第四章 悪魔黙示録(後編)
濡れたグラウンドを避けるようにして三人の少年少女が走り、校門を出た。
校門を出てからも走る事をしばらく走っていた。
先頭を走る少年がたまに後ろを振り返り、運動が苦手そうな二人を気にかけている。
もう大分走っただろう。見てるこっちが思うのだから運動が苦手そうな二人は限界じゃないのだろうか?
ぜーぜーと息を切らして立ち止まって先頭を行く少年に後方を走っていた少年がギブアップの宣告をする。
それを境にその場で少年同士がじゃれあい、少女がそれを見て笑う。三人の仲の良さは三人を知らない者が見ても知るにたやすい。
少し離れた電柱の上で女が携帯電話を取り出して電話をかけている。
「もしもし。千明?ターゲットは道端でじゃれあってるわ。
……ええ、そうね。間違いはないわ。今フラグメントらしき物を地面に落としたけど、あの光は本物ね。……ええ、なるべくなら殺さないで。同じ『人間』を手に掛けるのは忍びないわ。総帥もお望みにはならないし。……それは任せます。万が一ターゲットが誰か助けを呼ぶ気配を見せたら躊躇しないで啖氷空界で結界を張って。助けを呼ばれたら厄介よ。なんと言っても、貴女は有名人なんですから。とりあえず私は成り行きを見守ります。………いいわ、任務開始して。」
「右だ。」
頭の中にレジェンダの声が入ってくる。テレパシーでも使ってるんだろう。耳から聞こえてる訳ではない。だから聞こえるというよりも入ってくると言ったほうが合っている。
「くっ!!」
鍔ぜり合う音が氷の世界に響く。
「下からくるぞ!次は右!」
パッと見はサンドバック状態にも見える。ベルフェゴールの嵐の様な攻撃に羽竜はただ防ぐのが精一杯。しかし、常人には追う事の不可能な速さで攻撃してくる太刀筋をレジェンダの声に合わせてしっかりと防いでいる。
「あらあらどうしたの……防戦一方じゃ私には勝てないわよ。くす………そんな恐い目ぇしちゃ嫌よ。」
最初から勝てる戦いでないことは羽竜もわかりきっていた。
かといって何もしなければこのまま殺されるだけ。それだけにベルフェゴールの見せる余裕が気に入らない。
「ハァ……ハァ……。なんとかなんないのかよレジェンダ!」
−ベルフェゴールは本気じゃない!俺で遊んでるだけだ!くそ……せめてあの剣だけでもなんとかできたら……−
「ハー君、今度はちょっとだけ本気出してあげるわ。ちょっとだけね……くすくす。」
ベルフェゴールの独壇場となった。
一度後方へ跳び、数メートル間合いをとる。大きな羽根を広げ直し低姿勢で構え、左足を前に出しダッシュする。羽竜は防御の構えを見せるが、目の前で上空へジャンプ。一瞬ベルフェゴールを見失う。
レジェンダが羽竜にベルフェゴールの『情報』を伝え羽竜が頭上を仰ぐ。自分を狙い定めたベルフェゴールがいる。
そのまま降下して一度剣をぶつけ合い、大きな火花が飛ぶ。
そしてそのまままた剣をぶつけ合い、ベルフェゴールはすかさず後ろへ回り込む!
「羽竜君!!!後ろ!!!」
あかねがレジェンダより先にベルフェゴールの情報を叫んだ。
「………っ!!!!」
間一髪ベルフェゴールの太刀を防ぐが、その威力で後ろへ吹き飛ばされた。
「まだよ!!」
尻餅をついてる羽竜目掛け剣で空を切る。そこから衝撃波が生じ羽竜の周りを破壊する。そして、羽竜の身体にも傷が入る。
「羽竜君!!!!」
蕾斗が駆け寄ろうとするが、
「来るな!」
羽竜がそれを止める。
「ふふふ…。体操着がボロボロじゃない。かわいいわ。萌えるのよね……そういうの。」
羽竜の必死さなど余所に、ベルフェゴールは楽しんでいるようだった。
つかつかと歩み寄り切っ先を羽竜の喉元へ押し付ける。
「ハー君……いい子だから次で終わりにしましょう?苦しまないようにお姉さんが優しくしてあげるわ。」
「けっ!何がお姉さんだよ!年増ババア!」
「な!!なんですって………!!」
「余裕かますのはいいけど、汗で化粧落ちてるぜ!!」
「くっ…!!こ…この……このクソガキィ−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−っ!!!!!!」
羽竜の捨てぜりふに逆上し剣を振り上げ勢いよく振り下ろしてきた。
「今だ!足を狙え!」
レジェンダの指示に即座に屈み込み、ベルフェゴールの左足を蹴りつける。
「!!!!!」
傷つける事は出来なかったが、かなりの衝撃だったらしくベルフェゴールが倒れ込んだ。
「いったぁ………。」
身体を起こし思わずつむった目を開く。
「形勢逆転てところか?」
そこにはトランスミグレーションの切っ先を鼻先に向けて見下ろす羽竜がいた。
