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黒鳥の夢  作者: 氷室冬彦
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9 日常・非日常

 やはり、またこの夢だ。


 廃屋の前から夢は始まった。なんの気なしに一度振り返ってみるが、あたりにはモノクロ調の草木以外になにもない。前回と同じように屋根を見上げるが、やはりただ灰色の空が広がっているだけだ。


 いくら夢の中で思考が鈍いとはいえ、さすがの郁夜も気が付いていた。これまで夢から覚める直前には必ず黒い鳥が現れる。ひるがえって言うならば、あの鳥を見つけさえすれば夢から覚めることができるということだろう。ようやくこの奇妙な夢の仕組みがわかってきた。そもそも、なぜ夢にこんなに規則的な仕掛けがあるのか。それはわからないが、朝を迎えるためにはあの鳥を探しながら夢の中を歩いていればいい。


 廃屋の入り口に立ち、扉を開けた。中に入る際、念のために扉は開けたままにしておく。中には窓の外から見えたとおり、そして郁夜の記憶どおり、瓦礫が散らかっている。崩壊した天井や一部が崩れた壁。邪魔な瓦礫を避けながら、一階の廊下の突き当たりを目指した。そこから階段を上って二階に進むことができる。


 この夢の中にもあのカルセットはいるのだろうか。もしいたとして、この夢の中でそれに干渉することはかなうのか。少しばかり疑問だったが、探しに行く気にはなれなかった。今の俺が探すべきなのは、どちらかというとあの黒い鳥のほうだろう。


 ふと思った。俺はこの夢の中で、どの程度までなら自由に動けるのだろうか。二階へあがろうとしていた足を止め、一階に引き返す。たとえば窓から外に出ることはできるのか。さっき入ってきた扉から外に出ることはできるのか。これがあの日の夢だというから、ついここまで来てしまったが、もっと別の場所に行くことはできるのだろうか。


 廊下の窓に手をかけるが、鍵は開いているのに窓は開かなかった。転がっていた瓦礫の破片を投げつけたり叩いたりしてみたが、割れる気配はない。これはおそらくあのカルセットの力の作用だろう。あの日にこの廊下を通った幼い郁夜はカルセットの存在も窓が開かないことも知らなかったのだが、今この場にいる俺はそれを記憶として知識として知っている。これはあれから十年経った今見ている夢なのだ。さすがになにもかもがあのときのままではない。


 しかし窓が割れないというのはやはり、この建物のどこかにやつは潜んでいるのだろう。探して見つけられる相手とも思えない。そもそも、あれもこの夢では郁夜の記憶の産物。ならば先に進まない限りはどこを探しても見つけられないだろう。


 入り口に目を向ける。扉は半分開いたままだ。あのカルセットの侵入者を逃がさない仕掛けがどれほど強力なものなのかはさておき、あちらからなら脱出も可能かもしれない。瓦礫を避けながら来た道を引き返していき、入り口の扉に手を伸ばす。


 しかしあと数センチで手が届くというところで扉が勢いよく閉じてしまった。おどろいて手をひっこめる。ひとりでに閉じた扉は押しても引いても叩いてもびくともしない。どうやらそう甘くはないということらしい。俺自身がここから出られないということを知っているから、それを再現するように強制的に閉じ込められる形となってしまったのか。


 ため息をつき、ひとまず外に出ることはあきらめる。改めて二階へ向かおうと振り返り、どきりとした。


 ――鳥だ。


 いつの間に中に入ったのだろう。


 赤い目をした真っ黒な鳥が、俺をじっと見据えていた。



 *



「別に俺はなにもしてないさ。ああ、本当だ」


「じゃあ、また今度」


 ――そう。


 俺はなにもしていないんだ。


 少年は一人、にやりと笑ってきびすを返した。ひと気のない道に靴音を響かせ、その姿は暗闇の中へと消えていく。無数の鳥が木々を飛び立つ音。見上げてみると、ひと目には数えきれないほどの黒い鳥たちが空を飛び回っていた。


 カア、カア――と、空にカラスの鳴き声が響く。


 少年はそれを見て、やはり笑っていた。



 *



 三日前の午後、レスペル国、西部。某所の森にて。


 森の中を歩きながら、郁夜から聞いた話を思い出していた。たしか、ひとつだけ鍵の壊れた窓があって、郁夜は昨日、そこから中に入ったそうだ。瓦礫などは撤去されていて、すっかり歩きやすいものの、やはり老朽化は進んでいるので危険だ、とも。


