13 単純な答え合わせ
「郁夜さんは呼ばなくてもいいんですか?」
「いいよ、郁はもうある程度自分の状況をわかってるだろうから。今は俺もちゃんと把握できてないし、詳しいことはあとで俺から話しておくよ」
礼はそう答えたが、彼が把握できていないというのはどういうことだろう。
司令室には柳季、礼、探偵、或斗の四人がテーブルを囲んでソファに腰掛けていた。ひとまず柳季と或斗はお互いに軽く自己紹介を済ませ、探偵の言うところの答え合わせに備える。柳季と或斗に召集をかけてここまで連れてきたのは探偵だったが、興味なさげな探偵の態度や、郁夜を呼ばないという判断を下したのが礼であることから、この集まりは探偵ではなく礼の呼びかけによるものなのだろうと察した。
少しするとロアが人数分のカップを乗せた盆を持ってやってきた。探偵は紅茶、それ以外はコーヒー。柳季と或斗のために砂糖とミルクを多めに用意してくれているようだ。ロアはなにも飲まないらしい。仮にも国の化身であるロア・ヴェスヘリーに給仕役をさせるなど、本来ならばとんでもないことなのだが、彼女自身もまわりも大して気に留めていない。
或斗と、それより一瞬早く柳季がロアに席を譲ろうとしたが、彼女は気にせず二人を座らせると、礼のうしろに腰を曲げて立って、背もたれに肘をついた。そのまま聞いているつもりなのだろう。柳季は探偵を見たが、彼は既に役目は終えたと言わんばかりにのんびりと紅茶の香りを楽しんでいる。
「……なあ、俺いる必要あるのか?」
或斗が首を掻きながら気まずそうに言った。彼はなぜ連れてこられたのかもよくわかっていないのだろう、少しめんどくさそうだ。なにかしらの理由があって礼が招集をかけたのだろうと思っていたが、探偵はそれをあっさりと肯定した。
「そうだな。いてもいなくても、といったところだ」
「じゃあなんで連れてこられたんだよ?」
「來坂礼が呼べと言ったからだ。本件に関して私はまったくの無関係なのでな、理由はそいつに聞くがいい。もっとも、大した理由などないのだろうが」
探偵が礼に視線を投げつけると、礼はコーヒーを飲もうとしていた手を止めた。
「うん。でも、少なからず接点――接点ではないか。でも知ってるから。俺は知らないけど或斗は違うし、それに見てる。郁のことも知ってるなら、関係ないとは言い切れないと思って」
「は?」
礼がわからないことを言うので、或斗は怪訝そうな顔をした。そういえば、今の礼は眼鏡をしていない。コーヒーの湯気でレンズが曇るからと、先ほど外したのだ。ならば――柳季は察した。なにか見えたのだろう。
「あ、でも警備隊として知っておいてほしいってところもちょっとあるかも」
ようやく理解できる言葉が来た。だが或斗は見るからに戸惑い、理解不能と言わんばかりの顔で口開けたまま固まっている。反応からして、おそらく彼は礼の幻視の能力を知らないのだ。いや、知っていても支離滅裂にしか聞こえないので、だからどうというわけでもない。
助け舟と言ってはなんだが、代わりに柳季が礼に尋ねた。
「礼さん、或斗さんが知っている……とは。それと、彼はなにを見ているのです? 人ですか、物ですか? それとも場所?」
礼は顎に手を当て体を少し前に傾けると、或斗の目をじっと覗き込んだ。正確にはそこにいる或斗を見ているのではない。彼が見ているのはきっと、そのさらに奥にあるものだ。
「似てる? 若い? 或斗、その伊鶴さんっていうのは、郁の父さんか?」
「え――?」
舟は沈んだ。
礼の言葉に或斗の表情が凍る。その表情の変化に、安易に踏み込むべきでない部分に踏み込んでしまったのではないかと内心ひやりとした。いや、しかしこの礼のことだ。言っていることはわけがわからなくとも、他人の超えてはいけないギリギリのラインはわかっているはず。だと思いたい。
「……あ、ああ」
