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第7話 秘 密 〈後編〉

             この日は、青い晴れ間が広がる、とても暖かい土曜の昼下がりだった。


 まだ寒さの残る2月とは思えないほどの陽気さだったのだが、家の中は異様な緊張感を漂わせている。


 居間にあるソファには姉ちゃんと親父が向かい合うように座り、僕と白は食卓の椅子に並び座って二人の様子を見守っていた。


 先日親父は“3人で”と言ったのに、この場に相手の男は現れない。

 親父はそのことに少しイラついてるようだった。


「なぜ彼は来ないんだ? 私はちゃんと時間を作ったというのに、失礼じゃないか」


 姉ちゃんは少し黙った後、おずおずと口を開いた。


「彼は……来ません。――呼ばなかったの」


「それはどういう意味だ? 親に紹介できない相手とでも付き合ってたということか?」


 親父は込み上げてくる怒りを必死で押さえているようだった。


「彼は何と言ってるんだね? ちゃんと責任をとると言ってくれたんだろう?」


 黙りこくった姉ちゃんに親父は問い掛ける。

 けれど姉ちゃんはだんまりを決め込んで口をつぐんだままだ。


「綾香! 何とか言いなさい!」


 親父の我慢もここまでだった。

 バン! とテーブルを叩いて姉ちゃんを見据る。


 父親の貫禄を目にした僕と白までもがその怒声に肩をびくつかせた。


 姉ちゃんは観念したかのように口を開いた。

 この場合は開き直っているといった方が正しいかもしれない。


「そうよ。お父さんの言うとおり。彼のことは紹介できない」

「なぜ紹介できないんだ!?」


「家庭のある人だからよ。私、奥さんがいる人と付き合ってたの!」


 二人の会話は半分怒鳴り合いのようになっていた。


「〜っ、なんだと!? よくも恥ずかしくもなく、そんなことが……!」

「お父さんが訊くから正直に答えただけしょ!?」


 その時、バチンと親父の張り手が姉ちゃんの左頬に飛んだ。


 白は、まるで自分が叩かれたかのように左頬に手をやり、すりすりと擦りだす。

 その気持ち、分からないでもない。

 あの乾いた音は痛々しいものがあった。


「私だってもう21(歳)よ! もう子供じゃないんだから、ほっといて!」


 姉ちゃんは捨て台詞のように言い放つと、すごい勢いで2階へと駆け上がっていった。


 僕は無意識に追いかけようとしたが、親父に追うなと言われて何もできずに立ち尽くすだけ。


 その後は親父も白も口を開かずにいた。


 皆、一体何考えているんだろう。




 僕はその重たい空気に絶え切れず、家を出た。

 白も誘いたかったけど、それはできない。


 僕は宛てもなく住宅街を歩く。考えることはやっぱり姉ちゃんのことだった。


 姉ちゃんは僕と違って昔から優等生だった。

 学生の頃は生徒会長も務めたこともあって、きっと親父にとっては自慢の娘だったに違いない。

 その自慢の娘が他人に後ろ指をされるような交際をし、子供を身籠った。かなりの衝撃だったろう。


 僕はクリスマス・イヴのことを思い出していた。


 僕が皮肉混じりに言った、イヴを過ごす相手もいないのかという問いに姉ちゃんは口籠もったっけ。


 相手が家庭のある男ならばクリスマス・イヴは一緒にいられない。

 所詮姉ちゃんは2番目の女。愛人なのだ。


 それは僕にとっても全く想像のつかない受け入れがたい事実だった。




 暫く時間を潰して帰った家の中の様子は僕が出ていった時とあまりかわらなかった。


 木漏れ日が差し込む庭の端で、2羽の雀が寄っては離れ、突き合っては1羽が逃げると、もう1羽が追い掛ける。まるで恋人同士が戯れているかのよう。


 そんな楽しげな2羽の雀とは裏腹に家の中は沈黙を守り続けていた。




 親父は居間のガラス戸を開けるとそのまま床に座り胡坐をかいた。

 目の前には青いビニールシートが広がっている。


「どうぞ」


 白が親父に入れたてのお茶を渡した。

 それは白ができる精一杯の気持ちだったのだろう。


「ありがとう」


 親父は白に礼を述べると、また庭の方に顔を向け、ゆっくりと語りだした。


「昔はここでね、空気で膨らませたプールを広げて水遊びさせたもんだよ。

綾香は大きくなったら、お父さんのお嫁さんになるんだって言ってくれてね。

頬擦りしたくなるほど嬉しかったけれど、大きくなったらそんな言ったことさえ忘れて、好きな人を連れてくるだろうと覚悟していたさ。


愛する人と結婚をして、幸せな家庭を作る。そんな当たり前の幸せを掴んで欲しいと願うのは、普通の親なら当然だろう?」


「すいません。大切なお庭を、こんな風にしてしまって……」


 白は宇宙船で大きな穴を空けてしまったことを詫びた。


「いや、構わんよ」


 親父は白が入れたお茶を一口飲んだ。


 僕は二人の間に入れず、居間の入り口からそっと二人の背中を見ていた。


 親父と対等に肩を並べている白の大きな背中を見ていると、その猫背がすごく頼もしく見えて、一体君は何者だろうと思わずにはいられない。


 そんな僕の思いをよそに、白の声が静かに響く。


「姉ちゃん、産みたいんだと思うんです。

ただ勇気が出ないだけで……。


