クリスマス・イブ
三崎次郎(主人公)が娘のオーディションを切っ掛けに30年前の元カノ(宏美)に連絡を繋ぎ、その後次郎は、宏美の音楽教室の発表会に偶然、誘われる。その後半年ほど音信不通だったが、次郎が宏美の家に電話で連絡し、クリスマスイブに再会後の一度だけのサプライズプレゼントを計画する。
クリスマス・イブ
1 待ち合わせ
「・・・じゃあ、表参道A1階段下、午後5時。暖かい時は上でもいいや」
一年ぶりに宏美に電話した。
コンタクト取るだけで心臓が飛び出そうだ。
しかし気取った場所に待ち合わせるもんだ、クリスマス・イブでは東京の一等地。
駅を上がって明治神宮に向かって歩けば、高級ブティック街が目の毒だ。僕はブランド嫌いではないけどプレゼント強請られたらどうしよう・・・自己破産宣告するようだ・・・ちょっとオーバーか。
娘の事務所が近いから、此処は最近良く通るが、通るだけだ。青山のレコード会社にも近い。5時になれば、クリスマスイルミネーションが嫌でも雰囲気を盛り上げるだろう。
・・・待ち合わせ当日。
おいおい、ちょっと待ってくれよ、その山下達郎の有名な曲は止めてくれ、来る確率は低いんだから・・・。
しかし綺麗なもんだ、一人では歩けないよ・・・。
僕はイルミネーションの見える駅の上と階段の下を行ったり来たり。
40過ぎの男がなにやってんだ・・・。
そんなことを20分前からやっているだろうか、5時きっかりに、階段の下で立ち竦む。
・・・来た。
わざと昔と同じ髪型しあがって・・・。
「急に誘ったし・・・忙しかったんだろ?ごめんな・・・来るとは思わなかったよ」
「・・・うふっ・・・相変わらずね、もっと自分に自信持ちなさいよ」
「え?・・・ああ、ありがと」
「綺麗ねぇ・・・初めてみたわ」
「うん、今年が最後なんだよね、知ってた?」
僕は階段を上がり、ゆっくりと神宮方面に宏美をリードしながら歩いた。他人から見れば30代のカップルか・・・。
「ううん・・・ああ、娘さんこの辺得意だね」
「まったく・・・まだまだ海とも山ともつかないけどね」
「凄いなぁ次郎のところは・・・」
「ぜんぜん凄くなんかないよ、好きで勝手にやってるだけだよ・・・ああ、そういえば、今度FMの土曜夜9時からのレディースロックで、ユニットでレギュラー司会やるみたい」
「ふーん・・・やっぱ凄いじゃん・・・懐かしいね、この辺」
「うん・・・同じところ・・・行こうか」
「まだあるの?」
「うん、チェックしといた」
「うふ・・・頼りになること・・・」
「ああ・・・ありがとな」
原宿の歩道橋を上がり、NHK側に降りてオリンピックプールの東側の石畳をゆっくり、歩く。
「次郎?・・・紀子さまが殿下にプロポーズされたのって、あの横断歩道かなぁ」
「え?そんなとこ、あるの?」
思わず下を見ると、横断歩道があった。イブでもそこは人通りが少なく、なんとなく雰囲気だ。
「ああ、いい場所だね・・・殿下も考えたんだろうね」
今通った参道のイルミネーションが歩道橋で見ると、奥まで綺麗に繋がっていて、自然と周囲の雰囲気に負けてそこから腕を組んできた。妻には許可を貰ってきたとはいえ、少し後ろめたい。
「奥さん、よく許すね、あたしが次郎の奥さんだったら絶対許さないけど」
「・・・うん、若い時さ、手紙読まれた」
「やだ・・・」
「僕も分からないんだ、留守番頼んで買い物行ってる時見られたみたいだ」
「優しいんだね・・・次郎幸せだね」
「・・・どうかなぁ」
「あ、出た出た。得意の言葉」