或斗はしばらく言葉を失っていたが、なにがなんだかわからないという顔のまま、どうにか頷いた。礼はなんでもない顔で、そっか、と呟き、なにかを考え込んだ。肝心の礼が黙り込むので、部屋は非常に静かなものとなった。誰も結論を急いではいないのだろう。
ロアは最初から黙って聞いているだけだ。探偵は本当にどうでもいいらしく、場を仕切るつもりも口を挟むつもりもない様子だ。長い足を組んで沈黙している。ちらりと様子をうかがうと、話を聞きながらひっそりとあくびをしていた。
さて、この沈黙をどう破ったものかと腕を組もうとしたとき、扉をノックする音が聞こえた。珍しく扉が閉まっているため、誰がやって来たのかはわからない。まるで今の音が聞こえていないかのように、その場にいる誰もが微動だにしない。或斗が少し気にしているくらいだ。
動かない彼らと扉を交互に見、仕方なく柳季が立ち上がった。扉を開けた先には誰もにいない……違う、視線を下に向けると、一人の少女がいた。腰まで伸びた長い髪と、左目に不自然に横走った導線のような模様が印象的だ。まだまだ幼いが、顔立ちはかわいらしいというよりは美人だというほうがしっくりくる。
何度かギルドで見かけたことがある。いつも傍にはツインテールの少女が一緒で、たしか双子の姉妹なのだとか。たしか名前は――藍那夜黒、といったか。柳季が思い出したところで、夜黒が小さく頭を下げた。つられて柳季も彼女に会釈する。
なんと言って挨拶するべきだろうか。こんにちは? 久しぶり? どれも適切ではない。ひとまずその場に屈んで、少女と目線を合わせた。
「えっと、夜黒ちゃん……どうかした? 礼さんに用事?」
柳季が言葉を探り探り言うと、夜黒は無表情のまま手に持っていた書類を差し出した。
「報告書を。それと――」
ちらり、と司令室の中を覗き、しかしすぐに小さく息を吐いた。
「……なんでもない。それだけ」
「あ、うん。そう?」
夜黒が去って行ったので、柳季は礼にひと声かけてから奥のデスクに受け取った報告書を置いた。元の場所に座りなおしたとき、黙りこくっていた礼が唐突に言う。
「それって体脳系に憑かないってことはある?」
「え?」
思わず聞き返すが、聞き取れなかったわけではない。礼の言う「それ」というのはなにを指しているのか、二秒ほど遅れて理解する。
「ああ……いえ、そういうのはないと思いますよ」
「人になつくことは?」
「なつく? ……どうですかね。人に対して攻撃的なものではありませんから、その気になれば……いや、あの、答え合わせをするんですよね?」
「うん」
「事情を把握していない或斗さんもいらっしゃる以上、ちゃんとわかるように言葉にしてもらえませんか」
「はい。はい? うーん」
みょうちくりんな反応を見せ、礼は背もたれに頭を預けて上を向いた。喉仏の出っ張りが見える。だらけた様子の礼を諫めるように、ロアがその頬を両側から手でぎゅっと挟んだ。
「んぎゅ」
奇妙な声をもらし、礼は頭を振りながら起き上がる。
「來坂礼よ、貴様はなにを見た。知っていることを順番に話すがいい」
今まで参加の意思を見せなかった探偵が言った。思わずそちらを見る。礼の仕切りではあまりにも話が進まないので、いい加減にじれったくなったのかもしれない。
「毎日同じ夢を見てる。色がない夢だ。郁にとって一番嫌な出来事。それだけ」
「十年前……?」
或斗が反応する。探偵がため息をついた。
「わかった。貴様はまるで成長していないということだな。核心を避けながら概要を説明するくらい、もう少し自然にこなしてみせろ。……ロワリア」
「え、礼がダメなら私かい? 顔で選んでないか、君」
「そいつに好きなようにさせていては話が進まない。だが、これはわざわざ私が取り仕切るほどの事件でもない。面倒なのでお前が話せ、ということだ」
「君ってときどき、いい加減というか、投げやりなところあるよね」
