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黒鳥の夢  作者: 氷室冬彦
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7 一つ目の異変は全ての異変

 またこの夢だ。


 モノクロの世界は雷坂家の前から始まった。前の夜と同じく家の中に入り、軽く中を見てまわる。リビングで次はどこに向かおうかと考えていると、どうしてもテーブルの上の地図に目がいった。


 ここは十年前のあの日が舞台になっている夢だろう。それは理解できる。だがこの夢が俺の記憶から成り立っているならば、この夢でのあの廃屋はどうなっているのだろう。なんだかそれが無性に気になってしまう。あの廃屋にあるのは、四つの遺体と、それらを作り出した元凶たるカルセット。そして。


 脳裏をかすめるのは青髪の少年。


 人は常に主観でものを見る。そんなことはわざわざ言わなくても、誰もが無意識的にわかっていることだ。うしろからカメラがついてまわって、その映像を見ているわけではない。この夢に出て来るすべては雷坂郁夜が自分自身の目で見たものだ。この夢の中に当時の俺がいないのも、俺が郁夜自身であるからだ。


「廃屋……か」


 ぽつりと呟いた。これからどうするか、答えは漠然と決まっていた。そもそもこれは夢だ。ただの夢なのだから大丈夫、なにも心配することはない。正直、あまり行きくなどなかったが、それでもこの状況ではそれ以外の考えが浮かばなかった。たぶんこれはそういう夢なのだ。


 リビングの奥へ進んでいくと裏口がある。あの日もここから家を抜け出した。迷いを振り切るようにため息をつき、扉を開けた。外は相変わらず、耳鳴りがしそうなほど静かで、鳥の鳴き声や風の音すらも聞こえない。


 廃屋までの道は、あらためて地図など確認しなくとも頭に入っている。あのときと同じように――とはいかないものの、別に他のなにを気にするわけもなし。郁夜はただただ歩き続けて、あの廃屋を目指した。


 夢の中では時間や距離も曖昧なのか、廃屋にはすぐに辿り着いた。本来ならばもっと歩かなければならない位置にあるはずだが、所詮は夢。郁夜もあの日の道中のことはよく覚えていない。


 黒々とした森の中を進んだ先でひらけた場所に出る。灰色の空、白い草原。そこにぽつんと取り残された一軒の建築物。外壁は雨風と砂で汚れている。カーテンはボロ布と化しているが、なぜか窓ガラスは一枚も割れていない。二階を見上げるが、十年後の現在では割れたままになっているはずのガラスも、今この時点ではキズひとつない。一歩さがり、さらに上を見上げようとした。


 屋根の上、灰色の空の下。ぽつんと黒いものが見えた。


 赤い目をした黒い鳥が、郁夜を見下ろしていた。



 *



「もしもし。……ああ、なんだお前か」


「たしかにしばらく会ってなかったな。元気してたか?」


「……そっか。こっちも相変わらずだよ」


「ん? ロワリア? ……ああ、そうだな。そう」


「それは……きっとギルドの人さ。覚えがある」


「ああ。ああ。……じゃあ、その人は」


「雷坂郁夜って人だ」


「それがどうかしたのか? ……なにか失礼なことでもしたんじゃないだろうな?」


「……そうかよ。それは――ああ、わかった」


「時間だ。そろそろ切るぞ」


「……そうだな。また今度、会おう」


 柳岸柳季やなぎしりゅうきは受話器を置くと、小さく息をついた。



 *



 ゆっくりと身体を起こす。背中に汗をかいていた。動悸がする。最近、毎晩のように奇妙な夢を見るのだ。十年前の夢だ。視界はモノクロで、なつかしさはあるものの、どことなく冷たい夢だ。とくになにがあるわけでもなく、ただ記憶の中を散歩しているような夢だが、それは毎晩少しずつ前進している。いや、進んでいるのは郁夜自身の判断なのだが、夢の中では前に進まなければ終わらない予感に背中を突かれている気分なのだ。


 あの夢はどこまで続くのだろう。このままいくと、夢の中でまたあの光景を見ることになるのだろうか。それとも郁夜以外のすべての人間は、誰も彼も例外なくあのモヤモヤした影のような形に変わっているのだろうか。そうだとしてもおかしくはないと思う反面、そんなはずはないだろうという不安がじわじわとわき上がってくる。はやる気持ちを落ち着かせるように深呼吸し、ベッドを出て立ち上がった。身体がだるい。ずっと眠っていたはずなのに疲れがとれず、むしろ眠る前よりも疲労が溜まっている気さえする。


 まあいい。どうせただの夢なのだ。そう割り切って顔を洗い、簡単に身支度を整える。今日は今日でするべきことがあるのだから、まずは目の前の仕事に集中しなくては。そうすれば昼食を食べるころには、あんな夢のことなど忘れているだろう。


 もしそれでも気になるようであれば、礼に愚痴をこぼしてみるか、はたまた医療室でカウンセリングでも受けるか、そこまでするのが大げさなら、アリアの礼拝室に行ってみるのもいいだろう。彼女も、まがりなりにも聖職者なのだ。相談くらいには乗ってくれるはず。実際、他のギルド員たちも彼女に日々の悩みや愚痴や相談事などを打ち明け、対応してもらうことがあるそうだ。たしか浄化セラピーだとか呼ばれているらしい。


 部屋を出たとき、ちょうどすぐそこの廊下を夜黒が通りかかった。彼女の進行方向、少し離れたところの曲がり角の向こうから、片割れである白の声が聞こえる。合流するところだったのだろう。郁夜が夜黒に気付くと、夜黒はいったん立ち止まって郁夜を見上げた。


 その瞬間、夜黒の左目に光がよぎる。


「夜黒――」


「おはよう」


「ああ、おはよう」


 郁夜に言葉を継がせず、夜黒は何事もなかったように歩き去っていく。


「……あいつ、今なにを」


 夜黒の左目。虹彩に薄く透けて見える導線のような細い線。そこにちらりと光が横切るときというのは、能力を使用したときに限られている。夜黒は郁夜に向けて能力を発動させたのだ。今日だけではない。たしか一昨日の晩にも同じことがあった。


 だが、なぜ。なんのために。


 郁夜はしばらく神妙な様子で立ち止まっていたが、やがて司令室へ向かって歩き出した。三階から二階へ階段を下ったとき、目の前を礼が横切った。その独特な青髪が視界に入ったとき、郁夜は反射的に声をかけた。


「礼」


「ああ、郁。おはよう」


「これから朝飯か?」


「まあね。……どうした? なんかちょっと元気ないみたいだけど」


 やはりお見通しなのだ。郁夜は思わず苦笑した。しかし、郁夜自身は気付いていないが、彼は先ほどからずっと苛立っているようにも、眠気を感じているようにも、ただ疲労しているようにも見える表情でいたので、これが礼でなくても同じ問いかけをしたことだろう。


「好きな子にフラれでもしたか?」


「お前はなにを言ってるんだ。俺にそんな相手がいるわけないだろ」


 思わずため息が出た。単語ふたつ分ほどの微妙な間が空く。


「……なんでもない。ただ、ちょっと変な夢を見ただけだ」


 郁夜は結局、そうとだけ告げた。

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