15 答え合わせの続き
昨夜のこと。礼は森の中に立っていた、厳密には、すぐ森の中で一人の少年と向かい合っていた。ところどころに青色の差した黒髪に、黒い目。歳は礼よりわずかに下だが、さほど離れてはいないだろう。周囲の木々には赤い目をしたカラスたちが彼を取り巻くように留まっている。
「あのカラスたちは?」
「ああ、気にしないで。あれは俺の友達です。あなたに危害を加えることはありません。きっと俺のことが心配なんだ」
クスクスと笑う少年に礼は沈黙を返し、周囲のカラスたちから正面の大きなカラスに視線を移す。
「それで……頼めるのか?」
目を逸らさないよう注意して問う。礼は眼鏡をかけてこそいるが、目の前にいるのは隙を与えていい相手ではない。フィルターは切っていた。
「できないわけじゃないね。俺の能力は少しの読心術と、夢への干渉が主なものなんですよ。自分自身が入り込むのはむずかしいけど、自分以外のなにかを送り込むことならできる。……たとえば、そうだなあ、うーん……鳥とか?」
來烏がその場で軽く手を挙げると、そこに一羽のカラスが降り立った。
「もちろん人間だって例外じゃない……いや、試したことはないですけど、できるはずだ。來坂礼さん? その申し出を聞けないわけじゃない」
名乗った覚えはないのだが、既に烏は礼の名を知っている。だがそれは烏にしても同じことだ。そもそも彼が礼の名を知っていることすら、礼は知っていたのだ。おどろく要素はない。エスパー同士の会話というのは奇妙な感覚だった。
「条件があるってことか?」
「うーん。……そうですね、やっぱり僕もなにか報酬はほしいですよ」
烏は一歩、礼に詰め寄って下から顔を覗き込む。そのとき、暗闇の中で烏の黒い目がぼんやりと赤い光を放った。――いや、光ったような気がしただけで、実際には目の色が変化しただけなのだった。
「たとえば、そう――それ。その目。その能力、いいなあ。俺よりずっと精度が高くて」
言いながら礼に向けて手を伸ばす烏。だが礼は静かに身を退いてその手を避けた。彼にそこまでできるほどの力がないことはわかっているが、かといって油断できる相手ではない。気を抜けばなにかしらをかすめ取られそうな予感がある。極力なら触れないほうが身のためだ。そもそも彼の言葉には虚実が入り混じっており、まともに信用してはいけない。烏は小さく笑い声をもらした。
「ふふ、ああ、冗談冗談。報酬なんているものか。勝手にそっちに手を出したのは俺なんだし、見つかってしまった時点で俺の負けだ。敗者は勝者に従うべし。それくらいは引き受けるさ。お安い御用さ、助けてやりなよ。誰かさんの分までさ」
*
「夢に関するカルセットは複数いますが、その中でも、人に特定の夢を見せるカルセットは五種。そのうち、有害なのは二種で、無害なものが三種。この場合の害の有無というのは、つまり命にかかわることだと思ってください」
柳季は指で数を示しながら話し続ける。その日、司令室には或斗と柳季、探偵とロアの四人がいた。
「基本的にカルセットが人に取り憑いて夢を見せる場合、その日数は最長でも七日と相場が決まっているんです。有害なものならば、その七日の末に宿主の生命を吸い取るのです。郁夜さんは無害なほうに憑かれているようですので、そのあたりの心配はありません。ただ……無害なものでも、心労が溜まった結果、自ら命を絶ってしまうケースもあります。それもまあ、郁夜さんなら大丈夫だとは思いますが」
「郁に憑いてるっていう……そのカルセットっていうのは?」
「コクチョウです。そのまま黒い鳥と書いて、黒鳥。思い出の場所に行ったら、その日から何度も同じ夢を見るようになった――という現象の話は、一度は聞いたことがあると思いますが、その正体がそれですね」
「ああ……なんか、そう言われると、そんな話も聞いたことがあるような気がする」
「俺はそんなのはじめて聞いたけど」
或斗と礼が顔を見合わせる。柳季はかまわず続けた。
「黒鳥はカルセットとしてはマイナーというか……いえ、夢に関するカルセットは大抵そうなんですけどね。外見が他の鳥と区別がつきづらいというのもあって、名前を知っている人もあまりいません。俺も正直、そこに黒い鳥がいたとして、それが黒鳥かどうかを見分けられるかと言われると、自信がないです。詳しい生態もよくわかっていない種ですが、ひとまず無害であることは確実です」
「その黒鳥が郁に取り憑いた日っていうのは、俺と郁が廃屋で会った日だろ? 礼の話が正しければ、もしかすると俺に取り憑いていてもおかしくないんじゃないか?」
