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黒鳥の夢  作者: 氷室冬彦
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11 いつか見たその姿に重なる面影

 は、と短く息を吸い、目を開けた。ぼやけた視界に映る高い天井に、ここが司令室であることを思い出す。いつの間にか眠ってしまっていたらしい。すっかりだらけた体勢になっていた郁夜はすぐに体を起こすが、なんとなく身体がだるく感じられ、膝に肘を置いたままうつむいた。


 また同じ夢を見た。


 ここ数日、ずっと同じような夢ばかり見ている。いい加減に眠ることが嫌になってきたところなので、ためしに一晩眠らずすごしてみたのだが、どうやら限界が来たようだ。午後三時あたりまでの記憶はあるものの、以降のことはあまり覚えていない。当然、人間が眠らないで生きるのは無茶だということくらいわかっている。ただ一日でもいいから、あの夢を見ずに済ませたかったのだ。


 腕時計で時間を確認する。夕方の五時を少しすぎており、おそらく二時間ほど眠っていたのだろう。司令室は人の出入りが激しいので、その間ずっと誰も来なかったということはないはずだ。礼もロアも、なぜ誰も起こしてくれなかったのだろう。


 重い頭を上げて部屋を見渡すと、部屋の奥にあるデスクに礼の青髪が見えた。仕事をしているわけではない。机に突っ伏したまま眠っている。ギルドを引っ張っていかなければならない頭二人が、そろって居眠りしてしまっていたらしい。ため息をついて立ち上がり、伸びをした。風に当たりたい気分だ。


 礼を起こさないように司令室をあとにし、そのまま一階のロビーから外に出る。正門の前でいったん立ち止まり、少し考えたあと、郁夜は列車の駅へ向かった。



 レスペル国、西部の某所。洋菓子店『柳』。


 辿り着いたのは小さな店。外には小さな照明があり、店の扉には営業中を示す小さな看板が吊るされている。時刻は午後七時をまわろうとしていた。空の青に微量の朱が混じり、真っ暗とまではいかなくともあたりは暗く、気温も下がってきている。


 夢から逃れたい一心で、手がかりを得たくてここに来た。明日では遅い。一日でも早い解決が望ましい。とはいえ、ここに来たからといってすべてが解決するわけではない。今夜も眠ればあの夢を見ることになるだろう。だがそれでも、なにかわかることがあるならば。たとえわずかでも可能性があるならば、動かない手はない。


 扉に着けられたベルが、からんと高い音を鳴らす。カウンターの向こうで椅子に腰かけて店番をしていた少年の姿がある。郁夜は後ろ手に扉を閉めた。


「いらっしゃ――ああ、郁夜さんですか」


 店番の少年――柳岸柳季は来客が郁夜と知ると、ややわざとらしく息を吐いた。店番をしながら眺めていたらしい雑誌をやや雑にカウンターに置き、椅子から立って向き直る。


「珍しいですね、郁夜さんがこんなところに来るなんて。どういったご用向きで? ひやかしなら帰ってくださいよ?」


 郁夜がこの店に来ると彼はいつも少し嫌そうな顔をするのだが、それでも別に嫌われているというほどではなかったし、外で会えば他の者と同じように友好的な態度を取ってくれる。ここまで棘を含んだ対応をされるのは初めてだ。どうやら今日は元々機嫌が悪いようだ。ただの八つ当たりとも言える。


「聞きたいことがある」


 柳季は数秒黙って郁夜を見据えていたが、やがて観念したように大きなため息をついた。


「今じゃないとダメみたいですね。いいですよ、わかりました」


 おもむろに歩き出し、こちらにやってきたと思うと、彼は本日閉店の看板を扉にかけた。そのままエプロンを外して雑に畳みだすので、郁夜はわずかにうろたえる。


「店はいいのか」


「ええ。今日はもうお客さんは来なさそうなので、まだ早いですけど、もう閉めようかと思ってたところなんで。うち結構そういうことあるんですよ」


「そうか。……今日は少し機嫌がよくないみたいだな」


 郁夜が指摘すると、柳季は一瞬、動きを止めてこちらを見た。硬直したような顔のあと、視線をそらし、気まずそうに口の形を歪める。


「……すみません、表に出てましたか。さっき店のことで親と揉めて、それでちょっとイライラしてたんです」


「そうなのか」


「それで、聞きたいことというのは?」


 柳季は再びカウンターの向こうに戻る。郁夜はどう答えるのが適切かを考えた。今自分が置かれている状況から説明するよりも、なにについて知りたいのかの結論を先に出したほうがいいだろう。単刀直入に質問をまとめる。


「人に夢を見せるカルセットは現代に存在するのか」


 柳岸柳季という少年はカルセットについてやけに詳しい。詳しい、などという言葉では到底足りないほど、膨大で正確な知識を持っている。彼ほどバケモノに詳しい人間はそうそういない――と、あの探偵が称賛しているほどだ。


 柳季はおそらく、この世界ロドリアゼルに存在する、あるいはかつて存在していた、すべてのカルセットを把握し、記憶している。カルセットにまつわることならば、ありとあらゆることを知り尽くしている。この手の話で彼から「わからない」という答えが返ってきたことなど一度もなかった。


