第8話 初乗船
季節は春――。
強引に身体を押すような突風が吹き抜けるこの季節。
河川敷に沿って立ち並び、桃色の花を咲かせる木々たちは、桜というのだと白に教えてあげた。
ハラハラと散る様は何処か寂しげで儚く、そして美しい。
風に巻かれ落とされた花びらは灰色のアスファルトを次第に桃色へと染めていく。
いつの日か桃色に染まった河川敷を歩いてみたいものだ、と呟いた白の瞳もまた寂しげだった。
この頃から白の様子は少しずつ変化していった。
姉ちゃんに文字を習い始めたのだ。
その理由は分からない。
白は何にでも興味を持つみたいだから、またいつもの好奇心が疼いたのだろうくらいしか僕は思っていなかった。
それから変わったと言えばもう一つ。
最近、頻繁に宇宙船に籠もるようにもなった。
中で何をしているのか、これもまた不明だ。
中から漏れてくるのは機械的な電子音と宇宙語だけ。全く解読不能。
「おや? どうかしたんですか?」
僕が宇宙船の外壁にピタリと耳をつけ聞き耳を立てていると頭上から白の声がした。
ちょうどタイミングよく宇宙船の蓋が開き、ひょいと顔だけだした白は不思議そうに僕を見下ろしている。
「いや……何してんのかなーって……」
僕は背伸びしながらそれとなく話題をふってみる。
「何って、交信してるんですよ。離れていても情報の交換はできますからね」
「ふーん。――それにしても白たちは凄いね。何万光年と離れた地球まで来れる技術を持ってるんだからさ」
僕は盗み聞きしていたことを誤魔化したくて話を逸らした。
勿論、凄いと思ったのも正直な気持ちだ。
けれど白はそうは思っていないようで……、
「“それだけ”ですけどね」
と嘲笑うかのように微笑した白はいつもと違っていた。
どこか自分を卑しめてるかのように見える。
普通の猫ならばあんな複雑な表情はできない。
白はとても表情豊かな猫型宇宙人なのだ。
――でもね、どんなに表情豊かであっても寂しそうな白なんか見たくないよ。
一体、白は何を考えているんだろう。
一体、白は何をしたいんだろう。
僕にはさっぱり分からないや。
「ねぇ、僕も中に入れてよ」
クリスマス・イヴ以来、ずっと狭い庭を占領している一隻の宇宙船。円くて黒い未確認鉱物の塊。
この地球上にあってはならない異物だ。
家の右隣りは空き家で左隣りは老夫婦の二人暮し。
この環境が功を奏して、この3ヵ月間今だ誰の目にも触れられずにいる。
一体船内はどうなっているんだろうと好奇心は前々から抱いていたけれど、見せてほしいとは言わなかった。
言ったところで答えはNOに決まっていると思っていたから。
だけど返ってきた答えはあまりに簡単で――
「いいですよ、どうぞ」
と拍子抜けしてしまうくらい軽い言葉だった。
断られると承知の上だっただけに、こうもあっさり受け入れてくれるとは……思いの外、気が抜ける。
白、僕が言ったこと分かっている?
白から見たら僕は異星人なんだよ?
そんな簡単に異星人に船内を公表してもいいの?
なんだか僕の方が気がひけてきた。
「本当に? 本当にいいの? 本当に僕なんかが入っても大丈夫? 後で白怒られたりしない? 無理ならいいんだよ? やっぱ……やめとこうか?」
僕は念のためもう一度訊いてみた。
「本当に僕が乗ってもいいの?」
今度は慎重にゆっくりと。
「ん? 翔太はどうしたいのですか? 乗りたいのですか? 乗りたくないのですか?」
僕が何度もしつこく訊くもんだから白は少し呆れて、逆に訊いてきた。
「乗りたい!」
勿論、僕は即答。
「では中へどうぞ」
僕は宇宙船の外壁に付いている取っ手を掴み頂上まで登った。
頂上と言っても高さ2メートルくらいなのでそんなに高くない。白が横に立つと同じくらいの高さだ。
宇宙船の屋根部分にあたる円型の蓋が出入り口で白の胴回りを考えてもこの出入り口は狭いと思うのだけど……ま、細かいことはどうでもいいや。
中を覗き込んだら薄暗くて白い床が見えるだけだった。すぐ真下に足場のような台が付いていたのでそこに足を掛ける。
あとは床まで1メートルもなかったので右足を蹴ってポンと着地した。
もしかして僕は人類史上初の快挙を成し遂げてしまったのではないかと興奮しつつ船内を見渡す。
円い船内は予想以上に狭く、半径1メートルの円の中にあるのは操縦席と大きなコンピューター機材。上下に移動するレバーや赤や緑に点灯する四角いスイッチやボタンが操縦席の前を埋め尽くしている。
これらの機械は狭い空間の3分の1を占めていた。
そして、窓一つない船内を唯一明るくしているのは操縦席正面のモニター。今は何も映し出されていないそのモニターは白い蛍光色を放っているだけだ。
緑色の交じった黒いブロック壁は不思議な感触だった。
人差し指で押すとスポンジのような弾力があり、とても柔らかい。
けれど僕が触れたブロック部分だけは見る見るうちにその性質を変えていく。
柔らかかった壁は次第にカシカシと音を立てて硬化していき、仕舞には鉄板のように硬くなる。そして時間が経つとまたスポンジ状に戻るのだ。
宇宙には未知の鉱物や物質がまだまだ存在するのだと思い知らされた気がした。
その不思議な壁に囲まれた船内で自由の利くスペースはとても狭い。布団一枚敷けるのがやっとの広さだ。
身体の大きい白にとっては窮屈な場所だろう。
「この宇宙船は仕事用ですから」
僕の気持ちを察したのか、白は唯一ある操縦席の背もたれに身体を預けながら言った。
「どうして僕を入れてくれたの?」
僕は不思議な感触のする壁を手で確かめながら白に訊いた。
嬉しいけれど、本当にいいのかなと思ってしまう。
「中の様子を頻りに気にしていたでしょう? こそこそと聞き耳を立てられるより、あっさり中に招いてしまった方がこちらも気分を悪くしなくて済みますから」
あ……盗み聞きしてたことバレてたんだ……。
さらりと言った白の言葉に嫌味は感じないけれど、遠回しに僕の行動を非難しているように聞こえるのは僕の気のせいだろうか。
いくら言葉が分からなくても盗み聞きはよくない。
だけどさ――
何も話してくれない白も悪くない?
