第二十四章 それは希望の日
心中穏やかではなかった。
夕べ就任パーティーを抜けて一人自室にこもって考えていた。
「…………直に聞くが早いか……。」
就任初日。神殿の更に上に神々の住む神界が存在する。神界へは上級天使と言えど出入りは許されない。
ミカエルは今日正式にエルハザード軍隊長に任命される。
軍隊長に任命されて初めて天使達の代表として神界への出入りを許可される事となる。
ただ、普段は神殿の中にある神を象った石像を通して神とやり取りをする。そこが『神殿』と呼ばれる由縁である。
そして………神と謁見出来る今日、直に聞いたのだ。
ルシフェルが大天使長に抜擢されるかもしれない………嘘か誠か?
真実はあまりにも残酷だった。
弟であるルシフェルが大天使長になる。それも近いうち。
ルシフェルも承知したと言うではないか。
「私が軍隊長でルシフェルが大天使長だと!?」
とても仕事などする気にはなれない。
神殿を抜けルシフェルの元へ急ぐ。
ルシフェルを見つけるのは容易だった。
いつも『希望の日』と呼ばれる丘の上で昼寝をしている。
辺り一面に綺麗な花が咲き乱れ綿のように柔らかい草むらがとても気持ちいい。
「よう、ミカエル。」
滅多に顔を合わせる事がない二人。それも来るはずのない来客にいささかぎこちない笑顔を見せた。
「ルシフェル………!」
「……?どうした、そんな恐い顔して?」
寝そべっていた身体を起こしミカエルを見上げる。
「何故だ………何故だルシフェル!!」
ルシフェルの胸倉を掴み抑え切れない怒りをぶつける。
「お、おい……何なんだいきなり!」
振り切った勢いでミカエルが倒れる。
「あ……すまない……大丈夫か?」
「……っ!!」
差し延べたルシフェルの手を跳ねる。
「…………。」
「…………。」
二人に沈黙が訪れる。
幼い頃よりあまり仲がいいわけではない。二人きりになる事などなかったが、それでも二人きりになれば自然と沈黙になっていた。だから沈黙には慣れていると思っていたのだが…………今回は少し重過ぎる。
「そういえば今日はエルハザード軍隊長任命日じゃなかったか?昨日酒でも飲み過ぎて遅刻して怒られたか?」
もちろん冗談のつもりだったがミカエルに睨まれ口をつぐむ。
「私はお前と違って遅刻などした事もない!はっ!一度くらい経験してみたいものだ!」
皮肉なのか本音なのか?
もしかしたら後者かもしれない。
「じゃあ何なんだ?人の昼寝邪魔しといて。説明しろ。」
至って冷静に状況を把握しようとする。
「…………お前、大天使長になるつもりか?」
「大天使長?俺が?おいおいミカエル、仕事のし過ぎで頭でもやられたか?」
クエスチョンマークがルシフェルの廻りを飛び交う。
「神からお前に依頼があったはず。そしてお前は承諾したと聞いた。神自身からな。」
「ああ。そんな話あったかもな。断ったけど。」
「断った?嘘をつくな!たった今神に聞いてきたところだ!お前、承諾したそうじゃないか!」
なるほど……納得した。
ミカエルが怒るわけだ。権力思考の強いミカエル。大天使長の座は彼にとって大きな夢。いや、エルハザード軍隊長になった時点でリアルな目標へと変貌を遂げた。それはきっとミカエルの野心に火をつけたはず。間違いなく。
エルハザード軍隊長というだけでも神との謁見を可能にする誰もが憧れるカード。
そのカードを手にするためにミカエルがどれほど努力をして来たか………。
なのに有能とはいえ一介の天使に過ぎないルシフェルが、いきなり大天使長になるともなればミカエルが怒るのも無理はなかった。
「だから断ったって言ってるだろう?大天使長になってお前をサポートしてやれと言われたが、立場は大天使長のほうが上だからきっとお前が嫌がるだろうと思ってはっきり断ったよ。まあ元から就任する気はないからな。」