多分、誰かに……いいえ、お父さんに背中を押してもらいたいんじゃないでしょうか」


「なぜ君にそんなことが分かるんだい?」


「姉ちゃんの様子をずっと見てれば分かります」


「ははっ、これは参ったな。家にいない私は親失格ということか……。


――私にはさっぱり分からんよ……」


 親父は苦笑する。


「ねぇ白君、もしこの場に母親がいたなら、あの子に何て言ってやるんだろうね……。


やっぱり男親は駄目だね」


 そして親父は天を仰いだ。


 親父の背中はどこか寂しげだった。




 ◇


 その夜、姉ちゃんは自室にある椅子に座り、勉強机に一枚の紙切れを広げていた。


「姉ちゃん、大丈夫ですか?」


「白……」


 姉ちゃんは咄嗟に紙切れを引き出しに隠した。

 白は字の読み書きができないから隠さなくてもいいのに、見られたくないという心理から勝手に手が動いたのだ。


「何を考えているのですか?」


「……別に」


「――いけませんよ」


「え……何のこと?」


「本当は産みたいのに諦めようとしている。違いますか?」


「! ――なんで……」


 誰にも言えず独りで悩んでいた姉ちゃんの胸の内を白は知っていた。

 それはなぜなのか――。


 姉ちゃんは驚愕の瞳で白を見つめた。


「――実は私、ひとの心を見ることができるんです。

失礼とは思ったんですが、覗かせて頂きました」


 微笑しながら穏やかな口調で白は隠していた能力を告白した。


「白、何言ってるの?」


「信じて貰えないなら、もう少し話をしましょうか?」


 そして白は続けて語り出す。


「彼は同じ会社で働く営業マン。年令30歳。半年前、既婚者であると知りながら好きになってしまった」


 白の口から語られた姉ちゃんの秘密は、全てが真実。


「それから誰にも言えない交際が始まり、彼に妊娠したことを告げたら“今ある家庭は壊したくない。諦めてほしい”と言われたけど姉ちゃんは……」

「やめて! 分かったからもうやめて!」


 淡々と白が語る中、耐えきれなくなった姉ちゃんの声が制止する。

 姉ちゃんは、もう聞きたくないと両手で耳を塞いだ。


「私だって本当はこんなことしたくなかったんです」


「……じゃあ、どうしてこんなことするの……」


 姉ちゃんは責めるような目で白に訊く。

 そっとしてほしいのに、どうして余計なことをするのかと、白を鬱陶しく思ったに違いない。


 けれど、白の声は予想以上に温かくて――。



「姉ちゃんには幸せになってほしいからです」



 真っすぐで透き通った声色で語られたな白の優しさに、姉ちゃんの胸がトクンとなった。


「後悔してほしくないんです」


「白……」


 そして姉ちゃんはまた泣いた。

 その涙は、もう泣くまいと母親になることを決意した涙だった。



 涙が乾くまで十分に泣いた姉ちゃんは、涙を拭くと、引き出しに仕舞った紙切れを破り捨てた。


 ごみ箱に捨てられた紙切れの端に“中絶”の文字が辛うじて見える。


 今の姉ちゃんには、この紙切れはもう必要ない。


 目の前にいる白によって救われたのだから。


「――心を見る力か……羨ましい力ね」

「私の星では皆持っている力です。

前に名前のない話をしましたよね?

人間は初対面の時、自己紹介をします。まず名前を名乗り、自分が何者かを明かす。

けれど私たちはまず相手の心を見てしまう。

相手が何者か、なぜ此処にいるのか、相性は合うのかと全てを知ることができるのです。だから名前を名乗る必要もないし、名前などいらないのです」

「なぜそんな力があることを隠していたの?」

「隠していたのではありません。絶対に使わないと決めていたんです」

「どうして?」

「翔太や姉ちゃんには、この能力を持っていない。

私だけが一方的に覗いてしまうのはマナー違反だと思ったからです。

だから今回限りです。今後一切使いません。信じてください」


 姉ちゃんはコクンと頷いた。


「それからお願いなのですが、翔太には秘密にしておいてください」


「分かったわ。二人だけの秘密にしましょ」


 姉ちゃんは片目を閉じ、ウィンクして見せた。

 白はウィンクが分からない様子だったが、真似してウィンクして見せる。


「――私の話はこれぐらいにして、下に行きましょうか。姉ちゃんの話しを待っている人がいるでしょう?」


「うん」



 この時の二人の会話も、僕が知ることになるのはずっと後のことになる。


 ずっと、ずっと後に――。




 ◇


 それから姉ちゃんは親父に自分の想いを告げた。


「片親しかいない辛さや寂しさはお前が一番分かっているはずだ。その子にも同じ想いをさせることになるんだぞ。それでも産むのか?」


「産みます。確かに辛い想いもした。寂しくて泣いた時もあった。だけど不幸じゃなかったわ。絶対後悔しない!」


「――そうか……分かった」


 親父は姉ちゃんの熱い決意に押し切られ、その後暫らくは口を開かなかった。




 その夜、親父が写真の中の母親に何か話掛けているのを見た。

 何を話してたかは分からなかったけど、寂しげな微笑を浮かべていた。



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