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第3話 名 前

             化け猫と暮らし始めてから数日が経った。

 朝、目が覚める度に夢じゃないかと思う。

 僕が寝呆けた顔で居間に下りると、化け猫が庭に出て宇宙船の修理に励んでいた。


 大部分は青いシートで覆われている。よく殺人現場後に見られる視界を塞ぐための青いビニールシートだ。

 姉ちゃんが先日、人に見られてはいけないと、ホームセンターで買ってきたのだ。




 化け猫が来て初めての朝、僕たちの朝食を用意した姉ちゃんは、すでに仕事に出ていた。

 食卓には僕の朝ご飯、トースト2枚とサラダが置いてあって、その隣には化け猫の朝ご飯らしきツナ缶が1つ置いてあった。


 猫だけに、ツナ缶?


 人間の食事を秘かに楽しみにしていた化け猫は、そのツナ缶を見て暫し固まっていた。


 僕はそんな化け猫を見て苦笑い。


 上手にスプーンで掬ってツナ缶をちまちま食べてるその姿は、なんだか惨めで、でもなんだか笑えて、いつ思い出してもおかしくなる。

 天然な姉ちゃんに感謝だ。

 その後、僕が食べるトーストを羨ましそうに見つめるから、1枚あげた。

 化け猫は嬉しそうに口に頬張り、地球食のすばらしさに感激しきりだった。たった食パン一枚でそこまで感激されるとなんだか僕も嬉しい。こんなに楽しい食事は久しぶりだった。

 大体一人で食べることが多かった僕にとって、その日の事は忘れられない大切な思い出だ。

 その日から、姉ちゃんは一人分多めの食事を作ることとなった。



『これは何?』

『今のどういう意味?』


 と、見るもの聞くもの全てが新鮮らしく、たくさんの疑問質問を投げ掛けてくる。

 その度に僕と姉ちゃんは言葉を選びつつ丁寧に説明してやった。

 化け猫は真剣に僕や姉ちゃんの解説を聞き、すぐに理解した。

 決して同じ質問はしない。


 どうやら化け猫は優秀な宇宙人らしい。



 言葉を憶え始めた赤子のように純粋で、次から次へと多くのことを吸収していった。

 君の純粋さは僕の心を擽った。

 その純粋さが眩しくて羨ましかった。

 礼儀正しく挨拶をし、仕事から帰ってくる姉ちゃんに労いの言葉を口にする。


“頂きます”も“ご馳走様”も、化け猫の口から聞いた時はビックリしたもんだ。そういう変な知識だけは持っている。


 そしていつの間にかこの僕も、仕事帰りの姉ちゃんに、『お帰り』と自然に口にしていたのだ。






「どう? 修理できそう?」


「はい。とりあえず母船と連絡をとれるように無線機を修理してみます」


 庭に出ると寒い北風が身体を通り過ぎる。


「寒っ……」


 僕は身体を縮めた。


「そうですか? こんなにいい天気なのに」


 化け猫は青く澄み切った空を仰ぎ見た。太陽の光が眩しくて目を細めた横顔は、まさに縁側で日向ぼっこをしている呑気な飼い猫の顔だった。

 ピンク色の鼻先、その横には細長い3本の髭が左右に蓄えられ、白い毛皮で覆われたその顔は誰が見ても猫そのものだ。

 けれど、その大きな身体と仁王立ちしたその様は猫ではないと否定している。


 そう、君は宇宙人なのだ。




 その日の夜、僕は肝心なことを訊いていないことに気がついた。


 姉ちゃんは台所で夕食の支度をし、僕らはソファでテレビを観ながら夕飯が出来上がるのを待っていた。


「ねえ、名前なんていうの?」

「なまえ?」

「そう。な、ま、え。僕の名前は藤重翔太。君も親に付けてもらったでしょ?」

「名前はありません。私の星にそういう習慣はありませんから」

「じゃあ親や友達から君はなんて呼ばれてるの?」

「う〜ん……」


 そんなに難しい質問をしたつもりはないのだが、君は右手を頬にあて暫らく考え込んでしまった。


 なんで? 初歩的な質問でしょうが!


 台所から姉ちゃんが“ご飯よー”と僕たちを呼んだので、ソファから食卓へと場所を移した。


 今日の献立は炒飯と餃子、野菜スープにトマトサラダだ。

 いつもなら姉ちゃんに『これは何という料理ですか』と興味津々に訊いてくるのに、化け猫は上の空だ。

 さっき、僕が投げ掛けた質問の答えをまだ出していないから頭を悩ませているのだ。ほんと純粋で生真面目なやつ。


「ねぇ、食べようよ」


 見兼ねた姉ちゃんが言った。


「――さんばんめ」


「え? 3番目?」


「はい。両親から“3番目”と呼ばれています。私には2人の兄がいます。私は3番目に産まれてきたので両親は3番目と呼びます」


「……変なの」


「仲間たちは私のことをいろいろな呼び名で呼ぶので、名前は何かと問われると困っちゃいますね」


つまり、名前はないわけか。


「ねぇ、名前つけてあげようか!」


 僕は正面に座っている姉ちゃんに提案した。


「そうだね。名前、何にする? ミミとかタマとかは在り来たりだから嫌だなー」


 いやいや、こいつは猫みたいだけど猫じゃないから!


