羽竜が聞き返す。
「そうだ。若き日を祖国の為に生き、若干五十歳で引退してからはみなし子を引き取り勉学を教えていた。」
「それじゃあレジェンダはみなし子なの?」
蕾斗も気になった事柄を聞いてみる。
「そういうことになる。私達にとっては父でもあった。オノリウス様はいろんな知識を私達に教えてくれた。そしてその傍らで一冊の書物を書いていた。それが事の始まりだ。その書物には宇宙の真理が書かれているらしい。」
「らしい……って弟子なのに知らないのか?」
「中身は誰にもわからない。ただ………。」
「ただ?」
羽竜は話の続きを聞きたくて仕方ないのだがついつい口を挟んでしまう。
「ただ、彼の持つ魔力がその書に宿り出してその日を境に不可思議な現象を周りに起き始める。今の羽竜のように怪我をして動けない者が書に触れるだけでたちまち回復したり、嵐で氾濫した川に書をかざせば氾濫がおさまったりとジャンルを問わず書の影響を受けると彼の意志通りの結果が生まれるのだ。」
聞いてるだけでは映画なんかでよくある便利アイテムなのだろうが、実際にそんな物があるのならば映画の悪い奴等が躍起になって探すのもあかねにはわからないでもない気がした。
「その噂は国境を越え他国へ広まった。彼に他国から多くのスカウトが来た。もちろん自国の王も大臣の座を設けてまでまた城に仕えさせようとした。ところがオノリウス様はそれを拒み私達を連れ身を潜めた。
………それがまずかった。国王は怒り、オノリウス様を慕っていた民は次から次へと牢へ入れられた。」
「八つ当たり…?」
蕾斗の問いにレジェンダは静かに相槌を打つ。
「……中にはオノリウス様を庇い、殺された者もいた。」
「そんな………酷い…。八つ当たりなんてレベルじゃないよ……。」
泣きそうになったあかねに更に追い討ちをかける。
「国が荒れてるのを見て他国がオノリウス様を探しに私達の国に侵略してきた。その攻めてきた国に今度は別の国が領土拡大の為に侵略する。そんな事が続きやがて大陸中で戦争が起きた。大義名分は様々だったが、どの国も本当の目的はオノリウス様の持つ書、後にオノリウスの魔導書と呼ばれる書物だけだった。」
「ん〜〜オノリウスの魔導書かぁ……………。その魔導書がすごいってのはわかったけど、戦争なんかしなくてもオノリウスを探せばよかっただけじゃないのか?」
「時は既に遅かった…。権力者達は魔導書の噂を聞いた時点で虜になってしまったのだ。お前達にはわかるまい、大陸中が血の海と化したあの凄まじい光景を。それを見兼ねて天使達が人間に制裁を与えに天界からやってきたのだ。」
「天使って、やっぱりいい人達なんだね。青頭の人が全然天使に見えなかったから。」
あかねがホッとしたように言った。イメージと重なったようだ。
「悪魔はいつ出てくんだ?」
「天使達は天界でも腕の立つ戦士だけで編成されたエルハザード軍で地上に乗り込んでくる。大天使ミカエルを筆頭に、とにかく大群だったのを覚えている。…………あっという間に人間を制圧していった。それから直ぐに悪魔達も地上に乗り込んできた。アドラメレクも名乗っていただろう?」
「闇十字軍レリウーリア……だっけ?」
蕾斗が思い出し羽竜とあかねに確認する。
「うむ。レリウーリアもまた魔界屈指の戦士達の集まりだ。だが数ではエルハザード軍には足元にも及ばなかった。それでも彼等は戦いを挑んだ、ロストソウルを持って。」
「ロストソウル?千明さんが持ってた武器の事だよな?」
「レリウーリアはエルハザード軍が地上を制圧している間に刀匠ダイダロスに上級天使を消滅させる武器を作らせていたらしい。天使と悪魔には階級があり、上級天使と上級悪魔は自己再生能力が優れていて普通の武器ではいくら深手を追わせても倒すのは不可能なのだ。そこでダイダロスはロストソウルという魔法を使い上級天使を倒せる唯一の武器ロストソウルを生み出した。つまり、ロストソウルというのは上級天使を倒す為の武器の総称だ。ロストソウルは全部で十四ある。そしてロストソウルに兵を半分に減らされた天使達もまた、ダイダロスに依頼するのだ。」
「上級悪魔を倒す武器をか?」
「さよう。イグジスタルソウルという魔法で作られた武器、イグジストをな。ただイグジストは四つしか作られなかった。」
「随分と少ないのね、ロストソウルと比べて。」
「その真意は私にはわからん。」
「でもレジェンダ達は天使と悪魔の様子をどうやって知ることができたの?聞いてるとまるで当事者みたいな言い方してるけど………。」
蕾斗がもっともな事を聞く。
「まさか………?」
その答えに羽竜は気付いたらしい。
「察しの通り、魔導書の力だ。」
