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最終話 ありがとう。の一言

             地球から何万光年と離れた小さな惑星には猫のような星人が暮らしている。


 この星にはいろがない。あるのは深い闇だけだ。

 昔はこんなんじゃなかった。青い海こそなかったが青い湖があった。川が流れてた。

 夜のこないオレンジの空には紅い月が一日中、大地を見下ろしていた。

 空には鳥がはばたき、澄んだ河川には威勢よく飛び跳ねる魚たち。

 年中、爽やかな風が吹き、花の種を運んでは大地を華やかに彩った。


 彼らはその風を虹の風と呼んでいた。


 ゆっくりと流れる時間ときの中で彼らたちの笑い声が響き、歌い踊った。


 そんな彼らの日常を変えたのは科学という未知の分野だった。


 ある日、偶然見つけた鉱物がきっかけだった。


 ――浮遊石。


 彼らは新しく発見された物質の性質や原理を研究し、応用していった。

 そして少しずつ生活は変わっていったのだ。


 歩かなくても自動的に目的地まで運んでくれる椅子、重い物を無体積にしてくれる絨毯、簡約化されていく食生活。

 便利になればなるほど、彼らの生活は堕落していった。


 そんな生活に未来などあるはずがない。


 けれどその時の彼らは誰一人気付いていなかった。


 新発見に快感を覚え、何かに取り付かれたかのように研究に没頭していく彼らたち。


 そしてあの母船や小型宇宙船の完成をみた頃、彼らはようやく気付く。


 オレンジ色の空は深い闇となり、大地も湖も枯れ果て、鳥も魚もいない。


 この星を成り立たせていた虹の風さえも吹いていないことに、ようやく気付いたのだった。



 風がやんでいる……



 それはつまりこの星の死を意味する。


 いつからだろう……

 いつから風はやんでいた?

 いつから闇はそこにあった?

 何がいけなかった?