 と、僕は胸の奥でツッコミを入れる。


シロは?」


 姉ちゃんがまた一つ名前を出した。


「シロ〜? なんか犬みたいじゃんかよっ」

「えー、いいと思ったんだけのなー。純粋純白の白! 私は、お似合いだと思うんだけどな〜」


 確かに、名前の由来は悪くない。僕は化け猫の顔を品定めするように眺めた。化け猫も澄んだ瞳で見つめ返してくる。


 うーん……シロか〜。


 ふと僕の脳裏にひとつの名前が浮かんだ。


「じゃあハクにしよう!」

「はく?」

「純白のハクだ。シロよりはましだろ?」

「白か……いい名前ね」


 こうして化け猫の名前は白に決まった。

 白は恥ずかしそうに照れ笑いする。


「翔太さん、“姉ちゃんさん”ありがとう」


 白はまた僕に“ありがとう”を言った。


「やだ、私の名前は綾香よ。姉ちゃんって名前じゃないわ」


 僕が姉ちゃん、姉ちゃんと呼んでたからだ。


「いいじゃん、姉ちゃんって呼べばいいよ」

「あんたが言う台詞じゃないでしょ!

でも、姉ちゃんって呼んでくれても構わないわよ。勿論、名前でもいいし、白の呼びやすい方で呼んでね」

「僕のことも翔太って呼び捨てでいいよ。さん付けで呼ばれたことないし、なんだかこそば痒いしさ」


「こそばかゆい?」


 白が首をかしげる。


「くすぐったいって意味」


 それでも白は首をかしげていた。


 僕と姉ちゃんは、そんな白を見て笑い合って、白はますます分からないというような顔をする。


 笑いながら食卓を囲むようになったのも、白がきてからだった。


 こうして僕と姉ちゃんは化け猫のことを『ハク』と呼び、白は僕のことを『翔太』と姉ちゃんのことを『姉ちゃん』と呼びあうようになった。




 その次の日。

 庭から聞き覚えの無い音が僕の胸を騒つかせた。ピピーッと鳴る音はモールス信号に似ている。


「母船からかもしれません」


 白は音のする庭に出ると、青いシートの下にある宇宙船へと潜っていった。

 聞き耳をたてたところで聞き取れない宇宙語が漏れてくるだけで僕にはなにがなにやらさっぱりだ。


 ただ、急に寂しくなった。


 もしかして、帰っちゃうの!?

 せっかく仲良くなれたのに?

 名前だって呼び合える仲になったのに?


 そんなのいやだ!

 まだ、行かないで!!



 僕は胸の奥で必死に叫んでいた。


 いつか居なくなることは分かっている。仕方のないことだ。

 仲間と離れ離れになって、どんなに心細い思いをしていることか……。


 それでも、それにしても、早すぎるよ!!



 そんな僕の自分勝手な嘆きなど知るはずもない白が、申し訳なさそうな表情を浮かべながら家の中へと戻ってきた。


「あの……」


 白は上目遣いで何か言いたげだ。


「白、帰っちゃうの!?」


 思わず、白に詰め寄る。


「それが……母船も雷の被害を受けたようで……、修理のために一時、星に帰ってしまったみたいでして……そのー」


 白はその先をなかなか話さない。モジモジ、モゴモゴとなんだかはっきりしない態度だ。


「なに? 言ってよ!」


 僕は苛立ちを顕にして、その先を催促した。


「……暫くどころか、当分お世話になることになってしまいました。すいませんっ!」


「え……」


 白は、この家に迷惑をかけていることを気にしていたのだ。


「なに言ってるんだよ。謝ることないよ。迷惑だなんて一度も思ったことないし、白と一緒にいるとすごく楽しいんだ。

だから……、だからこれからもよろしくね!」


 白は僕の言葉にパーっと瞳を見開いて表情を明るくした。


「はい。よろしくお願いします」


 まだ居てくれるって言ってくれて本当に嬉しかった。

 僕がこんなに自分の気持ちを素直に言えたなんて……きっと白の純粋な心に触れているせいだ。



 今度、仲間のもとに帰る時が来たら、その時はちゃんと送り出してあげよう。

 もし逆の立場だったら、君は決して引き止めたりしないだろう。笑顔で僕を送り出してくれるはずだ。


 それが友達として、家族としての最大の礼儀だ。そうだよね、白。



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