「だったら何故承諾したなどと神自身の口から…………!」
金色の長い髪を乱しながら詰め寄るのはミカエル。一方同じ金色でもセミロングより少し短いくらいの髪をオールバックにしているのはルシフェル。
美も備え持つ二人が『希望の日』でたった二人で会話している様は実に絵になる。
会話の内容を知らなければの話だが。
「お前がどうしてもって言うのならって条件付きでだ。どうせそんな事言わないだろ?あんまりしつこくされたんでな、つい。」
肩をヒョイと上げて悪気がなかった事をアピールする。
「そうか。」
ルシフェルの本音を聞いて安心したのかミカエルらしくない行動をとる。草むらに寝そべって空を仰ぐ。
「ったく。何事かと思ったじゃないか。」
「ははは、悪い悪い。」
ミカエルに吊られてルシフェルも笑う。
いつ以来だろう………二人揃って笑うなんて。
「………………おめでとう。」
「ん?」
「エルハザード軍隊長就任…………」
「ああ、ありがとう。」
照れ臭いのか二人共目を合わせない。
「長年エルハザード軍隊長も大天使長の座も空席のままだったしな。それに相応しい人物がいなかったって事だ。そこにお前が選ばれたのは実力だろう。俺も鼻が高くなるよ。」
「よせ。お前がその気になったら私が選ばれたかはわからない。」
「まさに神のみぞ知る………だな。」
ルシフェルの冗談に声を上げて笑う。
「心配するな。俺は今のまま自由でいたい。お前の邪魔をする気などさらさらないよ。」
「ルシフェル………」
「だがな、もし何か困った事があったらいつでも俺を頼れ。必要悪にいつでもなってやる。綺麗事ばかりじゃないだろうからな。」
「ふふ…ありがとう。心強いよ。お前が力になってくれるのなら何も恐いものはない。」
久しぶりの会話はお互いの心情を知るには十分だった。
忘れていた懐かしい気持ちがどこか歯痒い。それがまたたまらなくよかったりもする。
男同士とはそういう生き物。人間も天使も変わらない。
「さてと……」
「行くのか?」
「ああ。生まれて初めて『サボリ』を経験出来たよ。」
「普通は遅刻から初めるもんだ。」
また笑う。
「頑張れよ、隊長。」
「ああ。」
互いに右腕をクロスさせる。
それを別れの挨拶として白い翼を広げミカエルが神殿へと帰っていく。
ルシフェルはミカエルを照らす光に大天使長ミカエルを想像していた。
「誠か!?」
「はい。私も信じられません…………まさか、ルシフェルが………」
神界にてミカエルが神と謁見していた。
神は白いカーテンの奥に、そのシルエットだけが浮き出ている。
「しかしあのルシフェルがそのような事を考えておったとは………」
「メタトロン様、双子の兄である私でさえわかり得なかった事。いかに神であるメタトロン様でも致し方ないと……」
「…………で、ミカエルお前はどうするつもりだ?」
「はっ。昨夜一晩寝ずに悩みましたが……………エルハザード軍隊長としての責務を果たしたいと思います。」
「討つ…………か。」
「説得出来る状況にはありませぬ。」
「わかった。お前に一任する。」
「はっ。ただ……」
「なんだ?申してみよ。」
「はっ。万が一という事もございます。念のため神界の警備も厳重にしておいていただければ安心して戦いに集中出来るのですが……」
「よかろう。神界にはエルハザード軍とは別に兵を置く。安心するがよい。」
「ありがとうございます。では早急に準備を致します。失礼します。」
シルエットだけのメタトロンに胸に手を当て敬礼する。
神界にある神殿を出て全速力で天界へ向かう。
「危険な芽は摘んでおかねば………」
ミカエルはこの日たった一度だけ悪魔となった。
己の野望の為に……。
実の弟を殺す為に……。
奇しくも向かう先は『希望の日』。
それはミカエルにとって戻れぬ道となる。