「うーん、それは思い入れの差……ではないでしょうか。郁夜さんは或斗さんのように情報を頼りに偶然現れたのではなく、実際にその場所に対して強い思い入れがあるようですから」
「……で、肝心の郁は今どうしてるんだ?」
これにはロアが答えた。
「さっき最後の夢から覚めたようなんだけど、また眠ったよ。ここ最近はろくに休めていなかったようだし、昼ごろまではゆっくり寝かせといてあげようと思ってる。礼が様子を見に行ってるんだけど……」
そのとき、開けっ放しだった司令室の扉から礼が入ってきた。一番に気付いた柳季が軽く会釈する。
「礼さん、郁夜さんの様子はどうでしたか」
「大丈夫そうだ。アリアの浄化も効いてるみたいだし。そのうち起きると思う」
「貴様の助け舟は沈まずに済んだようだな」
今まで黙っていた探偵が口角を吊り上げて言ったので、礼はへらへらと笑った。或斗や柳季には二人のやりとりの意味がわからなかったが、すべて解決したということは理解できたので、なにも言わなかった。
そこで探偵がなぜか柳季に一瞥をくれ、もう一度礼のほうを見ると、それにしても――と言葉を繋ぐ。
「貴様、夢の内容が正確に十年前のものであると、よく特定できたな。いくら現場を知っているとはいえ、見たのはフィルター越しの景色なのだろう?」
或斗が探偵につられて柳季を見る。カルセットに詳しいその少年は、探偵の言葉に眉をひそめて固まっている。薄く開いた口から、小さな声がもれる。
「フィルター?」
礼が頷く。
「ああ。これは俺も夜黒もすぐに気付いたんだけどな、郁夜の様子が変なのは夢が原因であることはわかっても、俺が持ってるフィルターみたいに能力を弾く術みたいなのがかかっていて、断片的にしか見えなかったんだ」
「いえ」
礼の説明に、柳季は訝しげに異を唱えた。
「そんなはずは……ありません。礼さん、それはおかしいです。黒鳥だけに限らず夢に関する……いえ、そのあたりにいるような並大抵のカルセットに、能力による干渉を阻害するような術の類をかけるほどの力はありませんよ」
ちょうどそのとき、真っ黒な鳥が窓の外を横切った。
*
礼拝室だけに限らず、ギルドの壁や床は、青色だか灰色だか判断のつきづらい色をしている。はっきりしない曖昧な色に囲まれた部屋で、黒と白の男女が向かい合っていた。
聖導音アリアは無表情のまま、正面に立つ來烏という少年に、相変わらずの淡々とした口調を向ける。
「悪趣味な。他人の過去に干渉するなど、まったくもっていらやしい。そう言われることをお望みなのでしょうか」
烏は笑いながら手を振って否定のジェスチャーをする。
「違う違う。今回のは偶然なんですよ、シスター。俺は湿っぽいのも重たいのも苦手なんでね」
気安く歩み寄ろうとする烏だが、アリアにきつく睨まれ、前に出そうとした足を止めた。
「怖い怖い。メイドさんがそんな顔してちゃダメでしょ、ご主人様はどういう教育をしてるわけ? ……嘘だって、冗談だよ。今回は……言うなれば、ちょっとばかしイタズラがすぎたのかも?」
「雷坂様の夢に干渉し、細工したのはなぜですか」
「あら深い理由はありませんことよ。別に敵意や悪意があってのことじゃないし、これ以上どうこうしようって気もない。君んとこのご主人に見つかっちゃったからね、もう今からなに企んでも無駄でしょ。そう警戒するなよ」
「あなたの言葉は信用できません」
「やっぱり君は俺を邪険に扱っているよなあ。シスターならシスターらしく、もっと穏やかな態度や物言いができないのか?」
「私から言わせていただきますと、あなたは神の敵である魔の使いでしかなく。忌々しい邪教の徒であるあなたに払う礼儀などございません。早急に立ち去り、二度と我々に関わらないでください」
「ひどいなあ。嫌われたもんだ。どっかのお話じゃカラスは神の使いとも言うんじゃなかったっけ?」
「あいにく、私が信仰する神は礼様ただお一人です」
一度は止めた足を再び前に出す。アリアは今度は視線だけでなく言葉でそれを制した。
「近寄らないでください。大声を出しますよ」
「おー、怖い怖い。綺麗な顔が台無しってもんだ」
烏は肩を竦めて困ったように笑っている。
「あなたは彼の夢に干渉し、覗いた。ですが、あなたがしたのは本当にそれだけですか? 私には、これらの一件はただの気まぐれやイタズラの類ではなく、あなたがなにか特定の目的を果たすために仕組んだことのように感じられます」
善か悪か、立場の定まらない少年は鼻で笑った。
「まさか。僕がそんなことするはずないでしょう?」