「残念だったね、千明さん。さあフラグメント、返してもらおうか。」
気がつけば青白く凍っていた街がその色を少しずつ見せていた。
結界の効果が薄れてきたらしい。
「作戦……だったのね。わざと私を怒らせて隙を作ったんでしょ?すっかりやられちゃったわね………。」
悪魔のような顔で怒り狂っていた千明の顔が寂し気な表情に変わる。
だが羽竜は剣を下げようとはしない。彼女は女優だ。演技するのが仕事。さっきからしてやられっぱなしの状況で油断できる相手じゃない。
「千明さん、あんたが悪魔だとしても俺は女の人を傷つけたくない。だからおとなしくフラグメントを返して結界を解いてくれ。」
「優しいじゃない。でもね、憐れみとか同情みたいなのって……正直ウザイのよねぇ……。」
千明の右手が落とした剣を探すが蕾斗に剣を踏まれてしまう。
「美人の最期って案外あっけないんだよね……。」
蕾斗が生意気にもわかったような事を言う。
「ベルフェゴール……この状況では成す術はなさそうだな。」
レジェンダが軽く浮いた状態で近寄って来た。
「どうかしら?この坊やに私を殺れるの?人を殺すのは嫌でしょう?」
「この者が嫌がってもこの状態なら私の力で剣を貴様の顔に突き刺すくらいはできる。試すか?」
千明は言葉を返さなかった。千明というよりはベルフェゴールとしての本能がどうする事もできないと告げているらしい。
「それはやめて頂きたいわ。」
聞き慣れない声がした。
「誰だ!」
レジェンダが姿無き声に警戒する。
感じる気配が尋常じゃない。
無意識に千明に向けていたトランスミグレーションの切っ先が下がる。今なら蕾斗は隙だらけだ。
「あっ!」
千明は蕾斗を突き飛ばし自分の剣を拾うと羽竜達から離れた。
「うわっ!」
「しまった!」
せっかくのチャンスを不意にしてしまい、警戒した羽竜が再び剣を構える。
「姿を現せ!」
レジェンダが声の主に叫ぶ。
レジェンダと今朝から出会ってまだ数時間。それでも羽竜もあかねも蕾斗も彼が緊張している事に気付く。
「懐かしいわね……レジェンダ…。そんな姿になってまで魔導書を守ってるなんて。さぞかしオノリウスも満足でしょう。」
ベルフェゴールの後ろにうっすら影が見え、それは徐々にこちらへ近づいてくる。
「この気は………まさか?………アドラメレク!!」
黒いスーツを着た女が現れた。
「オーラだけでわかってくれるなんて光栄の極みね。」
見たところやっぱり人間にしか見えない。
緩いウェーブのかかった長い髪を後ろで結い黒い革の手袋をしている。
170はあろう長身でほっそりとした美人の登場に羽竜も蕾斗も目を丸くしている。
「忘れたくとも忘れられんな。
……しかしお主まで人間になったというのか?」
霊体のレジェンダには肉体がない。それゆえ顔の表情を伺い知る事はかなわないが、口調から面食らっているのだろうと聞いてとれる。
「ベルフェゴール、ご苦労様。任務は完遂よ。しかしそのフラグメントは彼等に返しましょう。」
ベルフェゴールだけではなくその場にいる全員が唖然とした。
無理もない。死闘を繰り広げた理由がフラグメントにあり、このまま退けばフラグメントは悪魔達の物。
なのにそれを返してやれと言う。
「な…何故ですか!これを奪いに来たのではないのですか!」
胸元からフラグメントを取り出しアドラメレクに差し出す。
ところが、それをベルフェゴールの手から取ると今度は羽竜の前に差し出される。
「え?」
「レジェンダの助けがあったとはいえ、貴方はベルフェゴール相手に善戦したわ。あの身のこなしは人間にしておくのは惜しいくらい。さあ受け取りなさい、今日のご褒美よ。」
悪意も敵意もない笑顔を見せる。羽竜はどうしようか迷ったが、あかねに促されフラグメントをアドラメレクから受け取る。
レジェンダがアドラメレクに問う。
「どういうつもりだ?」
「そ、そうです!アドラメレク様!何故渡してしまうのですか!」
「黙りなさい。ベルフェゴール。これは総帥のご意志です。」
「総帥……の…?」
納得してなかったベルフェゴールも『総帥』と聞いて黙り込む。
「総帥……お前達がいるという事はやはりあいつも復活しておるのか?」
どうもアドラメレクが現れてからレジェンダは気が気じゃないらしい。解けない疑問も後押しするように彼を不安にさせているようだ。
「再会を祝して、街が溶けてしまうまで貴方の疑問に答えてあげましょう。」
「アドラメレク様!?」
「………気前がいいではないか。」
「早くしないと時間がありませんよ?」
「……なら聞こう。何故人間の姿で復活をしたのか?いや、そもそもどうやって復活したのだ?お前達は確かに全滅したはず。復活ついでにロストソウルまで復活しているのも解せん。」