渋谷公会堂の前を過ぎて、パルコを過ぎ、渋谷駅前まで来たが距離を感じさせないほど沢山・・・昔の話や今までの事を話していた。
2 待ち合わせ(宏美編)
十二月半ば過ぎの午前中、掃除機を掛けていた。
午後は生徒がレッスンに来るので、大体物事は午前中に済ませることが多い。
・・・電話が鳴った。
ディスプレイを見ると、見覚えのある携帯番号だが、はっきりわからない。
取り敢えず受話器を取った。
「もしもし?僕だよ・・・三崎です、今・・・大丈夫?」
迷惑なような、嬉しいような複雑な心境のまま、その声を聞いた。
「え?・・・なんですか?忙しいんですけど・・・」
「あの・・・クリスマス・イブって・・・時間取れるかな・・・」
急に何を言うかと思えば・・・まったく非常識な話に、かえって解れて笑ってしまう。
「空いてる・・・って言ったら・・・なんなの?」
こんな年で誘われるなんて聞いたことがない。
それも大昔の人じゃない・・・別に煮ても焼いても構わないけど・・・。
「一応、妻には娘のレッスンの相談、って事で許可は貰えると思うんだ」
・・・ああ、そういうことか。心配ないわけじゃないけど・・・少し安心。
「夕方からでいいの?」
「うん・・・」
「あんまり当てにしないでね・・・」
「・・・じゃあ、表参道A1階段下、午後5時。暖かい時は上でもいいや」
「え?地下鉄の表参道駅?」
「そうそう・・・昔降りた・・・」
「A1階段下・・・?」
「うん・・・5時ごろ」
「わかった・・・」
「じゃあ・・・」
電話が切れた。
なにか気の利く言葉ないのかしら・・・。
昔と変わらない次郎がかえって懐かしかったりする。
溜息をつき、掃除の続きをする。
ダイニングテーブルの椅子を動かしながらも、掃除は日常の事だから体が勝手に動く。
頭の中は、次郎と昔一緒に歩いた道の事が昨日の事のように思い出されて、頭の中と行動がバラバラだ。
午後になって小さな生徒がレッスンに来るが、頭の中はクリスマス・イブの事で一杯だ。
・・・素敵。・・・良いかもしれない。
さりげなく場所を言ったけど、最高の場所じゃないの・・・。
・・やだ、次郎・・・昔、あんな酷いこと言った。
許せない事も多いし・・・。
行かなくても良いんだよね、行かなくてもいい。
行かなくても日常に変化なく、順調に生活出来てる・・・。
約束の前日は、生徒のレッスンもお休みが多く、クリスマスイブも冬休み前と言うこともあって、お休みが多く、前倒しすれば次郎に会えそうだ・・・。
・・え?まだあたし、行くつもり?・・・。
前日の朝、パソコンを起動し、検索に「ミニバーグ」と入力する。
小さいハンバーグとの認識が強いみたいで・・・ヘアスタイルではもう化石なのかしら・・・。
その中で、諦めかけた3ページ目あたりに、あった。
昭和レトロだって・・・失礼しちゃうわ、と思ったが、リンクした。
流石に旧いスタイルだ。
このままじゃ変だな、いつもの所行って・・・現代風にアレンジ出来るかしら・・・。
・・そこには、素直に次郎に会う事を楽しもうとする、別の自分がいた。
当日、レッスンもそこそこに、午後4時、渋谷方面の電車に乗った。
3、道玄坂
駅前に立ち、スクランブル交差点を道玄坂に進む。
左側の歩道は、109側よりは混んでいないが、ほとんどがカップルで動きが鈍い。
その速度に合わせて歩くが、すれ違いに狭く、自然と二人は体を寄せる事になる。
最初に行ったのはヤマハ。其処から渋滞した車の間を抜けて斜めに路地裏に入り、昔と変わらない、キラキラと派手な看板のなまめかしい坂道を抜けると、小さなドアを開ける。
