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第12話 後悔の渦

             僕は近くの公園に来ていた。

 象の形をした滑り台や、その下には小さな山ができた砂場があり、風に押されたブランコがキーキーと音を立てながら僅かに揺れている。そしてそれらの遊具を囲うのは桃色の蕾のつけたツツジの垣根。


 誰もいない公園のベンチに腰を下ろし前かがみになった僕の目に写るのは、茶色の土肌と風に舞う花びらだけ。

 どこから吹かれてきたのか、桜の花びらが地面すれすれで舞っている。


 青空が澄み渡る春晴れのこの日、静かな公園には穏やかな時間が流れていた。

 けれど僕の心の中はその正反対で、嵐のような後悔の渦がグルグルと回っていた。


 なぜもっと話を聞いてやらなかったんだろう。


 お父さんの病気のこと、家族のこと、くにのこと。


 いくらでも訊ける時間はあったはずなのに……僕は何も訊かなかった。


 もし訊いていたら、もっと白を知っていたら、あんな言い合いになることもなかったのに。

 白を傷つけることもなかったのに。


 僕が抱えていた悩みなんて塵みたいなもんだ。比べるに値しない。

 なのに僕はひどい言葉を白に投げ付けた。


 自由気ままに生きてきたと、幸せな奴だと勝手に決め付けた。


 他人に勝手に決め付けられて散々嫌な思いをしてきた自分が、白に同じことをしてたなんて――最低だ!


 ほんと、僕は最低な人間だ!




 その日の夜、結局白とは一言も口をきけないままベットに入った。


 白は何度も僕に何かを言おうとしていた。

 公園から帰ってきた時も、夕飯の時もずっと僕の機嫌を伺っていたのだ。

 チラチラと白の視線が刺さる度に僕の胸は痛んだ。


 あっさり、ひどい事を言ってごめんなさいと謝ればどんなにか楽になるだろう。


 けど、そんな一言で済まされることじゃないし、済ませてはいけないと思うとどうしてもその一言が言えなかった。


 僕はその夜、白を避けるようにして早めの就寝をとった。


 掛け布団を頭からこっぽりと被り、必死に眠ろうと目を閉じるがなかなか寝付けない。

 僕が寝てる隣の床には布団に包まった白がいて、眠っているのか寝返り一つしていなかった。


 そして僕は頭から被っていた布団が次第に息苦しくなってきて、頭を出そうとした時、


「翔太、起きてますか?」


 と、真っ暗な部屋に白の声が響いた。


 僕は咄嗟のことにドキッとして、押し黙ってしまい必要以上に潜める呼吸。

 まだ心の整理ができていなかったこともあっての行動だったと思う。


 布団から顔を出すタイミングを逃した僕は、寝たふりをするしかなかった。


 それでも白は構わず口を開いた。


「――私はこの3ヵ月、ずっと地球の素晴らしさを実感してきました。

ここには青い海や空があり、眩しい太陽に緑の大地、そしてあの桜のような鮮やかな花々が存在する。

私の傍にはいつも翔太や姉ちゃんがいて、毎日が新しい発見でとても楽しかったです。

正直、自分の置かれた立場を忘れそうになったこともありました。このまま此処に居たいと思ったこともあります。

けれど、人間がこの地球から離れて生きていけないように、やはり私もくにを離れては生きていけないのです」


 白は独り言のように話し続ける。


「私にはやらなければいけないことがあるんです。それは途方もないことだと分かっています。

もう何をしても手遅れかもしれない、残された時間は僅かかもしれない。

それでも何もしないではいられないのです。

たとえ同じ結果しか待っていなくとも、やれるだけのことはやってみるつもりです」


 布団を頭から被っている僕からは白の表情は分からない。

 けれど白の声は真っすぐで熱いものだった。


「だから翔太も前を向いて歩いてほしい。夢を掴んでほしい。


どんなに翔太から綺麗事だと言われようとも、私はこの意見を変えるつもりはありませんよ?」


 ひねくれた性格の僕には、その真っすぐな白の言葉は正直キツかった。


 今更僕に何を期待してるの?


 僕は苦々しい思いでシーツをぎゅっと握った。


 けれど白の声は更に続いて、僕の胸に響いた。


 柔らかい声質は、ずっと聴いていたいと思わせるほど温かい。


「実は雷に撃たれたあの日、私は自分の最後を覚悟してたんですよ?