そう言いたかったが、ピピー、ピピーという電子音に邪魔されて僕と白の会話は途切れた。
白はその音に敏感に反応し操縦席の背もたれから身体を起こし、少し前傾姿勢をとった。
手慣れた手つきで手前の赤いボタンや左端のレバーに手を伸ばすと前方のモニターを見つめる。
すると今まで真っ白な蛍光色を放っていただけのモニターに何かが映った。
そこに映し出されたのはもう一人の白。――否、よく見ると瞳の色も耳の形も身体の模様も違う。
僕はこの時、白以外の猫型宇宙人をモニター越しに見たのだ。
僕から相手が見えるように相手もこちら側が見えているらしく、白の隣りに立つ僕の姿を目にした相手は身体を仰け反りながらも白に対し頻りに抗議している。
何を言っているか分からない僕でもかなり慌てている様子は見ていて明らかだ。
一方、僕の隣りにいる白は冷静に対処していた。
「僕がここにいたこと、まずかったかな? 白、叱られたんじゃない?」
「心配しなくても大丈夫ですよ、叱られてはいませんから。
しかし彼でもあんなに取り乱すことがあるんですね。ちょっと見ていて面白かったです」
と言って少し悪戯な笑みを見せる白。こんな白を見たのは初めてだった。
星の仲間に見せる顔と僕の前で見せる白の顔って違うんだなーって漠然と思った。
そう、僕は白のことを何も知らないんだ。
きっと僕の知らない白の顔はまだまだあるのだろう。
なんとか落ち着きを取り戻した彼が左右に3本ずつ生えている細長い髭を整えながら宇宙語で白に話し掛けている。
白も真剣な顔つきで聞いたり言ったりしている。
なんか僕だけ仲間はずれにされてる気分だ。
とりあえず二人の会話が途切れるのを待っていると、ふいに白の顔が横にいる僕の方に向いた。
「翔太、彼があなたと話をしたいそうです。どうしますか?」
「えっ、僕と!? でも言葉が分かんないよ? あの人、日本語話せるの?」
「話せませんけど問題ありません。言語プログラムシステムを取り入れれば彼の言葉を機械が人間の言葉に訳してくれますから。
とりあえずそのプログラムを送ってもらいましょう」
白はそう言うと柔毛で覆われた丸い手先を機敏に動かしながら操縦席の前に並んだコンピューターのキーを打ち始めた。
すると白が打ち出した宇宙文字や数式の羅列が次々とモニターに映し出される。まるで映画のエンドロールのように下から上と流れていった。
その画面後ろでは彼も白と同様のことをしているのが映りこんでいる。
「こちら完了しました」
白の報告を受けた彼がこくんと頷くと彼の視線は僕に向いた。
何を訊かれるのかと僕は身構えてしまい自然と顔も強ばる。
「あなたが翔太さんですね? あなたには大変よくして頂いているとオウジから聞いております。私からも一言お礼を申させて下さい。オウジを助けて頂き誠にありがとうございました」
銀色の瞳に少し丸みのある三角の耳、そして濃い灰色の体毛が身体全体を覆っている。
声質から50代くらいの中年男性といったところだろうか。
白にも負け劣らない丁寧な口調で謝礼を述べた。
そんな礼を言われるような大層なことをしたつもりもないし、むしろ白が来てくれたおかげでつまらない日常からぬけだせたのだから感謝するのは僕の方だ。
けれど今はそんなことは後回しでいい。
彼が言った言葉の方が気になって仕方がなかった。
オ ウ ジ ?
白に特定の名前はないと言っていた。相手によって呼び名が変わるとも――。
これもその一種か? それとも白は――