カランカラン・・・とドアのベルが振動で揺れ、宏美を先にして中に入ると、二十数年前と変わらず、其処には傘のついた電球と木製のベンチチェアー、その上に座布団を敷いただけの座席、無垢のテーブルには、びっしりと小さな文字で書かれた、落書きが残っている。
今夜の雰囲気を感じるのは、カウンタの上に載った、小さなクリスマスツリーだけだ。
その空間は今通って来た大通りの、若者の空間とはまったく違う、時代の止まったものだ。
宏美は、テーブルの文字を楽しそうに読んでいる。
幾つもの出会いや別れを綴った文字が並ぶ。
僕は取りあえずビールと枝豆を注文すると、リクエストを書く小さな紙にキャロルキングのつづれ織りと、カーリーサイモンのノー・シークレッツを書き、渡した。
6時を少しまわった時刻で、まだ僕たちだけの空間に、キングの暖かい声が響き始める。
その歌が始まると、にっこり笑って宏美は僕を見て、それだけで何を言いたいのか分かる幸せがそこにあった。
僕がビールを注ごうとすると、それを取り、宏美が注いでくれた。
僕が受け取り、宏美に少々緊張しながら、ラベルを上にして丁寧に注いだ。
ゆっくりグラスを当て、乾杯し、ゆっくり飲む。
壁側に居た宏美が目を瞑り、壁に頭をつけて止まった。
僕は通常、まともに顔を見て話す事がなく、じっくり宏美を見たのはこの時が今日、初めてだった。
よく見るとやはり、年齢相応の苦労があったのか、薄い化粧の中にそれを感じ取った。
しかし昔のままだ。僕はテーブルに両肘をついて猫背で手を顎に乗せ、宏美を見ていた。
一曲目が終わり、宏美が薄目をあけた。
僕はそのまま、宏美を見ていた。
「何か・・・顔についてる?」
僕はふふっ、と笑っただけで、答えない。
「何か・・・焼きうどん・・・で、いいかな?」
「そんなのあったわね。うん、それでいい」
「・・・いや・・・何を考えながら聞いてたのかな、と思ってね」
「うん・・・すごいね、昔の事がはっきり見えた。一曲の間に、あの頃の半年分ぐらいが頭の中を通った」
宏美はビールを飲みながら、枝豆を剥き、一つづつ皮から拾って食べていた。
僕は宏美のグラスにビールを注ぐ。
「ケーキでも注文するかい?」
「うん・・・任せる」
僕はカウンタに行き、二人で食べきれるようなケーキがあるか尋ねると、15センチくらいの丸いクリスマスケーキを見せてくれた。
それに二本の蝋燭を差して、フォーク二本とナイフを皿の上に載せ、テーブルに置いた。
店の名前の入った、昔ながらのマッチで蝋燭に火をつけた。
少しして焼きうどんが来て、テーブルの上はけっこう賑やかになった。
「僕がこっちを消すから・・・」
「あたしは・・・じゃあ、こっちね」
僕は手で、ワン・ツウ・・・と指示して息を掛けた。
僕が蝋燭を抜くと、宏美がナイフとフォークを使ってケーキを切った。
二人で一つの皿から、それを少しずつ食べる。
焼きうどん、とは組み合わせが悪いかと思ったが、意外と合ったりする。
ビールが空いたので、取りに来たカウンタのお兄ちゃんにスパークリングワインを頼んだ。
「ご夫婦で、善いクリスマスですね・・・」
僕と宏美はお兄ちゃんを見ると、小さく会釈した。
「あ・・・そうだ、これ・・・」
僕は、黄色く変色した四つ織りの古いコピー紙を、席の隣に置いたダウンジャケットの中から取り出し、宏美に渡す。
宏美はそっとそれを開けた。
表には、あるロックバンドの歌詞がコピーされ、その裏に鉛筆で書かれた宏美の、昔の文字が並ぶ。
「覚えてる?」
