第三十五章 崩壊する神話
メタトロンによって作られた空間はあっさりと元に戻っていく。
「勝った……んだよね?」
まだ信じられない。その想いをあかねが口にする。
「なんて奴だ………」
羽竜はヴァルゼ・アークの姿をじっと見つめている。
「僕達は、あんな人と戦わなくちゃいけないのか………?」
いずれ戦う事になる……ヴァルゼ・アークの言葉を思い出して蕾斗の身体が震える。
「魔帝ヴァルゼ・アーク………神さえ恐れる者………なるほど、納得だ。」
至って冷静を装ってはいるが、四人の中ではレジェンダが一番興奮しているかもしれない。
「大丈夫か?お前達……?」
ほうけている四人にヴァルゼ・アークが声をかける。
「え?ああ……大丈夫だ……少し圧倒されて……」
珍しく素直な羽竜に好感を持つ。
「ハハハ!何を言ってる、お前にもこのくらいの力は眠ってるはずだ。」
「俺に?」
「そうだ。もちろん蕾斗とあかね君にもな。」
「ぼ、僕!?」
「私!?」
かなりの勢いで否定する。
その二人の姿もほのぼのとする。
その時、大神殿が激しい揺れを呼ぶ。
「これは……!!」
体験した事のない地震に羽竜が危機を感じる。
「天界と神界を崩壊させる。」
ヴァルゼ・アークがいきなりわけのわからない事を言う。
いや、わけがわからないというよりも唐突に事が進んでる気がして困惑してしまうのだ。
「でも、神ってメタトロンだけなのかよ?もっといるんじゃないのか?」
神話に出てくる数々の神がまだいるはずだと羽竜が認識する。
「他の神達はここにはいない。」
「じゃあどこにいるんだよ?」
「羽竜君!そんな事より早くここから逃げなきゃ!」
崩れてくる壁や天井を見てあかねが羽竜を急かす。
「あかねの言う通りだ。羽竜、蕾斗、逃げるぞ!」
「お、おう!」
「そうと決まれば早く行くぞ。」
冷静にヴァルゼ・アークがみんなを先導して大神殿を出る。
魔力を使い果たした蕾斗とレジェンダはテレポートも飛行魔法も使えない。
全員が持てる限りの力で走る。
「時間がないけど総帥大丈夫かしら?」
天界も激しい地震に揺れている。
サタンが不安げにヴァルゼ・アークを想う。
「後十五分くらいね、天界も……」
アスモデウスが永く続いた天使との戦いを振り返る。
「何浸ってんのよ、ほんとの戦いはこれからなのよ?」
アスモデウスの気持ちはわからないでもないがアシュタロトが気を引き締める。
「来たわ。」
アドラメレクがジャッジメンテスとベルゼブブを先頭に飛行してくるヴァルゼ・アーク達を確認する。
「あれって………ヴァルゼ・アーク様?」
いつもと違う容姿にナヘマーが目を疑う。
「覚醒したのよ。ふふふ……ますます惚れちゃうわ!」
ベルフェゴールが瞳をうっとりさせてヴァルゼ・アークを見ている。
そしてヴァルゼ・アークが合流する。
「千明さん!!」
あかねが涙を零してベルフェゴール………状態の千明に抱き着く。
「よかった!!生きてたんですね!!」
「あらあら、しょうのない子ねぇ………でも、ありがとう。」
「ヴァルゼ・アーク様………お疲れ様です。覚醒なされたんですね。」
シュミハザがヴァルゼ・アークに片膝をついて忠誠の姿勢をとると、それに続いてレリウーリアの面々が同じく忠誠の姿勢を見せる。
「みんなご苦労だった。だがここでのんびりしてる暇はない。間もなくここは崩壊する、一刻も早く脱出しよう。」
「「はいっ!」」
女戦士達が声を揃えて返事をする。
「一体何をしたんだ?こんな地震初めて経験するぜ………」
羽竜が轟音の止まない天界の異変の原因を聞く。
「羽竜君、あれ………!!!」
あかねが指差す先には赤い月があるが…………動いている。いや、正確には墜ちて来ている。
「私達がやったのよ。」
リリスがあかねに優しく答えた。
「重力レンズを私達の魔力で作って落としているのよ。」
ナヘマーが羽竜に説明する。
神界に行く前にヴァルゼ・アークがジャッジメンテス達に何を準備させていたのようやく理解出来た。
よく見ればあちらこちらに光の柱が立ち天界と赤い月の間の空間が歪んでいる。
あれがきっと重力レンズなのだろう。
「さあ、急いで!エデンが落ちる前に帰りましょう!」