 なぜ……

 なぜ……


 空を見上げることを忘れ、花や鳥たちと会話をしなくなった自分たちに、それを知るすべはない。




 もうあの風が吹くことはないだろう。

 これは神が下した戒めなのだ。


 ならば死ぬ覚悟で受け入れよう。


 そう思っていたのだ。






「大変です! 風が吹いているんです! 虹の風が吹いているんですよ!!」


 突然部屋に飛び込み叫ぶように言った彼の一言は、その場にいた全員を驚愕させた。




「虹の風が!?」

「嘘だろ!? 信じられん!」

「本当なら、私たちは救われる!」


 沈黙を守っていた空気は騒つきだし、それぞれが思い思いを口走り窓辺に集まりだす。

 その真実をこの目で確かめたいとでもいうように窓辺に群衆ができた。


 そしてその中の一人が窓を開けた、その瞬間――


 ふわっ……



 ふわりと爽やかな風が彼らの顔を通り過ぎっていき、その風は寝ている白にまで届いた。


 透き通った何色とも言い表わせないオーロラのような風は、移動しながら色を変えていく。


 まさに虹のような風。


 キラキラと細かい光を落としながら自由に飛びかっていく。



「あぁ……」


 誰かが嗚咽まじりに崩れ落ちた。


 夢をみているようだと呟く吐息まじりの声がどこからともなく聞こえてくる。


 歓声を揚げて抱き合う者もいれば、喜びのあまり外廊に飛び出す者もいた。


 何も知らない僕だけが呆然とピアノの前で座っている。


 そんな僕とは関係なく窓の向こうの景色は幻想的な世界観を造り上げていった。


 時間ときが早送りで駆けていくように、次々と重ねられていくいろ


 風によって蒔かれた種は芽を出し、葉を広げて伸びていく。


 膨らんだ蕾は大輪の花となり、その色香に誘われた蝶たちが舞いだした。


 大空を深い闇にした暗雲は風によって吹き飛ばされ、紅い月が顔を出し、枯れた湖には澄んだ水が沸きだす。


 流れだした川はチョロチョロと音をたて、下流へと進んでいった。



 虹の風はまるで羽衣を身に纏った天女の舞のようで、その全てに生命を吹き込んでいったのだ。



 そんな夢心地な時間から現実へと戻したのは黒猫の声だった。


「王子ー!」


 黒猫は白の傍で驚喜の声をあげた。


 僕は何事かとすばやく駆け寄り白の顔を覗き込むと、白はゆっくりと瞳を開げ、僕を映す。


 あの黄色の瞳だ。


 黄色の一言で片付けるには勿体ないくらいの綺麗な瞳。


 透き通ったビー玉のような瞳に、何度吸い込まれそうになっただろう。


 もう見ることはできないかもしれないと覚悟していた黄色の瞳は今、目の前で確かに僕を捕えている。


「白―!!」


 僕は嬉しくて、考えなしに白に抱きついていた。


「翔太……」


 頭上から白の声がして、僕の背中に白の手が乗った。


「これは……どうしたことでしょう? みるみる身体が軽くなって、毒が抜けていくようです」


 数か月ぶりに聞いた白の声は戸惑いをみせながらも、久しぶりの安らぎを噛み締めてるかのようでもあった。


「翔太さん、あなたのおかげですよ! あなたがこの星を救ってくれたんです! あなたの奏でた音色が王子を救ってくれたんですよ!」


 黒猫の、涙まじりの声。


 その涙は悲しみの涙なんかではない。


 それは――喜びの涙。


 周りにいた猫たちの視線が一斉に僕に集まった。

 そんな中、黒猫は続ける。


「きっと虹の風はあなたが奏でた音色に誘われてやってきたんですよ。

風はあなたのその手によって導かれた。

そして導かれた虹の風は本来あるべき星の姿を甦らせてくれた。

そして王子に取り付いた悪疫さえも追い出してくれたんです!

きっと、そうに違いありません!」


 黒猫が流した涙が床に落ちた。一粒、二粒と……。


「ただの偶然じゃ……」


「偶然なんかじゃありません」


 僕が最後まで言い終える前にそれを遮ったのは虎柄の猫。

 彼は群衆の中から2、3歩前に出てくると僕に言った。


「思い返せば、この星には音色などなかった。そんなものは大切ではないと思っていたから。

きっとあなたが此処に来てくれなかったら私たちは一生気付かずに滅んでいったでしょう」


 僕があの虹の風を呼び寄せただって?


 僕の演奏が……?


 そんなことを言われても信じられない。



「音楽か……。そんなこと考えもつかなかったな……。いつしか会話が少なくなって、笑い合うことを忘れた俺たちには確かに無縁だった……」


 独り言のように呟いたのは白猫。

 以前のような荒々しい雰囲気は感じない。

 目の前の真実を真摯に受けとめようとしている。


 そして他の者たちも同様であった。



 何十人といる群衆の中から、ゆっくり前に出てきたのは杖をついた老猫。

 その猫が白に言った。


「王子、なぜこんな簡単な答えが分からなかったのでしょう?

