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黒鳥の夢  作者: 氷室冬彦
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12 不明で必要で不可解で重要

「郁のためなんだろう? なら私も手伝うよ」


 夜の司令室。明かりはついていない。そこにある光といえば、窓から差し込む月明かりただひとつ。部屋はしんと静まり返っていた。暗い部屋の中で、青髪の少女は自分と瓜二つの容姿を持つ青年に向けて優しく微笑んだ。大きな声を出したわけではないが、夜の静けさの中で彼女の声はよく通る。


「でも……」


「いいんだよ、私にとっても郁は大事だし、心配だ。君としては気が進まないことかもしれないが、たまには私のことも頼りなさい」


 礼は黙り込んでわずかにうつむく。


「……そう遠くにはいないはずなんだ。できるだけ急いで見つけないといけない」


「わかっているよ。ジオも協力してくれるだろう」


「黒髪なんて珍しいから、見ればすぐにわかると思う」


「ああ。どうせ私もジオも暇なんだから、このくらいはお安い御用だよ」


 ロアは踵を返し、扉のほうへと歩きはじめる。うしろでひとつに束ねた長い髪が、彼女の動きに合わせて揺れる。


「……頼んだぞ」


「そう、それでいいんだ。君たちはなんでも自分で解決しようとするからね、もっと頼ってもいいんだよ。あとは私とジオに任せて、君は今日はもうお休み」


 振り向かずに片手を振っていたロアだったが、司令室を出る前に一度礼のほうを見た。


「礼、そのカラスの男は必ず見つかる。見つけたあと、その子をどうするのかはすべて君に一任するよ」



 *



 あと二回――柳季の言葉で、幾分か気が楽になったように感じられた。その言葉を信じてあと二日。順当にいけば今日と明日の夜を乗り越えれば、この連日にわたって続いている夢を見なくて済むのだと。原因・・がはっきりしたというのも大きいだろう。胸のつかえがひとつだけ取れたような気分だ。


 廃屋の一階廊下。瓦礫の上で気が付いた。天井にぽっかりとあいた穴が正樹に目に入る。起き上がってあたりを見るが、これといった異変はない。身体に傷を負った様子もなければ痛みもない。ごつごつとした瓦礫に圧迫されていた感覚だけが背中に残っている。服に付着したかもしれない砂や埃を手で払いながら起き上がる。


 おそらく、前に進まなければあの鳥は現れない。そしてあの鳥を見つけなければ、夢から覚めることができない。永遠に――ということはないと信じたいが、だとしてもいつまでも眠ってはいられない。朝には起きなければならないのだ。この夢が明確に、どこまで続くもので、どこまでのものを見せようとするのかはわからないが、このままでは確実に見たくないものを見てしまうだろう。見たくはない。だからといって、いつまでも迷ってはいられない。


 町並みや自宅の内装、廃屋の中の様子――記憶の中に鮮明に残っている景色で、記憶をもとに構築された夢の中でも、これらは鮮明に再現されている。自分自身の記憶の中と目の前に広がる風景に齟齬を感じたことはなかった。


 あの日にこの場所で見たものはトラウマとして脳裏に刻み込まれており、それはあれから十年経った今でも克服できたとは言い切れない。もしもあの日にここで見たとおりの光景がこの先に待ち受けているとしても、郁夜は取り乱したりはしないだろう。真に平静を保つことはできずとも、装うことはできるだろう。とはいえ、できればそれは見ないままに済ませたい。目をつぶっていれば案外素通りできたりはしないだろうか。


 とにかく進まないことにははじまらない。ひとまず廊下を歩き、昨日と同じく二階に向かった。前回は床の溝を飛び越えようとして失敗したが、ならばあの日のとおりに壁伝いに向こう側へ渡るべきなのだろう。身体が成長した分、まだ十歳だった当時よりも足場にできる面積は狭まっている。まったく同じにはできない。


 比較的広く落ち残っている足場を探し、そこに片足をかけて跳躍し、飛び移ってみる。強制的に落下させられるような感覚はなく、今度はうまくいったようだ。よくはわからないが、先に進むための条件を満たしたのだろう。渡れないままのほうがよかったのかもしれないが、昨日と同じやり方で落ちて、進まないまま起きることができるとは限らない。


 ここまではなにも問題ない。問題があるのは三階だ。階段へ向かう足取りが途端に重くなってくる。一段上にのぼるたびに鼓動が速まっていく。行きたくない。これ以上、先に進みたくない。この先にあるものを見たくはない。