ベルフェゴールの持っている剣の事を言ってるらしい。
一堂が彼女の持つ青い刃の剣に目をやる。
「レジェンダ……貴方は勘違いしてるわ。私達は人間としてこの世に生まれてこの世界で社会の中で普通に生活しているのよ。これは仮の姿でもなんでもないのよ。」
「どういう意味だ?」
「私に宿るアドラメレク達悪魔は、千年前の戦いでエルハザード軍に勝てないと悟った悪魔達全員が全魔力を注ぎエルハザード軍の魂を封印する際に、イグジストによって肉体も魂も失ったわ。でも、私達の持っているロストソウルが私達……悪魔達の力と記憶だけを吸収してしまったのよ。」
「ロストソウルが?」
「上級悪魔14人がそれぞれ所有してたロストソウルに力と記憶を託し後世に残したの。それを今の総帥が見つけ、その後出会った私達に与えてくれたのよ。だから貴方が感じたアドラメレクの気配も本物。」
アドラメレクが一通り説明をするが羽竜達には全く理解出来ない。
「簡単に言えば、人間の私達がロストソウルを手にした事でそれを所有していた悪魔の力と記憶も手にしたってこと。私自身はレジェンダの事なんて知らないししかも幽霊なんて普通ならごめんだわ。でも悪魔の記憶も私にはあるから貴方の事も知っているのよ。人間としての私達、悪魔としての私達。二つの記憶を持つ新種ってところでしょうか。」
「わ、わかるか?お前等?」
羽竜が蕾斗とあかねに聞く。二人は概ね理解出来てるらしい。
人差し指を口に当て羽竜に静かにするよう圧力をかけている。
「ロストソウルにそんな力があったとは……。」
「さあ、後はいいのかしら?空間が元に戻るわよ?」
アドラメレクはにっこり笑うと帰るそぶりを見せた。
「待ってくれ!なんで俺達にフラグメントを返してくれるんだ!?あんた達もこれが欲しいんじゃないのか!?」
羽竜が慌てて口を挟む。
「言ったでしょ?ご褒美だって。貴方とベルフェゴールの戦いを総帥に報告したら、いたく感心したみたいで今日のところは一旦返しておこうっておっしゃってたわ。」
やれやれといった感じで千明がため息をついた。
「そういえばレジェンダ、貴方どうして私達が全滅したこと知ってるの?」
「…………あの戦いからずっとお前達の気配を感じる事はなかった。その命と引き替えに天使を封印したのだと思っていたのだが、どうやら正しかったようだな。それが一ヶ月前からまた天使と悪魔が戦う気配を感じるようになったから不思議には思っていたのだが。」
「そうねそのくらい前から私達も活動していましたからね。」
アドラメレクが突如あかねに寄って頬に手を優しく当ててきた。
「貴女、さっきこの坊やに危険を警告してたわね…。ほら、千明が坊やを後ろから攻撃した時、叫んでたでしょ?あれがなければ彼…大怪我してたわよ。レジェンダよりも先に千明の攻撃を読んでいたなんて……フラグメントを返すのはそのご褒美でもあるのよ。」
「そんな……私はただ……。」
あかね自身何も考えていなかったのだから、褒められてもピンとくるわけがない。
「うふふ……かわいいわね。さて、結界が薄れてきたわ。そろそろお開きにしましょう。」
アドラメレクと千明が羽竜達に背を向ける。
「待て!」
レジェンダがあまりにでかい声で叫んだので隣にいた蕾斗が耳を塞ぐ。
「お前達が言う総帥というのは奴で間違いないのだな?」
「さあ?どうかしら?今は言わないでおきます。少しずつ、ゆっくりと謎解きをしていきましょう。貴方が疑問を沢山抱いているように私達もそれなりに疑問はあるの。傍観者であるはずの貴方がフラグメントを集め始めた………天使達も封印が解けてフラグメントを躍起になって探してる………そして私達も……。これからいくらでも会えるでしょう。だから焦らないで。」
アドラメレクがまるで教師が生徒を諭す様にレジェンダと羽竜達にも言った。
「ハー君……楽しかったわ。また遊びましょう。それまでせいぜい腕を磨いておいてね!」
千明がまたくすくすと笑う。
「それと、ドラマ……見てね!!」
無邪気な笑顔でウィンクをする。
羽竜は顔赤くして固まっている。そこへあかねの肘鉄が入った。
「最後に、私達は闇十字軍・レリウーリア。オノリウスの魔導書を巡る戦いに身を投じた悪魔の騎士団。私達は私達の理想の為に戦ってます、近いうちにまた会うことになるでしょう。
以後、お見知りおきを……。」
アドラメレクが丁寧に所信表明をし、千明と二人、光に包まれ消えていった……。
冷気でおおわれていた街はすっかり元の蒸し暑い街に戻っている。
音のない稲妻が長い戦いの幕開けを告げていた……。