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黒鳥の夢  作者: 氷室冬彦
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2 支部長と司令室

「チェックメイト」


 つまらなそうな声が無慈悲に響き、盤上のナイトを動かす。黒のキング――來坂礼らいさかれいに、逃げ場は残されていなかった。ろくな身動きも取れず、残された戦略もなく苦い顔でじっとしていると、キングは探偵の指に弾かれてチェス盤から落とされた。


 ロワリアギルド、司令室。テーブルを挟んでの盤上の戦争は、またしても礼の敗北に終わった。


「うーん。また負けた。なんでだ?」


 ソファの背もたれにだらしなく倒れ込む礼の隣で、ロア・ヴェスヘリーが笑った。独特な色合いの青髪をうしろでひとつに束ね、大きな紫の瞳はどこか凛としている。空色の軍服を着た、少年のような風貌の少女は、礼と顔立ちがよく似ている。いや、この場合は礼がロアによく似ている、というべきだろう。


 なにもしらない人間はこの二人を兄妹だとでも思うかもしれない。礼は二十歳。ロアの外見は十三歳ほどに見える。しかし、それはあくまで外見に限った話でしかなく、実際に彼女が生きてきた年月は、実に千年。ロワリア国の化身。それこそが、このロアの正体である。


「頭脳戦で探偵に勝とうと思ったのが間違いだよ。最初に言っただろう?」


 口ぶりから察するに、ロア自身も探偵に敗北した経験があるのだろう。紅茶色の髪に、吸い込まれそうなほどの深い青の瞳。探偵は長い足を組み替えると鼻で笑った。


「当然だ。來坂礼、私の頭の中を覗いた程度で勝てると思ってくれるなよ。思考を暴かれていようと、頭脳を競う戦いにおいて私に敗北はありえん」


 十勝零敗。今日の探偵のスコアだ。これ以上続けたところで結果は変わらない。


「ところでさっきから思ってたんだけど、今日は郁がいないようだね?」


 ロアが礼に向けて問う。探偵がまるで今ようやく気付いたかのように言う。どうでもいいのだろう。


「郁は今日お休み。ちょっと出かけてるんだよ。故郷まで」


「すぐそこじゃないか」


「うん。だからすぐ帰ってくると思うよ」


 扉をノックする音が広い部屋に反響した。礼はそのままの体勢で声を返す。


「どーぞ」


 声のあとに扉の向こうから現れたのは、眼鏡をかけたシスター服姿の少女。美しい姿勢で静かに歩く姿からは品のある印象を受ける。聖導音せいどういんアリアは、ソファに腰掛けている礼たちに向けて、深々と頭を下げた。


「失礼致します。礼様、わたくしの衣装についてお尋ねしたいことが」


 衣装というのは今彼女が着用しているシスター服のことではなく、メイド服のことだ。彼女はたしかにこのギルドのシスターであるのだが、同時にギルド内の清掃や来客時の応対などの雑用の一部も受け持ってくれている。そういった雑用業務の際には必ずメイド服を着用しており、他のギルド員からもシスター兼メイドさん、と認識されているくらいだ。


 なぜ彼女がメイド服を着るのかというと、別にこれは礼が強要したわけではない。アリアがそういった雑用を引き受けたいと申し出たとき、本職であるシスターとしての服を汚してしまう恐れがあること、そもそもその格好で掃除をするのは動きづらいだろうということが問題点としてあがり、あとはロアが「掃除や雑用といえばメイドさんだね」と口走ったことが始まりだった。ただの遊び心だ。