 何度も立ち止まり、引き返そうとした。だがあの鳥を見つけなければならない。鳥がいるのはこの先だろう。この夢から逃れたいなら先に進むしかない。残酷なことだ。これは夢、ただの夢。そう自分に言い聞かせながら、ゆっくりと階段を踏みしめて前に進む。


 階段をのぼりきり、下を向いて自分の足元だけを見ながら廊下に出た。なにも見ないように。そこになにがあるのかはわかりきっている。理解している。恐ろしい。もうこれで十分だろう。視界の端に白い手が映り込んだ。力なくだらりと床に投げ出された人間の手。黒いものが付着している。どきりとして咄嗟に目をつぶった。


 そのまま早足に通りすぎようとしたとき、背後でガタン、と物音がした。おどろいて、思わず振り返ってしまう。そこには。


 ああ。


 色がないのが唯一の救いだ。


 寄り添うように力尽きた二人の人間。かわいた血は黒く床に広がっている。その遺体に、黒い鳥が留まっている。その赤い目を見たとき、昨夜森の中で出会ったあの青年の姿を思い出した。



 *



「俺だってまるで気付いてなかったわけじゃない。確証がなかったんだ」


 右足首を左ひざに乗せるようにして足を組み、目元に手をかざして太陽の光をさえぎる。ベンチに腰掛け、背をもたせかけながら或斗は続けた。


「なんとなくでしかなかったし。まあ、ただの気のせいだろうと。気が付いてはいても、あまり気に留めてはいなかった」


 その声は広場にいる誰かに向けた言葉でも独り言でもなく、背後の木陰にいる、ここからではその姿がよく見えない相手に向けられたものだ。木の幹に背中を預けて立つ男――探偵はそのままの姿勢で或斗に言う。


「それは貴様の持つ体脳系の能力がもたらした直感がはたらいたのだろう。私にはないものだが、來坂礼なども似た性質の直観力を持っている。能力者特有のものだな」


 体脳系の能力とは身体のどこかに能力が宿っている場合に分類される系統で、或斗の場合は脳に力が宿っている。魔力の量も質もさほどいいわけではなく、能力自体の実用性も低く、使い勝手は正直あまりよくはない。


 簡単に言うと念動力のようなものだ。頭の中で思い描いた想像を再現できる。無から有をつくり出すことはできず、そこにある物体をどうにかする程度だ。たとえばそこに落ちている物を動かしたり、壊したり。それくらいのことしかできない。強い集中力が必要となるため咄嗟には使えないし、他に気が紛れたり、あせってしまえば不発に終わる。しかも不発に終わっても能力は使用した判定になるので魔力は消費される。脳に宿る能力なので、感情やそのときの体調などにコンディションが左右されやすい。正直、戦場ではほとんど役に立たない。


 能力者はなにかしら直感力のようなものを身に着けている場合がある。第六感と言うべきか。それらは根拠なき予感、証拠なき確信、理由なき衝動であることがほとんどで、直感と言ってもきちんとした情報をもとに導き出される必然的なひらめきではない。或斗の場合、信憑性は五分五分といったところだろうか。


「或斗、といったな」


「……なんだ?」


 体勢はそのままに視線だけを探偵に向ける。先日会ったときとは違いラフなワイシャツ姿で、光に照らされた髪が紅茶のような色に透けている。美しい青い瞳は、吸い込まれそうなほど深く澄んでいて、まるで海を閉じ込めたかのようだ。


「お前はどこまで知っている?」


「言ったとおりさ。なんとなく妙な感じがしただけだ」


 ベンチの隣の草場では、灰色の髪をしたコート姿の子どもが、長く余った袖をだぼつかせながら蝶を追いかけて遊んでいる。たしか先日ギルドに訪れたときも、あの子どもはひっそりと探偵の傍にうずくまっていた。


 紅茶色の男は或斗から視線を逸らし、隣の木陰を見た。


「お前はどうだ、柳岸柳季」


 その声に応えるように一人の少年が姿を現した。歳は十代後半くらいだろう。いったいいつからそこにいたのか、柳季と呼ばれた少年は探偵の問いに、実にあっさりとした態度で返答する。


「そうですね。ほとんどの事情は把握していますし、だいたいのことはわかっています」


 微妙に漠然とした答えだが、はっきりとした返事だ。探偵はそうか、と息をつく。


「……寿、戻ってこい」


 探偵が言うと、蝶を捕まえようと跳ねまわっていた灰色の子どもがこちらを向き、ぱたぱたと探偵の足もとへ駆け寄ってくる。それを確認してから探偵は或斗を見た。


「では、答え合わせといこうか」

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