「え?やだ、読むの怖いな・・・」
そう言いながらも、宏美は少しずつ読み始める。
次第に夢中になって、一気に読みきった。
「・・・よく残ってたね」
「うん、最近また昔のレコード聞き始めたら、中から出てきた」
「他の手紙は・・・焼いちゃったんだっけ?」
「そうだね・・・宏美が結婚するって聞いて」
「そう・・・最後に次郎が送ってくれたでしょ?結婚反対・・・みたいな」
「ああ、ごめんね、でもあれ、あの時の正直な気持ちだったと思う」
「・・・でも、あたしの事、ほっぽっといた次郎のせいだからね」
暫く沈黙が続き、その間にリクエストはキングからカーリーへ曲が変わった。
僕はテーブルの皿の間に肘をつき俯いてしまった。
自然に涙がこぼれて、ハンカチを忘れた僕は腕で顔をこすった。
「・・・次郎の馬鹿・・・あたし、あなたの小平の住まいに何回か電話したけど、いつも出掛けてて話できなかった。・・・それで次郎のお母さん、伝言なんか取りついでくれないでしょ?」
僕は返す言葉がなくて、暫く俯いたまま、宏美の言葉を聞いた。
「それと・・・キスさえもしてくれなかった。あたし、何回も手紙で遠まわしだけど書いてたんだよ、覚えてないとは言わせない。あの若さで、あたしから全部求めるなんて出来る?・・・酷いよ」
「いくら・・・沢山・・・気持ちは通じていたかもしれないし、こうして暫くぶりでも変わらないけど、だめだよ、そんなの。今でも次郎の気持ちが一番、男の気持ちとして理解してる。でも実践してなかった、興味本位で体を許した人はあったけど・・・気持ちが通じないから駄目なんだよ」
「結婚は割り切ったんだよ。何年かすれば通じるだろうと。だけど今でも主人の気持ちは次郎より、わからない。あたし、一生をそれで終えるんだよ、許せない」
宏美は、届いたスパークリングワインの、大きめのグラスを持って一気に煽ると、言いたかった一部が吐き出せたのか、少し落ち着いた。
宏美は黙って、地下にある化粧室へ降りていった。
僕はそのあと、去年、宏美の実家に行った時のこと、僕の誤解してた事などを宏美に伝え謝ったが、それで気が済むはずもない。過去は取り戻せない。
宏美は一気に酔いがまわってしまい、壁側にもたれていた。横に行った方が良いに決まっているが、できない。業を煮やして宏美が酔った勢いで僕を手招きする。
僕が横に行くと、肩に頭をつけて目を瞑ったがすぐに眠くなったのか、膝枕をして横になり、寝てしまった。
膝にのせた、昔と変わらない小さい両手のひらが、僕の手を引き、指の間を探しながら組んで、宏美は頬に寄せ、唇を手の甲につけた。
暫くして僕はそのまま、手をゆっくり解し、残っていた食事を少しずつ皿を持って宏美に当たらないように食べていた。
・・・昔からずっと、こうしているように感じた。
宏美は、主人の前では安らげないのか、僕には知る由もない。時間の許す限りそのままにしてあげたかった。
僕も少しワインの酔いがまわってきて、懐かしい宏美の髪を、手櫛で撫でていた。
他の客も、8時近くなったので入ってきた。リクエストは終わっていて、ジミヘンの元気な曲が流れていた。
「そろそろ・・・出ようか、明日もレッスン、あるんでしょ?」
宏美は膝枕のまま、頷いた。
「娘さんの事・・・ごめんね、協力できなくて」
そんなこと、この気持ちの宏美に頼んだ僕が悪いのに・・・。
「ちょっと・・・トイレ」
僕はそう言うと、席を立った。
宏美は、僕が帰ってくると、テーブルに一言、残していた。
「今でも次郎が好き」
クリスマス・イブ
全三章・完。