 礼はあの廃屋へ向かっていた。郁夜から話を聞いて、なんとなく自分もなつかしい気持ちになり、気まぐれにギルドを出発したのだ。郁夜は今ごろ廃屋で出会ったらしい青年と会っていることだろう。


 しばらく歩いていると途端に視界がひらける。雑草が生い茂った小さな野原。視界に広がる鮮やかな緑と空の青。そのなかに灰色に濁った薄暗い雰囲気の建物が浮き彫りになって現れた。まるで孤立している。


 風が木の葉を、地の草花を撫で、さあさあと心地良い音を響かせた。そのまま礼の髪を、服をなびかせ、ゆるやかに通り過ぎていく。なめらかで涼しい風の中。だがその清涼な空気に紛れ込んだ不自然で不穏なざらつきに、礼は気が付いたのだった。


 なにがどう、とはっきりと言い表すことはできない。あまりに形容しがたい、けれどもたしかにそこにある。ただ吹き抜ける風が胸の内をざわつかせた。心にざらりとなにかが触れ、ぞわぞわと背中に悪寒が走る。胸やけを起こしたように気分が悪い。


 廃屋に近付こうとしていた足が、その先へ進むのを拒むように立ち止まった。ゆっくりと深呼吸をすると、建物を睨みつける。そのままゆっくりとした足取りで、吹雪の中を歩くかのように慎重に、一歩ずつ前に進む。


 トラウマではない。そこに恐怖心はない。ただならぬ予感がするだけだ。第六感が警告を告げている。ここに来るまでは、建物の中に入るかどうかは到着してから決めようと、中に入らなかったとしても周囲を一周見てまわるくらいはしておこうと、そう思っていたのだが、もはや気が変わった。


 それに知りたいことはもうわかった。礼がこれ以上ここに留まる理由はない。廃屋に背を向け、再び森へ向かって歩き出す。今の一瞬だけでもどっと疲れてしまったのだ。追い風に背中を押されながら、早々とその場を離れていく。


 いつだってこうなのだ。


 礼の身体に宿る、体脳系ともとれそうなエスパー系の能力。これは人間の中身を暴き立てる力だ。これが過敏に反応する瞬間というものが、ときどきある。森の中を歩くうちに礼の体調は正常に戻っていった。


 魔性の気配に敏感なのだ。正確にはその名残に。幻視の能力の影響か、はたまた能力に付随した直観力か。つい最近までカルセットが留まっていた、あるいは現在も潜んでいるような場所に反応してしまう。普段はここまで過剰な反応は示さない。そうであってはまともな生活など送れないだろう。無害なカルセットであればギルドにもいるのだし、この森だってそうだ。魔獣なんてものはそこかしこにいる。


 正直、自分でもわからないのだ。あの廃屋だけではない。今までも何度か偶然に通りかかっただけの場所でも、ああいう風に気分が悪くなることがあった。その条件を理解できていないのだ。なので、あの廃屋とそこに潜んでいたかもしれないカルセットの、なににここまで反応してしまうのか。今回に限っては、それこそ十年前の出来事による先入観の影響かもしれないが。


 この場所に因縁があるのは郁夜だけではない。礼とて指を切り落とされたのだ。その感覚を、痛みを、あせりを、流れ出る血の感覚を覚えている。稀有なめぐり合わせに恵まれて一応は取り繕うことが叶い、現在では礼の手に欠損はないとはいえ、なんでもないことではなかったのだ。


 あの廃屋にはカルセットがいた。もちろん十年前の話ではない。そんな昔の気配が残っているはずがないし、礼が感じた名残はもっと新しいものだった。つい昨日までそこにいたのだ。


 ……なんだか妙だと思ったのだ。


 気配の名残がわかる――と言っても、この場合だとはっきりと察知できないらしい。当然だ。礼はなにも、周囲にいるカルセットの気配を感知できるというわけではないのだから。目の前に現れるまで気付かないことだってあるし、目の前に現れても気付かないことだってあるだろう。


 頭を掻き、思わずため息をついた。昨日の朝と、時間をおいて昼。夕方も夜も。今朝だっていつもどおり一緒にすごしていたというのに。まさかここに来るまで気付けないとは。手がかりは彼の記憶。目の前に飛んできた鳥が触れた途端に消えたという奇妙な現象。その姿を見たときのかすかな違和感。あとはただの気まぐれで、ここまで来たのだったが。思わぬ収穫を得たものだ。


 雷坂郁夜には、カルセットが取り憑いている。

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