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黒鳥の夢  作者: 氷室冬彦
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5 陽気な隊長

 ああ、これは夢だ。


 白と黒が織り成す世界。今この場で色があるのは自分ただ一人。空も、土も、建物も、草花、木々でさえ――すべてがモノクロの世界。たしか昨日も同じ夢を見ていたような……なつかしい風景を見渡しながら、ふとそんなことを思う。連日続けて同じ夢。こんなこともあるものなんだなとのん気に捉え、前回に同じ道を歩いて、同じ場所へ向かった。


 人のような形をした黒い影たちが、もぞもぞと歩きまわっている。動きはゆっくりで、普通にしていればぶつかることもないだろう。夢の中とはいえその様相は不気味なので、やはり近寄りたくはない。俺はその影たちを意識して避けながら進む。雷坂の家にはすぐに辿り着いた。扉に手をかけると昨日に同じく鍵は開いており、中には簡単に入れそうだ。


 前の夢ではこのあたりで鳥が飛んできたのだが、今回はそれがなかった。妙におどろかされることなく、俺はなつかしい玄関の扉をくぐった。色はないものの、家の中の様子はすべて記憶の中のものと一致しており、間取りはもちろん、家具の位置や大きさ、特徴的な壁のきず、床の軋む位置や音までもが、覚えているままに再現されている。


 リビングのテーブルの上には一枚の地図。ひと目見てこのあたりのものとわかるそれには、一部にペンで印がつけられている。それを見てようやく、これは「あの日」の夢なのだということに気が付いた。レスペルとリワンの境界に位置する森、その中にある、あの廃屋の位置を示した地図だ。


 外でうごめいている黒い人型の影は、あれは他の住人や警備隊員だろうか。個々人としての認識ができないために、あれが人間を再現したものであることにすら、俺は今このときまで察せなかった。夢の中だからか、やけに鈍い。


 ひとまず家の中を見てまわった。やはり、というかなんというか、その時代の自分や父の姿などはない。二階にある自分の部屋へ行ってみると、カーテンを閉め切っているせいで部屋全体が薄暗かった。窓際に歩み寄り、そっとカーテンを開ける。


 窓の外を見ると、向かいの木に留まった黒い鳥が、こちらを見ていた。



 *



 自室を出ようと扉を開けると、すぐ目の前に藍那夜黒が立っていた。郁夜が彼女に気付くと、彼女は郁夜をじっと見上げる。今朝も白は一緒ではないようだ。おそらくだが、まだ寝ているのだろう。


「夜黒、どうかしたのか」


 そのとき、彼女の左目。瞳の中に透けて見える線に一瞬、光がよぎったのを郁夜は見逃さなかった。


「……なんでもない」


 夜黒はわずかな間を開けてそう言うと、目を閉じて小さく肩を落とした。そのままなにも言わず、白のいるであろう自分たちの部屋へ向かって去っていく。郁夜も引き止めることはしなかった。


 司令室へ向かうと、礼、探偵、ロアの三人がのんびりと朝のコーヒーを飲んでいた。郁夜は空いていた探偵の隣に座る。正面には顔のよく似た礼とロアが並び合って座っており、もう十年間ずっと見続けてきた顔ではあるが、やはり何度見ても似ている。


 礼がまだ子どもだったころ、とくにロアの身体年齢と同じ十三のころなどは、髪の長さと声の高さ以外では区別がつかなかったくらいだ。郁夜が過去のこと、とくに礼に関することを鮮明に覚えているのは、幼い礼とほとんど変わらない姿のロアが身近に存在するからだろう。


「今朝ここに来たら、礼が書類と一緒に床で寝てたからおどろいたよ」


 郁夜が自分が飲む分のコーヒーを淹れていると、ロアが言った。昨日、司令室から出たときに聞こえた音がそれだったのだろう。転んだままあきらめて、そのまま眠ってしまったようだ。礼は笑っている。


