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黒鳥の夢  作者: 氷室冬彦
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4 馴染み深い、変貌

 夜のギルドは昼間の賑わいが嘘のように静かだ。司令室へ向かう途中の廊下、郁夜は見慣れたうしろ姿を見つけた。腰まで伸びた青紫の髪に小さな背丈。背中側から見て取れる特徴といえばそれだけなのだが、それでも彼女が誰であるのかを認識するためにはうしろ姿だけでも十分だ。


夜黒よるく、まだ起きていたんだな」


 藍那夜黒あいなよるく。全体的に年齢層の低いこのギルドの中で最年少にあたる。夜黒は郁夜の声に振り返った。長い髪の毛先が少し遅れてさらりとなびき、ガラス玉のような青い瞳が郁夜を見上げる。左目にはよく見ると一本の線のようなものが横走っており、その模様は見慣れていない者にとっては奇妙なものかもしれない。


はくは一緒じゃないのか」


 重ねて郁夜が言う。白というのは夜黒の双子の姉の名だ。夜黒は小さく頷いた。まだほんの十一歳の幼い少女。まだまだあどけない顔立ちではあるが、彼女はどうも、かわいらしいという言葉では形容しがたく、どちらかというと美しいという印象を受ける。どこか機械的で、人間よりもやや無機質な、作り物のような少女だ。


「もう眠ってしまった」


 淡々と、無表情のまま短く答える。


「そうか」


 白はおちついている夜黒とは正反対の明るく活発な少女だ。夜黒がおとなしく、しっかりしているため、白のほうが妹に見えることも多い。二人はいつも一緒にいるので、他のギルド員たちからは二人の名前からとった愛称として、白黒姉妹と呼ばれている。分かれて行動しているところは珍しい。


 腕時計を見ると、時刻は夜の十一時をまわろうとしていた。時計を見るために挙げた手を、そのまま夜黒の小さく丸い頭にぽん、と乗せた。ちょうどそうしたくなる高さとフォルムなのだ。これが許されるほど気安い仲であるから、というのも大きい。


「お前も、あまり夜更かしせずに、早く寝ろよ」


「うん」


 夜黒は短く頷き、三階へ続く階段のほうへと消えていく。白黒姉妹――白と夜黒とは、二人がギルドに来る前からときどき町で会う機会があったのだ。礼や郁夜にとって二人は妹のようなものだ。


 ごく普通の家庭で育った、ごく普通の仲のいい姉妹。五年前にセレイアで起きた列車の横転事故で両親をうしなうまでは、彼女たちはそういった普遍的かつ一般的な存在だった。とくに夜黒だ。事故の際に白をかばった彼女の身体は非常に危険な状態にあった。郁夜と礼もその場に居合わせていたので、そのときのことはよく知っている。


 白と夜黒は能力者だが、夜黒の能力は先天的に備わっていたものではなかった。夜黒が瀕死の状態に陥った際、現在ではこのギルドに居を構える、千野原涼嵐ちのはらりょうらんという医師がその治療に携わったのだが、義手、義足、人工臓器、皮膚や血液の移植――その他、あらゆる手を尽くしても夜黒が助かる見込みは薄く、小さな身体にその大手術は負担が大きすぎる。しかしだからといってなにもしなければ夜黒は死ぬ。手術は決行され、あとは夜黒の生存本能と運次第。能力が目覚めたのはそのときだ。


 夜黒の身体にあてがわれた無機物たちと、本来の人間であったはずの部分が覚醒した魔力と混ざり合い、彼女は機械であり人間でもある存在となったのだ。たとえるならば絵の具だ。赤と青の絵の具をパレットに出したとする。人間としての赤と機械としての青は、決してまざることはなかったのだが、そこに水が流れ込むことでふたつの色が混ざり合い、紫というひとつの色となった。割合で言うと、機械が七、人間が三。半分以上が機械ではあるが、それでも彼女は人間だ。だが別に腕を切れば導線が走っていてそこから火花が――というようなことはない。実を言うと郁夜にも夜黒自身にも、夜黒の身体が具体的にどのような構造になってしまっているのか理解しきれていないのだ。


 我々能力者が扱う能力というものは、その内容によっていくつかの系統に分類される。礼のエスパー系の能力、郁夜の変形系の能力、ジオの風属性の能力――というように。一応は体脳系の能力としているものの、正直なところ、彼女の能力系統が体脳系なのか機械系なのか、判断がむずかしいところではある。だがそういった線引きが曖昧な能力というのはいくらでもあるし、ただ自己紹介で若干まごつくかもしれないというだけで、はっきりと正しく区別しなければならない理由もない。なのでどちらでもいいと言ってしまえばそれまでだ。


