誕生日に象箸玉杯の故事で諭された第二王女
挿絵の画像を作成する際には、「AIイラストくん」と「Gemini AI」を使用させて頂きました。
栄起二十二年十一月十五日。
妾の妹である愛新覚羅白蘭第二王女の十八回目の誕生日を祝賀する生辰式典と酒宴は、一切の滞りなく順調に執り行われた。
中華王朝の次期天子と第二王女という序列もあり、五月に執り行われた妾の生辰式典に比べれば小規模でこそあったものの、白蘭の健やかな成長を祝賀する文武百官や民達の熱量は決して後れを取る物ではない。
中華王朝次期天子の愛新覚羅翠蘭第一王女として、そして何より白蘭の二つ違いの実姉として実に喜ばしい限りじゃ。
とは申せども、先の式典と酒宴における祝言はあくまでも次期天子という公人としての物。
私人としても妹の誕生日を祝いたいというのは、1人の姉として当然の人情であるな。
「そなたの十八回目の生辰、慶賀の至りであるぞ。妾としても喜ばしい限りじゃ、白蘭。」
そうした事情もあり、こうして側近を伴って妹の私室を訪れた次第なのじゃ。
「有難う御座います、翠蘭姉様。この愛新覚羅白蘭、恐悦至極に御座います。」
洗練された美しい拱手礼は、幼き頃からの教育の賜物じゃ。
それでこそ、清朝の後継国である中華王朝の第二王女と言えようぞ。
「さて、白蘭よ。今宵はめでたき、そなたの十八回目の生辰じゃ。姉妹水入らずで一献傾けるのも悪くはないと思うてな。これは妾の馳走じゃよ。」
「それは山東省の黄酒で御座いますのね、翠蘭姉様!それでは酒器と酒肴は私に御任せ下さいませ!」
そうして侍女に用意させたのは、以前から妹が愛用していた七宝焼の酒器だったのじゃ。
これは確か六年前の生辰式典の折に、我らが尊父の劉玄武王配殿下が白蘭へ下賜した物じゃったな。
「今までは酸梅湯を頂く際に使わせて頂きましたが、今宵は漸く本来の用途で用いる事が出来ますよ。」
「ほう…そなたは物持ちが良いのう。父君も喜ばれるであろう。」
酒杯に注がれた琥珀色の黄酒からは、果実を思わせる甘い芳香が濃厚に漂ってくる。
この馥郁たる芳香を放つ美酒を十八になったばかりの妹と一緒に堪能出来るかと思うと、姉として実に喜ばしい限りじゃ。
「ときに白蘭よ。日頃から翰林図画院に出入りしていて書画や工芸品に関心を寄せているそなたならば、歴代王朝の絢爛たる酒器も間近に見ておるのじゃろう。十八歳の生辰を機会に、そうした豪奢な酒器を乙らえようとは思わなんだのか?」
「確かに翰林図画院で管理しております美術品の中には、玉杯や金杯といった豪奢な物が幾つも御座いました。徽宗が愛したような北宋後期における青磁の酒器も、数は少ないながら御座いましたね。もしも『靖康の変』における女真族の略奪がなければ、今よりも現存数が多かったのですが…」
北宋や徽宗といった単語を口にする時、いつも白蘭は複雑な顔をするのじゃ。
芸術的に優れた北宋文化に強い憧れを示す白蘭ではあるが、それを牽引した徽宗の人間性には共感出来かねるらしい。
何しろ徽宗は国民の生活を全く顧みずに気心の合う佞臣達と遊び惚け、挙句の果てには女真族の興した金朝と対立を深めた末に国を滅ぼしてしまったのじゃから。
常日頃から「美術を通じた民達の精神的な幸福度の向上と、国際交流の一層の推進」を目指している白蘭にとって、国家と民達を独り善がりの芸術で不幸にした徽宗の所業は許されざる愚行に感じられるのじゃろう。
しかしその北宋を滅ぼした金朝の女真族こそ、妾達姉妹を始めとする満州族の先祖なのじゃからな。
白蘭の思いは一層に複雑であろう。
「しかしながら、姉様。あのような贅沢品は恐れ多くて、とても酒宴に用いる事は出来ません…」
「ましてや、こうした普段使いにはな。」
酔いが回って陶器のような白い肌に赤みが差してはいるものの、妹の上品な所作には些かの乱れもない。
左右に頭を振って否定を示す仕草も、至って控えめじゃった。
「よくぞ申したぞ、白蘭。そなた、『象箸玉杯』という言葉は存じていような?」
「存じております、姉上。確か『韓非子』に出典のある、殷王朝末期における逸話の一つで御座いましょう。」
妹の正確な回答は、姉である妾としても実に喜ばしい限りじゃ。
やはり白蘭は、この中華の歴史を正しく学んでおるようじゃのう。
「殷の紂王が象牙の箸を作らせた時、臣下の箕子は激しく恐れたそうで御座います。箸が象牙ならば、それに見合う玉の杯や器が欲しくなる。そうなれば衣食住全てに拘りたくなり、やがて奢侈に耽って国を傾けてしまう…聡明な箕子は、足る事を知らない放埓な欲望がもたらす悲劇を予期していたのです。」
「その紂王が妲己に溺れた事で奢侈と暴虐に耽る暗君に堕落し、徳を失った末に国を傾けて周王朝に取って代わられた事を考えると、箕子の恐れは辛辣な予言になってしまったと言えるな。莫大な税金を浪費して築いた鹿台や酒池肉林の蛮行までは、流石に箕子の想定外だったとは思うがのう…」
水の代わりに酒で満たした池など、どれだけ大人数で飲んだところで必ずや無駄が生じてしまうじゃろう。
その無駄の為に、果たしてどれだけの民達が苦しんだのやら。
君主にも生活を楽しむ権利はあって然るべきだが、その為に民達を犠牲にするなど言語道断と言って良い。
他者を顧みない独り善がりな酒宴など、決してあってはならないのじゃ。
「この七宝焼の酒器を用いておりますと、父上の仁愛と慈悲の御心が自ずと伝わってくる気がするのです。まして今宵は、こうして姉上と御相伴が出来たのですから。どんな豪奢な酒器を用いた所で、今宵のような楽しさは決して味わえないでしょう。」
「然りじゃな、白蘭。また妾の事をその七宝焼の酒器でもてなしてくれれば幸いじゃ。妾だけではない。母上や父上の事も御誘い申し上げるのじゃ。そなたが酌する一杯、必ずや愛新覚羅紅蘭女王陛下や劉玄武王配殿下にも御喜び頂けるじゃろう。」
七宝焼の杯を干しながら、妾は再び妹の方へと向き直ったのじゃ。
美術を愛しながらも、決して奢侈に溺れる事を良しとしない。
そんな白蘭の持つ素晴らしい美徳には、中華王朝の次期天子である妾も大いに学ばねばならぬじゃろうな。