 その質問を受けた柳季は、真剣な面持ちで郁夜を見つめた。


「……いるかいないか、ということであれば、います」


「それは」


 続けて問おうとする郁夜を、柳季が手を立てて制する。


「夢に関係する力を持つカルセットというのは複数存在します。夢を見せる――という特性に限定しても五種類。特定の現象について原因と正体を突き止めたいのであれば、まずはもう少し詳しい説明をしてもらえませんか?」


「……過去の夢を見るんだ。これがカルセットの仕業なのかどうかは、正直わからないが。可能性としては考えられると」


「過去が夢になっているのですか? それとも、過去が夢の中に登場するのですか?」


「ど――」


 どちらだろうか。郁夜が答えに詰まると、柳季は頬を掻いた。


「すみません、変な言い方でした。過去の出来事を追体験したり、過去に見た光景が広がっていて、それが舞台になっているものか、それとも過去の出来事などに関係するなにかが、断片的に登場しているのか、ということです」


「なるほど。それなら、過去が夢になっている――というほうだろうな」


「飛び飛びに記憶が混ざったり、あるいはそれに連なるものを見たり――は、継続的な夢を見ているようなのでないでしょうね。では、たとえば過去に出会った人や物が急に登場したり、ということは」


「いや。過去の出来事を追体験しているような夢だ。今のところ、特定の人物が出てきたりはしていない。モヤモヤした人影みたいなものなら見たが……」


「今何回目ですか?」


「え」


「毎晩同じような夢を見ているはずです」


「あ――ああ。少し待ってくれ……たしか、今日で五回目。今夜また見たら六回目の夢になるだろう」


「今夜も見ますよ。あと二回です。今日を含めてあと二回耐えれば自然と終わりますから。どんな夢を見ているかは知りませんが、気を確かに持ってくださいね」


「……順を追って説明してくれないか」


「ええ、わかってますよ」


 郁夜が急かすと、柳季は頷いた。



 *



『柳』を出てすぐに時計を確認した。次の列車が来るまでにはまだ少し時間がある。歩いて帰ることもできるが、すでにあたりは真っ暗だ。明かりも持っていない。いくら知っている土地とはいえ、こんな状態で森を突っ切るのは無謀だろう。おとなしく列車を待つほうが賢明だ。


 近くで時間を潰してから駅に向かうか、それとも駅でただ待ち続けるか。しばし考えたあと駅に向かうことに決めた。待合室には椅子がある。柳季と話す間もずっと立ちっぱなしだったので、どこかで座って休みたい気分だった。


 歩き出した郁夜の視界に、なにか黒いものが映り込む。それは少し離れた地面にぽつんとあって、目を凝らしてもよく見えない。なんとなく近寄って見て、ぞっとした。


 思わず足が止まった。頬の傷跡の上を、一筋の汗が伝う。心臓が急に騒ぎはじめ、体が熱くなってくる。


 ――赤い目をした。


 ここはまさか――いや、ここは現実だ。夢ではない。違う。あれはただの、ただのカラスだ。


 一羽の黒い鳥がそこにいた。しかし、そう、なんの関係もないはずなのだ。たまたまそこにいただけの、ごく普通のどこにでも当たり前にいるカラスだ。夢とはなにも関係がない。郁夜と目が合うと、鳥は逃げ出すようにその場から飛び立った。


「あ――」


 それを見た郁夜の胸に、いわれのない焦燥感がこみ上げた。あの鳥を追うべきだと――根拠もなく、そう思った。すぐにあとを追いかけ、見失わないように空を見ながら、どこかへ飛んでいく鳥のうしろについていく。


 街を駆け、ひと気のない道に逸れ、やがて森に入った。何度か木の根に足を取られたが、気にしていられない。今ここであれを見失ってはいけない。転んでいる暇などない。


 カラスが高く飛びあがり、視界から消える。そのまま少し進むと、少しひらけた場所に出た。郁夜が追ってきた鳥の姿が再び現れる。あの廃屋とは違った場所だが、そう遠いわけでもないだろう。


 空を飛んでいたカラスが一気に高度を下げ、なにかに留まった。暗くてよく見えないが、人間のシルエットだ。木の丸太に腰を下ろし、前に伸ばした腕の先に赤い目のカラスがおとなしく留まっている。呼吸を落ち着かせながら、その光景をじっと見つめる。


 黒のシルエットがわずかに揺れ、おそらくこちらを向いた。


「ああ――こら、ダメじゃないか。つれてきちゃ……」


 男の声だった。


「お前、その――鳥は」


「これかい? 俺の友達みたいなものさ」


 雲に隠れていた月が顔を出し、森にほのかな明かりを落とす。


 襟足の長い黒髪はところどころが青く、顔立ちは郁夜より少し幼いような印象だ。年齢は十七歳前後に見えるが、少年なのか青年なのか判別に迷うのは、そのラフなパーカー姿のせいもあるだろう。手にはカラスを留めたまま、それと同じ赤い目を細めてかすかに微笑んでいる。その姿を見て、郁夜は硬直した。


「はじめまして……ではないのかな。こんばんは。その節はどうも」


「お前、は」


 この青年は。


「俺はからすです」


「カラス……?」


「そう、來烏きたらからすです。この稀有な運命のめぐり合わせに感謝します。雷坂郁夜さん」


 彼は。


 來烏と名乗ったその青年の顔は――十年前に死んだ親友にそっくりだった。

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