「おいおい…なんでもありかよ……。」
「そう。オノリウスの魔導書を持ってすれば奇跡が奇跡でなくなる。一時はエルハザード軍が人間を制したおかげで平穏に成りつつあった地上が、今度は悪魔と天使の戦いにより地上は再び血の海となった。オノリウス様は大変嘆いておいでだった。自身が書き上げた魔導書のせいで地上は戦火から消えることが無くなったのだからな。そして私達も居場所がばれ、戦争の火種として天使から追われ、魔導書を奪うため悪魔から追われた。八人いた弟子も最後には私ともう一人だけになった。オノリウス様はダイダロスの元に行き、上級天使と上級悪魔の両方を消滅させる武器を作るよう頼んだ。そして出来たのがトランスミグレーションだ。」
「ちょっと待てよ、なんでオノリウスは魔導書を使わなかったんだ?魔導書を使えばなんとかなったんじゃないのか?」
「オノリウス様は魔導書を封印することを既に決めていたらしく、封印後に天使や悪魔、人間から魔導書を守る為にトランスミグレーションを作らせたのだ。」
「ふぅん。そのダイダロスって人はそんなにほいほいと武器を作って一体何がしたかったのかしら?」
「探究心………だろうな。奴は悪魔の魔法ロストソウル、天使の魔法イグジスタルソウルにえらく興味をもってたらしく、魔法から武器を生み出すという偉業を達成させたかったみたいだった。もちろんそれは達成されたが。」
「それだけなの?」
「職人というのはそういうものだ。ダイダロスは刀鍛冶としてその名を知らぬ者はいないほどの男だからな。自分の名声をあげるにはチャンスだったろう。」
「それでオノリウスはそれからどうしたの?」
蕾斗が空になった二人のコップに麦茶を注ぐ。
「そして魔導書を封印した。いつか心正しき者が封印を解き、その力を世の為人の為に使えるよう『鍵』をかけてな。」
「鍵?もしかしてそれがフラグメントなの?」
「いや違う。『鍵』というのはマスターレジェンド名付けられた普通の『鍵』だ。」
「普通の鍵って………封印を解くのが普通の鍵だってのか?」
「普通の鍵ってこんなやつ?」
おもむろに蕾斗が自宅の鍵をレジェンダに見せる。
「そうだ。もちろん見た目は関係ない。小さな鍵ではあるがとてつもない魔力が込められている。」
「じゃあ、フラグメントってなんなんだよ?天使も悪魔も魔導書が欲しいならマスターレジェンドを探せばいいじゃないか!」
「当時、封印を破ろうとエルハザード軍もレリウーリアもあらゆる手段を用いたが、ふっ………破れるわけがない。宇宙の真理を解いたオノリウス様の封印…神とて手をこまねくに違いない。ところが、奴等は何故かマスターレジェンドの存在を知り三度私達を探し始めた。どれだけ逃げたか。飲まず食わずで何日も必死で逃げた。剣術に長けない私達にはどんなに強力な武器とて宝の持ち腐れ、トランスミグレーションは精神の強さに比例して威力を増すが欲に駆られた奴等と歩く事さえままならない私達では当然比べるまでもなかった。…………もうダメかと思った時、ある決意をした。マスターレジェンドに全魔力をぶつけ砕いたのだ。」
「砕いた?それじゃあまさか…?」
蕾斗がフラグメントを手にとりじっと見つめる。
「フラグメントというのはマスターレジェンドを砕いたその欠片だ。」
三人は蕾斗の持つフラグメントに注目し天使と悪魔がそれを狙う理由を理解したようだ。
「その後フラグメントを世界中に飛ばしてしまった。その数は全部で八つ。千年前の戦い時にはレリウーリアが一つ手に入れた。そして千年後、レリウーリアがまた一つ手に入れ今ここに一つ。三つその存在を確認できたわけだ。」
「なんだか壮大な話だな。」
「でも、他のフラグメントがどこにあるかは誰もわからないんでしょう?」
「確かに。」
「いや、『確かに』…じゃねえよ!だとしたら天使も悪魔もどうやって俺達が持ってる事を知ることができたんだ?」
「そこが私にも不思議に思うところで、千年前は探すに探して偶然一つ見つけただくだったのだが。この時代では一ヶ月の間に二つも奴等はフラグメントを探し当てた。どんな方法で探してるのか………。」
レジェンダは深い思慮の中に身を置いた。考えて答えが出るわけではないことは承知の上。千年も眠りに付いていた奴等が眠りから覚めた途端、フラグメントの在りかを掴んでいる。それは危機であると示していた。
「レジェンダはどうやってフラグメントが俺達の元にあるってわかったんだ?」
「私は復活した天使と悪魔の気配をずっと追ってるからな。昨日はサマエルの殺気が凄かったから特に苦労はなかった。」
「で、オノリウスはどうなったの?」
話を急がせる言い方で蕾斗が聞く。