ロアは苦笑いを正すと、或斗に向き直った。
「すまないね、急に巻き込んでしまって。実は今、郁は夢見の悪さにずいぶんと悩まされていてね。どうも数日前から毎日、同じ夢を見るのだと。その夢は十年前のリワンで起きた、とある日の出来事を追体験するような内容で、それは郁にとっては、とても悲しい出来事だったんだ」
「……それは、あの廃屋の?」
或斗が言いづらそうに、小声で返す。ロアは口元にかすかな笑みを浮かべているが、神妙な顔だ。
「知っているなら話は早い。そう。あの廃屋に連なる出来事、その夢だ。でも普通に考えて、何日も全く同じような内容の夢を見るというのはおかしなことだろう? だから、もしかするとこれはカルセットが関わっているのではないかと。それでその方面の情報に明るい柳季に来てもらったんだ」
「郁はもう行ったみたいだけど」
「礼、飴をあげよう。食べ終わるまで静かにしていなさい」
「はーい」
「その廃屋での出来事について、私も話には聞いているから、あそこでなにがあったのかは把握している。郁にとっては心の傷をえぐられているようなものだ。礼も私も、郁には二度とその夢を見てほしくない。せめて、一番見たくないものを、見ないままにできないものかと」
「毎夜見るその夢がカルセットの仕業なら、どうにかできる手立てがあるかもしれない――と?」
「そう。一応、郁自身がもう既に柳季に相談に来たらしくて、カルセットの特定も済んでいるそうなんだけど。どうもね、郁がその妙なものに取り憑かれたのは、数日前あの廃屋に行った日、まさにその場所である可能性が高いんだ。君も同じ日のほとんど同じ時間にその場所にいて、そこで郁と出会ったそうじゃないか」
「俺を疑っ……いや、俺にもなにか妙なことが起きていないか、心配してくれたのか?」
「もちろんそれもある。ただ、礼が知ったところによると、君は見ているはずなんだ」
「なにを?」
ガリ、と硬い物を噛み砕く音がした。
「鳥が」
礼だ。
「赤い目をした黒い鳥……あれはカラス? いや……」
「……え?」
思わず疑問の声がもれる。
赤い目のカラス?
覚えがある。柳季はそれを知っている。
――なにもしていない。
数日前、受話器越しに聞いた声を思い出した。なにもしていない。そう、彼はなにもしていないのだ。なにかをしているのは、彼自身ではない。
「気付いたのは三日前。それ以前がどうだったのかは知らないけど、赤い目だって気付いたのはその日」
三日前――柳季があの男と話したのは四日前の夜。そのとき、彼は雷坂郁夜と接触を果たしていて、郁夜について聞かれたのだ。そしてあの男は大量のカラスを操っていた。収集していたわけではない。愛玩していたわけでもない。ただ、その目を通してあらゆる情報を得ていた。
ただのカラスだ。ただ、あいつが操るカラスは皆、赤い目をしていた。
急に緊張した。気持ちが昂っていくのがわかる。頭が痛い。きっとあいつだ。いつだったか、あの男は柳季に言った。自分は夢に干渉することもできると。あの性格から考えて、気まぐれに他人の夢に手を出すようなことだって十分に考えられる。彼の能力は全容が知れていない。実に稀有で奇妙な能力だ。能力だけではない。一人の人間として謎が多く底が知れない。なにができても、なにをしてもおかしくはない。
來烏――。
そういうことか。
いつの間にかうつむき気味だった顔を上げると、礼がこちらを見ていることに気付いた。柳季を、いや、その奥のすべてを見据える双眸に、思わずぎくりとする。なんだ。なにを見ている?
「それは知り合いか?」
聞き慣れない低い声に、柳季はうろたえた。
「は――え、っと、どうしました?」
「その黒髪の男を知っているんだな、柳季」
表情は真剣そのものだ。柳季は息をのんだ。礼のそんな表情を見たのは初めてだった。
「俺は今そいつを――來烏を、捜してるんだ」