「第一次眠気大戦は敗北に終わったよ」


 その眠気大戦とやらが第一次でないことだけは確実だ。ロアも少し呆れている。当然と言うべきか、探偵は興味がないようだ。


「眼鏡は壊してないだろうな」


「それは大丈夫。それより郁、昨日なんか言ってなかった? 友達が遊びに来るみたいなこと」


「友達じゃない。警備隊の知り合いが、ギルドを見てみたいと言ってて」


 知り合い、という部分をやや強調して言うが、礼は解釈を改めてはくれなかった。


「さっきもチラッとその話したんだけど、その友達のこと、もうちょっと詳しく教えて」


「昨日もしたはずなんだが……」


 名前から所属から、現状で或斗についてわかることは説明していたのだが、どうやら眠気大戦中の礼には聞こえていなかったらしい。というより郁夜を前にした時点で彼には見えているだろうに。自分ではロアと探偵に説明できないと踏んだのだろう。彼はあまり物事の説明を得意としていない。


「ロワリア部隊の隊長をやってる或斗ってやつだ。ちょっとした縁があって、つい先日に知り合った。元セレイア部隊で、つい最近ロワリア部隊にやって来たらしい。俺がここの所属だと話すと、興味があるから見に来たいと言い出して。それで、一応お前にも確認しておこうと」


「ああ、いいんじゃない? 楽しそう」


 昨日とほとんど同じ返事だ。ロアも頷く。探偵はロワリア部隊、という言葉でちらりと郁夜に視線を向けた。


「おもしろそうだから私もここにいるよ」


「探偵も警備隊とは仕事でよく顔を合わせるだろう。もしかしたら知っている顔かもな」


「ああ。ふむ……部隊長が変わったことは聞いていたが、まだ会ったことはないな。社交辞令として挨拶のひとつくらいはしておくべきか……」


 結局、それまでどおりの朝の空気が続く。探偵は仕事の関係上、警備隊とは無関係ではいられないので、或斗の姿をひと目見ておこうと思うのも道理だ。だがロアのはどういうことだろう。いや、そういえば彼女は昔からこうだった。礼の楽観的な姿勢もおそらくロア譲りのものだ。


 しばらくして全員のカップの中身が空になったころ、司令室の扉がノックされた。礼がぴくりと反応する。


「おっと、このノックはアリアだ! どうぞー」


 明るい声で言うと、ご名答、扉の向こうから現れたのはメイド服を着たアリアだった。なぜノックの音で特定できるのかはわからない。郁夜にこれと同じことはできないのだが、できなくても困らないし、できるようになりたいと思ったことなどない。


「おはようございます、礼様。玄関ロビーにお客様がお見えです」


「おっ」


 礼がうれしそうな声をもらす。


「じゃあ、ここまで案内してあげてくれる?」


「かしこまりました」


 アリアは深々と一礼し、司令室を出て行く。いつものことではあるのだが、シスター服でもメイド服でも接客とは彼女も大変だ。少しして礼が来客用に新たにコーヒーを淹れていると、また扉がノックされた。


「どーぞお」


 コーヒーを淹れながらの姿勢でそう返すと、アリアのときよりも勢いよく扉が開いた。


「どうもー!」


 まだ普段より静かなほうだった室内に、場違いなほど明るい声が響く。その明るさに、礼が満面の笑顔でそちらを向いた。


「わはは、どうも!」


 言葉と声の調子までもをオウム返しにする。皆が予想していたとおり、来客というのは件の警備隊員のことだった。礼がにこにこする一方で、探偵の顔がわずかに引きつった気がした。良くも悪くも、想像していた倍以上に明るい青年が現れたからだ。