「フラグメントの収集に夢中になった奴等は私達には目もくれなくなった。それを期にオノリウス様は戦争の火種の責任を感じて私達に魔導書の本当の役割を告げると、何処かへ旅立ってしまわれた。」
「「「本当の役割?」」」
三人が同時声を上げる。何故か照れ臭くなって互いに顔を見合わせて赤くなる。
「魔導書にはどんな内容かはわからないが宇宙の真理が書かれていることは先に述べたな?」
三人が黙って頷く。
「その宇宙の真理を知った者は無限を操る力、インフィニティ・ドライブを得られるという。」
「無限を操る力……インフィニティ・ドライブ……。」
羽竜が小さく繰り返す。
「インフィニティ・ドライブを手に入れた者は宇宙をも支配出来るとオノリウス様はおっしゃっていた。天使は地上粛正を謳っていたが、狙いは最初から魔導書だったらしい。悪魔も同じだろう。」
「オノリウスは?それを書いたオノリウスはインフィニティ・ドライブを持っていたって事だよな?」
「それまで起こした奇跡は確かにインフィニティ・ドライブで説明がつく。私達には何も言わなかったから推測になってしまうがな。」
「………もう一人の弟子はどうしたの?」
あかねが話に出てこない人物に気を使ったのかその安否を気にする。
「奴は愚かにもインフィニティ・ドライブを手に入れると言い出し私に協力を求めて来た。もちろん断った。それに激怒しトランスミグレーションを奪おうと襲い掛かって来たが、もみ合ってる内に崖から落ちてしまった。生死は確認してないが、あの高さだ生きてはいまい。」
共に学び生きてきた兄弟とも言える仲間の最後を思い出しているようだ。
「私は魔導書が悪しき者に渡らぬよう監視する。それがオノリウス様から任された最後の勤め。」
「い、一応……死んでるって言うのかな……?」
恐る恐る羽竜が聞く。
「私か?私の肉体はとっくに死んだ。だがそれは本当の死ではない。魂だけは今も生きている。」
「ま、まあ難しい事はもういいよ。それより話は終わりなのか?アドラメレクとはなんだか因縁がありそうだったけど。」
「アドラメレクは…………。」
そのまま口をつぐむ。
「アドラメレクは?何?」
何が出てくるのか息を飲んで蕾斗が待つ。
「なんでもない。」
肩を透かされて三人が転ぶ。
「なんだよ勿体ぶって…。」
「まあまあ、きっと言いたくないんだよ。わかってあげよう?ね、羽竜君。」
「まあ別に無理には聞かないけど…。」
「でもこれからどうするの?きっとまた狙われるよ?」
「……羽竜……。」
「な、なんだよ?」
いきなりレジェンダに名前を呼ばれドキッとする。
「お前には何かとてつもない素質を感じる。どうだ、魔導書を守る為に協力してくれないか?」
「俺?」
「そうだ。このままではフラグメントは天使か悪魔か、どちらにせよ全て集められてしまうのは時間の問題だろう。もしそうなれば互いに奪いになる、それは千年前の悲劇を繰り返す事になってしまう。地上を守るためにも力を貸してほしい。」
レジェンダの言ってる事は充分理解できた。このままではいずれ天使と悪魔の間で戦争が起き、地上が巻き添えをくうのは必至だろう。
羽竜はしばらく答えなかった。あかねも蕾斗も羽竜が重大な選択を迫られている事を知ってただただ黙っている。
「………………誰かがやんなきゃなんないんだろ?やらなきゃ世界中が大変な事になるんならやるしかないよな……。俺にやれるかな?」
羽竜は普段は軽いノリで振る舞っているが、誰より責任感がある。だからこそいつもの強気な態度で返事が出来ない。それは頼りない印象を与えるものではなく、覚悟を決めている印象を受ける。
「心配するな。今のお前ではサマエルにもベルフェゴールにも勝てまい。私が一から指導してやる。幸い素質を除いても身体能力は高いみたいだし、直ぐに上達するだろう。」
「簡単に言ってくれるぜ。」
「大丈夫よ羽竜君!私もいろいろお手伝いするから!」
「僕も!みんなで世界を守ろうよ!」
「蕾斗に言われるとなんだかなぁ………。」
「ちょっとどういう意味だよ、羽竜君!」
いつものパターンで三人が笑う。
この笑顔を戦いの中へと誘ってしまったことを少しだけ悔いた。
羽竜は言った。誰かがやらなければならないのなら……と。
それは紛れも無い羽竜の意志だろう。だがそう言わせたのも間違いない。
−これでいいのだろうか?羽竜にはトランスミグレーションを扱える素質がある。あれを使いこなせたのは過去にオノリウス様だけ。私でさえあんなに機敏には動けなかった。羽竜に賭けてみるか?−
楽しそうに笑う三人を見つめ、レジェンダは心を揺さぶる不安から希望を模索していた。
無限を操る力がそれぞれの運命を弄び始めた……………