赤い月はどうやらかの有名なエデンらしい。もっとも今それを気にしている場合ではない。
ジャッジメンテスが指示を出して全員が帰る。
もちろん羽竜達も連れて。
「あっ!!」
「どうした?アシュタロト?」
「あの………ご褒美を………」
「褒美?」
「はい。アドラメレク様が頑張ったらご褒美としてヴァルゼ・アーク様と………」
「俺と?」
「なななななな何でもないです!!!ア、アシュタロト、ほら、先に行きましょう!」
「ちょ…………約束がちが〜〜〜〜う!!!!嘘つきぃ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜!!!!!!!!!!」
なんだかよくわからない顔をしてヴァルゼ・アークが二人を眺めている。
他のメンバーはだいたいの予想はついて苦笑いをしていた。
「とんだ様だな、ミカエル。」
「………サマエルか。何しに来た?」
「地に落ちたリーダーの姿を一目見ようと思ってな。」
「今までの仕返しか?なら殺せ……。未練は何もない。」
「そんな事しなくても俺もお前も終わりだ。だいたい貴様など殺す価値もない。」
「殺す価値もない………か。」
「ま、せいぜい苦しまずに死ねるよう祈るんだな。」
「何処に行く気だ?」
「フン……貴様と心中などごめんだからな、死ぬ時くらい自分の死にたいところで死ぬさ。」
床に座り込むミカエルを哀れな目で見る。
いつもならプライドの高いミカエルの事、黙って聞いてはいないのだが今はそんな気も起きない。
サマエルもそれ以上何も言うつもりもなく台座の間から出て行った。
天界の崩壊は即ち、神メタトロンの死を意味する。
もはやミカエルには何の気力も残っていなかった。
床に座り込みただ折れた剣を見つめ、ルシファーとのやり取りを思い出してると、入口から足音がする。
「…………何しに戻って来た?やはり私の命が欲しくなったか?」
「…………ミカエル様。」
ミカエルはサマエルが戻って来たのだと思っていた。しかし足音の主は声が透き通っていてとても気持ちいい声だ。
「ア……アルヒエー………様……」
目の前に予想してなかった人物がいる。
ミカエルはすっと立ち上がりアルヒエーに近付く。
「生きておいででしたか。」
「ええ。」
「申し訳ありません。悪魔達に勝てませんでした……」
「ミカエル様…………」
「アルヒエー様だけでもお逃げください。」
「ミカエル様、貴方はどうなさるおつもり?」
「私には責任があります。おめおめと生き恥を晒すわけには参りません。この天界と共に果てようと思います。さあ、早くおに…………げ…………アル……ヒエー……様?」
何か冷たい物体が腹のど真ん中に入って来た。
「ごめんなさい………ごめんなさい………………」
ミカエルは一瞬何が起きたかわからなかったが、次第に湧き出る痛みに何か刃物が刺さったのだと理解した。
ゆっくりと赤い雫が落ちる。
「ア…………アルヒエー様………な、何故……?」
魔力も果てた今のミカエルに傷を癒す力もない。
立ってるのもやっとでアルヒエーの肩を掴んで自分の身体を支えようとするが、支える腕力も失せていく。
「私は……………私は全て知っていました。あの日、世間知らずの私が考えも無しに貴方に言ってしまった事………ルシフェル様に嫉妬していた貴方を……………私は悪魔にしてしまった…………貴方を………愛しているのに………」
刺した短剣を引き抜く。
「アル…………ヒエ……」
足元の影を消してしまうほどの出血に倒れ込む。
遠退く意識は二度と戻らない。
「ごめんなさい……………私に出来るのは…せめて………一緒に死ぬ事くらい…………」
ミカエルを刺した短剣で自らの腹を刺す。深く…………。
「ごめんなさい……………ごめんなさい…………ごめん……………な………さい…………」
薄れる意識の中で必死にミカエルの手を探り、重ねる。
涙が零れ落ちる。生命体としての機能は失くしてしまっているのに。
その涙は止まる事はなかった。
死しても彼女は誇り高き権天使。それはもしかしたら、後悔の涙などではなかったのかもしれない。
愛するものとやっとひとつになれた……そう、幸せの涙だったのだろう。
きっと……………………