鳥の囀りや川の流れる音に癒された時代を思い出していれば、すぐにこの答えを導きだせていただろうに……」


 その言葉は全員の心に深く染みたようだ。


 自分たちの愚かさ、傲慢さをひどく後悔したように苦々しく俯いている。



 そして老猫の言葉を受けた白が上半身を起こすと、視線を一周させて言った。


「そうですね……この星に必要だったのは、科学の力なんかではない。必要だったのは――心を癒してくれる音色だったのですね。

どんなに便利な道具を作っても、過信してはいけない。忘れてはいけないものがある。

あの虹の風は、そう教えてくれていたのでしょう。


そしてそれに気づかせてくれたのは翔太、あなたです。

あなたが私たちの目を覚まさせてくれた。

私たちに欠けていたものを教えてくれた。心から礼を言います。――ありがとう」


 白は傍に立っていた僕の右手をとり、まっすぐな瞳で僕を見上げると礼を述べた。


 白にその言葉を貰ったのはこれで何度目だろう。


 その言葉を受けるのは僕じゃないのに。


「それは違うよ。もし本当に、僕が弾いたピアノがあの風を呼んだのだとしたら、それは白のおかげだ。

なぜなら僕に音楽を取り戻させてくれたのは君だから。

もし君が僕の前に現れなかったら、僕は再びピアノに触れることはなかったと思う。夢を持つこともなかったと思う。ひねくれた子供のまま、大人になっていたと思う」


 今までの白との思い出が涙と共に溢れだす。

 声が震えるけど、最後まで自分の思いを伝えなければいけない。


 僕は涙を吹いて声を振り絞った。


「白、礼を言わなければいけないのは僕の方だ。


――白、ありがとう」



 やっと言えたこの一言。


 白は優しく微笑み返してくれた。



 その場にいた全員が温かい眼差しを向けて見守っている。


 虹の風が僕たちを優しく包んだ。










 ――数日後。


 僕と白は緑が広がった草原に立ち、紅い月を見上げていた。

 目の前に広がる湖の水面には紅い月がくっきりと写っている。


「明日、地球に帰るよ」


 僕と白の間を風がすり抜け、草たちはサァーと音を立てて揺れた。


「地球まで見送りに行きたいところですけど、私は此処を離れるわけにはいきません。許してくださいね」


「分かってるよ。白はもう王子じゃなくて王なんだもんね。あ、そういえば此処でも白って名前使ってるんだね。みんな白王子って呼んでたから」


 僕の前に突然現れた黒猫や他の者たちもそう呼んでいた。そして即位式を終えた今は白王と呼ばれている。


「私が望んだことです。名前があるっていいですね。

皆も気に入ってましてね。どうやら私の初仕事は皆に名前を与えることから始まりそうです」


 白はそう言って笑った。


「大変そうだね」


 僕も笑う。


 一息ついた白が月を見上げた。


「翔太を無事に送り届けたら、あの宇宙船は全て壊します。

あの宇宙船は此処にあってはいけない物ですから」


 つまりそれは僕たちの永遠の別れを意味する。

 あの宇宙船がなくなれば白たちは二度と地球に来ることはない。


 けれど僕はそのことを自然と受けとめることができた。

 きっと白ならそうするだろうと分かっていたから。


「白、元気でね」


「翔太もお元気で」


 僕たちは丸く紅い月の下で、堅い握手を交わし笑顔で別れを告げた。










 それから月日は経ち、僕は5年目のクリスマス・イヴを迎えている。


 見上げた空は生憎の曇り空。


「あー、また空見上げてるー! ほーんとへんな癖なんだからっ」


 僕の隣りで呆れ顔の女性ひとは、今の僕にとって一番大切な女性だ。


 彼女とは同じ音大で知り合って、一緒にクリスマスを過ごすのはこれで3度目になる。



 僕は来年の春、大学を卒業し、イタリアのミラノにある大学にピアノ留学することが決まっていて、彼女には寂しい想いをさせるだろうけれど、彼女は僕を待っていると言ってくれた。


 こういうの信頼っていうのかな。信頼し合えるって素晴らしいことだ。




 僕達は家から近い商店街を歩いていた。


 街は赤や緑のイルミネーションで飾られ、どの店からも聞こえてくるのはリズミカルなクリスマスソング。


「今夜は雪かもな……」


「ほんとー!? ホワイトクリスマスになる? さすが毎日空を見てるだけあるね。天気まで分かっちゃうんだ?」


「いや、テレビの天気予報で言ってた」


「なんだ、もうっ……」


 彼女からよく指摘される僕の癖。

 それは自分でも無意識に空を見上げてしまうこと。


 別に白を探してるわけじゃない。もう二度と逢うことはないと分かっている。

 けれどこの癖だけは抜けなくなっていた。


「ケーキ買っていく?」


 ケーキ屋の前を通る頃、彼女が訊いてきた。


「いいよ、姉ちゃんが用意してると思うし」


「じゃあこのサンタの飾りだけでも買っていこうか? 未来みきちゃんが喜びそうだよ」


 彼女はケーキ屋の店先に並んだ小さなサンタの菓子細工を指差した。

 トナカイに引かれたソリの上のサンタだ。


「そうだな、未来に買って行くか」


 未来とは、5歳になる僕の姪っ子。

 僕が地球に帰ってからすぐに産まれた姉ちゃんの子供だ。


 予定日よりかなり早く産まれたが、元気よく育っている。


 ――白、あの時君が救った生命はすくすくと成長しているよ。




 今日は我が家で多くの友人たちとクリスマスパーティ。


 皆の目的は小さな未来ちゃん。


 未来は僕の友人たちの間ではアイドル的存在になっていて、その友人のうちの誰かが僕の家でクリスマスパーティーをすると言いだしたのがきっかけだった。


「ごめんな? 折角のイヴに野郎たちの勝手なわがままに付き合わせちゃってさ……」


「ううん、大勢でわいわいやるのも楽しい! 未来ちゃんにも会えるし嬉しいよ!」


 僕は大学でたくさんの友人たちと出会った。冗談言ったり、悩みを相談したり、一緒に酒を飲んで酔い潰れたりと楽しい大学生活を送れたと思う。


 僕がこんな風に笑い合える仲間を作ることができたのも君のおかげだ。



 ――白、ありがとう……


 今でも君は僕の大親友だ。


 この先どんな未来が待ち受けているは分からないけど、僕がもっと大人になって新しい家族を作ることができたら、その時は話そうと思っているんだ。


 僕に『ありがとう』の一言をくれた君のことを。



 どうかその相手が、今僕の横を歩く大切な女性ひとでありますように―――






        おわり 


 はじめまして、作者の香です。最後までお付き合い頂いた方々には本当に感謝致します。        誤字脱字、へんな日本語も大変多くお見苦しい点につきましては反省で一杯です!(涙)        しかし、無事に最後を迎えることができたことは本当によかったァ‥(自己満足デス。スイマセン)                  最後に、作者からも一言、言わせてください。  「こんな駄作に付き合って下った皆さん、ありがとうございました!」

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