あぁ、このまま死ぬんだろう、たとえ助かっても無事では済まないだろうと覚悟していたんです。

けれど翔太は手を差し出してくれた。震える私の身体を拭いてくれた。


――嬉しかったです。


翔太に助けられた命です。大事にします。翔太、本当にありがとう。


特別な時間をありがとう。


――ありがとう 」


 柔らかくて温かい白の声音はとても耳心地のよいものだった。

 まるで幼い頃母親が唄い聴かせてくれた子守唄のようで、僕を安らかな眠りへと導いてくれた。


 それはとても気持ちのよい眠りだった。


 僕は明日こそは勇気をもってごめんと謝ろうと誓いながら眠りについた――。




 翌朝、午前7時――


「翔太! 翔太! 起きて! 早く起きて!」


 昨晩の心地良さとは打って変わって、朝の目覚めは最悪のものだった。

 姉ちゃんが容赦なく僕の身体を揺さ振る。


「大変よ! 白がいないの!


白がいなくなっちゃたよ!」


 姉ちゃんの叫ぶような声に虚ろな意識は一気に覚醒し、がばっ! とバネでもついたかのような反動で上半身を起こす。

 見上げた姉ちゃんの顔はひどく困惑していて、焦慮の色を濃くしていた。

 そんな姉ちゃんの顔を目の前に、僕は白がいなくなったという現実を認めざるを得ない。


 そして次に僕の目に飛び込んできたのは、白が寝ていた布団。

 その布団は部屋の隅に三つ折りで畳まれていた。


 そんなことはいつものことだった。

 白はいつも僕より早く起きていたし、部屋の隅に綺麗に畳まれた布団を見て礼儀正しい奴だと何度感心したことだろう。


 けれどこの日は少し違っていた。


 その畳まれた布団の上に一枚の便箋が一つ折りにされて乗っている。

 僕はベットから身体を起こし、その便箋を手に取ってゆっくりと開いた。


「……なんだよこれ」


 それを見た瞬間、僕は悔しさと虚しさで手が震えた。

 隣で覗き見ていた姉ちゃんも、そんな……と呟きながら両手で口を押さえる。


 そこに書かれていたのは、たったの一言。


 『 ありがとう 』


 あの丸い手で鉛筆を握るのは難しかっただろうに。


 不恰好でよれよれの文字。

 大小バラバラの文字。


「……けんなっ!」


 ふざけんな! って叫びたかったのに、いろんな感情が同時に込み上げてきて声にならない。


 このたった一言を伝えるためだけに一生懸命鉛筆を握っていた白の姿が瞼に浮かぶ。


 このためだけに姉ちゃんから文字を教わっていたの?


 この一言を残すためだけに――


 昨晩の白の言葉はお別れの言葉だったの?


 昨晩の心地よい白の声音が鮮明に耳の奥に残ってる。


 (ありがとう)


 なんでだよ!

 それは僕の台詞だろうが!

 その言葉を言わなければいけないのは僕の方だ!


 僕はまだ何も伝えてない。


 ありがとうも言えなかった。


 さようならも言えなかった。


 ごめんなさいさえも言わせてくれないの?


 こんな最後ってないよ。

 喧嘩別れなんて嫌だ!


 僕は今にも転げ落ちそうな勢いで階段を駆け下りると、居間を通って庭に出た。


 そこにはもうあの宇宙船はない。


 裸足で立ち尽くす僕の目の前にあるのは、ぽっかりと空いた直径約1メートルの穴。

 白が落ちてきた時に出来た穴だ。


 深さ30センチほどのその穴は、まるで僕の心の中を象徴するかのように虚しく空いていた。


 なんでだよ……。


 帰るのは来週だって言ったじゃんか!

 なんでそんな嘘つくんだよ! 卑怯だろ!


 便箋を持った手にぐっと力が入って、くしゃっと紙の擦れる音がした。


 ちゃんと謝るつもりだったのに……

 ちゃんと仲直りしたかったのに……


 星のこと、家族のこと、もっと話したかったのに……


 もう君はいない。

 僕の隣に君はいない。


 涙が溢れて止まらない。

 涙が喉に詰まって息苦しい。


 涙ってこんなにたくさん出るんだ……。


 知らなかったよ。

 涙って、こんなに塩っぱいんだ。

 涙って、こんなにたくさん出るもんなんだ。


 ――ねぇ、誰か教えてよ……


 この涙の止め方を教えて。


「ばかやろ――!!」


 僕は土肌むき出しの地面に跪き、天に向かって大声で叫んだ。


 それは卑怯な別れを選んだ白に対して――

 そして何も伝えることのできなかった腑甲斐ない自分に対して――




 その時見上げた空は僕の複雑な心とは裏腹に――鮮やかな青色だった。



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