「お邪魔します! 郁夜、昨日ぶり。言ったとおりに来たぞ」


「ああ……まさか朝に来るとは思ってなかったが」


「っていうか……すごいな、ここ。メイドさんとかいるんだ。びっくりした!」


「あれはシスターだ。いや、たしかにメイド服は着てるけどな」


「あはは。思ったより、というか話に聞いていたより明るいテンションの人が来たなあ。言っておいてくれよ、郁」


 ロアが苦笑している。そうは言うが、郁夜もまさかここまで高めのテンションで来るとは思っていなかった。探偵がなにか考え込むように目を閉じてから、うんざりしたような視線を郁夜に向けた。目を細めているだけなのかもしれないが、それだけでも睨んでいるように見える。


「貴様は……なんだ、ああいう、ああいうタイプの人間になつかれるのが趣味なのか?」


棘を含む余裕もないような、抑揚のない小声だ。


「誤解だ。昨日会ったときはああじゃなかった」


「いいじゃん! いいね、絶対仲良くなれる。俺わかるよ」


 礼はうれしそうだ。或斗は礼と目が合うとにっこりといっとう明るい笑顔を見せる。二人とも朝から元気が良すぎる。たしかにこの分なら波長が合うだろう。


「はじめまして、普段はロワリア部隊の隊長をやってる警備隊員の或斗です!」


 軽く敬礼する或斗に、礼も真似して右手を挙げた。


「ロワリアギルド、支部長の來坂礼でーす」


「あ、私もやる。ロワリア国の化身、ロア・ヴェスヘリーです」


 礼に続いてロアも或斗のノリについていく。すぐさま打ち解けた三人をよそに、探偵は眉間を押さえて目を閉じていた。この場に残ったことを後悔しているのかもしれない。


「……探偵だ。そのノリは期待するな」


 彼は短くそう言った。或斗は四人を一瞥し、やはり笑った。


「有名どころが勢ぞろいって感じだなあ。知ってるよ、『探偵』って。報道紙に載っていたのもそうだが、本部でもよく見かけたし。あれだろ、ほらあの、えっと、あ……っと、いろんなところで、いろんな事件を解決してるって」


 事件の具体例が思い出せなかったらしい。或斗は曖昧に言葉をにごした。しかし知っているというのは本当なのだろう。


「そうだろうな。貴様の姿も、以前にセレイアで見かけたかもしれない」


 探偵が或斗の顔を見もせずに言う。本当かどうかはわからない。


「有名どころ……有名どころ? え、俺って有名どころのうちに入ってんの? あっはっは」


 礼はいつもどおりのん気だ。普段からこの調子なのとロワリア国があまりに小さい国なので、あまり改めて意識しないが、この組織がロア直属の組織である以上、今の礼はロワリア国の上から二番目くらいの地位にいることになるのだ。一番目が誰か、などというのは、もはや言うまでもない。


 或斗はロアと礼を見比べ、ひとまずもう一度ロアを見た。


「えっ、そっくり! いや、それより、すごい! ロワリア国の化身って本当に少女の姿なんだな……ん? いや、なんですね!」


「まあね。それと、敬語は取っ払ってくれてかまわないよ。気負わず楽にしてくれ。郁、せっかくだしギルド内をいろいろ案内してあげなよ」


「……そうだな、わかった」


「じゃあ郁! 案内頼んだ」


 或斗が意気揚々と言う。ところでいつからこの男はいつから気軽に「郁」と呼ぶほど、郁夜と親しくなったのだろう。とくに迷惑というわけでもないので、ひとまず好きにさせておく。たぶん礼と同じような感覚であしらっておけばいいだろう。


「おもしろそうだから俺もついていく」


「ははは、じゃあ私も。暇だし」


「部屋に戻る。案内もなにも好きにすればいいが、私の事務所の前で騒ぐなよ」


 探偵は機を見計らってさっさと司令室を出て行った。郁夜の案内で、という話だったが、既に礼とロアが先導して歩いているので、或斗とのコミュニケーションはあの二人に任せておいていいだろう。


 まだ一日が始まったばかりだというのに、既に疲れかけている自分がいた。

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