 足を止める。司令室の扉はいつもどおり、開いたままだ。中を覗きながらノックすると、音は広い部屋に反響していく。すっかり聞き慣れた音だ。


「礼」


 ソファに座り込み、うとうと舟をこいでいた礼が、郁夜の声に目を開けた。


「ん? ああ……郁」


 声がかすれている。居眠りをしていたのだ。


「眠そうだな、礼。そんなところで寝たら風邪をひくぞ」


 言いながら司令室に踏み込むと、礼は大きなあくびをして、ずれた眼鏡を指で押し上げた。郁夜は彼の正面に腰掛ける。


「急な話で悪いんだが、明日、客人が来ることになって」


「客人? 依頼者?」


「そういうわけじゃない。普通に……知り合いが、ここを見てみたいと。好奇心だそうだ」


「あー、友達が遊びに来るってこと」


「友達ってわけじゃないんだが……」


 礼は目をしぱしぱさせている。


「いいんじゃない? 楽しそう。俺は賛成」


「……大丈夫か?」


 会話は成立しているが、もはやきちんと考えて物を言っているわけではないだろう。礼はまた大きなあくびをした。郁夜もつられそうになるが、ぐっと噛み殺した。


 数秒、妙な間が空いた。


「だめだ、今日はもう寝る」


 また朦朧としていたらしい礼が、頭を振って立ち上がる。


「風呂は入ったのか?」


「朝でいい」


 目元をこすりながら、ふらふらとおぼつかない足取りで司令室の奥へ歩いていく。部屋の奥、本棚に隠れるようにひとつの扉があり、そこが礼の自室となっているのだ。朝風呂は体に悪い、という噂をどこかで聞いた覚えがあったが、あの状態で風呂に入れると溺れてしまいそうなので、なにも言わないでおいた。


「……そうか。じゃあ、俺もそろそろ寝る」


 郁夜も立ち上がり、出口に向かって歩を進めた。礼があのように強烈な睡魔に襲われるのはときどきあることなのだ。彼のエスパー系の能力は目――というより、脳に負担がかかるものらしい。なので常人よりも多くの休息を必要とする。礼の一日の活動時間は、皆が思っているより短い。


 それでも大抵は積極的に力を使った日くらいしか、ああまではならないのだが。いや、だが思い返してみると、それ以外が原因になっていると思しき眠気も過去に何度かあった気がする。おそらく郁夜が把握できていない別の理由があるのだろう。それがなにかはわからない。


 部屋を出て扉を閉めた直後、扉の向こうからなにかが倒れるような派手な物音が聞こえた気がしたが、郁夜はとくに、まあ、あまり気にしなかった。



 三階へ続く階段に向かう途中、郁夜はシスター服の少女と鉢合わせた。聖導音アリアは郁夜に気付くと深々と頭を下げる。普段は髪をうしろでふたつに束ね、その上からベールをかぶっているのだが、今はベールを外し、髪もおろしている。


「雷坂様、本日も一日、お勤めご苦労様でした」


 アリアは顔を上げるとまず、そう言った。表情はなく、声も淡々としている。堅苦しい話し方という意味では、ギルド員であり近所にある神社の巫女でもある鈴鳴玲華すずなりれいかのを聞き慣れているし、機械的で淡々とした口調というのも、先ほどの夜黒ので慣れている。その二つが合わさったところで、別段どうということはないはずなのだが。


「……ああ、アリアもお疲れさん」


 短い挨拶だけを交わして二人はすれ違い、それぞれ歩いていく。アリアはおそらく二階の礼拝室に。郁夜は三階にある自室に。アリアと別れて数秒後、郁夜はため息をついた。


 どうにも、郁夜はあのアリアという少女が苦手なのだ。避けたいわけじゃない。話しかけづらいわけでも、もちろん嫌いなわけでもない。はっきりとした態度で物怖じせず、要領よく、手際よく働く、清楚で品のある勤勉な少女だ。悪印象などひとつもない。


 ただ、彼女は機械的すぎる。


 会話に際した無表情がどう、というわけでない。だいたい郁夜とて感情が表に出づらく、表情の変化が乏しい自覚があるのだから、他人の平時の表情についてとやかく言うつもりはないし、愛想がどうこうなどとは思ったこともない。だが、アリアは。藍那夜黒とはまた違う意味で、機械的かつ無機質だ。


 毎日決まった時間にぴたりと起床し、決まった量の食事を摂り、決まった声音で決まった言葉を話し、決まった時間にぴたりと寝る。ロボットのごとく完璧さ、正確さ、潔癖さ。自室にはベッドとクローゼットのみ。彼女の生活には人間らしさがないのだ。


 夜黒の機械的な態度には能力が関係している。明確な理由がある。それにもともと物静かで口下手な子だった。なのでそういうものなのだと受け入れることができる。だがアリアのそれには理由がない。キッカケ、目的、動機、理由、なにもない。わからないと言うほうが正しいかもしれない。ただの人間の少女であるにも関わらず、能力の覚醒で機械と融合した少女よりも機械的で無感情だ。


 生きた人間でありながら、そう感じさせない。彼女を人間として扱うことが、なぜかおかしなことのように感じてしまうほど。調子が狂う。不健全だと思う。心配しているとも言えるのかもしれない。今こうしている間もそこの廊下の角から郁夜の様子をうかがっているギルド員がいるのだが、周囲からストーカーと呼ばれている彼女のほうがまだ付き合いやすいだろう。


 郁夜はまた、ため息をついた。

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