 そしてつい先日のこと、彼女は掃除中にスカートをひっかけて裾をやぶいてしまった。聞きたいことというのは、その服の修繕が今どうなっているのか、ということだ。


「ああ、服のことなら龍華りゅうかに頼んでおいたから、もうじきに届くと思うよ」


 龍華、というのもギルド員の名だ。手先が器用で裁縫などの細かい作業が得意なため、よく他のギルド員たちからも服の修繕などを頼まれている。たとえば探偵の助手である寿ことぶきが着ている服のいくつかはもともと探偵のものだったのだが、それを寿用にリメイクしたのも龍華だ。アリアから服がやぶれたと報告を受けてすぐに修繕を頼んだところ、彼はすぐに取り掛かると言っていた。


「あいつは仕事が速いし、もうできてるかもしれないよ。聞いておくね」


「いいえ、礼様のお手を煩わせるほどのことではございません。わたくしが直接、神社を訪ねて参ります。では、失礼致しました」


 もう一度、深々と頭を下げ、アリアは司令室から去って行く。そしてアリアと入れ違いに郁夜が帰ってきた。郁夜は一瞬、すれ違ったアリアのほうに気を取られたが、すぐに礼たちを見る。


「なんだ、郁。もう帰って来たのか」


「ああ、したいことは済んだ」


 言いながら、郁夜は探偵の隣に腰をおろし、息をつく。


「君、午後からはどうするんだい?」


「することもないからな。仕事する」


「真面目だねえ。せっかくの休みなのに」


 ロアは苦笑する。探偵は一度だけ郁夜を見て、すぐに目を逸らすと、傍に置かれてあった文庫本を手に取った。


「リワンに行ったと聞いたが」


「たしかにリワンにも行ったが……いや、あそこはリワンなのかレスペルなのか……」


「あそこってちょうど境目だもんな。叶架きょうかは?」


 叶架というのはギルド員の一人の名だ。郁夜への片想いをこじらせてしまい、仕事以外の時間を郁夜を尾行してその動向を監視するという趣味に費やしている、いわゆるストーカーなのだが、本人が容認しているため表立っての問題はない。


「さすがに危ないからな、ついてこないように言っておいたさ。一人になりたかったし、ざっくりとした事情は話してあるから、あいつもわかってくれてる」


「あそこ、というのは?」


 ロアが尋ねる。郁夜が答えた。


「俺と礼が初めて会った場所だ。ボロボロの廃墟だったし、まだ残っているとは思わなかったが」


「あはは。ちゃんと残ってたのか。タフだなあ。いつでも崩れそうな感じなのに、案外壊れないものなんだな」


「まあな」


「――ほう」


 探偵が目を細めて郁夜を見た。睨んでいるようにも見えるが、それは誤解だ。


「どうかしたか?」


 探偵が会話に関心を持ったように思えたので、郁夜が言うが、探偵はふん、と鼻を鳴らして読書を再開した。つれない態度だ。


「俺も行ってみようかなあ」


 礼が言う。ただの気まぐれ発言だ。この男はどんな状況でも思いつきで行動する節がある。結果的にそれが良い方向へ転ぶことのほうが多いのだが、ときには逆の結果に陥ることもある。郁夜はそのことで過去に何度も苦労させられてきたのだが、実を言うと郁夜自身は、それを迷惑だとは思っていない。


 礼がいなければ、郁夜の人生は平凡でつまらないものでしかないのだ。郁夜に彼ほどの思いきりのよさはない。なので礼の判断というのは郁夜にとって、いい刺激となっている。礼は自分の思うがままに行動しているだけなのだから、郁夜が勝手に満足しているだけだ。甘やかしているとも言えるのだろう。


「行くって、いつだ」


「どうだろうな。明日かもしれない。明後日かもしれない。今日これからかもしれない」


「いい加減だな。仕事のこともあるんだから、もし本当に行くなら前もって言っておいてくれよ」


 郁夜が呆れていると、ロアが小さく笑った。


「礼がいい加減なのは今に始まったことじゃないよ」


「たしかにそれもそうだな」


「えー、それはちょっとひどくない?」


「事実じゃないか、君」


「まあね」


「否定しないのか」


「事実なんだろ?」


「まあな」

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